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錬金術師の少女の旅 秋の街の鎮魂歌

作者: 三子木ワツ
掲載日:2026/03/01

 わずかばかりの寒気を含んだ風が黄金色の穂を揺らしている。


 柔らかな日差しが、辺り一面に広がるススキ原を金色に染め上げる中、街道を一人の少女が歩いていた。

 

 「風が気持ちいいね。次の街ではお母さんを知っている人はいるかな」


 背中まである亜麻色の髪をなびかせながら少女はどこへともなくつぶやく。


 「そうだね。アリー。今度は手がかりが見つかるといいね」


 少女の肩に乗ったフクロウが人の言葉で答えた。


 澄み渡った青空の下、アリーと呼ばれた少女は軽快に歩を進めていく。


 「たしか不思議な樹があるんだよね。錬金術に関係があるのかな」


 「どうだろう。古代錬金術の遺産は少ないながら各地に残存しているけど、もはや何のために作られたのかもわからないものがほとんどだからね」


 アリーたちはススキの群生地を抜け、平原に差し掛かっていた。街道沿いの樹は鮮やかに紅葉した葉を宿している。


 しばらく歩くと、円形の城壁に囲まれた街が見えてきた。


 「イルム見て! あれがハルフストの街だ。大きな樹も見えるよ」


 「そうだね。今度の旅も長かったね」


 アリーたちは街の門をくぐると、入り口からまっすぐ続く石畳の大通りを歩いていた。


 何か祭りでもあるのだろうか。大通りを挟んだ多数のレンガ作りの建物の間には紐が通され、色とりどりの旗が掲げられている。


 道の両脇には、多数の屋台や露店が出店しており、呼び込みの声と通りを行きかう人の話し声で大通りは賑わいを見せていた。


 「人がいっぱいいるね。イルム、はぐれちゃだめだよ」


 「アリーじゃないんだから、私は迷子になったりしないよ」


 「失礼ね。それじゃわたしがいつも迷子になっているみたいじゃない」


 「違うのかい?」


 「うっ……。それは否定できないかも……」


 路地に植えられた金木犀の仄かな香りをかぎながら、アリーたちは歩を進めていく。

 

 「それにしても大きな樹だね……。空が見えないよ」


 アリーが見上げた視線の先には、街の中心にそびえ立つ巨大な樹があった。


 その樹は街のどの建物よりも遥かに高く、幹から伸びた多数の枝には赤や黄色といった色とりどりの紅葉した葉が茂っている。


 紅葉した葉が西日に照らされ、煌びやかに輝きを放つ様は、さながら無数の宝石が散りばめられた夕空のようであった。


 「私もこれほど大きな樹は見たことがない。あれだけ紅葉していながらまったく葉が落ちていないね」


 イルムが言うように、街には一枚の落ち葉も見当たらず、空から葉が落ちてくる様子もない。


 「本当だ。不思議だね。それにこの街にはガス灯が全然ないよ。夜に出歩くとき危なくないのかな」


 「そうだね。それにこの街はどの建物の窓にも雨戸が備え付けられているようだ。何か理由があるのだろうか」

 


 ーーしばらく歩くとアリーたちは街の中心に到着した。


 そこは、先ほど見た巨大な樹を囲むように円形の広場となっており、大通りと同じく多数の屋台や露店が並んでいる。


 広場の中央、アリーたちは巨大な樹の前に佇んでいた。


 その太い幹はアリーたちの前に壁のように広がっている。


 「これがハルフストの巨大樹……。近くで見るとすごい迫力だね。わたしが何人手をつないだら幹を一周できるかな。20人くらい?」


 アリーは両手を大きく広げて見せた。

 

 「身長が160センチもないアリーなら、30人は必要なんじゃないかい」


 「またそうやって子供扱いする。わたしだってもう16歳なんだよ。身長だって四捨五入したら160センチあるんだから」 


 イルムはアリーの抗議に応える気はないようだ。


 「この樹は錬金術に関係があるのかな。すごく大きいけど変なところは見えないね」


 「アリー、幹をよく見てごらん。何か気づかないかい」


 アリーは幹に顔を近づけ、ジッと目を凝らす。幹の内側に何かが流れているようだった。大地から根を通して吸い上げられた黒い流れが、幹を通る間に淡い青い光となって枝の先へ流れ込んでいる。


 「なんだろうこれ……。樹の中を何かが流れているみたいに見えるよ」


 「よく気づいたね。この樹は錬金術で作られたものに間違いないだろうね」


 「これが錬金術で作られたもの……。お母さんもこの街に来ていたのかな……」


 アリーは樹の幹に手を沿えた。


 「でも、なぜだろう……。この樹の近くにいると、なぜか少しだけ心がざわつく気がする」


 「そうだね。この樹は何の目的で作られたのだろうか。あの流れは……」

 

 イルムが続けて話をしようとした、その時、不意に大きな音が二人の周囲に響いた。


 ーーぐうぅー。

 

 「……アリー。今のは君かい?」


 「え、えへへ。お腹減っちゃった。そろそろ何か食べない?」


 アリーはお腹を押さえながらはにかんでいる。


 「私は人の食べ物は受け付けないからね。アリーの好きなものを食べるといい」


 「やった! 何にしようかな」


 イルムの言葉を聞くや否や、アリーは跳ねるように周囲に並ぶ店に向かっていった。


 「わー! 美味しそう! これはなに?」


 アリーが足を止めたのは、簡素な屋台だった。


 ガラスで蓋をされたショーケースにはたくさんのサンドイッチが並んでいる。


 「これはトマトとチーズのサンドイッチだよ。こっちはサラミのサンドイッチ。こっちはフルーツサンドさ」


 アリーより遥かに長身の女店主が、商品を指さしながらアリーに説明した。


 彼女は肩に届くかどうかの長さの焦げ茶色の髪を持ち、年の頃はアリーより少し上くらいに見える。


 「どれも美味しそう。そうだなあ⋯」

 

 人差し指を口に当てながらアリーは真剣に悩んでいる。


 「うん、決めた! トマトとチーズのサンドイッチとフルーツサンドを1つずつ頂戴」


 「毎度あり。あんた旅人かい?」


 「よく分かったね。ここからずっと東にあるルネールの街から来たの」


 「この街でその服装は珍しいからね。ここハルフストは季節が巡らない秋の街。あんたみたいに寒そうな恰好をしている奴はあまりいないよ」


 女店主が言うように街を行き交う人々は、みなコートや薄手のセーターを着ている。アリーのように肩が出たオフショルダーの服に膝上までのフレアスカートといった服装をしている人は見当たらない。そう言う女店主も長袖の上着に長いズボンを履いている。

 さらにアリーは小さめではあるがリュックまで背負っていたのだから、旅人だとすぐに分かったのだろう。


 「って言ってもアタシはこの街から出たことがないから、季節がないとか、秋とか言われても実感はないんだけどね。アタシの名前はクレア。クレア・リリレア。あんたの名前は?」


 女店主ーークレアはテキパキとサンドイッチを包みながら話している。


 「わたしの名前はアルレリア。アルレリア・ルル・フェニキスよ。アリーと呼んでもらえると嬉しいな。それとこっちのフクロウはイルムっていうの。よろしくね」


 「ホーホー」


 イルムはこれ見よがしに翼を広げフクロウらしい鳴き声を出して見せた。

 

 「そこの巨大な樹の葉っぱも紅葉しているよね。それも秋の街に関係あるの?」


 「アリーはこの街のことを何にも知らないんだな。あの樹の名前は霊樹。この街の守り神であり象徴さ。霊樹は常に紅葉した葉を宿し、年に一度だけその葉を落とす。その葉はハルフストの街だけでなく、周囲にもあまねく降り注ぎ、土地に恵みを与えてくれる。その恵みによって、この町は豊かでいられるんだ。そして……」


 話の途中でクレアは霊樹を指差した。


 「そろそろかな……。霊樹を見てみな」


 クレアの言に従いアリーは霊樹の方に振り返った。


 すでに日は落ち辺りは夜の帳が下り、霊樹の葉の色が分からなくなる程度の薄闇の中、それは始まった。

 

 アリーの見つめる先、霊樹の葉の一つがうっすらと淡く輝き始めた。


 その輝きに呼応するかの様に他の葉も一つ二つと輝きを放ちはじめる。輝きの流れは止まることなく、すべての葉に波及していき、あっという間に霊樹の全体が淡く青い輝きを放っていた。


 霊樹が放つ光は街をぼんやりと照らし、ハルフストの街を幻想の世界へと誘っていく。


「きれい……」


 目の前で起こった神秘的な光景にアリーは目を離せないでいる。


 「壮観だろう。霊樹は毎日、夜になると光を放ちこの街を照らしてくれる。この光によって、アタシたちは夜でも安全に出歩けるのさ。はいよ、注文の品だ」


 クレアは包んだサンドイッチを紙袋に入れてアリーに手渡す。


 霊樹の明かりのおかげで手元もはっきり見えた。


 「ありがとう。この街はとってもいいところね。こんなに綺麗は夜の世界は初めて」


 「だろう。霊樹はこの街の住人すべての誇りなんだ」


 「素敵な街だね。ところで近くに宿屋があるか知らない?」


 「アリー、もしかして、まだ宿をとっていないのか?」


 「そうだけど……。さっき街に着いたばかりなの」


 「そうか……。アリーは知らないかもしれないが、ハルフストではちょうど年に1度の収穫祭の真っただ中なんだ。この時期は宿屋は常に満員だから当日急に泊まれるところなんてないと思うよ」


