問う
【『テッラ教会』とは、星の安寧と人々の願いを祈る場所である。
この協会が建てられたのは、ラピステラ大陸に災厄が現れてから少し経った時。
災厄から人々を救いたいと願った一人の青年が、他の者達と力を合わせて建てたのが始まり。
今日に至るまで災厄は人々に恐怖と絶望を植え続けている。
配下の『厄者』を動かして。
『魔獣』を使って死を運び。
平和な時間を壊しゆく。
しかし、希望を失うな。
『自分』を信じ、『なりたい姿』を心に浮かべ、『勇気』を出す。
その気持ちを忘れなければ、災厄に打ち勝つことが出来ると。
俺は、そう信じている。
著者:アンビティオ・ウィンクルム】
「勇気を、出す」
教会に備え付けられている、古びた書物の一つ。それを椅子に座り読んでいたアリスは、ある一文に目を惹かれ呟き、黒く記されたその文字を指でなぞる。
あの後、サイト達はフードで顔を隠して教会に訪れていた。
訪れた際、信奉者の何人かが訝しげにサイト達を見てきたが、神父のお爺さんが人の好い笑顔で二人を案内した為に、突っかかられたりはしなかった。
今は神父に許可を得て、サイト達は本を読ませてもらっている。
ちなみに、ハヤテはどうしているのかというと。
『すまないが、少し眠らせてもらう』
と言って、サイトの中で眠っている。
そんなこんなありつつもサイトは神父とすぐに打ち解け、色々と話をしているようで。
「神父さん、この花の名前知ってるかな? この本、所々かすれて読めない文があって……」
「どれどれ? あぁ、この花は『ノビリスフロース』ですね。昔は、近くにある山の高い所に生えていたそうですよ。もし採りたいと思うなら、今はヒノモトにある似た花しかないでしょうねぇ」
「そうなんだ! 神父さん、ありがとう」
今は花について質問している。
アリスはそんな彼らを、どことなくほんわかした様子で眺めていた。
そんな彼女の視線に気が付いたのか、サイトが話しかける。
「アリス、どうかした?」
声をかけられると思っていなかったのか、アリスは驚き体を跳ねさせた。
サイトは目をパチパチと瞬かせながらも、謝罪を口にする。
「ご、ごめん。驚かせちゃった?」
「うぅん私もごめん! ……こんな事で驚いてちゃ駄目だよね」
そんな二人の様子を見ていた神父は得心がいったかのような顔をすると。
二人に、静かに口を開いた。
「少し質問を。お二人には、なりたい『自分』というものはありますか?」
言われた内容は、曖昧で掴みどころの無いモノ。
しかし、その内容を素直に考え込むサイトとアリス。
少しの間が空いた後、先に口を開いたのはサイトで。
自信無く、彼は答えていく。
「強いてあげるなら、『誰かの為に頑張れる自分』ですね」
「ほう、成る程。そう思ったのは、どうしてです?」
「……僕自身として行動しているのなら、それが一番の解答になると思ったから」
蒲公英の様に鮮やかな黄色の瞳は、揺れ動く。
その様子を、神父はジッと見つめた後。
今度はアリスに目を向けていく。
すると、アリスは恐る恐ると言った調子で声を出していった。
「……ない、です。私には、なりたいと思える自分がありません」
サイトはアリスの発言に、彼女から聞いた事を思い返して思わず俯く。
しかし、神父はそんなアリスの言葉へ驚くこともせずに、彼女へと優しく質問を重ねる。
「どうしてそのように考えついたのか、理由を聞いても?」
「えっと、私は臆病だし、戦えないし、誰かの役に立てないから。そんな私じゃ、なりたい『自分』を堂々と語れる立場じゃないって思ったから、です」
質問に思ったことを返していくアリスは、次第に自信が無くなっていったのかどんどんと声が小さくなる。
やがて、彼女も俯いてしまった。
そんな彼らを見た神父は。
にこやかな笑みを向けたまま、二人に向けてある事を語りだした。
「お二人は今、探究者といったところですかね。自分を探し続ける茨の道を進む者。ならば、他の方々よりも一層辛くなることがたくさんあるでしょう。様々な出来事を通し、様々な人々と関わって。何よりは、自分自身と向き合い続けて」
語りだした言葉に、二人は耳を傾ける。
「なりたい自分に即答出来る者はほとんどいません。それは、大人でも。だからこそ、必死になって探すのです。ヒトは答えを識りたがるから。そして答えを識ったうえで、それを活かして前を向いて進むのですよ。……などと、長々と講釈を垂れてしまいましたが」
優し気な目を携えた神父は、その目を片方だけ閉じる動作をしたかと思えば。
「お二人なら、大切な『自分』を必ず見つけられると私は思っているんですよ。物凄く自信たっぷりの勘、ではありますがね」
真面目な雰囲気を持つ神父が放つ、突然の茶目っ気たっぷりの行動に面食らうサイトとアリス。
