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お腹すいた?

 両手に持った二つのカップのうち一つを「粗茶ですが」と差し出せば、金髪男は恐縮したように体を縮こませて、リビングの入口に立ち尽くしたままの美少女を振り返った。


「あ、あの、隊長、おれ、いただいてもいいっスか?」


怖々と問えば、美少女は射殺しそうな視線で彼を睨みつけた。何を言いたいのか嫌というほど分かったのか、金髪男は丁寧に断って、すまなそうに櫻子に言う。


「あの、隊長のこと、よろしくっス。おれ、外行くんで」

「え……」


 引き止める間もなく、金髪男は二人を残して部屋を出て行った。ばたん、とドアが閉まる音が静かな部屋に奇妙なほどに響いた。とりあえず余ったほうは自分で飲もう、と櫻子はため息をつく。美少女のほうへと近づき、カップの一つを差し出した。


「飲まない?」


 その瞬間、美少女の身体がびくりと震え、おずおずと細い腕が伸び、落ち着かない様子で受け取った。見た目が見た目だけに、なんだか自分が苛めているようだと櫻子は思う。


「ソファ、座ったら?」


と促せば、美少女はちらと視線を上げて、ようやく櫻子と視線を交えた。


「怒っているのですか」

「よくわかんない」


と正直に答える。

 すると美少女はまた黙りこみ、すたすたとソファへ歩み寄ると、ボスンと音を立てて座り込んだ。

 櫻子は一つため息を落として、ソファへと体を向けてテーブル横の椅子に座る。ボンっと小さく音がしてそちらを見れば、美少女の姿は消えていた。代わりに現れたスーツ姿の男――アジュールは、恨めしそうに櫻子を見やる。


「なぜ止めたのですか」

「なぜって……ケイちゃん困ってたし、可哀そうだったし」


 アジュールの眉間に深いしわが寄る。


「ですが本当のことです。あの男は報いを受けるべきです。……あなたの行動は、全く理解できません」


 櫻子はそっくりそのまま同じセリフを返してやりたい気がしたが、アジュールがあまりにも打ちのめされたように辛そうな表情を浮かべたので、思いとどまった。


「……さっきの金髪の人って、部下の人?」

「気になるんですか? だったら殺してきます」

「え」


なんでだ、と櫻子は理解に苦しんだ。否定したほうがよさそうだということは分かる。


「あ、いや、別に気になるっていうわけじゃなくて、流れとしての質問だから……答えたくなかったら別にいいよ」


「部下です。あなたの記憶にとどめておく必要は一欠けらもない存在です」


「えええ……」


それは酷いのでは、と思ったが言わない。


「まったく」


アジュールは深いため息をついた。


「あなたは本当に、“悪魔”のようです」

「悪魔はあなただと思うけど……」

「あの男もしかり、人間は“悪魔”ばかりです」


 なぜ圭治にこだわるのか、櫻子にはわからなかった。


「よくわかんないんだけど、ケイちゃんのこと、誤解してると思う。私たちはもう別れたし、今はあの人がケイちゃんの彼女だよ」

「なぜそんなに冷静でいられるのですか。あの男はあなたの恋人でしょう?」

「いや、だから、私の話聞いてた? 私たちもう別れたの」


 どうして通じないのだろうと疑問に思う。別れた、イコール恋人ではない、のだとどうして分からないのか。どこか呆れた様な様子の櫻子に、アジュールは我慢できなくなったのか声を荒げる。


「だったらなぜ“ケイちゃん”“ケイちゃん”と甘ったるく呼ぶんですか!」


「は?」


 甘ったるく呼んだ覚えはないけれども。そう聞こえるのだろうか、と櫻子は怪訝顔だ。しかし、悪魔的に何か気に障るのかもしれないと思い直す。


「えーと、気に入らないんだったら、別に呼び方くらい変えるけど。相模くんとか、苗字でも呼べないことはないし」


 ケイちゃん、と呼ぶ期間が長く、慣れているからそう呼んできただけのことだ。彼女もできたみたいだし、いつまでも幼友達のように「ちゃん」付けで呼ぶのは控えた方がいいかもしれないな、と考えた。


「な……にを、そんな簡単に……」


 アジュールは驚きも露わに、まるで櫻子の正気を疑っているかのような表情だ。


「簡単とは言わないけど、まあ、意識すれば変えられるよ」

「ま、まあ、意識すれば変わるものです。それはそうですが……本当に?」

「そんなに驚くこと?」

「青天の霹靂です」


 それは凄いな、と櫻子は他人事のように思った。

 アジュールはどこかホッとしたような、嬉しそうな表情を浮かべる。それほどに悪魔的にNGだったらしい。じっと見つめる櫻子に気が付いたのか、ふわりと笑みを浮かべた。


「っ……」


 ふいに思い出された生々しい感触。あれに比べればずっと、凪いだ海のように穏やかな温かさがターコイズブルーの瞳に浮かんでいた。再会の驚きにふと忘れていた。あんな気まずい別れ方をしておいて、よくもまあ呑気に会話できたものだ。