 「ええー。全然知らなかったよ。やけに街に人が多いからお祭りかなとは思っていたけど……。イルム~、どうしよう」


 アリーは困った顔をしながらイルムの方を向いたが、イルムは素知らぬ顔で毛づくろいをしている。


 まるで事前に調べてこなかったアリーの責任だとでも言いたそうだ。


 その様子を見たクレアが頭をかきながらアリーに提案する。


 「しょうがないか。泊まるところがないならうちに来るか。もてなしはできないが、寝るくらいの部屋なら用意してやるよ。若い女の子を野宿させたとあれば寝覚めが悪いからな」

 

 先ほどまで泣きそうな顔をしていたアリーの顔がパッと明るくなった。


 「良いの!? ありがとう! また野宿になるかと思っちゃったよ。物置でも馬小屋でも屋根と壁があればなんでも大丈夫だからね!」


 「そんなひどい場所じゃないよ。あと少しで店の営業が終わるから待っててもらえるか」


 「はーい! 邪魔にならないように、離れたところでサンドイッチ食べながら待ってるね」


 アリーはサンドイッチの袋を手に持ち、クレアから離れた斜め後ろにある段差に腰をかけた。


 視線の先には淡く青い光を放ち続ける霊樹が見える。


 「宿所が見つかって良かったね。アリーはもっと計画的にならないといけないね」


 周りに人がいなくなったためか、イルムが口を開いた。


 「うう……。見つかったんだからいいじゃない。イルムだって、さっきの『ホーホー』って何よ。フクロウみたいな鳴き声出しちゃって。わたし笑いそうになっちゃた」


 「『みたい』じゃなくて、私はフクロウだよ。時には鳴き声だってだすさ。しかし、この霊樹はとても興味深い。おそらく錬金術の遺産であることには間違いないだろう。この街に秋しか季節がないというのは霊樹の影響なのしれないね」


 「霊樹が古代錬金術の遺産……。古代の錬金術師はどうしてこんなに大きな樹を作ったんだろう」

 

 「どうだろう。あの流れは地下深くから不穏な何かを吸い上げて、浄化しているように見えた。それが何かまではわからないけど、自然の理から外れた力であることは間違いないだろうね」


 「イルムにも分からないことってあるんだね。『わたしは古代錬金術の叡智の結晶だ』っていつも言っているのに」


 「いつもは言っていないよ。私が古代錬金術の技術で作られたのは間違いないが、昔の記憶はほとんど失くしてしまっているからね」


 「そうだったね。ごめんなさい」


 イルムとの会話を終え、アリーは紙袋からサンドイッチを取り出した。


 小さく『いただきます』と呟いた後、アリーは両手でサンドイッチを掴み大きな口で頬張った。一口食べるごとに声にならない声をあげ、笑みを増していくその表情からは、クレアのサンドイッチの美味しさが伝わってくる。


 「このサンドイッチすごく美味しいよ! 食べられないイルムが可哀そう」

 

 アリーは一つ目のサンドイッチを食べ終わると、あっという間に2つ目のサンドイッチも食べ終わっていた。


 「うん! 美味しかった! ご馳走様でした」


 満足げな表情で後片付けをしているアリーを見てイルムが囁いた。


 「アリー。頬っぺたにソースがついているよ」


 「え、うそ! 取れたかな?」


 イルムの言葉にアリーは手持ちのハンカチで急いで頬を拭ったが、そこには何の汚れも付着していない。


 「何もないじゃない! イルム嘘ついたでしょ!」


 「さっきの仕返しさ。それにいつもは頬にソースがついているしね」


 「もう! イルムったら!」


 そうこうしていると、クレアがアリー達の方へ近づいてきた。どうやら屋台の営業が終わったようだ。


 「待たせたね。じゃあ、うちに行くか」


 「はい! よろしくお願いします!」


  

 ーークレアの家は、大通りから少し入った住宅密集地にある木造の一軒家だった。


 路地に面した壁には何か販売していたのであろうか、大きな窓にカウンターのようなものがついているが、長期間使用していないらしく木材に痛みが見える。


 アリーはクレアの後について、カウンターの隣にある玄関をくぐった。


 「ただいま」

 

 「お邪魔します」


 家の中は部屋の左側に大きなキッチンがあり、左側にテーブルがおかれていた。クレアの性格だろうか、隅々まで綺麗に整理されており、汚れなどは見当たらない。


 霊樹の淡い光は部屋の中まで隅々を照らしており、夜といえど灯りは不要だった。


 「姉ちゃん、おかえり。その人はだれ?」


 部屋の奥にあるドアを開けて小さな男の子が現れた。年の頃は7、8歳くらいだろうか、咳交じりの声で話しており、足取りも重いように見える。


 「ドナ! 寝ていないとダメじゃないか。この人はアリー。今日うちに泊まるんだ。さあ、部屋に戻って休みなさい。後でご飯を持っていくから」


 「うん。わかった」


 ドナと呼ばれた少年はクレアに言われるまま、ドアの奥に戻っていった。


 「驚かせて悪かったね。あの子はドナ。アタシの弟だよ。一週間くらい前から体調を崩していて寝込んでいるんだ」

 

 「それは心配だね。お医者さんには診てもらったの?」


 「いや、うちには医者に診てもらう余裕なんてないから。昨年、両親が亡くなってね。今はアタシとドナの二人で暮らしているんだ。アタシが屋台を出すことで何とか暮らしていけているけど、毎日の生活で精一杯さ」


 クレアの表情は沈んでいる。


 「そう……なのね」


 アリーは少し考えた後、クレアに提案した。


 「迷惑じゃなければわたしにドナ君を診させてもらえない? これでも薬師をしているから、多少の治療ならできるかもしれないよ」


 「本当か!? 願ってもないことだが、さっきも言ったとおりうちでは満足な謝礼はだせないよ……」


 一瞬喜びの表情を見せたクレアだったが、すぐに元の表情に戻っていった。


 「そうだなあ。お代は今日の宿泊料っていうことでどうかな?」


 「いいのか!? もちろんだ! ありがとう! 早速お願いできるか」


 再度、喜びの表情に変わったクレアは、アリーたちをドアの奥に案内した。

 

 ドアの先は廊下になっており、左側にドアが3つ並んでいる。


 クレアは左側の手前のドアを開けて、アリーたちを招き入れた。


 狭い部屋の中では先ほどの少年ーードナが簡素なベッドの上に横たわっていたが、アリーたちに気がついたのか上体を起こそうとしている。


 「あれ、姉ちゃんどうしたの?」


 ドナの声には元気がない。


 「実はアリーは薬師なんだ。ドナの病気を診てくれるんだよ」


 「俺は病気じゃないよ。お金がもったいないから診てもらわなくて大丈夫だよ。もう少ししたら治るよ」


 ドナは話をするたびにケホッケホッと小さな咳をしている。


 「ドナは心配なんてしなくていいんだよ。アリー診てもらえるか」


 言われてアリーはドナの前に進み出る。


 「ドナ君、わたしはアリーっていうの。よろしくね。早速診せてもらっていいかな?」


 「うん」


 アリーは手をドナの額にあて熱をはかり、下瞼の裏や喉の状態を確認していく。


 その後ろではクレアが心配そうな顔をしながら、様子を見守っていた。


 「絶対ではないけど、おそらく体の中に悪いものが入ったんじゃないかな」


 イルムの方を横目に見たアリーだったが、特に反応はないと分かると話を続けた。


 「お薬を出しておくから、今日の夕食後から飲んでみてね。ちゃんと効けば明日の朝には良くなっていると思うよ。苦いお薬だけど、ちゃんと飲まないとダメだからね」


 アリーは背負っているリュックからコレティアル散薬と書かれた数個の薄い紙で包まれた薬を取り出し、ドナのベッドの横にそっと置いた。


 「えー。苦いのは嫌だなあ……」


 「ドナ! せっかく診てもらえたんだ。ちゃんと飲まないとダメだからな!」


 「うう……。わかったよ、姉ちゃん」


 「起きていると体に悪いからわたしたちはそろそろ出ようか。ドナ君またね」


 アリーとクレアはドナの部屋から出て、リビングに戻っていった。

 

