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短編

黒い器

作者: 綴 詠士

 黒い器があった。なぜかそこに。


「なんだこれ?」


 俺が白いソファに寝そべっていると、目の前のガラステーブルの上に黒い器があった。

 黒色で、皿というよりはもっと深く、りんごとかがちょうど収まりそうな深さだった。


 見た目は何の変哲もない器だ。

 どこの家にあってもおかしくないような器。俺の屋敷にも他に似たような器はいくつもある。


 だけど俺はこの黒い器のことを全く知らなかった。

 間違いなくこの家の器じゃない。


 だがこの器が見れば見るほど気になってくる存在感を放っているのも確かだ。

 漆黒の器。

 もっと自分を見てくれと呼んでいる気配もする。……それは流石に言いすぎだが。


 悩んでいるとメイドのセラが部屋に入ってきた。白く腰まで伸びた髪。目じりが上がり常に睨んでいるような黒い目。淡々とした印象を受ける顔で、整っているが冷たさを感じさせた。

 青いリボンが胸についたメイド服を着ている。足が長く、すらりとして、俺から見てもスタイルがいい。背筋はピンと伸びている。

 完成された容姿だが、中身は汚物だ。


「なあ」


 俺は偶々部屋に入ってきた未完成メイドに聞く。

 セラは無表情で俺を見た。なんなら嫌そうな顔もしてきた。生意気な。


「この器に見覚えはあるか?」


「何を言っておられるのですか。ルイ様が買われたのでしょう?」


 呆れた表情をしたかと思えば馬鹿にしたような声で言われる。

 このメイド、俺を舐めている。……いつものことだが。


 父に告げ口してクビにしてもらいたくなる衝動を抑える。

 落ち着けよ俺、このくらいの軽口に反応していたら血管がどれだけ切れるか分かったもんじゃない。

 今重要なのは何か考えろ。メイドが生意気すぎ問題じゃない。黒い器問題だ。そうだろ?


「俺が?」


「そうですよ。転んで頭がパアになりましたか? 街を歩いていたら、急に食器屋に入りたいとかいいだしたじゃないですか。それで買ったのに」


「???」


 思わず身体を起こすと、ソファに座り込む。

 腕を組んでじーっと考えて、思い出そうとするが、全然思い出せない。

 セラの酷い悪口は無視しておく、俺は常に冷静なのが強みの男。


「……そんなに気になるのであれば、あの食器屋に行って聞いてこればいいじゃないですか。ルイ様の無知を晒すいい機会です」


「うるさいなぁお前! ……えほん! 分かったよ。聞いてくるから、お前も来い!」


「私は雑務に追われていますので」


 すました顔でセラが言う。


「お前がいつも家事をさっさと終わらせて、暇そうにしてるのは知ってるんだよ! ぐだぐだ言わずに早くいくぞ!」


「はあ、メイド使いが荒いですね。当主様に給金を上げてもらわなければ」


 ぐちぐち言うセラを連れて、俺は屋敷を出た。


 ***


 街の中。


 ***


「……遅い。時間の貴重さを分かってませんねルイ様は。こんな時間があれば屋敷で紅茶を飲んでクッキーを食べながら本を読みまくれたのに」


 ぶつぶつ言ってみるが、独り言はいくら言ってもつまらない。


 今私は食器屋の前にいた。かれこれ30分もだ。

 ルイ様が食器屋に入ったきり戻ってこない。


『俺が入る。お前は待ってろ』


 食器屋の前に来たとたんこれだ。メイドを何だと思ってるのか。

 この間の黒い器を買ったときと一緒。ルイ様は私を置きざりにし、食器屋に入っていった。


 どうせルイ様のことです。今度は黒い器だけじゃなく、他の食器まで買おうとしてるんでしょう、なんて無駄遣いな。

 くだらない物を買うのなら、ティーカップでも買ってこればいいのに、そしたら私が優雅にお茶を楽しめるのに。分かってないですねルイ様の鳥頭。


「遅い」


 どれだけ時間をかけるつもりでしょう。一回あの頭を壁に打ち付けて、お釈迦にしてしまった方がルイ様の為かもしれません。私を待たせすぎでは?


