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ひどい話っス

「別におれは、馬鹿じゃないっスか、なんてことは思ってませんからね」


 上司の手前、とTシャツの上にスーツの上着を羽織った金髪の男が、未開封の缶ビールの淵を未練がましくなぞりながらそう言った。スルメいかの破片が転がったちゃぶ台の向こうには、きちんとスーツを着込んだアジュールが渋面を湛えて座っている。

 上司の手前、と投げ捨てられていたジャージのズボンを履き、にへらと笑って星柄のパンツを隠した部下のほうは、一分もたたずに正座を崩し、胡坐をかいていた。


「おれ、堅苦しいの苦手なんスよねぇ。隊長もほら、楽にしてくださいよ。ビール、嫌いッスか?」


「遠慮しておきます」


とアジュールは冷たく断った。じゃあおれはいただきます、とプルトップに指をかけた部下に、冷気のこもった視線を投げかける。


「あなたのそれは、自殺願望だと理解しても?」


 その瞬間、うげ、と部下の唇が歪む。猛獣を前にゆっくりと後退するがごとく、ビールをちゃぶ台の中央に押しやり、やや青ざめた顔をにへら、とぎこちなく緩ませた。


「い、いやですよ、隊長。冗談ですってば。それで、えっと、勢い余って女を襲っちまって、ビビられて、追い出されたって話っスよね」


 長々と聞かされた上司の話を端折ってまとめれば、ジュッと嫌な音がした。ナイロンの焦げた臭いと、太もものあたりに生じた熱に青ざめつつそちらに視線をやると、溶けてぱっくりと空いたジャージから星柄が見えていた。


「た、たいちょう。無詠唱で攻撃とか心臓に悪いんで」


「訂正しなさい。襲ってなどいません。空腹時に目の前の餌を食べるのは、生き物の常です」


「なに理路整然と言ってンですか。深くは突っ込みませんけどね! つか、餌って。餌って隊長どんだけ?」


「あなたに餌と呼ばれたくありません。西宮櫻子です。西宮櫻子と呼ぶことを許容しましょう」


「それはえっと、光栄の極みっス。……話、戻しますけど、膝舐めるのはまあこの際許容範囲だとして、押し倒してキスしまくるっつーのはいかがなもんかと思うンすよね」


 腕を組んで唸りつつ、ズケズケと見解を述べる部下に、アジュールは至極冷静に告げた。


「では想像しなさい。あなたの前に真っ赤に熟れた果実が差し出されています。真っ赤な果汁を滴らせて、芳しい匂いを放っています。あなたは空腹です。どうしますか。むさぼるでしょう?」


「いや、あの、差し出されてるってとこからそもそも見解の違いっつーか、果汁じゃなくて血じゃないっスか。おれだったら許可取りますよ。とりあえず。むさぼっていいですかーって、そんなかんじで」


 非難がましい視線を向ける部下に、アジュールはしばらく黙り込み、きっぱりと言う。


「空腹だったんです」

「ゴリ押しっスか」

「しかも途中で取り上げられました。いつもはへらへらと笑って見ているだけなのに、過剰な塩分を垂れ流しながら取り上げたんですよ。食事の邪魔をするなど、ひどい話です」

「……えーと、そうっスね。ひどい話っス」


 そもそも人間は食料じゃない、との一言を部下は飲み込んだ。

 アジュールは更なる爆弾を落とす。


「おかげで欲求不満です。空腹で狂いそうです。どうにかしなさい」


「え、いや、そう言われても無理っスよぉ。大体おれは、人間界には興味あっても、人間にはあんまり興味ないっていうか、人間の女にも興味ないっつーか」


ぼりぼり、と腹を掻く部下に、アジュールは無表情で告げた。


「部下の一人や二人、消し炭になっても気にも留めないほどに空腹です」

「できる限り協力させていただきまっス!」


 勢い立ち上がった部下は、ちゃぶ台に足をぶつけて悶絶する。

 アジュールは満足げな笑みを浮かべ、頷いた。


「では手始めに、“合コン”とはいかなるものかを教えなさい。櫻子さんは男と女の出会いの場と言っていました。食事をしたり、話をする場所とも。そこはかとなく如何わしい予感がします」


「いやいやいや。合コンだったら知ってますよ。如何わしいって決めつけはどうかと。なんか他に言ってました?」


「夜7時半から、と。ご飯は作ってから行くとも」

「甲斐甲斐しいっスね」

「せっせと私に給餌をするのです」

「違うと思うっス」

「なんですか?」


「なんでもないっス。と、とにかく、聞く限り普通の合コンだと思いますよ。同数の男女が向かい合って、他愛ない話をしながら仲良くなるっていうか。気になる奴がいたら、えーと、なんだっけ、持ち帰る?」