 「診てくれてありがとう。そこの椅子に座っていてくれるか」


 アリーはクレアに示されたテーブルの椅子に腰を掛ける。


 「ありがとう。イルムをテーブルの上に乗せても大丈夫?」


 「ああ。足を拭いてくれれば問題ないよ。今から夕食を作るけど、アリーも食べるか?」


 アリーにハンカチで足を拭いてもらったイルムは、テーブルの上に飛び移ると目を閉じた。


 「さっきとっても美味しいサンドイッチを食べたから大丈夫だよ」


 「嬉しいね。あのサンドイッチのレシピは父さんから教わったものなんだ。自慢の一品さ」


 クレアは話をしながら手際良く竈に火をつけ、調理を始めている。


 霊樹の淡い光と竈の炎に照らし出されたクレアの顔は、幻かと思うほどに美しい。



 ーードナに夕食を食べさせてくると言い、リビングを出ていったクレアが戻ってきた。


 「ドナに薬を飲ませてきた。苦いって言ってたけど何とか全部飲めたよ」


 「良かった。効くと良いんだけど」


 クレアはキッチンの方へ行った後、テーブルの椅子に座った。


 「お茶くらいしか出せないけど、飲んでくれ。アタシが食べている前で悪いけどね」


 「ありがとう。いただくね。急に泊まらせてもらうのはわたしの方なんだから気を使わないで」


 クレアの夕食は野菜の切れ端や大麦などを煮込んだスープのようだ。アリーに差し出した茶もクレアたちにとっては決して安いものではないのだろう。


 アリーもそれを感じ取っているのか、満足そうに出された茶を飲んでいる。

 

 「アリーがまさか薬師だったなんて。薬まで持っているなんて感謝しかないよ。それで薬の代金だけど……」


 「薬代も今日の宿泊代でいいよ。あの薬ならいっぱい持ってるからね」


 「何から何までありがとう」


 クレアはアリーに深く頭を下げた。


 「ドナはアタシのたった一人の弟なんだ。さっきも少し話したとおりアタシたちの両親は去年、流行病で二人とも亡くなってしまった。あの時は酷くてね。アタシたちの両親以外にもたくさんの人が死んでいったよ。それまでワガママばかり言っていたドナはそれ以来ワガママを言わなくなった。アタシが必死に働いているところを見ていたんだろうね。いつの間にか『俺』なんて慣れない言葉も使い出した。今回だって病気じゃないって言い張ったりしてさ……」


 「そう……。大変だったんだね。今の生活は大丈夫?」


 「なんとか……ね。アタシは元々父さんの手伝いをしていたから、真似をして屋台でサンドイッチを売っている。母さんがいた頃はそこのカウンターで路面販売もしていたけど、一人で2つは無理だからね。それでも何とかドナと生きていくだけの稼ぎはできているよ。でも今回みたいに病気になってしまうとどうしようもないんだ。医者に診てもらおうと思えばアタシの稼ぎの1か月分は吹っ飛んでしまう」


 クレアが持つ木のスプーンは彼女の心を表すかのように小刻みに揺れている。


 「アタシの話ばっかりしちゃったね。アリーはなんで旅をしているんだ」


 「わたし? わたしもね3年前にお父さんが死んじゃって。お母さんはわたしが小さい時に旅に出たきり帰ってこなくて。だから……お母さんを探しに行くことにしたの。わたしと同じ薬師で『ミッシリエント』っていう名前なんだけど知らない?」


 「ごめん。聞いたことがないよ。お母さんはこの街にきていたのか?」


 「どこにいたのかもわからないんだ。だから、世界中を旅してお母さんを探しているの。イルムと一緒にね……」


 イルムは目を閉じたまま動いていない。


 「お母さんは生きているの?」


 「どうかな。もう何年も会っていないから……。でもイルムはちょうどお父さんが亡くなって少しした時にお母さんの所から来たフクロウなの。イルムを見ているとお母さんはきっと生きているって思えるんだ」


 「そうか……。ごめん。生きているのかなんて聞いてしまって……」 


 「気にしないで。本当のことを言うとわたしも半信半疑なのかもしれないから」


 アリーは茶を飲み干した空のカップに視線を落とした。どうやらクレアもスープを食べ終わったようだ。


 「今日はありがとう。奥の部屋を使ってもらって構わない。元々は両親の部屋だったけど、一通りの家具は揃っているし、片づけてあるから問題ないはずだよ」


 「ありがとう。お言葉に甘えるね。おやすみなさい。イルム行こう」


 「おやすみ」


 再び肩に乗ったイルムを連れて、アリーは与えられた部屋に入っていった。


 部屋の中はドナのものより広く、リビングと同じように綺麗に整理されていたが、昨日まで誰かが生活していたような、いつでも生活を開始できるような、そんな雰囲気だった。


 アリーはイルムをベッドの近くにある小さな丸テーブルの上に乗せると、背負っていたリュックを下しベッドに腰を掛けた。


 「ねえ、イルム」


 「なんだい、アリー」


 「わたしがドナを診ていた時、イルムの方を見たら黙っていたよね。どうして? 話せないにしても頷くとかできたと思うんだけど」


 「アリーの判断に間違いがなければ私は何もしないよ。もう君は1人前だ。もっと自信を持っていいんだよ」


 「イルムにそう言ってもらえると嬉しいな。私もお母さんみたいになれるかな……」


 「アリーならきっとなれるさ。ミッシリエントのように多くの人々を救う偉大な錬金術師にね」


 「ありがとう。旅で疲れたしもう寝ようか。おやすみ、イルム」


 「ああ。おやすみ、アリー」


 霊樹の淡い光の中、アリーたちは眠りについた。


 

 ーー翌日、アリーは日の出とともに目を覚ました。

 

 アリーは簡単な身支度をして、イルムとともにリビングに向かう。


 「おはよう、クレア。早起きだね」


 「アリー、おはよう。屋台の準備をしないといけないからね。いつも日の出より先に起きているよ。霊樹のおかげで明かりには困らないしね」


 クレアの言うとおり、キッチンにはパンや野菜など大量のサンドイッチの材料が置かれている。


 「朝ごはん食べるだろう。昨日のお礼もあるからね。いらないなんて言わないでくれよ」


 「ふふ。ありがとう。いただくね」


 クレアはサンドイッチの材料から数種選んでパンに挟み木製の皿に乗せると、白湯が入ったコップとともに、テーブルの椅子に座るアリーの前に差し出した。


 「わあ! サンドイッチね! でも商品をいただいちゃっていいの?」


 「構わないよ。商品を作るついでだからね」


 その時、奥のドアが勢いよく開き、ドナが現れた。


 「おはよう! 姉ちゃん、アリーお姉ちゃん!」


 昨日とは打って変わって、ドナは顔色が良く、話し声には張りがあり、咳もせず足取りもしっかりしている。


 「ドナ! 寝てなくて大丈夫なのか?」


 クレアが慌ててドナに駆け寄り、しゃがみながら顔を覗く。


 「うん! 今日起きたらすっごく元気になってたんだ。もう咳も出ないし、頭も痛くないよ!」


 クレアは自身の額をドナの額に当てる。


 「本当だ! 熱も下がっている!」


 「昨日の薬が効いたみたいだね。もう大丈夫だと思うけど、念のため2、3日は薬を飲み続けてね」


 クレアとドナの様子を眺めていたアリーが優しく声をかけた。


 「アリーありがとう! アリーが来てくれて本当に良かった!」 


 「姉ちゃん、俺もお腹空いたよ」


 「ああ、そうだね。じゃあ今日はみんなでサンドイッチにしようか」


 「本当!? やった! 俺、姉ちゃんのサンドイッチ大好き!」


 ドナは両手を上げて喜んでいる。


 「すぐ作るから座って待ってな」


 「うん!」


 ーーその後アリー達は3人でテーブルを囲んでの朝食となった。


 昨夜とは違い、クレアの表情にも笑顔が戻り、ドナの大きな声が響いている。


 「ご馳走様。やっぱりクレアのサンドイッチは絶品だね。ねー、ドナ君」


 「あたりまえだよ! 姉ちゃんのサンドイッチは世界一おいしいんだ!」


 クレアは食べ終わった3人分の食器をキッチンに持っていき、汚れを拭っている。


 「二人とも褒めすぎだよ。ところでアリーはいつまでこの街にいるんだ?」


 「うーん……。特に決めてはいないんだけど、2、3日くらいかな。街でお母さんのことも聞きたいし」


 「じゃあ、その間はうちに泊まっていってくれよ。昨日も言ったとおり、宿屋は埋まっているだろうし、ドナを治してくれたお礼にね。いいだろう?」


 「そうしなよ! 俺もアリーお姉ちゃんがいてくれると楽しい!」


 キッチンから戻ってきたクレアは椅子に座り隣のドナの頭をクシャっと撫でた。


 「ありがとう。またお言葉に甘えさせてもらうね。ちょうどドナの経過も診たいと思っていたし」


 「お礼を言うのはアタシたちの方さ。アタシは街に出るけど、アリーはどうするんだ?」


 「わたしも街で薬とかを売りたいんだけど、許可とかいるのかな?」


 「収穫祭の時期はほかの街から行商に来ている人達も多いから、路上に店を出してても問題ないと思うよ。薬なら、大通りの方が人が多くていいかもね」


 「それなら安心だね。今日は大通りでお店を出そうかな」


 「了解。うちには自由に出入りしてもらって構わないからね。あと、夕食も用意しておくから食べてこなくていいよ」


 「そこまでしてもらうのは申し訳ないよ」


 「診療代と薬代には遠く及ばないよ。気にしないで楽しみにしててくれ」


 「わかった。ありがとう。期待しているね」


 「じゃあ、アタシは行くね。ドナはまだ病み上がりなんだから今日は家の中で過ごしているんだよ」


 「ちぇっ! はーい」


 不満そうなドナの返事を聞きながら、クレアは販売用のサンドイッチを抱えて外に出ていった。


 「わたしも行くね。ドナ君、お留守番よろしくね」


 クレアに続きアリーたちも家を出ていった。



 ーー大通りは昨日と同じく活気で溢れていた。


 行き交う人は肩が触れそうなほど多く、路面には多数の店が出ている。


 アリーは大通りの道の端の辺りを歩いていた。今のところ露店を出せそうなちょうどいい場所は見当たらないようだ。


 「ドナ君元気になって良かったね」


 「そうだね。アリーの見立てが的確だったということだ。それに薬の効果も問題ないようだね」

 

