表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

第13話 管理局員の再来

 朝の診療所は、静かだった。


 窓から入る光が床に細く伸びている。

 埃がゆっくり舞って、時間まで緩んだみたいだった。


 ミラは、いつも通りスカートだった。


 診察台の端に腰掛け、

 膝をそろえて、脚先を少し揺らす。


 小さい脚だった。

 145センチの身体に釣り合う、細い脚。


 白く、

 なめらかで、

 すべるようにきれいだった。


 古傷も、

 歪みも、

 前線の痕跡もない。


 レオンの視線は、自然とそこに落ちていた。


「……レオンさん」


 ミラが、少しだけ照れた声で言う。


「脚、見すぎです」


「いえ」


 レオンは、穏やかに答える。


「治療の経過が、

  非常に良いですね」


「本当ですか?」


「はい。

  魔力循環も安定していますし、

  皮膚も、筋も、完全に戻っています」


 ミラは、嬉しそうに自分の脚を見る。


「……生きてる脚、ですね」


「そうです」


 セレナが、棚に包帯を戻しながら言った。


「もう、戦場の脚じゃない」


「ちゃんと、

  帰ってこられる身体」


 朝は、当たり前だった。

 守られた日常だった。


 ――ノックの音が、それを壊す。


 コン、コン。


「どうぞ」


 扉が開く。


 外套。

 王都式の靴。

 徽章。


 管理局の男だった。


 今日は、最初から嫌な笑い方をしていた。


「いい朝ですね」


 声が、妙に明るい。


「平和そうで、

  何よりだ」


 机に、書類を置く。


 音が、やけに大きい。


「では、本題です」


「レオン・グラハム。

  セレナ・ヴァレンティス」


「前線へ、

  戻ってください」


「戻りません」


 レオンは即答した。


「ここに、

  医師としての責任があります」


「また理想論だ」


 男は、鼻で笑った。


「あなたは、

  いつもそうだ」


「現実を見ない」


 視線が、ミラに移る。


「では」


「ミラ・エルレーンさん」


 名前を呼ばれ、

 ミラの肩が跳ねる。


「あなたは、

  南方グラディス戦線に

    配属されます」


 言葉が、落ちる。


「……え?」


「瘴気が濃く、

  補給も細い」


「持久戦です」


「生きて帰れるかは、

  運次第」


 男は、淡々と言う。


「そんな……」


 ミラは、首を振る。


「私、

  そんな命令……」


「命令ではありません」


 男は、書類を一枚出す。


「志願です」


 古い署名。

 ミラの字。


「……これ」


「あなたが昔、

  “誰かが犠牲になるなら

   私が行きます”

  と書いた文書です」


「転写しました」


 ミラの顔から、血の気が引く。


「それは……

  戦争の最中で……」


「ええ」


 男は、楽しそうに言う。


「若い頃の、

  感情的な文章」


「でもね」


 声が、ねっとりと低くなる。


「こういう言葉ほど、

  よく使える」


「あなたは、

  優しい」


「だから、

  拒めない」


 ミラの呼吸が、乱れる。


「……私が……

  悪いんですか」


「悪い?」


 男は、首を傾げる。


「いいえ」


「“正しい”」


「英雄って、

  そういうものですよね」


「自分を差し出して、

  皆を安心させる」


 吐き気がするほど、

 軽い口調だった。


「ねえ、ミラさん」


 覗き込む。


「あなたが行けば、

  街は守られる」


「あなたが死ねば、

  皆、納得する」


「きれいな話でしょう?」


 セレナの拳が、震える。


「……黙れ」


「現実です」


 男は即答した。


「理想論ばかり言って、

  現実を引き延ばす人が

  一番、人を殺す」


 次の書類が、置かれる。


 赤い蝋。

 王家の印。


「正式な許諾です。

  逆らえば、王家への反逆になります」


「ただし」


 男は、ゆっくり言う。


「条件があります」


「レオン・グラハム。

  セレナ・ヴァレンティス」


「第八部隊を再編し、

  二人が前線へ戻るなら」


「ミラ・エルレーンの件は、

  白紙にします」


 時間が、止まった。


 ミラの視界が、歪む。


「……だめ……」


 声が、出ない。


 セレナが、立ち上がる。


 笑おうとして、

 口角が引きつる。


「……分かりました」


「セレナ……!」


「大丈夫」


 声が、震えている。


「また戦うだけ」


「今まで通り、

  完全制圧する」


 ミラを見る。


「泣かないで」


「……すぐ、

  戻るから」


 レオンは、黙っていた。


 書類を見つめたまま、

 沈黙している。


 王家命令だ。


(ここに来なければ、

  ミラは巻き込まれなかった)


(選んだ場所が、

  人を壊す)


 初めて、

 本気でそう思った。


 守れない。


 「……分かりました。

   僕も、同行します」


 外へ向かう二人の背中が、

 重く、遠く見える。


「では」


 男が、満足そうに言う。


「こちらのミラの書類は、

  白紙で結構です」


 その瞬間。


 レオンの中で、

 小さな違和感が、形になる。


 王家命令。


 正式な王家命令には、

 必ず守られる規則がある。


 ゆっくりと、レオンが立ち上がった。


「――簡単な話をしましょう」


 男が、眉をひそめる。


「まだ理想論ですか?」


「いいえ」


 レオンは、静かに続ける。


「まず、

  この志願書」


 一枚、指で押さえる。


「これは、

  転写です」


「本人確認が、

  一切、行われていない」


「次に」


 別の書類。


「この意思表明書」


「原本が、存在しません」


「つまり」


 淡々と。


「あなたは、

  都合のいい文章を

  切り貼りした」


「……それでも、王家印がある限り有効だ」


「では」


 レオンは、次へ進む。


「この条件文」


「“二人が戻れば白紙”」


「命令ではなく、

  取引です」


「王家命令は、

  取引をしません」


 男の喉が、鳴る。


「最後に」


 王家印を見る。


「この蝋には、

  王家の魔力が

  込められているはずです」


 一拍。


「中身を、

  確かめてもよろしいですか」


「ひとつ、前置きします」


「王家を騙る罪は、

  極めて重い」


 管理局員を、まっすぐ見る。


「偽物だった場合」


 一拍。


「南方グラディス戦線に

  行くのは」


「あなたですか?」


「それとも」


「牢屋を、

  選びますか?」


 男は、無言で蝋を握りつぶした。


 足で踏み、

 消す。


「……何のことですか」


「今日は、

  急用ができました」


 背を向け、

 去っていく。


 扉が閉まる。


 次の瞬間。


 セレナが、崩れ落ちた。


「……こわかった……」


 ミラが、抱きつく。


「……よかった……

  本当に……」


 レオンは、二人を見て、言った。


「二人を傷つける管理局を」


 一拍。


「僕は、

  許さない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