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10日間の問い  作者: ライカの三日月
本編 10日間の問い
2/9

2日目 ディール








――20XY年3月2日、連邦首都/東京/聖都


 月曜の朝は、ふつう数字から始まる。

 先物。気配。寄り付き。アクセス数。支持率。視聴率。電力需要。輸送量。入国者数。離脱率。

 数字は便利だ。人間が多すぎる時に、まとめて扱える。

 だから大統領府の西棟でも、徹夜明けの月曜は数字の束から始まるはずだった。


 午前七時四十分。

 会議室の長机には、紙が前日の倍になっていた。速報の束。暫定評価。被害想定。未確認情報。どれも見出しだけは強いが、中身は穴だらけだ。昨日の通信障害は夜のうちにかなり戻った。戻った、というより、戻されていた。軍事衛星の映像は一部回復、ホットラインも断続的に復旧、だが核の認証系統と戦略指揮の一部はまだ死んだままだった。壊れていないのに使えない。それだけで、人は無駄に疲れる。


 リードは椅子に座る前から不機嫌だった。

 テレビ局のヘリがうるさかったし、フェンスの外に集まった群衆がすでに“歴史的瞬間”を見に来る観光客みたいな顔をしていた。歴史に巻き込まれている時に、他人が記念撮影の準備をしているのは腹が立つ。


「市場は」


 財務長官が答える。


「先物は主要指数で制限値幅に張り付きました。欧州は現物市場のオープンを遅らせています。アジアは昨夜から全面的に値が飛んでいます。安全資産も安全ではありません」


「暗号資産は」


「先に壊れました」


 部屋の何人かが笑いそうになって、やめた。

 笑うには早すぎたし、笑わないにはよく出来た言い方だった。


 国家安全保障担当補佐官が資料をめくる。


「各国首脳との接続は概ね復旧しました。NATOは緊急協議を継続中。日本は共同対応の枠組みを維持したい意向です。聖座市国は慎重。中国は“独自の観測結果をもとに冷静な対応を呼びかける”という声明を準備中との情報」


「みんな冷静だな」


 リードは言った。

「自分たちで冷静だと言い始めた時は、だいたい終わってる」


 大統領首席補佐官がテーブルの中央に一枚の紙を置いた。

 見出しは簡単だった。


 接触準備案

 ――相手が「交流」を希望している場合、米国は何を提示できるか


 リードは紙を見たまま言う。


「提示じゃ弱い。取引材料だ」


「先方は取引ではないと明言しています」


「だったら言い換えろ」


 昨夜から何度も繰り返された押し問答だった。相手は取引ではないと言った。だが、取引でないものをアメリカ政府はうまく扱えない。予算がつかない。担当部署が割れない。勝ち筋も負け筋も書けない。要するに、会議で形にならない。


 だから、言い換える。

 交流を提案に。関心を需要に。歓迎を演出に。観察を主導権争いに。


 その日の夕方、リードは大統領府の小さな演説室に立った。

 背後の旗はいつも通りで、照明もいつも通りだった。そういうものを崩さないこと自体が、演出になると彼は知っていた。


「合衆国民、そして世界の人々へ」


 カメラの赤いランプが点く。


「本日、全人類が同じ映像を見た。現時点で確認されている限り、広範な物理破壊はない。だが、戦略通信、監視、兵器管制の一部は外部から停止されている。これは重大事態だ」


 そこで一度、言葉を切る。


「我々はパニックを推奨しない。買い占めも、暴力も、推測で動く報復も推奨しない。九日後、三月十日、相手はこの建物を訪問すると宣言した。ならばその日までに、我々は秩序を保ち、同盟と連携し、必要な準備を行う」