 アリーとイルムの会話は大通りの喧騒にかき消されていく。これならイルムが話せることに気づかれることもないのだろう。


 「ふっふっふー。わたしも立派な錬金術師だね」


 アリーは自信満々といった表情で意気揚々と歩いていく。


 「自信をつけることはいいが、自分の力を過信しすぎてはダメだよ。錬金術の真髄は遥かに果てしない。これからも研鑽を続けないといけないね」


 「はーい。わかってますよー」


 アリーたちが歩いていると、少し先に開けているスペースがあった。その先は住宅街になっているようなので、店舗が連なるこれまでのエリアに比べて人通りは少なく、露店の数も少ないようだった。


 「この辺りでいいかな。よいしょっと」


 アリーは開いたスペースで背負っていたリュックをおろすと、そこから大きな布のクロスを取り出し、地面に敷いた。


 続いてアリーは液体やペーストが入った瓶、薄い紙に包まれた粉薬、皿に乗った緑色の丸薬などを次々と取り出し手際よくクロスの前に並べていく。


 最後に、その小さいリュックにどうやって入っていたのか、現地語で大きく「薬屋」と書かれた木製の看板を取り出し、クロスの端の一番目立つ場所に立てかけた。


 「これで良しっと。あとはお客さんが来てくれるかだね」


 「アリーの薬なら大丈夫さ」


 客寄せのつもりだろうかそう言うとイルムは木製の看板の上に飛び乗った。



 ーー「お客さん来ないね……」


 「そうだね。場所があまり良くないのと、アリーにまだ信用がないことが原因かな。でも一度客が来れば問題ないと思うよ」


 アリーが店を始めてからかなりの時間が経過した。開店時には昇ったばかりだった太陽もそろそろ頂点に達しようとしている。


 若い少女が番をしているからか、店の前を通り過ぎる人はそれなりにいるが、誰も見向きもしない。


 「ここは薬屋かい?」


 アリーが諦めのような表情になっていた時、一人の中年の男性が声をかけた。


 「はい! 何かお探しですか?」


 アリーは笑顔で返事をする。


 「俺は大工をしているんだが、実は昨日、弟子がノコギリの扱いを誤って俺の腕に当ててな。ご覧のとおりでっかい傷になっちまった。何とか血は止まったんだが、このままじゃ仕事にならねえ。何か良い薬はないか」


 男性が服をまくり上げるとそこにはノコギリの歯が当たったのであろうズタズタになった切り傷が痛々しく刻まれており、その周囲は青黒く変色していた。


 「うわ、ひどい傷ですね……。それなら、こちらのディクラス軟膏がおすすめです。1週間くらい塗り続ければ綺麗になると思いますよ」


 アリーは緑色のペーストが入った瓶を手に取り、男性の目の前に差し出した。


 「医者には一生傷が残るって言われてるのに、綺麗になるって? そんな話は信じられねえな」


 「じゃあ、少し試してみましょう。腕を近づけてもらえますか」


 男性が言われるまま腕を近づけると、アリーは緑のペーストを少し手に取り、男性の傷に塗布していった。


 すると、たちまち青黒かった箇所に血の気が戻り、傷の膿んでいた箇所も収縮していった。 


 「な、な、なんじゃあこりゃあ! 一瞬で傷が良くなったぞ! こんな薬見たことねえ! 嬢ちゃん、この薬すぐもらえるか!」


 アリーの薬の効果に大工の男性は驚愕の声を上げ、すぐさま代金を差し出した。


 「ありがとうございます! 1週間くらいは毎日塗り続けてくださいね」


 アリーからディクラス軟膏を受け取った男性は嬉しそうに去っていった。


 「そんなに良い薬屋さんなの?」


 次にその状況を後ろで見ていた女性がアリーに声をかけた。


 「何かお探しですか?」


 見たところ30歳くらいだろうか。エプロンをつけており主婦といった見た目だが、外見からは特に問題は見られない。


 「病気っていうわけじゃないんだけど、うちには子供が4人いてね。毎日子供の世話で疲れてしまって。旦那は仕事が忙しくて子供に構っている暇はないし。何か元気になれるようなものはないかしら」


 「なるほど……。では、この滋養シロップはどうですか? 疲れた体に染み込んで元気になれますよ」


 「滋養シロップ? なんか安直な名前ね。まあ、良いわ。物は試しだし、一つ頂戴」


 「ありがとうございます! 良ければすぐ一口飲んでみていただけますか」


 アリーから瓶に入った透明な液体を受け取ると女性は恐る恐る口をつけた。


 「ん。甘くて美味しいね。あれ……。さっきまで全身がだるかったのに、なんか体が軽くなった気がするよ! この薬のおかげなのかしら?」


 「もちろんです!」


 「すごい効果ね。あと2つもらえるかしら」


 「ありがとうございます!」


 女性はさらに2つの瓶を受け取ると満足げに去っていったが、その様子を見てた人たちでアリーの店の前には人だかりができていた。

 

 集まった人々からは「傷が一瞬で治るらしいよ」や「疲れが吹っ飛ぶんだって」といった話し声が聞こえてくる。


 そのうちの一人が薬を購入すると他の人も薬を購入しはじめ、アリーが用意した薬は飛ぶように売れていく。


 「はい。これが最後の一つです。ありがとうございました!」


 アリーは薄紙で包まれた粉薬を目の前の老婆に手渡した。


 「ありがとう。あなたみたいな人がいてくれたら、去年の惨状は無かったのかもねえ」


 老婆は薬を受け取りながらアリーに話しかけた。


 「去年の惨状? 流行病があったとは聞きましたが、何があったんですか?」


 「よその人なら知らないのも無理はないね。この辺りの地方では去年、死白病っていう酷い病が流行ってね。この街だけでも、住民の五人に一人は亡くなるような状況だったのよ。わたしの夫も亡くなったし、孫も一人亡くなったわ。この街にはわたしのように家族が亡くなった人がたくさんいるの。あの時あなたがいてくれたら亡くなる人も少なかったのかもと思ってね」

 

 「そうだったんですね……。お役に立てず申し訳ありません。その時に私の様な薬師はいなかったのですか」


 「あなたに謝ってもらう必要なんてないのよ。ただのわたしの感想なんだから。あの時は街の医者以外には薬師もいなかったわ。いてくれたらどれだけ良かったか。気を使わせてしまってごめんなさいね。薬、大切に使わせてもらうわ」


 そう言うと老婆は去っていった。


 アリーが用意した薬はすべて売れ、クロスの上には看板以外何も残っていない。


 「イルム。さっきのお婆さんが言っていた死白病って……」


 「そうだね。おそらくクレアたちの両親が亡くなったのも同じ病だろうね。街の人口のほぼ五分の一が亡くなるなんて、相当大きな規模の流行病だ。この街だけではなく、周囲の街でも被害が出ているのかもしれないね」


 「もし、もしもだよ。その時にわたしたちがいれば……」


 「アリー。仮定のことを思い悩んでも仕方がないよ。私たちにできるのは目の前の人たちを救うことだけだ。君は今できることをすればいい」


 「そう……だよね。イルムありがとう」


 アリーは看板をリュックに入れると、クロスを綺麗にたたみ、同じくリュックに収納した。


 「全部売れてよかった。これで当面の路銀も心配ないね」


 「そうだね。お金は大事だからね。今日のアリーは行商人みたいで良かったよ」


 「あ、なにそれー。わたしは商人じゃなくて錬金術師なんですからね」


 アリーはリュックを背負うと人混みの方へ歩き出した。


 「まだ、日が高いから、街でお母さんのことを聞いてみようかな。もしかしたら知っている人がいるかもしれないし」


 「そうだね。どこに情報があるかはわからないからね」


 

