緑森
倉庫に入る扉は錆び付いているにも関わらず、すんなりと開いた。
倉庫内は暗く、じっとりと湿っている。
もう使われていないのか、辺りには機材木材が散乱し、コンテナが適当に設置されていた。
管理がなされていないのか、愚痴を言う相手もいないまま、ちょっとした迷路のようになった倉庫の中を進んでいく。人の気配はなく、冷え冷えとしている。壁伝いならぬ、コンテナ伝いに歩いて行くと、なにかを踏んだ。足底に感じた妙に柔らかい感じに、後ろに一歩下がる。
携帯電話を開き、電話の明かりを踏んだ何かに向ける。ハンカチだった。綺麗に折り畳んだハンカチが落ちていた。
ため息が出ると同時に、自分の臆病さ加減に笑いが出そうになる。
ふと、数時間前、俺に依頼をしてきた男のことを思い出した。
「殺し屋を殺してほしいんです」山田太郎と名乗る男は酷くやつれていて「不健康という言葉を身体を張って表現しました!」と言われてもさほど疑問に思わないほどやつれていた。
「どの殺し屋だ」
「殺し屋と言ったら殺し屋だ」どうしてもそんな事もわからないのだ、とは続かなかったが、もし俺が彼の後輩なら続けざまにそう言われていただろう。
正直、返答に困った。ここはなだめるべきなのか、それとも謝るべきなのか。いっその殴り捨ててやろうか。
考えている間、両者に沈黙が流れた。突然、山田が我に返ったように深々と頭を下げた。
「取り乱してすみません。」山田は手に持っていたハンカチで額の汗を拭う。
やつれた容姿のせいか、気分が悪い様にも見えた。そこで、大体の察しがついた。
情緒不安定な態度。流れ出る汗。なんのことはない、山田は何人も見てきたパターンだった
「狙われているのか」
山田は一息吐くと、呼吸を整えるためだろうか、胸に手を当てる。そして、ゆっくりと話し始めた。
「先日、社長の告別式がありました」社長の告別式とは、山田が勤めている会社の元社長、川田次郎のことを言っているのだろう。彼は倒産寸前の会社を一大企業にまで成長させた、やり手社長として産業界では有名人であった。
しかし、影では我々業者を雇い、表沙汰にできない事を裏で処理していたなど、こちらの業界でも有名人だった。
彼が死んだ時は周りでは誰がやったかというより「とうとう死んだか」という声の方が多かったぐらいだった。
その元社長の告別式で現社長、山田太郎は一体どんな目にあったというのか。
「その告別式では社長の遺族と親戚、そして会社の者が出席していました」
山田は殺されかけた瞬間を思い出しているのか、またため息を吐く。
「式は滞りなく進んで、最期は親戚一同で飲む事になったんです。私は次期社長と言う事で出席をしました」
俺は式の終わりに飲み食いをするという行為がどうにも好きになれなかった。どうして死体がある場所で飲食という行為ができるのだ。どうして墓場で花見なんぞができるのだ。お前たちは死体安置所で飯が食えるのか?
「席は指定がされていたので、みんなそれぞれの場所に座りました。でも空席があったので、私は一つ詰めて座ったんです。私の席には別の。社長の親戚が座る事になったのです」そこまで聞いて、大体の察しはついた。
「お前が座るはずだった席の奴が死んだ」
山田は身体の芯を叩かれたように身体を揺すると、今にも泣き出しそうな目をこちらに向ける。
「私は社長ほど有能でもなければ、有名になりたいとも思っていません」
山田は必死に訴える。
「私はまだ死にたくないんです」
山田を狙う殺し屋は業界入りしたばかりの新入りだった。
新入りは運が悪い事に、業界内で手伝いを募集していた。
警戒心がないのか、それとも経験が浅いからなのか、新入りはあっさりと俺の協力申請を受け入れ、打ち合わせ場所に倉庫を指定したのだ。
コンテナの迷路を進む中、相手の殺し屋がどんな奴なのかを考える。
仕事に向かう際、俺はなるべく殺す相手の事を考える事にしている。
理由はもちろん、相手によって手順が変わるからだ。殺し方ではない、手順だ。
そこに至るまでの手順を考えるのだ。例えば大柄な男であれば足を潰し、肋骨を潰し、最期に首の骨を潰す。小柄な女性であれば、叫ばないように口を塞ぎ、肺を潰す。俺は常に予期せぬ事態と相手を確実に殺す方法を考えている。だが、これは俺の教養不足なのだろう、その考えが役にたった事はまだ一度も無いのだ。
「お前は本能で動くからな、そう言えば甥っ子が見てるアニメの歌で言ってたぜ、余計な事なんて忘れた方が良いよってな」五年ほど前、このことを話した友人にこう言われた事があった。数年後、友人は殺し損ねた標的に殺された。
俺は本能で動く。わかっている、わかっているんだ。そしてそれを納得させる理由も既にある。それでも俺は考える。もはや仕事前の儀式と言ってもいい。
ようやく、倉庫の中間地点に来たあたりだろうか、倉庫のさらに奥に、光が見えた。
この先か、本能でかき消されるだろう手順を練る。
まずは名前を聞く、相手が答える間に一気に近づき、左脇腹に二発、続いて右足に一発。
後はひるんだところを狙って頭を潰せばいい。
ポケットからメリケンサックを取り出し両手にはめる。冷たい鉄の感触が指に広がる。握り拳を作ると、手が脈打つのがわかる。足音を消し、ゆっくりと光の方へ歩く。光は次第に大きくなっていく、同時に身体が速く戦いに駆り立てようと、心拍数を上げる。
カンテラを持った男が立っていた。身長百八十センチほどあるだろうか、ポケットに手を突っ込み、こちらを向いて立っていた。
「緑森くん?」
無視して男に飛びかかる。飛びかかろうとして俺はその場に倒れこんだ。
メリケンサックの冷たさを感じない、指を伝う脈拍も感じない。
「身体動かないよね、大丈夫?」
なにをした、俺になにを。
「ああ、ごめん喋れないよね、うっかりしてた」男は頭をかきながら、無表情で言う。
「これ、僕も今日初めて使うんだ。だから効果のほどがよくわからなくて」
手足の感覚がない。麻酔か、どこで吸った。それとも打たれたのか、俺より速く動いて、馬鹿な。
「でも説明書通りだ。”作用として会話が困難になり、身体の痺れ意識が飛ぶ、服用量によっては死に至る”だって」
瞼が重い、考えがまとまらない。
「僕さ、緑森さんがボクシングやってた時からファンだったんだ。だから感激だな本物に会えるなんて」
立ち上がれ、立ち上がって殴るんだ。
「でも、これで殺し屋も引退だ。明日の朝刊の見出しはこうだね。”緑森二度目の引退!”」
立て。
「あのがりがり社長の事は任せてよ。僕がしっかりやるからさ」
「聞こえてないか」