 国民向けの言葉だった。

 だが、半分は相手へ向けていた。

 こちらにはこちらの儀式がある、と伝えるための声だった。


「彼女が取引を拒むなら、それも確認する。だが、合衆国は理解を拒まない。理解を拒まないことと、無防備でいることは同じではない。両方を同時にやる」


 演説は七分に満たなかった。

 短い方がよかった。長い演説は、理解したふりに見える。

 いま必要なのは安心ではなく、国家がまだ言葉を持っているという事実だった。


 それで少しだけ、いつもの仕事に近づく。








「各分野のトップを集める件ですが」


 補佐官が言った。

「すでに連絡を開始しています。科学者、軍、宗教界、エンターテインメント、主要プラットフォーム、スポーツ、博物館、美術館、大学、ストリーマー、映画スタジオ」


リードは不服そうだ。


「ストリーマーは本気で言ってるのか」


「本気で見ています。先方は“文化、物語、倫理、記憶の持ち方、孤独の扱い方”に関心があると述べました。ネット文化を外す理由がありません」


 老将軍が露骨に顔をしかめた。

「国家の面会に配信者を呼ぶのか」


「面会ではない。接触準備です」

 補佐官は言い直した。

「それに、いま世界で最も多くの人間の時間を吸っているのは、閣下の制服でも教会の尖塔でもなく、短い動画です」


 将軍は何も言わなかった。否定しづらい言葉というのは、たいてい感じが悪い。


 リードは机を指で叩いた。


「いい。全部集めろ。ただし、見世物にするな。安っぽいフェスみたいにはしたくない」


 その注文がすでに無理筋だと、部屋の半分は分かっていた。

 安っぽくせずに文化を政治で束ねる。しかも期限は8日。さらに相手はアンドロメダ銀河から来る十三歳くらいの少女だ。イベント会社でも投げ返す。


「あと」

 リードが言う。

「向こうが何を欲しがるか、まだ考え続けろ。誰だって何かある」


 誰も答えない。

 あるかもしれない。

 ないかもしれない。

 ない相手の方が困る。欲望のない相手は、交渉テーブルの脚を一本抜く。




「なぜ十日じゃなく九日なんだ」

 補佐官の一人が言った。

「いや、正確には今日を入れて十日だ」


 誰もそこを笑わなかった。

 その程度の数え方の違いでも、人間の側の落ち着きは変わる。


「短すぎない。長すぎもしない」

 分析担当が答える。

「七十二時間では混乱しか観察できない。二週間置けば、各国とも儀式と宣伝を整えすぎる。十日前後なら、国家、宗教、市場、家庭が、それぞれ別の速度で本音を出します」


「観察のために、ってことか」


「そう考えるのが一番自然です」


 自然、という言い方が嫌だった。

 観察される側にとって自然な日数など、本来ない。

 その頃、ニューヨークでは証券取引所の寄り付き前フロアが、ひどく静かだった。人がいないからではない。人が多いのに、いつもの種類の音が足りなかった。怒鳴り声はある。電話も鳴る。だが、金の匂いで回っている場所に、別の種類の匂いが混じると、みんな少し黙る。

 モニターには、指数より先に少女の静止画が何度も映った。ニュースチャンネルがそれを使い回しているからだ。銀色の髪、淡い目、白い翼。画角が固定されすぎていて、もうロゴみたいだった。

 世界の終わりは、二十四時間で素材化される。


 午前九時三十分、ベルは鳴った。

 寄り付きは成立した。

 その十分後、世界の大半が、自分たちは宇宙人より先に自分たちの市場に殴られるのだと理解した。


 東京では午後十時を回っていた。

 官邸の大部屋の蛍光灯は容赦がない。徹夜明けの人間を平等に悪く見せる。城崎は午後から続く会議の三本目に入っていた。防衛、外務、内閣官房、文部科学、経産。昨日までは縦割りの名前で動いていた人間たちが、今日は同じ卓に座っている。並べると、国家はちょっとだけ仮設っぽく見える。


「アメリカ側は、接触の場を一国で囲い込む気ですか」


 外務省の局長がそう言うと、アメリカ大使館との連絡役が少し間を置いて答えた。


「囲い込む、という表現は使っていません。ただ、“大統領府が指定された以上、米国に主催責任がある”という考え方です」


「主催」


 城崎が繰り返した。

 その言葉だけが部屋で少し浮いた。

 主催。コンサートでもシンポジウムでもあるまいし。

 だが、他に近い言葉もない。訪問先は大統領府。あちらは“歓迎の儀式は不要”と言った。不要と言われたからといって、何も準備しない国はもっとまずい。

 外交は、不要と言われたものまで用意してしまう仕事だ。


「共同対応の枠は維持します」

 城崎は言った。

「ただし、アメリカに人類代表の顔を勝手にされるのは困る」


「対抗しますか」


「しません」

 即答だった。

「競ってどうするんですか。宇宙人の前で万博をやるつもりはない」


 経産省の審議官が手元のメモを見ながら口を開く。


「相手が技術そのものではなく文化に関心を示したのであれば、わが国としてはアニメ、ゲーム、伝統芸能、文学、災害対応の記録、地域共同体の実践、長寿社会の知見など、提示し得る資源は――」