 ーーアリーは大通りを中心に、店の店主や通行人に母を知らないか聞いて回ったが、誰一人として知っている者はいなかった。


 アリーは大通りの端の段差に腰を掛け休んでいる。


 「誰もお母さんのことを知らないね。やっぱりこの街には来たことがないみたい」


 「そうだね。ミッシリエントも古代錬金術の遺産がある都市のすべてを訪問しているわけではないのだろうね」


 「残念だな。今頃お母さんはどこにいるんだろう……」


 「地道に古代錬金術の遺産を巡ればいつかは辿り着けるはずだよ」


 「うん。もうだいぶ日も傾いてきたね。夜ご飯はクレアがご馳走してくれるみたいだから、みんなで食べられるお菓子でも買って帰ろうかな」


 そう言って立ち上がったアリーが大通りを歩いていると、一つの店の前で呼び止められた。


 「そこの可愛いお嬢ちゃん。お菓子はどうだい?」


 「え、わたしのこと?」


 「そうそう。あんただよ。美味しいお菓子があるよ。見ていっておくれ」


 ほかにも女性の歩行者はいるにも関わらず、ふくよかな女性店主の声に反応したアリーだが、そこはパウンドケーキの店のようだった。

 

 「どれも美味しそう。でも、結構いいお値段がするんですね……」


 「このご時世だからね。去年からの復興も途上だし、どうしても甘いもの値段は上がってしまうのよ」


 「そうですよね。うーん。これを3つもらえますか?」

 

 アリーはドライフルーツ入りと書かれた商品を指さした。


 「ありがとう。包むから待ってておくれ。はいよ!」


 商品を受け取ったその時だった。アリーの目の前に一枚の葉が落ちてきた。


 彼女が空を見上げると、霊樹の枝から無数の赤や黄色の葉が次々と落ちてきている。


 空のすべてを覆い尽くすように降り注ぐそれは、まるで砕け散った夕空の欠片の様に見えた。


 「イルム、これって……」


 「そうだね。クレアが言っていた年に一度の霊樹の落葉のことだろう」

 

 「すごく綺麗ね……。でもなんでだろう、見ているとどこか悲しくなってくるね……」


 降り注ぐ木の葉は止むことがなく、地面に積もり、周囲のすべてを朱色に染めていく。


 「もうそんな時期かい。今年は早いね。お嬢ちゃんも早く宿屋に帰った方がいいよ。どこの店ももう店じまいだろうからね」


 先ほどの女店主はアリーに話しかけると、急いで商品を片づけだした。



 ーー帰り道は降り注ぐ木の葉で前も見えないほどだったが、何とかアリーたちはクレアの家まで帰り着くことができた。


 「ただいま」


 玄関を開けるとそこは無人だったが、すぐに奥のドアからドナが姿を現した。


 「アリーお姉ちゃん、おかえりなさい」


 「ドナ君、良い子にしてた?」


 「もちろんだよ! ちゃんと言われたとおり、部屋でお留守番してたからね!」


 「えらいね。良い子にはお土産があるよ。じゃーん」


 アリーはテーブルの椅子に座るとパウンドケーキを取り出し、正面のドナに見せた。


 「うわー! お菓子だ! 食べていいの?」


 「いいよ。もう食べちゃう?」


 アリーは話しながらイルムの足を拭き、テーブルの上に乗せた。


 「ううん。姉ちゃんと一緒に食べたいから帰ってくるまで待ってるよ!」 


 「そっか。ドナ君はクレアお姉ちゃんが大好きなんだね」


 「うん! おこると怖いけど、姉ちゃん大好きだよ! ご飯は美味しいし優しくてかっこいいんだ!」


 ドナは元気よく話している。すっかり体調は良くなったようだ。


 「でも……」


 「でも? 何かあるの?」


 ドナはためらっている様子だったが、意を決したように話し始めた。


 「うん……。姉ちゃん、ときどき父ちゃんと母ちゃんの部屋で泣いてるんだ。見たことはないけど、部屋の前をとおった時にきいちゃったんだ。俺は男だから、ほんとうは姉ちゃんを守らないといけないのに。でもまだ働けないし、姉ちゃんは心配するなってしか言わないし……」


 ドナは今にも泣き出しそうな顔をしている。アリーはドナの頭にそっと手をあてた。


 「ドナ君はまだ小さいんだから心配しなくて大丈夫だと思うよ。もう少し大きくなったらクレアお姉ちゃんを助けてあげて」


 ドナの表情は戻っていない。その時、ジッとしていたイルムが急にドナの頭の上に飛び乗った。


 「いて! 何するんだ!」


 イルムは自身を掴もうとするドナの手をするりとかわし、部屋の中を飛び回った。


 「ふふ。そのフクロウの名前はイルムっていうのよ。仲良くしてあげてね」


 「待てー! 捕まえるぞ!」


 「ホーホー」


 先ほどまで泣きそうな表情をしていたドナは楽しそうにイルムと部屋の中で追いかけっこに興じだした。


 ーーしばらくすると、クレアが帰ってきた。


 「ただいま。アリーももう戻っていたんだね」


 「姉ちゃんおかえり!」


 「おかえりなさいクレア」


 帰宅するなりクレアはキッチンの方に向かう。


 「遅くなって悪かったね。今日はドナの回復祝いとアリーへのお礼でお肉を買ってきたよ」


 「お肉食べるなんて久しぶりだね! やったー」


 いつの間に仲良くなったのか、ドナは頭の上にイルムを乗せながら喜んでいる。


 「わたしもお菓子を買ってきたよ。後でみんなで食べようね」


 「気を使わなくていいって言ったのに。でもありがとう。甘いものなんて久しぶりだよ」


 「姉ちゃん今日はご馳走だね!」


 部屋の中を走り回るドナに合わせてイルムも翼を広げホーホーと鳴き声を出すのだった。



 ーー「ご馳走様でした」


 クレアが作った夕飯は肉入りのスープとパンだった。


 肉はかなり少量だったので少しの栄養も逃がさないようにスープにしたのだろう。それでもきっと彼女には精一杯のお祝いだったのかもしれない。


 食後にはアリーが買ってきたパウンドケーキを3人で食べた。クレアとドナが嬉しそうに食べている様子を見てアリーは満足げな笑みを浮かべている。


 「もうお腹いっぱいだよ! 全部おいしかった!」


 ドナはお腹をさすりながら話している。


 「良かったね。アリーにお礼を言わないとな」


 「アリーお姉ちゃんありがとう!」


 「どういたしまして」


 クレアは3人分の食器をキッチンへ運んでいった。


 「もう夜も遅いからドナは寝ないとな。それと霊樹の葉が落ちている。明日は雨戸を閉めて家から出ちゃダメだからね」


 「うん。分かってるよ。今日と明日は家から出ないよ。おやすみなさい」


 「それならよろしい。おやすみ」


 「ドナ君おやすみ」


 ドナは部屋を出て自室に戻っていった。


 「クレア、明日は家から出ちゃダメってどういうこと? わたしが帰ってくる時にちょうど霊樹から葉が落ち始めていたけど」


 クレアはキッチンでアリーと自分の2つのコップに白湯を入れると、テーブルに戻ってきた。


 「ああ。アリーも葉が落ちるのを見ていたのか。前にも言ったとおり、霊樹は年に一度その葉をすべて落とすんだけど、それは収穫祭の終わりを告げる合図なんだ。

 葉が落ちた翌日、つまり収穫祭の最終日には古い言い伝えがあってね。

 収穫祭の最終日の夜には、前の年の死者が目を覚まして黄泉の国を目指して歩き出すらしい。

 しかも、死者は黄泉の国に行くのが寂しくて、生者を連れて行こうとするんだそうだ。

 死者はドアを叩き、開けた人を連れていく。それは死者が生前に愛した者……ってね。

 だから、この街の住民は収穫祭の最終日は全部の雨戸を閉めて一日中静かに家で過ごし、絶対に外に出たりはしないんだ。

 まあ、実際にドアを叩かれたとか、連れていかれたとかいう話は聞いたことがないけどね」


 「不思議な言い伝えだね……」


 アリーは白湯の湯気を眺めている。


 「というわけで、申し訳ないけどアリーも明日は部屋で静かにしていてくれるか」


 「わかった。それなら薬の調合でもしようかな」


 「すまいないね。朝夕のご飯は用意するから」


 「ありがとう。そろそろわたしも部屋に戻るね。おやすみなさい」


 クレアに挨拶をすると、アリーは廊下の奥の部屋に戻っていった。


 アリーは部屋に着くと昨日と同じように丸いテーブルにイルムを降ろし、ベッドに座った。


 「ねえイルム。さっきクレアが話していた霊樹の話ってどう思う?」


 「死者が生者を連れていくという話かい?」


 「そう。クレアの話だと連れていかれるのは死者が生きている時に愛した人だっていうでしょ。どうして愛していた人をあの世に連れていこうとするんだろう。わたしだったら愛した人には生きていてほしいって願うんじゃないかと思うんだけど」


