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第6話 女英雄が診療所へやってきた日

 診療所の扉が叩かれたのは、昼過ぎだった。


 強くも弱くもない。

 ただ、迷いのない音だった。


「……どうぞ」


 レオンの声に応じて、扉が開く。


 小柄な女が、そこに立っていた。


 身長は低い。


 立ってはいるが、立たされている身体だった。

 血の匂い。

 古い傷の上に、さらに重ねられた新しい裂傷。

 魔力の乱れが、外からでも分かる。


「……噂は本当だったみたいね」


 女は、セレナを一瞥した。


「英雄だった医師と、

   英雄の第八を率いてた団長が、

     こんな村で診療所?」


「診察します」


 レオンは感情を挟まず言った。


「こちらへ」


 女は何も言わず、診察台に腰を下ろす。


 その瞬間、肩から力が抜けた。


 レオンは状態を確認する。

 腹部の裂傷。

 肋骨への魔力性損傷。

 内臓に波及する圧迫。

 魔力循環は破綻寸前だった。


「……超重症ですね」


 セレナが、患者として距離を保った声で言う。


「よく、ここまで歩いて来られました」


「前線じゃ、これくらい普通」


 女は短く答えた。


 レオンは鉗子を取る。


「裂傷が深いです。

 このまま治癒魔法を使うと、歪みが残ります」


 一拍。


「寄せます」


「……うん」


 女は歯を食いしばった。


 レオンの手は迷わない。

 傷の縁を正確に捉え、左右を少しずつ合わせていく。

 内部のズレを確認し、筋繊維の流れを整える。


「セレナ、固定」


「はい」


 セレナがすぐに身体を支える。


 傷がぴたりと合わさったのを確認してから、

 レオンは静かに魔力を流した。


 強くはない。

 押し流さない。


 壊れたものを無理に戻すのではなく、

 戻れる状態を作る治癒。


 皮膚。

 筋肉。

 内臓。

 肋骨。


 同時に魔力循環を整え、

 身体全体を「守られている配置」に戻していく。


 女の呼吸が、次第に落ち着いていく。


 最後に、レオンは胸元に手をかざした。


「……これで終わりです」


 しばらく、沈黙が落ちた。


 女は天井を見つめたまま、瞬きをした。


「……」


 深く息を吸い、吐く。


「……痛く、ない」


 声が震える。


「どこも……

 どこも痛くない……」


 ゆっくりと、胸に手を当てる。


「……身体が……」


 喉が詰まる。


「守られてる……」


 次の瞬間。


「……っ!!」


 女は上体を起こし、叫んだ。


「こんなの......

 いつぶりよ......」


 拳を握りしめる。


「前線じゃ

  ずっと

  治っても壊れたままだった!!」


 声が荒れる。


「ちゃんと治る前に次!

 次の日にはまた傷だらけ!!」


 呼吸が乱れる。


「……それなのに……」


 震えた声で、言葉を叩きつける。


 そしてセレナとレオンを睨みつける。


「こんな力を持っていながら....

    なんで戻ってきてくれなかった」


 診療室の空気が張り詰める。


「あなたたちが居てくれたら、

 燃えずに済んだ街があった」


「……」


「死なずに済んだ人も、いた!!」


 女の声が荒れる。


「私は今も前線にいる!