「櫻子さん?」


 とアジュールの呼ぶ声が、あのときの声と重なって、まるで何かを乞われているかのように感じた。思わず視線を逸らし、取り繕うように話題を変える。


「あ、えっと、今は部下さんのところにいるの? ご飯、ちゃんと食べてる?」


 まるで実家の母親のようなことを言う自分に苦笑する。


「……別に食べなくても、生きていけますから」


アジュールは可笑しそうにそう言った。


「だ、駄目だよ、ちゃんと食べないと……生活は、食事が基本だよ……」


 せわしなく視線をさまよわせ、何を言っているのだろうか。


「私は悪魔ですから、食べなくても大丈夫なんです。飽くなき食欲さえ、必要ならば抑えてみせます」

「……オムレツサンド、作ろうか?」

「いえ……」


とアジュールは力なく首を振った。


「それではとても足りそうにありませんので」

「いっぱい、作る?」


 首をかしげて尋ねれば、アジュールはふと動きを止め、スッと視線を逸らす。と思ったら、しばらく考えるそぶりを見せ、不意に口を開いた。


「では、お握りを」


 そのリクエストに頷いてやると、彼は心臓に悪い笑みを浮かべて「シャケがいいです」と付け加えた。






 さっそく米を洗い、炊飯器にセットして最短で炊き上げるよう設定した後、櫻子は塩鮭を焼いて身をほぐし、具を作り始めた。自分の分も考慮し、いくつ作ろうかと指折り数える。

 汁物や卵焼きも作っておこうとこまごま動いていると、ご飯が炊けた。手水をつけてご飯を取り、中にほぐしたシャケを入れて握っていく。手水はできるだけつけないほうがいいと母の教えを守っているおかげで、少し握ると指先に米粒がくっついて、そのたびに唇をややヘの字に曲げた。


「熱くはありませんか?」


 不意にそう声を掛けられ、気配のなさにぎょっとしつつ隣を見ればいつの間にかアジュールが立っていた。すでに心臓に悪い存在と化した彼に、櫻子は動揺を隠しきれずおろおろと頷いた。


「う、うん、大丈夫。慣れてるし……」

「火傷はしないように」


囁くような声は、まるで甘く乞われているようだ。


「う、うん……」


 心なしか顔が近いような気がして、出来るだけ自然に離れてみるものの、じりじりと近寄ってこられてはどうしようもない。そもそも私、なんでお握りなんか作っているのだろう。怒っていたくせに。会えたことが嬉しくて、おかしくなっているに違いない。

 ちらとアジュールの手を盗み見て、あの手が自分の腕に触れたことを思い出した。――長い指だ。しかもキレイ。無性にドキドキして、お握りを握る手に妙な力がこもる。


「櫻子さん、手、凄いことになっています」


 指摘されて米粒でべたべたになった手に気づき、慌てていたのかすかさず手を洗おうと蛇口の下に向ければ、長い指が手首を掴んだ。


「え」

「貸しなさい」


 手を口元へと引き寄せ、瞠目する櫻子と視線を絡ませたのち、アジュールは手についた米を舐めとり始める。軽く歯を当て、塩味のついたそれを余すことなく口に入れていく。櫻子は全身が沸騰したように熱く感じ、目の前の光景に眩暈を覚えた。

 舌が指の股を舐め、爪先を這う。雷のように突如襲った感情は、はたして恐怖か、得体の知れない熱情が呼び起こしたものなのか彼女には判断が付かなかった。


「もったいない、でしょう?」


 呆然とする櫻子に、アジュールは嫣然と微笑む。


「そんな風に口を開けて……舌をねじ込みますよ」

「え、あ、え?」


 思わず、と口に伸びた櫻子の手を、アジュールは空いた手でつかんだ。両手を掴み、落ち着かない様子の櫻子を引き寄せる。ぐっと顔を寄せて、真っ赤になった耳を食むように囁いた。


「アルと呼びなさい」

「へ、あ、アル?」

「そうです。アジュールではなく、アルと呼び続けなさい。それだけで私の飽くなき食欲は慰められます」

「しょ、食欲? あ、あの、お腹すいたなら、お握り、その、お握りの続きを」

「アル、と呼びなさい」

「あ、アル。えっと、お、お握りを、お握り、は?」


 必死になって尋ねる櫻子に、アジュールはくすくすと笑いをこぼす。櫻子の白い首筋に唇を寄せ、軽くリップ音を響かせたあと、擽ったそうに囁く。


「困りましたね……」


 それは私が言いたいと櫻子がわなわなと唇を震わせれば、我慢の限界だとでもいうように、アジュールは懇願した。


「櫻子さん、今無性にあなたを食べたい」

1/7 行間に変更を加えました。

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