 「どうだろうね。そもそも死者が集団で黄泉の国を目指すなどという現象は私も知らない。仮に動くものがいるとしてその死者に魂はあるんだろうか。俗にいう悪霊は死者の残留思念に瘴気が取り付いたもので、魂などなく黄泉の国を目指そうとはしない。いずれにしても明日になれば何か分かるかもしれないね」


 「もし本当に死者に会えるのなら、自分を愛してくれた人と少しでも言葉を交わせるのなら、ドアを開いてしまう人はいるのかもしれないね……」


 アリーは静かに遠くを見つめている。


 イルムもそれ以上の返事はしない。


 霊樹から落ちた葉は、それでも夜になると淡く青い光を放っていた。


 地に眠る死者を呼び起こすかのように。



 ーー風が吹いている。


 昨日までは無風だったが、日付が変わった頃から吹き始めた風は徐々に強くなっているようだった。


 アリーの部屋のガラス窓も時折ガタッと音を立てている。


 今日もアリーは日の出とともに起き、クレア達に挨拶をして朝食を一緒に食べた後、部屋に戻ってきていた。


 クレアからは今日の深夜にかけてさらに風が強くなるので雨戸を閉めておいてほしいと言われている。毎年、霊樹の葉が落ちた次の日はこうなるそうだ。


 アリーは手早く雨戸を閉めた後、リュックから露店で使ったクロスを取り出しその中央に座っていた。


 「今日はゆっくり混成ができるね。まずはコレティアル散薬から作ろうかな」


 「今日は私は見守らせてもらうよ」


 イルムは丸テーブルの上からアリーの方を見ている。


 「えーと……材料は、ハルバ海塩と緑灰岩、フォル硬石と、あとはクク湧水に活炎炭だね」


 アリーはリュックから材料を取り出し、目の前に並べていく。


 続いてアリーは小さく息を吐くと集中した顔つきに変わり、右手を正面に向かって伸ばした。その中指には細かい装飾がされた銀色の指輪がはめられている。


 「叡智の指輪よ。扉を開け」


 アリーの言葉に呼応するかの様に指輪が光を放ちはじめると、伸ばした右手の先に直径1メートルほどの半透明の円球が出現した。


 続いて下に並べていた材料がゆっくりとその円球の中に取り込まれていく。


 取り込まれた材料はしばらくの間不規則に円球の中を動いていたが、しばらくすると規則的に円球の周囲に沿って回りはじめた。


 その間、アリーは集中した表情で同じ体勢を保ったまま微動だにしていない。


 「ふう……。混成球も安定したし、もう大丈夫かな。後は待つだけだね」


 アリーの言うとおり、長い時間が経過した頃には円球ーー混成球の周囲を回っていた材料は姿を消し、代わりに光る何かが回っている。


 さらに時間が経過すると光る何かが混成球を回る速度が徐々に遅くなっていき、最終的にゆっくりとクロスの上に落ちていった。


 クロスに落着し光りが消失したそこには、ドナに渡したものと同じコレティアル散薬が数包、完成していた。


 「よし、できた! イルム、今のはどうだった?」


 「上出来だと思うよ。混成球の制御にも問題はなかった。アリーの日頃の努力のたまものだね」


 イルムは丸いテーブルの上から動かずに淡々と話している。


 「やった! イルムに褒められちゃった」


 アリーは小さく手を握りしめ喜びの表情に変わった。


 「あまり調子に乗らないようにね」


 「えへへ。この調子で残りも作っちゃうね」


 アリーはリュックから材料を取り出すと同じように次々と薬を作っていった。


 数時間もすると彼女の目の前には、昨日販売したものより多くの薬品が並んでいた。


 「薬作りはこれくらいでいいかな。あと一つだけ作っておこう」


 そう言うとアリーはリュックからいくつかの素材を取り出す。


 中でも葉がなく鮮やかな朱色の花弁を持つ花が印象的だった。


 「それは緋岸花。そうか。鎮魂花を作るんだね」


 「当たり。この花弁には魔を鎮める力がある。今日の夜は死者が出るんでしょ。念のために作っておこうかなと思って」


 「悪霊を鎮めることができるそれならば、役に立つこともあるかもしれないね」


 「でしょ。使わなかったらしまっておけばいいしね」


 アリーは再び右手を伸ばし混成球を出現させる。


 混成球に取り込まれた素材は先ほどと同じ手順を踏み、新たな道具へと変化していった。


 しばらくすると、真っ赤な花弁が隙間なく詰まっている蓋のない小さな瓶が完成していた。

 

 「ふう。これでいいかな。いっぱい作ったから疲れちゃったよ。それにしても風がすごく強くなっているね。雨戸が壊れちゃいそう」


 アリーは汗を拭いながら、完成した『鎮魂花」をリュックに収納した。


 朝に比べてさらに風が強く吹いているようだった。雨戸が風に揺れる音も徐々に大きくなっている。


 「これだけ風が強いと外を歩くのも困難だろうね。ところでアリー。そろそろ夕食の時間じゃないのかい」

 

 「え、もうそんな時間!? 混成に夢中で気づかなかったよ」


 外には夕闇が迫っている。

 

 アリー達が急いでリビングに向かうと、既にクレアとドナが待っていた。


 「お、ちょうどいい時に来たね。夕飯ができてるよ」


 「アリーお姉ちゃん、こんばんは」


 「こんばんは。ドナ君、風が強くて怖くない?」


 「風くらい平気だよ! かみなりだって怖くないんだからね!」


 「わたしは雷がきたらびっくりしちゃうよ。ドナ君は強いんだね」


 話を遮るようにクレアが夕食を持ってテーブルについた。今日は乾いたパンと質素なスープだった。


 「収穫祭の最終日は質素に過ごすのが習わしだからね。粗末なもので申し訳ないが、召し上がれ」


 「ありがとう。いただきます」


 3人は静かに夕食を食べ始めた。


 玄関が風に煽られてガタガタと音を立てている。


 「それにしてもすごい風だね。毎年こんなに風が強いの?」


 「ここまで風が強く吹いているのは記憶にないよ。でも、それも深夜までかな。明日には収まっているさ」


 「そうなんだ。突然だけど、わたし今日は深夜までここで過ごしていいかな。言い伝えが気になって……」


 「どうしてもと言うなら構わないけど、玄関は絶対に開けちゃダメだよ。うちも去年両親を亡くしているんだから」


 クレアの口調には強さと怯えが混ざっているように聞こえる。


 「わかっているよ。ワガママを言ってごめんなさい」


 「まあ、アリーは旅人だし大丈夫かな。わたしたちも部屋で寝てしまえば玄関のドアを開けることはないしね。ドナ、今日は一緒に寝ようか?」


 「俺だってもう一人で寝られるよ! いつまでも子供じゃないんだからね!」

 

 ドナは抗議するようにクレアに言い返した。


 「わかったわかった。じゃあアタシたちはそろそろ寝ようか。アリー、おやすみ」


 「おやすみなさい」


 食事を終えたクレアとドナはそれぞれの自室に戻っていった。


 それを確認したのか、テーブルの上で静かにしていたイルムが口を開く。


 「アリー。今日はここにいるのかい?」


 「うん。死者がドアを叩くなんてことが本当にあるのか確かめてみたいんだ。もしかしたら錬金術に関係があるのかもしれないし」


 「アリーがそう決めたのなら私も付き合おう。今日の夜は長そうだね」



 ーーそれから数刻の時が過ぎた。


 静寂の中、風の音と玄関が揺れる音だけが強く響いている。


 「アリー……。アリー……。寝てしまったのかい」


 こくりこくりと首を揺らすアリーに向かってイルムが話しかけた。


 「あ、イルム。もしかしてわたし寝ちゃってた?」


 アリーはイルムの言葉で目を覚ましたようだ。


 「少しだけ眠っていたように見えたね」


 「起こしてくれてありがとう。何か異変はあった?」


 「特になにもないよ。あと半刻もすれば夜が最も深くなる」


 「やっぱりただの迷信だったのかな」


 アリーがつぶやいたその時、玄関の方から音が響いてきた。


  ドン。ドン。


 それは明らかに風の音ではない、明確な意思を持った音だった。


  ドン。ドン。ドン。


 「イ、イルム……これって……」


 「そうだね。クレアが話していたものだ」


  ドン。ドン。ドン。ドン。


 「本当に死者がいたんだ……。どうしよう。どんどん音が大きくなるよ」


 「怯える必要はないよ。ドアを開けなければいいだけさ」


 「そ、そうだよね。落ち着かなくちゃ」


 広がり続けるアリーの動揺とは裏腹に、玄関を叩く音は聞こえなくなっていた。


 「あれ……。もう行ったのかな。びっくりしたけど大丈夫だったね」


 「どうやらそのようだね。しかし、今のは何だったんだろうか⋯⋯」


 イルムの言葉を聞いたアリーは安堵の表情を浮かべる。


 再びリビングに静寂が戻ったかに思えた。


 だが……


 「うわあああああ」


 片時の静寂を破るようにドナの部屋の方からクレアの悲鳴が響いてきた。


 「イルム!」


 イルムはアリーに向かって頷くと、翼を広げ飛び上がった。


 「行こう、アリー」


 急いでドナの部屋に向かったアリー達が目にしたのは、開け放たれた窓と悲鳴を上げるクレアの姿だった。


 「ドナ! どうして! どうして……」


 アリーはクレアの正面に駆け寄ると、しゃがみこんで項垂れる彼女の両肩を掴んだ。


 開け放たれた窓からは強く風が吹きこんでいた。


 「クレア! 何があったの!?」


 「アタシが自分の部屋で休んでいたらドナの部屋から物音が聞こえたんだ! 何か嫌な予感がして来てみたらドナがいなかった! きっと死者が連れて行ってしまったんだ! 父さんと母さんが!」