「如何わしいじゃないですか。持ち帰って食べるんですね」


 隊長の脳内が一番如何わしいっス、とは部下は言えなかった。命は惜しいのだ。


「ち、違うっス。えーと、気になる奴がいたら、あれだ、番号を交換したり、次会う約束を取り付けたり、まあ、色々ですね」


「番号? 暗号と似て非なるものですか。何か秘密めいた如何わしさを感じます。櫻子さんの番号はなんでしょう」


「知らないっス」


「知っていたらすでに殺しています。知りえる機会があれば、私に教えなさい。そのあとで消し炭にします」


「記憶ごと消去っスか! いやいやいや、番号っていうのは、電話番号とか、あ、あとメールアドレスとか、そういうやつっスよ。連絡手段。人間はちまちまメールを打つのが好きらしいっス」


「櫻子さんはあまり好きではないと言っていました。理由は知りませんが」


 驚くほどどうでもいい情報をこれまた満足げに言うんだな、と部下は瞠目した。


「そ、そうっスか。あれだ、文字のほうが暖かみがあるってやつですかね」


 誤魔化すように適当に言えば、鋭い矢のような殺人光線が部下のすぐ横の畳を焼いた。


「知った風なことを……!」

「ひ! た、た、た、ただの推測っすよ! 当たる確率はゼロっスから! 西宮櫻子のことは隊長しか知りえません!」

「そうでしょうとも」


とアジュールは満足げに笑う。部下は生きた心地がせず、青ざめた顔を無理やり笑わせた。


「話が逸れましたね。次はその“合コン”がどこにあるかということです」


 アジュールの言葉に、部下は凄く嫌な予感を覚えた。


「えっと、もしや隊長、乗り込む気っスか?」


 怖々と尋ねれば、アジュールにじろりと睨みつけられた。


「……出て行けと言われたんです。家には行けません。だったらその“合コン”という場所に行くしか、櫻子さんと出会う機会はないでしょう。公共の場所で待ち伏せするのはいけません。櫻子さんが困ります」


 そういう常識はあるのか、と部下は少し感心した。しかし認識が甘い。


「あの、なんつーか、合コンは場所じゃなくて、そういう集まりのことを言うんです。一般的にはどこかの店ん中でやるんっスよ。つまり、そこも公共の場」


 アジュールは目に見えて落ち込むことこそなかったが、むっつりと黙り込んでしまった。


「ていうか、その、別に気にすることないんじゃないっスか? 家に行って食っちまえば。腹減ってるって、つまりそういうことですよね。おれの記憶では、隊長、割と定期的に買ってたって思うんっスけど。おれはまあ、右手でなんとかやってますけど、隊長はそういうタイプじゃない感じだし……。次帰れるまでに我慢できないってことなら、これっきりの人間一人、ヤっちまっても特に」


 問題ないのでは、と言いかけて、部下は言葉をつなぐことができなかった。腹部に衝撃を受け、後ろに吹き飛ばされ、壁にぶち当たったからである。脆い壁がパラパラと破片となって毀れ、部下の身体はゆっくりと畳の上に落ちた。


「ぐっ、げぼっ、けほっ……た、たいちょう、なにすん、っスかぁ」


 涙目で恨みがましく見上げれば、そこに見たアジュールの絶対零度の微笑みに凍りついた。


「私は最上級悪魔ですよ。悪魔の矜持を忘れることは、愚かなことです」

「い、意味、わかんねっス」


せき込みながら部下は素直に疑問を口にした。アジュールは一息ついて、柔く唇を噛む。


「……櫻子さんには、愛称を呼ぶ相手がいます。馬鹿みたいに、愛しい愛しいと呼ぶのです。口では嫌いではないと言って虚勢を張る彼女に、欲をぶつけることは律していたはずでした。ただ、タガが外れてしまった。私には、差し出された果実のように思えた。いや、そう、見えた。予想以上に甘い餌に、陶酔した。……人間界になど、来るべきではなかった。もう一生、芽生えることのない欲望に(まみ)えてしまった」


 切なげに吐き出されたアジュールの言葉に、部下はハッと瞠目した。


「隊長、それって……」


「人間界にも“悪魔”はいます。櫻子さんは、ひどい“悪魔”だ。覚えておきなさい。人間とは、かくも恐ろしき生き物だということを」

1/7 行間に変更を加えました。

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