「資源じゃない」


 城崎が遮った。

 言ってから、少しだけ机に視線を落とした。言葉を選ぶ余裕はもうない。


「悪いけど、今その言い方をすると、全部輸出品に見える。向こうが見たいのは、たぶん、そういう整理の仕方の前にあるものです」


 部屋が静かになる。

 こういう時、官僚は上司の言葉をすぐには書き取らない。書き取れる形に崩れるかどうかを待つ。


 内閣法制局長官が咳払いをした。

「“交流”の法的定義は存在しません」


「知っています」

「したがって、受け入れ主体、警備権限、領域管理、国賓待遇の可否、国際法上の主体性、いずれも」

「知っています」


 城崎は椅子にもたれた。

 疲れている時、人は乱暴になりやすい。乱暴なまま続けると失敗する。そこで一拍置く。


「法は後で作るとして、先に考えたいのは別です。相手は、軍事も技術も、たぶんこちらより上にいる。だったら、日本が出せるものは何か。GDPでも半導体でもない。そういう比較に入った時点で負ける」

「文化」

 誰かが言った。

「文化、という言い方も少し違う」

 城崎は返した。

「文化庁の予算項目みたいになる。もっと小さい単位で考えたい。家族でも、習慣でも、看取りでも、災害の後にどう並ぶかでもいい。きれいにパッケージされたものじゃなくて」


 言い切ったところで、自分でも曖昧だと思った。

 だが曖昧なまま進むしかない時がある。今日はその日だった。


 会議の隅に座っていた文化庁出身の官僚が、珍しく自分から手を挙げた。


「提案ですが、“見せるもの”を先に決めない方がいいかもしれません」

「どういう意味ですか」

「選び抜かれた代表作を並べると、全部パンフレットになります。むしろ、誰が何を出そうとして揉めたのか、その議事録の方が、人間らしい」


 少しだけ笑いが漏れた。

 本気とも冗談とも取りにくい提案だった。


 城崎は、そこで初めてその官僚の名前を思い出そうとしたが、失敗した。

 代わりに言う。

「その発想は残してください」


 聖都では正午前だった。

 サン・ピエトロ広場は前日より人が多い。観光客も、信者も、記者もいる。記者はだいたい信者に化けるのがうまい。信者は記者より空をよく見る。今日は両方とも落ち着きがなかった。

 アレクシウス十三世は執務室で、昨日のアンジェラスの原稿のコピーと、今朝届いた各国大使館経由の照会メモを並べていた。

 質問は似ている。

 この出来事をどう神学的に位置づけるか。

 教会として接触にどう関わるか。

 大統領府から打診があれば応じるか。

 人類代表のような役割を引き受けるか。

 そして、もっと俗っぽい言い方に直すと、


宇宙人に会う予定はあるのか。


 枢機卿の一人が言った。

「米側は、文化・倫理・宗教の代表者を集める方向です」

「代表者」

 アレクシウス十三世は書類から目を上げた。

「便利な言葉ですね。中身が入っていない時ほど使いやすい」


 秘書官が視線を伏せる。


「呼ばれれば行かれますか」


「まだ分かりません」

 教皇は言った。

「分からないものを、分からないまま言う練習をしないといけない。昨日のうちに説明をつけ始めた人たちは、たぶん今ごろ苦しい」


 彼は前日のアンジェラス原稿の一節に目を落とした。変容。光。山の上で、人は見えてはいけないものを一瞬だけ見る。そのあと、ふもとへ戻る。

 説教としてはまともだった。

 だが、今日読むと少し安い。現実の方が先に強くなったからだ。


「神学的な判断は急ぎません」

 アレクシウス十三世は言う。

「ただ、ひとつだけ先に決める。見世物にはしない」


 その言葉が、聖都でもワシントンでも、ほとんど同じ時刻に別々に発せられたことを知る人はまだいなかった。


 午後一時、大統領府の別館では、政治とは別種の人間たちが金属探知機を通されていた。

 映画スタジオの幹部。レコード会社の代表。大手配信プラットフォームの政策担当。ゲーム会社のディレクター。スミソニアンの学芸員。大リーグ機構の重役。牧師。ラビ。イマーム。ノーベル賞受賞者。軍服姿の将官に混じって、スニーカーの若者がいる。肩書は巨大配信者だった。普段なら同じ部屋にいない顔ぶれだが、いないからこそ呼ばれた。