 クレアの慟哭が部屋の中に響き渡っている。 

 

 「アリー! アタシはどうすればいい!? ドナがいないとアタシは生きていけないよ! アタシひとりだけじゃ……生きてなんていけなんだ……」


 泣き崩れるクレアをみてアリーは意を決したように立ち上がった。

 

 「クレア、大丈夫。わたしたちが必ずドナ君を連れ戻してみせる。だから、あなたはここで待っていて」


 「でも、外には死者が! そんなことをすればアリーも連れていかれてしまう!」


 「安心して。わたしは錬金術師なんだから!」


 そう言うとアリーたちは揺れる窓から外に出ていった。


 後ろではアリーを呼ぶクレアの声が聞こえる。


 「うわ! すごい風……。イルム大丈夫?」


 人ひとりがやっと通れるほどの狭い路地に降り立つと、アリーは強風の中を飛ぶイルムの方を振り返った。


 「なんとか大丈夫だよ。ドナは見当たらないね。まずは大通りへ出てみよう!」

 

 霊樹の落ち葉の姿は既になく、代わりに葉の光と同じ淡い青色をした靄のようなものが地上を漂っていた。


 その中をアリーは足早に大通りに向けて駆けていく。


 「アリーもう少しで大通りだ!」


 イルムの言葉が終わるのと同時にアリーは大通りに出た。


 「な、なに……これ……」


 そこでアリーが見たものは、見渡す限り街一面に広がる淡い青色の炎の中を同じ方向に向かって歩く大勢の人の列だった。

 透き通った濃い青い色で形作られたそれは、強風の中にありながら衣服がまったく乱れることなく、一様に生気のない目で腕をだらんと垂らしながらゆっくりと歩いている。


 「これが死者……。まるで、死者を弔う葬列みたい……」


 目の前の光景に衝撃を受け動けないでいるアリーにイルムが呼びかける。


 「アリー、彼らは街の入り口に向かっているようだ。この風も入り口の方から吹いている。おそらくそこに何かがある!」


 「わかった! 行こう!」


 我に返ったアリーは、イルムの言葉に従い街の入口の方に走り出した。


 どこから現れたのか時間を追うごとに街の入り口に向かう死者の列は数を増している。


 しかし、彼らからは足音も衣擦れの音も一切聞こえてこず、風の音だけが奇妙な静寂を作り出していた。


 「この人たちはみんな去年亡くなったんだよね……。こんなに多くの人たちが……。この街の悲しみはどれほどだったんだろう……」


 走りながら問いかけたアリーの言葉をイルムが遮った。


 「アリー。今はドナを助けることだけを考えよう」


 「うん! そうだね! ドナ君を助けるんだ!」


 アリーは頭を振ると再び前を見据えて走り始めた。



 ーー街が燃えている。


 それはさながら、落ちた霊樹の葉が自らを燃え種としてハルフストの街を燃やし尽くそうとしているかの様に。


 「アリー。そろそろ入り口だ」


 アリーたちは街の入り口の近くまで辿り着いたが、死者の列は街の外にまで続いている。


 「あれは……。いた! ドナ君だ!」


 街の入り口に成人の男女に両手を引かれたドナの姿が見えたが、彼らは既に街を出ようとしている。ドナの手を引く二人をよく見ればどことなく、クレアとドナの面影がある。


 アリーたちはさらに激しくなった風の中、入り口を抜け、街の外に出た。


 街中から続く死者の列はひと際明るい巨大な光に繋がっている。その手前には細い川が流れている様に見えた。


 「まずい。この街に来たときはあそこに川などなかったはずだ。おそらくあの川は黄泉の国と現世を隔てる境界。彼岸に行ってしまったら戻ってくることはできない」


 アリーがドナに駆け寄ろうとした時、周りを歩いていた死者たちが彼女の進路を塞ぐように立ちはだかった。


 「どうして邪魔をするの! このままじゃドナ君が行ってしまう!」


 ドナは光に向かって歩き続けているが、アリーは死者にまとわりつかれ続け身動きがとれない。


 アリーは何とか一部の死者を振り払い、ドナに向かって呼びかけた。


 「ドナ君! 行っちゃダメ! クレアを置いていくの!?」


 ドナはアリーの言葉が聞こえたのか歩くのをやめ立ち止まった。


 何とかドナに近づこうとするアリーの進路を再び死者が妨害している間にドナは再び光に向かって歩き出していた。既にドナは川に足をかけようとしている。


 「どうして! 邪魔をしないで! ドナ君を連れ戻したいだけなの!」


 ドナはゆっくりと、だが確実に歩を進めている。


 その様子を見ていたアリーが思い出したようにリュックから何かを取り出した。


 「そうだ! これなら!」


 それは、真っ赤な花弁が詰め込まれた小さな瓶だった。


 「それは……昼に作成した『鎮魂花』。 悪霊の動きを止めるそれならば、確かに死者の歩みを止められるかもしれない。だが、これだけの死者を止めることは不可能だ。ドナたちの動きを少しだけ止めたとしても、死者の群れに押し流されてしまう」


 「じゃあどうすればいいの!? イルム教えて!」


 空中を飛んでいたイルムがアリーの肩に止まった。


 「アリー。『鎮魂花』では足りないんだ。君にはわかるはずだ。今、何をすればいいのか。何ができるのか。思い出して。それは君にしかできないことだ!」


 「わたしにしか……できないこと……そうか! でも……わたしにできるかな……」


 不安な表情を見せるアリーにイルムが強く語りかける。


 「アリー。ドナを助けたくはないのかい。できることをするんじゃない。今やるべきことをするんだ」


 「……うん。そうだよね。わかった!」


 アリーが力強く叫んだ。その瞳には迷いを振り切った強い決意の色が浮かぶ。


 「イルム! お願い力を貸して! わたしはドナ君を……クレアを助けたい!」


 アリーの叫びに呼応する様にイルムの体が黄金色に変わっていく。


 「心得た。 私のすべてをアリーに預けよう!」


 イルムは翼を大きく広げ、再びアリーの肩から飛び立つと、アリーを中心として円を描くように地上すれすれの高さを飛び始めた。


 同時にアリーは『鎮魂花』を右手に握りしめると、集中するように静かに目を閉じる。


 円を描き終わったイルムは空高く飛び上がっていく。するとそこには黄金色をした円形の十二芒星が浮かび上がった。


 「いくよ! イルム!」


 イルムが描いた黄金の十二芒星は空に向かって光を放ち、上昇する力の流れを発している。

 その光はアリーの髪を金色に染め上げ、上昇する力の流れが髪と服をはためかせている。


 目を開き、まっすぐドナの方を見つめたアリーは、右手を握りしめたまま、まっすぐ前に向かって伸ばした。

 アリーは力ある言葉とともに右手を大きく開く。


 「叡智の指輪よ。偉大なる黄金の路を開け!」


 アリーの意思に応じる様に、中指にはめた銀色の指輪が大きな輝きを放つと、彼女の前に巨大な混成球が出現した。


 落ちかけていた『鎮魂花』は、巨大な混成球に取り込まれると、そのまま混成球の中央を高速で回転しだした。


 「うっ……」


 アリーの口から短く呻きが漏れ、一瞬、苦悶の表情に変わった。しかし、彼女は自らからを鼓舞するようにさらに力強く言葉を紡いでいった。


 「示せ! 其の真なる力を! 応えよ! 我が大いなる業に!」


 混成球の中央を回転する『鎮魂花』はアリーの言葉を合図に崩壊し、代わって無数の朱色の花弁が巨大な混成球を満たしていく。


 アリーの右手の指輪が更なる光を放つ中、天空から黄金の翼をはためかせたイルムが混成球の中心目掛けて急降下してきた。


 イルムが混成球に衝突する刹那、アリーは叫んだ。

 

