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第9話 ミラの夜

 ヴァルド村の宿は、夜になると驚くほど静かだった。


 ミラは、貸し与えられた寝台に横になっていた。

 古い木の天井が、ぼんやりと視界に入る。


 眠ろうとしている。

 身体を休めるために。


 ――なのに。


 どこも、痛くなかった。


 右肩も。

 背中も。

 肋も、脚も。


 戦場では、横になった瞬間に意識が落ちていた。

 痛みがあっても、なかったとしても、関係なく。

 身体が限界を超えれば、勝手に眠った。


 でも今は、違う。


 軽すぎる。

 身体が、まるで浮いているみたいだった。


 ミラの肌は、治療のあと、

 指先が触れただけで分かるほど、熱も傷もすべて包み直されたみたいに、柔らかく滑らかだった。


 戦場を知らない箱入り娘みたいな白さと滑らかさの肌に、

 本人だけが、まだ少し戸惑っていた。


 布団の重さが分かる。

 呼吸が、胸の奥まで静かに入る。


 それが――落ち着かない。


「……変なの」


 小さく、呟いた。


 痛みがないことが、こんなにも不安になるなんて。

 今まで、どれだけ壊れたまま生きてきたんだろう。


 目を閉じる。


 浮かんでくるのは、戦場だった。


 神話になった英雄の第八騎士団。

 あの戦い方。

 あの速度。

 あの圧倒的な安心感。


 ――もう、戻ってこないのかな。


 そんな考えが、胸をよぎる。


 布団の中で、身体を少し丸める。

 寝返りを打っても、どこも痛まない。


 明日。

 ヴァルド診療所に行ったら。


(……私、なんて言うんだろう)


 自然と、考えていた。


 きっと――

 前線に戻ってください、って。


 あの人たちにしかできない戦いがある。

 英雄の第八騎士団。

 もう使ってはいけない「八」という番号が、

 騎士団番号そのものが伝説になるほどの存在。


 戻ってきてほしい。

 そう、言うんだろうか。


 ――いや。


 ミラは、すぐに否定した。


 きっと、言わない。


 喉の奥で、その言葉が引っかかる感じがした。

 どうしてかは、まだ分からない。


 代わりに、別の問いが浮かぶ。


 自分自身を守ること。


 それは、

 私の「守る」に――入るんだろうか。


 考える。


 すぐに答えは出ない。


 でも。


 今日、剣を置いたときの音が、

 どうしても頭から離れなかった。


 ――カラン。


 あの音は、逃げの音じゃなかった。

 壊れた音でもなかった。


 選んだ音だった。


(……入る、かも)


 小さく、心の中で思う。


 自分を守ることも、

 誰かを守ることにつながるのかもしれない。


 その考えが、胸の奥で少しだけ形になる。


 そのとき。


「……パン屋、か」


 言葉が、ぽろりと落ちた。


 子どものころの夢だった。


 戦場とは、何もかも正反対の場所。

 剣も、血も、号令もない。


 前線で生きてきた自分が、

 そんなことを考えるなんて。


 おかしくて、少し笑ってしまう。


 死線。

 本当に、その通りだった。


 いつ死ぬんだろう。

 明日かもしれない。

 次の戦場かもしれない。


 そう思いながら、ずっと剣を握ってきた。


 ――運が良かっただけかもしれない。


 それでも、今、ここにいる。


 ヴァルド村で。

 あの人たちの、すぐ近くで。


(パンを焼いて)


(お腹が空いた人が、食べて)


(おいしいって、笑ってくれたら)


 それは。


 この村を守ることに、ならないだろうか。


 剣じゃなくても。

 前線に立たなくても。


 生きる理由を、少しだけ軽くすること。


 それも、守ることなんじゃないかと――

 そんな気がした。


 ミラは、天井を見つめたまま、静かに息を吐いた。


 身体は、相変わらず軽い。

 眠気は、まだ来ない。


 でも。


 明日、また行ってみよう。


 ヴァルド診療所に。


 何を言うかは、まだ分からない。

 自分がどんな選択をするのかも。


 それでも――

 行かなきゃいけない気がした。


 そう思いながら、

 ミラはもう一度、目を閉じた。

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