 政府は、自分たちだけでは足りない時に、急に社会全体を“資産”として数え始める。


 司会役の副補佐官が言う。


「時間がありません。先方は8日後に到着予定です。目的は不明。ただし、昨日の声明では“文化、物語、倫理、記憶、孤独の扱い方”に関心を示しました。われわれは、ここで、何を見せるべきか、何を見せるべきでないかを整理します」


 最初に口を開いたのは、動画プラットフォームの担当者だった。


「最も効率がいいのはデータです。人類が実際に何を見て何に時間を使っているか、巨大サンプルがあります。メディア横断で行動指標を出せる」

 彼はタブレットを起動しようとして、昨日の障害の名残で少しもたついた。

「人気コンテンツ上位一万件をクラスタリングすれば、物語の型、感情反応、社会的模倣の傾向が――」


「猫が一位になるぞ」

 誰かが言った。


 少し笑いが起きた。

 担当者は真顔のままうなずいた。

「現時点では否定できません」


 映画スタジオの女性幹部が言う。

「人気順で人類を代表させるのは危険です。広告が強すぎる。アルゴリズムで汚れている」

「あなたの業界は違うと?」

 ストリーマーがすぐ返した。

「少なくとも二時間で感情を組み立てる努力はしています」

「こっちは二十秒でやってる」

「それは努力の方向が違う」


 口論はすぐ始まった。

 戦争映画を見せるべきか。ホロコーストの記録を含めるべきか。月面着陸は入るのか。奴隷制度はどうする。ジャズはアメリカの顔か、アメリカだけの顔ではないのか。宗教画を出すなら、どの宗教を先に置く。原爆資料館の映像は必要か。九・一一は。パンデミックの記録は。ゲームは芸術か。スポーツは国家を超えるか、それとも国家そのものか。

 人類代表会議は、開始二十五分でただの人類っぽい揉め方になった。


 別室のガラス越しにそれを見ていたリードは、側近に言った。

「少し安心した」

「何がですか」

「まだみんな、自分の商売をしてる」


 安心というには変な顔だった。




 午後三時、カリフォルニア工科大学から大統領府に接続したデイヴィッド・チェンは、歓迎されていない種類の報告を持ってきた。歓迎されない報告ほど、いつも声が小さい。


「観測結果を更新します。昨夜から各施設のデータを統合しました。アンドロメダ方向からの異常信号は継続。特徴は三つ。第一に、既知の自然現象では説明困難。第二に、到来順の因果関係が壊れて見える。第三に、こちらを見ている可能性が高い」


「見ている?」


 大統領補佐官が聞き返した。


「観測に応答しているように見えるんです。こちらの測定条件を変えると、向こうのパターンも変わる。通信とは断言しませんが、少なくとも、宇宙の背景雑音にしては都合が良すぎる」

「要するに」

 リードが言う。

「彼女一人ではなく、後ろにもっといる?」

「それは、たぶん」

 チェンは少しだけ黙った。

「一人というのは、こちらが理解しやすい言い方かもしれません」


 部屋の空気がまた重くなる。

 十三歳くらいの少女体。銀髪。翼。

 理解しやすい姿で来たのか。

 そう思った瞬間、人類は少し惨めになる。かわいげのある見た目で来られたというだけで、手加減された感じが出るからだ。


「科学的な意味で、こちらから提供できる対価はありますか」

 補佐官が聞いた。

 その質問自体がもう政治だった。


 チェンは眼鏡を外し、指で目頭を押した。

「ありません。少なくとも、相手の移動や通信の水準を考えると、こちらの物理学は記念品にもならないかもしれない」

「じゃあ何が残る」

「分かりません」

 彼は言った。

「ただ、理解できないからといって、価値がないわけではない。そこを区別しないと、たぶん全部間違えます」


 スクリーン越しの研究者がそう言うと、政府の人間はだいたい黙る。

 区別しないと全部間違える。役所ではよく聞く文だ。だが、たいていは手続きの話で使う。文明全体に使うにはサイズが悪い。


 東京では深夜一時を過ぎていた。

 会議はまだ終わらない。終わる理由がないからだ。

 官邸の廊下には段ボールが積まれ始めていた。各省から送られてきた紙資料。こういう時、デジタル化社会はすぐ紙に戻る。信用ではなく、触れるからだ。触れると少しだけ理解した気になる。