 目の前の食器屋を見ます。

 赤いレンガでできた建物。この通りに建つ建物たちと一緒で、これといった特徴もありません。凡庸凡庸。

 食器屋の窓ガラスは煤けていて中を覗くことは不可能でした。食器屋の癖に食器を見せないのは失敗してませんか?と思いますが、それはどうでもいいですね。


 こんな店の何がいいのでしょうか、ルイ様はセンスがない。もしかしたら教育がもっと必要じゃないでしょうか。ルイ様の家庭教師にもっと宿題を増やしてもらえないか交渉しましょう。そうすればセンスが良くなるはず。よしそうしよう。

 

 色々と考えた末、ルイ様を待ちきれず、私は中に入ることにします。

 というか普通に寒い。こんな冬に店の前で女を待たせる男がどこにいる。

 いや、ルイ様はそういう男だったそうだった。女の気持ちなど何も知らないお坊ちゃまでしたね。ガキめ。


 急いで扉のノブに手を掛けます。鉄のノブは氷の冷たさでした。なんで手袋を着けてこなかったんでしょう私の馬鹿、いや私が屋敷を出るのを急かしたルイ様の馬鹿。

 冷たいノブの感覚に一瞬身体が跳ねるのを感じながらも、そそくさと中に入ります。


「おや?」

 

 室内の物の配置は食器屋でしたが、実際の食器は奇妙でした。

 奥には木のカウンター。壁沿いに食器棚が並べられ、黒色の様々な食器が中に陳列されています。

 背の低い棚が中央に並べられ、そこには大きめの黒い皿が並んでいました。

 形は変わっていてもどれも黒一色。まるで元は素晴らしい食器達の色を抜いてしまったかのよう。

 

 それだけでも異様なのですが、木のカウンターの奥には店主の男が座っていました。

 大きな頭に細長いアンバランスな体。クリーム色の使い古したスーツを着て、小さな眼鏡をかけています。

 店主は遠くから私を値踏みしているようです。

 

 気持ち悪い食器屋ですね。

 早く出たいのですが肝心のルイ様はいずこに。


 入口から店内を一望することは可能ですが。どこにもルイ様がおりません。つまりトイレにでも入っているのでしょうか下痢ですね? 嘘です。

 とにかくこんな食器屋に客の入るトイレなどないのだから、奥の部屋にでもいったのでしょうか。

 

 普通、どう考えても店の奥にある部屋にただの客が行くことはあり得ないのですが、あのルイ様の様子だとありえない話ではない気がします。

 今日のルイ様は少しボケているようですから。

 普段はもう少し記憶力がおありで、頼みごとを一つくらいはちゃんと覚えてくれる、素晴らしいとても最高の記憶力をお持ちです。

 ですので自分で買ってきた黒い器を忘れるというのさすがに普通じゃないのです。


 知的な私はそう考えると、嫌々ながらも奥に進み、カウンターの前に行きました。

 当然のことならが店主が声をかけてきます。声が高く、耳障りです。

 聞かざるを得ないので話を聞きますが、早くその口を閉じてほしいですね。


「いらっしゃいませ。どうされましたか?」


 店主が非常に丁寧な様子で声をかけてきましたが、その目が全く笑っていません。

 単刀直入に行きましょう。この店主に気を遣う意味はありませんし。


「さっきここに男性が来ませんでしたか?」


「はて、誰も来ておりませんよ? この店内を御覧になればわかるでしょう。私たち以外誰もおりませんでしょう?」


「……」


 そんなわけありますかこのボケ。さっきルイ様が来たのに、見えなかったのですか? その眼鏡のピントあってますかあってませんよね?


「奥、見せてもらってもよろしいでしょうか」


「いえいえ、何をおっしゃられますか、この奥は私の家になりますから、お客様にはご遠慮願いたいですね」


 皿を投げつけてやろうかと思いましたが、どうにかその気持ちを抑えました。私でよかったですね。

 

 どうしたものやら。ここで無理やり入ろうものなら、警察を呼ばれかねません。

 この店主が何か知っているはずですが、もしルイ様がいなかったら私が捕まるだけで終わりですし、それはまずい。


 腕を組み、人差し指で腕をトントン叩いていると、足元に見覚えのある赤いハンカチがありました。

 

 これはルイ様のものです。間違いない、ルイ様はいつもこのハンカチを使っていて、昨日もこのハンカチで私の涙を拭いてくれました。

 ただの玉ねぎを切った時の涙を泣いていると勘違いするとかいう、人の心がなにも分かってないのでは疑惑を感じながら作った玉ねぎのフライは美味しかったです。


 私は素早く赤いハンカチを拾い上げ、店主に見せつけました。

 

「これ、ルイ様のですよね」


 そう言うと店主は首を振りました。嘘つきめ。堂々と、わざとらしく首を振るその姿が滑稽でした。


「ルイ様というのが誰かはご存じ上げませんが、それは私のものですよ。拾ってくれてありがとうございます」


 そう言って店主が手を伸ばしてくるが、お前の手に取らせるものか。 

 私はハンカチを店主の顔に投げつけます。


「うおっと! 何するのですか! あ、眼鏡が!」


 店主のメガネがずり落ち、慌てて店主が眼鏡を拾おうとします。私はカウンターを飛び越えると、店主を蹴りとばし、右足で眼鏡を踏みつぶしました。

 ぐしゃりと眼鏡は潰れ、粉々にレンズが割れました。私のおかげで新しい眼鏡を買えますね、感謝してください?


