第10話 家を建てよう
家を建てよう。
そう決めたのは、とても自然な流れだった。
剣を置くと決めて。
パン屋をやると口にして。
この村で生きると考えたら、居場所が必要だった。
ヴァルド村を歩きながら、ミラは何度も立ち止まった。
どこに建てようか。
どこなら、この村の一部になれるだろうか。
「家を建てたいんですけど……」
声をかけたのは、村の建築をまとめている年配の男性だった。
日に焼けた顔で、目尻に深い皺がある。
「おや、いいねえ」
にっと笑って、図面の束を抱え直す。
「この村は誰でも歓迎だよ。知り合いがいるなら、その近くがいいんじゃないかい?」
「知り合い……」
ミラの頭に浮かんだのは、あの二人だった。
「診療所とは別に、家を建ててる方がいて……」
「ああ、丘の上の家か」
すぐに分かったらしい。
「あそこは静かでいい。風も抜けるし、夜は虫の声しか聞こえねえ」
少し間を置いて、じっとミラを見る。
「しかし……あんたがあの英雄様か」
「……英雄、ですか?」
「そうだろう。騎士団の」
おじさんは笑った。
「こんなに小さくて、かわいらしいのによくやってきたなあ」
悪意はない。
むしろ、感心した声音だった。
ミラは曖昧に笑った。
身長は低く、肩幅も狭い。
黒髪の前下がりのボブは、戦場でもずっとそのままだった。
幼い頃の面影が残った顔立ちで、村の人に年齢を告げると、たいてい驚かれる。
22歳。
十分に大人のはずなのに。
自分でも分かっている。
男性から好かれる顔をしている、と。
そのせいで、訓練兵の頃から何度も声をかけられた。
騎士団の頃も数えきれないほど管理局の人間や、同じ騎士たちからも告白された。
けれど、そのたび、すぐに断った。
理由は、うまく説明できなかった。
ただ、頭に浮かぶのはいつも同じ人だった。
静かな声。
安心する背中。
レオンのことが浮かんでいた。
「……ここにします」
ミラは、丘の下の空き地を指した。
レオンとセレナの家が見える場所。
少し距離はあるけれど、目に入る位置。
「いい場所だ」
おじさんは頷いた。
「じゃあ、家だな。パン屋は別にするんだろ?」
「はい」
「それなら店は、食料品店の並びがいい」
別の男性が会話に入ってくる。
剣士崩れらしい、がっしりした体つきのおじさんだった。
「パン屋が来てくれるのは本当にありがたいんだ」
「そんなに……?」
「この村じゃ、パンは贅沢品だ。街まで馬で二日以上かかる」
肩をすくめる。
「それが毎日食えるようになるなんてな」
ミラは胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
「家と店、両方お願いしていいですか」
「もちろんだ」
最初のおじさんが豪快に笑う。
「こんな大金もらったんだ。見合うだけの家とパン屋、ちゃんと建ててやる」
パン屋の設計については、ほとんど任せた。
ただ一つだけ。
「キッチンだけは、大きくしてください」
それだけは譲れなかった。
初めての浪費だった。
でも、夢に向かう投資だと思えた。
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工事が始まるまでの間に、やることは山ほどあった。
王都の家を売った。
兵を辞める申請も出した。
「正気か?」
「今さら?」
何度も止められた。
怒鳴られもした。
それでも、振り払った。
もう決めていた。
新しく守るものが、できたから。
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ある日、建築現場を離れて歩いていると、急に視界が滲んだ。
「あ……」
立ち止まる。
ぽつり、と。
頬に落ちるものがあった。
「……なんで」
涙だった。
疲れていたからだろうか。
ずっと、張りつめていたからだろうか。
それとも。
夢に向かって歩いている自分が、嬉しかったからだろうか。
理由は分からなかった。
ただ、心は驚くほど軽かった。
楽しい。
嬉しい。
「……幸せ、かも」
孤児院を出てから、初めてそう思えた。
涙は止まらなかったけれど、嫌じゃなかった。
ミラは袖で目元を拭いて、空を見上げた。
この村で生きる。
パンを焼く。
人を笑わせる。
それも、守ることなのだと。
今は、そう思えていた。