「アメリカが文化人の大規模招集を始めたようです」


 外務省の若い参事官が報告する。


「何人規模」

「現時点では不明です。相当数かと」

「イベント屋ですね」

 誰かが吐き捨てるように言った。


 城崎はその言い方を訂正しなかった。

 代わりに、机の上に置かれていた数枚の候補リストを見た。国宝。能。歌舞伎。漫画。アニメ。被爆証言。東日本大震災の映像。地方祭礼。介護現場。弁当。鉄道の時刻表。発酵食品。町内会。自販機。

 並べると、どれも日本らしいし、どれも不十分だった。

 日本らしいという言葉は、輸出カタログの匂いがする。


「誰が選ぶんですか」

 城崎は誰ともなく言った。

「何を」

「自分たちを代表するものをです。政府が決めるのは、あまり感じがよくない」

「しかし政府以外が決めれば、もっと揉めます」

「でしょうね」


 少しだけ、疲れた笑いが出た。


「だったら」

 城崎は言った。

「政府は選び切らない。選び切れないことを、そのまま出せないか考える」

「まとまりません」

「まとまっている国に見える方が、今は危ない」


 その言い方は乱暴だったが、部屋の何人かには刺さった。

 国家はいつも、統一された顔を作りたがる。だが、上位文明が相手なら、その顔は単なる化粧になるかもしれない。剥がれた時にみっともない。


「連絡を取りたい相手がいます」

 城崎は言った。

「宗教者、介護現場、被災地の自治体、学校の先生、研究者。テレビによく出る人から先に呼ばないでください。むしろ逆で」


 官僚たちがメモを取る。

 この国では、総理が“先生を呼べ”と言うだけで、だいぶ珍しい。


 聖都の夜。

 アレクシウス十三世は、米国大使を通じた非公式の打診を受けた。正式要請ではない。正式にすると面倒だからだ。大国はだいたいそこを先に曖昧にする。

 要点は単純だった。接触準備のため、宗教的・倫理的観点から助言を求めたい。状況次第では訪問当日の同席も検討したい。


 教皇は文面を読み、少しだけ眉を上げた。


「助言、ですか」

「断られますか」

 秘書官が尋ねる。

「まだ断らない。まだ引き受けない」

「相手は急いでいます」

「こちらは急いで間違える必要がない」


 アレクシウス十三世は机の端に置かれた別のメモを見る。欧州の司教から届いたもので、内容はもっと率直だった。

 宇宙から来る存在に対し、福音宣教の対象と見るべきか。

 笑えない話だ。笑う人間はいるだろうが、笑った時点で雑になる。


「彼女は」

 教皇は窓の外を見ながら言う。

「人類を救いに来るとも、裁きに来るとも言っていない。それで皆が困っている。善悪の棚に乗せられないから」


 秘書官は答えない。

 答えなくてよかった。窓の外には聖都の夜景があって、その向こうに、誰も見たことのない距離がある。


 ワシントンに戻る。

 夕方になっても会議は縮まらなかった。出席者だけが増えた。広告代理店出身の戦略家まで呼ばれている。もはや何でもありだった。

 大型スクリーンには、あるコンサル会社が即席で作った一覧が表示された。


 人類提示候補 暫定ランキング


 第一群 高い普遍性が見込まれるもの

 家族

 死者の扱い

 音楽

 遊び

 戦争

 宗教

 食事

 物語

 孤独

 ケア


 第二群 米国が強い発信力を持つもの

 映画

 インターネット文化

 宇宙開発

 公民権運動

 ポップミュージック

 スポーツ

 消費文化


 第三群 扱い注意

 核兵器

 金融工学

 監視技術

 広告

 アルゴリズム最適化

 ドラッグ

 フェイクニュース

 リアリティ番組


 ストリーマーが吹き出した。

「第三群の後半、今のアメリカだいたい入ってません?」

 誰かが「静かに」と言うが、別の誰かも笑った。笑うしかない。

 “扱い注意”の欄があまりに現代的だった。


 リードは立ったままその一覧を見た。


「広告を第三群に入れたのは誰だ」


 広告業界の男が小さく手を挙げた。

「私です」


「自分の商売を?」

「ええ。いまこの国が何でも値札に変える癖を持っているなら、そこは隠さない方がいい」