「何をするんですか!!」

 

 顔を抑え、怒って叫ぶ店主を無視します。

 やってやった快感を感じながら、走って奥の扉に駆け寄り、扉を開きました。

 

 すると奥は廊下になっていました。

 私はそのまま廊下を突き進み、廊下に面した部屋の扉を手当たり次第に開けていきます。


 そしてようやく中にルイ様がいました。


 ルイ様は椅子に座っていました。暢気な。黒い皿を抱え、目の前の机にはグラス、花瓶、小皿、大皿なんでも揃っています。

 問題はどれも黒い色をした器だったことです。


「ルイ様!」


 私が叫ぶと、ルイ様がこちらを見ました。

 けれど少し目の焦点があってない気がします。気分でも悪いのでしょうか、今は私の方が気分悪いのですが、この店のせいで。


「……その大量の食器は何なんですか?」


 私は聞いてみます。その食器の山が異様だったからです。


「これか? こいつらを買おうと思ってるんだ。いい食器達だろう。店主が俺にぴったりだっていうんだ。確かに俺もこいつらしかいないって思ったよ。こいつらも俺に買ってほしいってさっきからうるさくてさ。買うよ買うよってずっと言ってるのに、買え買えってまだ言ってくるんだよ。店主を呼んできてくれないか? こいつらを買うよ」


「はあ? 狂いましたかついに?」


 おっといけない。思わず険のある物言いをしてしまった。控えなければ私は優しい謙虚天才。


「何を言うんだ俺はこいつを買うんだ」


 ルイ様は怒りながら言います。

 だけどその焦点の合わない目、この大量の黒い食器の山、その上皿たちが話しかけてくるみたいなことを言うなんて頭がおかしいとしか言えません。

 これは笑えませんね。

 

「いいかセラ。お前は俺のメイドなんだからこいつらを持ってくれ、そして屋敷に持って帰るんだよ。少しは口だけじゃなくて身体をだな……」


 ぐちぐちぐちぐち。うるさいですね。


 思わず頭をひっぱたいてしまいました。

 思いっきり全力で爪を立ててガリっとひっぱたきます。快感。


「いっっつうう!!」


 ルイ様が頭を押さえて倒れこみました。

 少し血がでているようですがこれは不可抗力ですね。


 そしてルイ様が少ししてようやく落ち着いたようです。


「痛い痛い。……というかここはどこだ? 俺は何をしてたんだ?」


 ルイ様が周囲を見ながらそんなことを言います。さんざん迷惑をかけておいて記憶喪失で逃げるつもりですかと思いましたが、口には出しません。

 ここがやばい場所なのは分かったのでとにかく連れ出さないといけなかったからです。

 

 私はルイ様の手を取り、走り出します。

 今回ルイ様は空気を読んでくれておとなしくついてきてくれました。


 そして店の方に行くと、当然店主がいます。眼鏡が無いせいで、まともに見えないようです。


「待つのです……」


「待つわけありませんね」


 私は店主を無視して、ルイ様を連れて店を出ました。

 そしてそのまま屋敷にまで帰っていったのですめでたしめでたし。

 

 屋敷に戻るとまず、ルイ様の買ってきた黒い器を割ります。

 ルイ様が驚いていましたがそれは気にせず粉々にして捨てました。


 そして後日あの店に行ってみると、あの店はもう無くなっていました。

 食器屋だったはずが、そこにあったのは小さなホテルです。


 あの食器屋はどこにもなくなってしまいました。

 私は違和感を感じながらも、これ以上は考えませんでした。


 ***


 後日。


 さあ今日はルイ様に何をしてもらいましょうか、最近は宿題も多いとか嘆いておられましたが今日はどうか。

 暇そうだったらついでに家事もやってもらいましょう、そうすれば私の時間も増えて良い感じですね。

 などと考えてルイ様の部屋に入ったら、ソファに座り込み、目の前のガラステーブルに乗った白い器をじっと見つめるルイ様。

 

 ……嫌な予感がします。

 

「ルイ様……。どうなされました」


「ああ、いやちょっとな。この白い器、前から屋敷にあったっけと思って」

 

「……」

 

「ああ! おい! やめろ! なんで器を割るんだお前馬鹿か! 痛い痛い頭を叩くな! やめろおおおお!!!!」


 ***

 

 ちなみに、屋敷のメイドの給金が上がったという噂が流れたが、それは別の話。






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