 「レクイエム!!!」


 その瞬間、巨大な混成球の外殻に無数のヒビが発生し、爆風とともに砕け散った。


 混成球を満たしていた朱色の花弁は爆風とともに周囲に飛び散り、あまねく降り注いだ。


 それは、アリーの周囲のみならず、ハルフストの街の全体を覆うほどにまで広がり、すべてを赤く染め上げていく。


 朱色の花弁に触れた死者はその歩みを止め、ただ立ち尽くしているだけとなり、街に動くものはなくなった。


 「アリー! よくやった! 今だ!」


 「うん!」


 アリーは花弁が降りしきる中、ドナの元に駆け寄った。


 「ドナ君、しっかりして!」


 ドナは虚ろな目をしたまま反応しない。


 アリーは急いでドナを背負うと、ハルフストの方に向かって走り出した。


 街の入り口を越え、アリーたちは死者の群れの中を息を切らせて走り続けている。


  死者たちは未だその動きを止めているが、降り注いだ朱色の花弁は、淡い青い炎に焙られ、少しずつ燃え始めていた。


 「アリー急ぐんだ。いつまた死者たちが動き出すかわからない」


 「わかってる!」


 花弁が燃え尽きようとするその時、アリーたちはクレアの家まで辿り着いた。


 急いで玄関を開けると、クレアはテーブルの椅子に呆然とした様子で座っていたが、アリーたちに気づくと、おもむろに立ち上がり大きな声をあげた。


 「アリー! 戻ってこられたのか!」


 「ただいま。ちゃんと約束を守ったよ」


 アリーはクレアに向かって微笑むと、背負っていたドナをそっと彼女に抱き渡した。


 「ドナ!」


 クレアは弟の名前を呼ぶと、力強く彼を抱きしめる。


 「良かった。本当に良かった……」


 クレアの目から溢れだした大粒の涙が彼女の頬を伝っていく。


 彼女の涙がドナの顔に落ちた瞬間、ドナが微かに目を開いた。


 「あ……。姉ちゃん……」


 クレアはドナの顔をジッと見つめる。


 「ドナ! 目が覚めたのか!? どうして……。どうして行っちゃったんだ。アタシがいるじゃないか……」


 「ごめんね……。開けちゃダメだってわかっていたんだ。でも、窓のそとからお父さんとお母さんの声がきこえたんだ……。僕しっていたから……。お父さんたちの部屋で姉ちゃんが泣いているのを……。だから、お父さんたちがいれば姉ちゃんも泣かなくてよくなるんじゃないかなって思って……。僕じゃ姉ちゃんの役に立てないから……」


 ドナの声は消え入りそうなほど弱々しい。


 「そんなことない! ドナがいてくれればアタシはそれでいいんだ! ドナがいてくれれば頑張れるんだ! 弱い姉ちゃんでごめんな! もう泣かないから何処にも行かないで!」


 「うん……。ごめんね、姉ちゃん……」


 ドナは再び目を閉じた。


 「ドナ! 目を開けてくれ!」


 涙声で叫ぶクレアにそっとアリーが寄り添う。


 「大丈夫。眠っただけだよ」


 クレアはドナが息をしていることを確認し、安堵した表情に変わっていった。


 「ありがとう、アリー。まさか、本当に連れ戻してくれるなんて……。アタシは何もできなかったのに……」


 クレアはドナを抱きしめながら、アリーの方を向き何度も「ありがとう」と言っている。


 「そんなことないよ。クレアの名前を叫んだ時、ドナ君は歩くのをやめたんだ。あの時止まってくれなければ、ドナ君はもう戻ってこられなかったかもしれない。クレアが待っていてくれたから戻ってこられたんだよ」


 アリーの声には優しさがにじんでいる。


 「そうだったのか。ドナはアタシを見捨てたわけじゃなかったんだね……」


 「ドナ君にもクレアが必要なんだよ」


 クレアはドナを抱きしめたまま静かに涙を流している。


 すでに夜が最も深くなる時間は過ぎ、少しずつ風は弱まっているようだった。


 「そろそろわたしたちは部屋に戻るね」


 「アタシたちのために身を挺してくれて本当にありがとう。明日改めてお礼をさせて欲しい」


 クレアは改めてアリーに向かって大きく頭を下げた。


 「楽しみにしてるね。おやすみなさい」


 アリーたちはドアを開け、奥の部屋に戻っていった。



 ーー自室の扉を閉めた瞬間、アリーは膝から崩れ落ちた。


 「アリーよく頑張ったね。ドナを助けられたことは君の成長の証だ」


 部屋の扉を背に座り込むアリーの傍らにイルムがそっと降り立った。


 「ありがとう。イルムこそ大丈夫? だいぶ力を使っちゃったんじゃない。わたしはもう立ち上がる力も残ってないよ」


 「大丈夫だよ。私は古代錬金術の叡智の結晶だからね。あの程度では問題ないさ」


 そう言うイルムも、羽を垂らしたまま動いていない。


 「さすがイルムだね……」


 部屋の中に静寂が流れていく。いつの間にか風は止んでいた。


 「ねえ、イルム。あの時、ドナ君を背負って街の入り口に走りながら、少しだけ後ろを振り返ったの。そしたら、ご両親がこちらを見て微笑んでいる様に見えたんだ。まるで連れ戻されるドナ君を見て安心しているようだった。あの人たちには本当に心はなかったのかな……」


 「どうだろう。あの死者たちに心があるとは思えなかったが。もしかしたら子を思う気持ちが、ほんの一瞬だけ心を取り戻させたのかもしれないね」


 「そう……だよね。死んだ親が子どもを連れて行くなんて悲しすぎるよ。クレアたちのご両親もきっと子供の幸せを願っているはずだよね。わたしのお父さんだってきっと……」


 「そうだね」


 アリーたちはそのまま深い眠りについた。


 もはや霊樹の葉の光はなく、雨戸から漏れる柔らかな月の光だけが二人を照らしていた。



 ーー翌朝。


 「う、うん……。もう朝か……」


 雨戸の隙間から光が差し込んでいる。


 クレアが目を覚ましたのは、既に早朝とは呼べない、日が昇ってからかなりの時間が経ってからのことだった。目の前にはベッドではドナが眠っている。


 彼女は昨夜、ドナを自室のベッドに運ぶと、そのまま傍らで眠りについていた。


 クレアは立ち上がると雨戸を開け放った。落ちた霊樹の葉は影も形も見当たらない。


 「あ……。姉ちゃん」


 「おはよう。ドナ。痛いところはないか?」


 ドナは目をこすりながらベッドから起き上がった。


 「うん。大丈夫だよ」


 「良かった。昨日のことは覚えているか?」


 「少しだけ……」


 「そうか。じゃあアリーにお礼を言いに行こう。もう起きているだろうしね」


 クレアたちは奥の部屋に向かったが、そこにアリーたちの姿はなかった。


 「いない……。リビングにいるのか」


 改めてリビングに向かうが、そこにもアリーたちの姿はない。


 「どこに行ったんだ……。あれは……?」


 テーブルの上に1枚の紙が置かれている。


 「これは……。手紙……?」


 クレアは手紙を手に取ると声に出して読み始めた。


  クレア、ドナ君。おはよう。


  昨日はちゃんと休めたかな。


  突然ですが、わたしたちはハルフストの街を離れることにしました。


  ちゃんとお別れを言えなくてごめんなさい。


  クレアのサンドイッチすごく美味しかったよ。


  ドナ君の体は大丈夫かな。少し薬を置いていくので使ってください。


  いつか、お母さんを見つけたら、また会いに来るからね。


  それまで二人とも元気でいてね。


 手紙を読み終わったクレアは急いで玄関を出た。


 「アリー!」


 しかし、路地を行き交う人々の中にアリーたちは見当たらない。


 クレアは裸足のまま大通りまで走っていったが、そこにもアリーたちはいなかった。


 「どうして……。ちゃんとお礼も言えていないのに! アリー!」


 クレアの叫びがハルフストの雑踏に呑み込まれていったその時、霊樹には新たな葉が芽吹いていた。


 ーーその頃、アリーたちはハルフストの街から離れた街道を歩いていた。


 道沿いに生えている樹は鮮やかに紅葉している。


 「アリー。本当に良かったのかい? クレアたちに黙って出てきてしまって」


 アリーの肩に乗ったイルムがアリーに問いかける。


 「うん。わたしがいたらクレアはわたしに気を使ってしまうから。あの二人にはこれからもお金や物がたくさん必要になる。わたしはその邪魔になりたくない。それにあの二人ならきっとお互いを思いやって生きていけるよ。それに……」


 天高い太陽から温かい光が降り注ぐ中、涼やかな風がアリーの髪を揺らす。


 「わたしもはやくお母さんに会いたくなっちゃった」


 「そうだね。では次の街に急ごう」


 アリーたちは軽快に歩を進めていく。


 遥かな母の幻影を求めて……。



 ………………


  ここは季節が巡らない街ハルフスト


  秋をもたらす霊樹の加護が満ちる街


  太古の戦の傷痕が未だ地にあり漏れいづる


  闇を照らす薄明は希望かはたまた絶望か


  黄昏の欠片が街に振り散れば


  客歳の嘆きが黄泉がえる


  白縹の炎は死出の旅路を祝福し


  恵みとなりて地を覆う


 ………………

ご覧いただきありがとうございます!


まだまだ初心者ですが、連作短編にしたいと思っており、もし違うお話も読んでみたいと思っていただけたなら、ブックマークやポイント、コメントなどをいただけると大変うれしいです!

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