「誇れるのか」

「誇れません」

 男は言う。

「でも、外すと嘘になります」


 部屋の空気が少しだけ変わった。

 嘘になります。

 便利な言い方ではない。だが、今日はそれが残る。


「ランキングをやめろ」


 リードが言った。

 意外な命令だったので、手元の端末を見ていた若いスタッフが顔を上げた。


「やめろ?」

「順番をつけるな。人気でも国家予算でも再生数でもいいが、それで並べると全部こっちの都合になる」

「ではどう整理を」

「まだ知らない」


 それを聞いて、首席補佐官は一瞬だけ大統領の顔を見た。

 知らない、とこの人が言うのは珍しい。珍しいし、たぶん本人も機嫌が悪い。


 その時、会議室の隅で待機していた若い女性職員が、紙の束を抱えたまま声をかけた。文化人リストの取りまとめ役に急に回された政策スタッフだった。まだ三十代前半で、こういう部屋の空気に慣れていない。


「すみません」

 全員が少しだけ彼女を見る。

「候補者に共通していた返答があります」


「何だ」

 リードが言う。


「“何を持っていけばいいですか”ではなくて、“何を持っていかない方がいいですか”と聞く人が多いです」


 部屋のあちこちで、視線が止まる。

 それはいい報告だった。いい報告というより、ようやく人間が混じった感じがした。


 スミソニアンの学芸員が口を開く。

「その質問の方が正しいかもしれません。向こうが上位文明なら、珍しい物品を並べても博物館にはならない。たぶん、こちらが何を神聖視し、何を隠し、何を恥じているかの方が見える」

「恥?」

 将軍が言う。

「恥は外交文書に載せない」


「だから、いま困ってるんです」

 学芸員は言った。


 誰かが反論しようとして、やめた。


 午後八時すぎ、大統領府の廊下で自販機の前に立っていたその若い職員は、ぬるいボトルの水を買い、壁にもたれた。靴が痛かった。彼女は大学時代にアメリカ文学をやっていた。まさかその知識で宇宙人接触に駆り出されるとは思わない。

 スマホには未読が溜まっていた。母親から三件。友人から八件。兄から一件だけ。「まだ生きてるか」

 返信する気力がなくて、画面を閉じる。


 廊下の先では、清掃スタッフがいつも通り床を磨いていた。

 会議室の中では、人類をどう見せるかで大人たちが揉めている。

 その外で、床は普通に光る。

 そういう時に限って、まともな景色に見えた。


「何を持っていかない方がいいか、ね」


 水を飲んだ彼女に、隣へ来た学芸員が言った。


「変でしたか」

「いや。いい質問です。展示で一番難しいのは、何を並べるかじゃない。何を外しても嘘にならないかを考えることだから」


 彼女はうなずいた。

 よく分からないが、少しだけ覚えておこうと思った。




 東京の未明。

 城崎は一度だけ会議を打ち切り、隣室で五分だけ一人になった。机の上には、誰かが置いていったコンビニのおにぎりが二つある。ツナマヨと鮭。どっちも冷たい。

 彼女は鮭を開け、半分だけ食べた。

 そのまま、窓の外を見る。東京はまだ動いている。配送トラックも、看板も、コンビニも、遠くの高架も。

 国家というのは、壊れる時でも生活を残す。生活の方がしぶとい。


 ノックの後、官房長官が入ってきた。

「米側から非公式に連携の打診がありました」

「文化の持ち寄りですか」

「そういう言い方ではありませんが、実質は」


 城崎はおにぎりの包みを丸めた。


「参加します。ただし、日本館みたいなことはしない」

「伝えます」

「それから、向こうが本当に見たいのが孤独の扱い方なら」

「はい」

「一番上手くやっている国なんて、ないですね」


 木原は少しだけ笑った。

 そのくらいの笑いは必要だった。


 深夜のワシントン。

 最後の会議がようやく散り、人が減った部屋に、リードはひとりではなかったが、ひとりみたいに座っていた。机の上には新しい見出しのメモがある。


 What do humans show

 What do humans hide

 No rankings

 No trade?