 毎日、誰かを守ってる!」


 拳が震える。


「なのに……」


 視線が、レオンとセレナに突き刺さる。


「なんで、

 こんなところで……!!」


 その場に、静寂が落ちた。

 レオンが口を開く。


「……居場所ができたからです」


 低く、穏やかに。


「守るべき居場所が」


「……は?」


「それに」


 少しだけ、言葉を選ぶ。


「今が、幸せなんです」



 一瞬、沈黙。


「……ふざけるな!!」


 女は叫んだ。


「私はこんなにつらい思いをして前線を守ってるのに!!」


 その瞬間。


「……少し、いいですか」


 セレナが、前に出た。


 声は静かだった。


「あなたの言っていること、

 全部、分かります」


「……何が分かるの」


 女英雄は睨む。


 セレナは、逃げなかった。


「私も、前線にいました」


「……知ってる」


「常勝無敗。

 そう呼ばれていました」


 一瞬、女の表情が揺れる。


「勝ち続けるほど、

 次はもっと厳しい場所に送られました」


「……」


「断れませんでした。

 英雄でしたから」


 少しだけ、声が低くなる。


「レオンと一緒に、

 何度も死にかけました」


「……」


「守らなきゃいけないって、

 思い続けていました」


 そこで、一度、言葉を切る。


「でも」


 静かに。


「その間、

 一番つらかったのは、

 自分自身でした」


 女英雄の目が、わずかに揺れる。


「……正直に言います」


 セレナは、ゆっくり続けた。


「私たち、

  一緒に自殺しようって思ったこと、

   1度や2度じゃありません」


 空気が、止まる。


「期待が、重かった」


「……」


「責任が、その分、のしかかりました」


「……」


「期待が大きいほど、

    一番つらい戦線に送られます」


 指先が、わずかに震える。


「それでも」


 目を上げる。


「逃げちゃいけないって、

      思っていました」


 そして、真っ直ぐに。


「でも」


 声が、柔らかくなる。


「英雄じゃなくても、

 人は守れます」


「……」


「剣を持たなくても」


「……」


「前線に立たなくても」


 女英雄の呼吸が、乱れる。


「ここでは」


 セレナは、診療所を見渡した。


「包丁で指を切った人が来ます」


「……」


「風邪をひいた人が来ます」


「……」


「前は、

  医師がいなくて、

   馬で2日かけて移動していました」


 淡々と。


「その途中で、

 亡くなった人もいます」


「……」


「だから」


 少しだけ、強く。


「この場所を守っているのも、

 事実です」


「……でも!!」


 女英雄が叫ぶ。


「あなたたちじゃなくても、

   こんな村、守れるわよ!!」


 その言葉に、セレナは頷いた。


「はい」


 即答だった。


「守れます」


「……」


「強い人は、他にもいます」


「……」


「でも」


 そこで、一歩近づく。


「あなたは、

  ずっと英雄として

    守ってきましたよね」


 女英雄の目を、まっすぐ見る。


「街を」


「……」


「人を」


「……」


「期待を」


 声が、少し震える。


「それって、

   あなた自身を置き去りにして

     守り続けるってことだったと思います」


 沈黙。


「責任を背負うのが、

 あなたの役目になって」


「……」


「苦しいって言うことも、

 逃げたいって思うことも」


「……」


「英雄だから、

 全部、我慢しなきゃいけなかった」


 女英雄の肩が、震え始める。


「でも」


 セレナは、優しく言う。


「英雄じゃなくても、

   その前にあなたは人です」


「……」


「泣いていい」


「……」


「立ち止まっていい」


「……」


「守られたっていい」


 涙が、落ちる。


「剣を持つことだけが、

 守ることじゃありません」


「……」


「生きることも」


「……」


「休むことも」


「……」


「選び直すことも」


 ゆっくり。


「全部、

 誰かを守る行為です」


 最後に。


「だから」


 はっきりと。


「一度、責任を下ろしてみてください」


「……」


「期待なんて、

 1回、全部、捨てていい」


「……」


「逃げてください」


 女英雄は、声を出さずに泣いた。


「逃げるのは、

 負けじゃありません」


「……」


「逃げた先で、

 初めて見える景色もあります」


 そっと。


「今度は、

 あなた自身を守る番です」


 低く、優しく。



「自分自身を"守ること"は」



 一拍。



「あなたの

  “守ること”には

    入りませんか?」



 言葉が、空気に残った。


 女英雄の唇が、震える。


 何かを言おうとして、

 声にならない。


 視線が、ゆっくりと床に落ちる。


 そこにある剣を見る。


 何度も握り、

 何度も振るい、

 何度も命を守ってきた剣。


 そして同時に、

 自分を縛り続けてきた剣。


 女英雄は、剣の柄に手をかけた。


 一瞬、迷う。


 ぎゅっと、強く握る。


 ――カラン。


 剣が、床に置かれる。


 音は、思ったよりも大きく響いた。


 責任の重さが、

 金属の音になったようだった。


「……今日は」


 掠れた声。


「この村に泊まる」


 顔を上げないまま。


「少し……

 考えたい」


 剣から、手を離す。


「剣は……」


 一拍。


「考えの邪魔になりそう」


 そう言って、女英雄は背を向けた。


 診療室には、剣だけが残った。


 かつて前線を制圧し、

 街を守り、

 命を救った剣。


 そして今、

 初めて持ち主から離れた剣。


 村人たちは知らない。


 この日、

 英雄が剣を置いた理由を。


 そして、

 英雄が初めて

 自分を守る選択をしたことを。

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