 Still leverage?


 ペンの先で、彼は最後の行を二度なぞった。

 まだそこに戻る。

 梃子が欲しい。握る場所が欲しい。交渉人は手ぶらを嫌う。


 だが今日一日で、いくつか分かったこともある。

 技術では勝負にならない。

 軍事はもっと無理だ。

 市場は先に悲鳴を上げる。

 文化は便利な言葉だが、それだけでは広すぎる。

 そして、人類は自分を説明しようとすると、すぐ広告みたいになる。


 彼はメモを裏返した。

 白い面に、しばらく何も書かない。


 窓の外では報道陣のライトがまだ点いていた。世界の視線はここに集まっている。なのに、その中心にいる建物の中で、誰も正解を持っていない。

 それはたぶん珍しいことではない。珍しいのは、正解がないまま相手が確実に来ることだった。


 やがて、彼は一行だけ書いた。


 Find what cannot be sold


 書いてから、字が気に入らなくて、少しだけ線を重ねた。

 売れないものを探せ。

 国家の仕事としては、だいぶ変だ。


     *


 午後九時、連邦首都。


 リードは大統領府の会見室ではなく、執務室から短い声明を出した。国民向けと言いながら、明らかに世界向けの構図だった。背後の旗は多い。机は広い。演説は十二分で終わった。

 合衆国は通信障害と兵器管制の停止を確認していること。現時点で物理的破壊の兆候は限定的であること。同盟国との接続を維持していること。来訪予告を受けた以上、秩序を守りつつ対応すること。彼は負けを認める言葉も、歓迎を告げる言葉も使わなかった。使えなかった。

 テレビ局の速報テロップは、その声明より「来訪まであと八日」の方を太く出した。人々が知りたいのは主義ではなく、時計の針だった。八日。長いようで短い。避難訓練には長いが、文明の自己紹介を書き直すには短すぎる。

 演説直後、各国の放送では安全保障の専門家と同じ列に、SF作家、神学者、交渉人類学者まで並んだ。見たことがある筋書きを探すためだ。だが誰も、ぴたりと来る作品名を言えなかった。侵略なら早い。救済でも早い。交流がいちばん面倒だった。


 同じ頃、聖都の礼拝堂でアレクシウス十三世は黙ったまま座っていた。祈りの形にはなっているが、言葉はすぐには出てこない。無理に出さない方がいい夜もある。

 東京の官邸では城崎が再び会議室に戻り、資料の山に手を置いた。

 カリフォルニアではチェンがホワイトボードを消して、また最初から式を書き始めた。

 ニューヨークでは市場関係者が閉まった数字を見て、誰も責任を取れない種類の損失を数えていた。

 配信者は“人類代表会議”という言葉にサムネ映えを感じて動画を上げ、コメント欄は二千件で地獄になった。

 学校では子どもが翼の絵を描いた。

 介護施設では夜勤の職員が利用者の体位を変えた。

 コンビニでは弁当の値引きシールが貼られた。

 そういうものが全部、一つの惑星に載っている。


 月曜日は、世界が少しだけ自分の癖を自覚した日だった。

 何でも値段にする癖。

 何でも順位にする癖。

 何でも代表者に背負わせる癖。

 そして、分からない相手に会う前から、説明資料を作り始める癖。


 それでも人は、資料を作る。

 手を動かしていないと、不安がそのまま残るからだ。


 大統領府の廊下の蛍光灯が、一瞬だけ明滅した。

 誰かが顔を上げる。

 ただの電圧の揺れかもしれない。

 だが、今週はもう、その“ただの”が信用されない。


 警備担当が無線を確認し、異常なしと告げる。

 会議室のテーブルには、明日の呼び出しリストが並べられ始めていた。日本、聖座市国、欧州、科学者、宗教者、被爆者の証言収集チーム、災害アーカイブ、博物館、教師、看護師、音楽家。昨日より、肩書が少しだけ広がっている。


 接触の準備は続く。

 ディールの形をしたがる政治と、ディールの外にあるものを集めようとする現場が、同じ建物の中でぶつかり始めていた。


 まだ誰も、そのぶつかり方の方が大事になるとは思っていなかった。

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