しかしすぐさま気を取り直したサイトが思わず口を出してしまう。
「勘、なんですね」
少し呆れ返った調子のサイトと、それに同意するようになんとも言えない表情を見せるアリス。
そんな二人に神父は小さく笑いながらも言葉を返していった。
「私の勘はよく当たると昔から好評なんですよ?」
「そこまで言われちゃうと、胡散臭さが勝っちゃうかも」
「おやおや、これは手厳しい」
アリスの鋭い指摘にも、やんわりと返していく神父。
そうした和やかな時間は、突然に遮られる事となる。
教会の玄関扉から音が聞こえると、皆がそこに注目し少しざわめきが起こったのだ。
何事かと、サイト達も玄関を確認する。
「おや、彼は」
神父が言葉を零したその人物は。
身長が二メートルを有に越しているのではないか、と思うぐらいの巨体を持った赤毛を持つ狼の獣族の男性であり。
誰かを探しているのか、教会内をキョロキョロと見回している。
そんな狼を見たサイトはフードの中で耳をピクリと反応させた。
アリスはそんなサイトの変化に気が付いたのか、声をかける。
「サイト、どうしたの?」
「あの人がこっちに来る」
「えっ?」
サイトの言葉通り、狼獣人はノシノシと歩きだすと一直線に彼らへと向かってきていた。
アリスはその巨体に小さく悲鳴をあげ、サイトへ隠れるようにして背中にしがみつく。
緊張が辺りに伝わっていき、自然とひりついた感覚がサイトの体を襲う。
そして、とうとう狼獣人が目の前に。
サイトは近付いてきた狼獣人の顔を見上げ、ある事に気付く。
顔に自身と同じ様な赤痣がついている、と。
位置はサイトと違い左目の周りではあるが。
そんな彼をジッと見つめていた狼獣人は、ゆっくりと口を開いた。
「驚かせてしまって申し訳ない。俺の名はイニティウム。このアストラにあるギルド『不滅の物語』のギルド長を務めさせてもらっている者だ」
強面な顔から出てくる、低音で耳に響く様な声。
しかしそんな声に反して、丁寧な挨拶とお辞儀をする狼に対し、サイトとアリスは目を丸くさせた。
リアクションに気付いたイニティウムは、頬をポリポリとかきながら二人に再度声をかける。
「意外だろう? 初対面の奴からは大体そのような反応をされるからな。慣れてくれると助かる」
「あ、はい。分かり、ました」
サイトは気を取り直して返事を返すが、アリスは情報を処理するのに精一杯なのか黙りこくっている。
彼らがある程度落ち着いたところで、イニティウムは改めてここに来た理由を説明していく。
「俺がここに来たのは、近くの路地裏を滅茶苦茶にした奴に事の経緯を訊ねたくてな。その現場に落ちていた獣毛を匂ってたら、ここに辿り着いたんだ。つまるところ……少年。君に色々と話を聞きたい」
彼の真剣な問いに、サイトは驚きを見せた後。
少しして、イニティウムに謝罪を口にした。
「路地裏の件は、ごめんなさい。けど、仕方なかったんです。彼女が襲われようとしてたから」
「彼女とは、君の隣の子か? ……ここでは落ち着いて話せないな。よし、とりあえず俺に着いてきてくれ。続きはそこで話していこう。隣の君も、それでいいか?」
「ひゃ、ひゃい! 問題ないです!」
そうして、三人は移動することに。サイトとアリスが先に教会を出た後、今の今まで黙って話を聞いていた神父がイニティウムに問いかける。
「ティム坊、彼らをどう思った?」
その問いに、イニティウムは浮かない表情で返す。
「どちらも、未熟な感じだ。少女の方は言わずもがな。少年の方はというと……チグハグというか、空洞というか。在り方が定まっていないという感覚がしたな」
それを聞いた神父はふっと微笑むと。
イニティウムに近づき、毛を少しまさぐった後に頬をむにぃと引っ掴んで伸ばし始める。
突然の事にイニティウムは驚いて神父へ抗議の声をあげた。
「いひゃひゃひゃ!? やみぇ、はにゃへ!」
「まったく君はネガティブに考えすぎです。スマイルが一番ですよー」
「きひへにぇ!?」
そうして伸ばした頬を神父は放す。解放された頬を擦るイニティウムに神父は告げる。
「彼らはまだ、探している最中ですからね。未熟なのは、悪い事ではありません」
「いっつつ……それは分かってるよ、アル爺。んじゃ、行ってくる」
「はっはっはっ。行ってらっしゃい」
ふてくされながら教会を出るイニティウムへそう言った後、神父は信奉者にぺこりと謝罪していく。
そしてふと、神父はサイト達が座っていた所に置かれたままとなった本を二冊手に取ると、その内の一つに目を向ける。
それは、アリスが読んでいた本。
神父は中身を捲っていく。
愛おしそうな視線を向けながら。
「彼女はこの本を読んで……ふむ、なるほど」
本を撫でる神父。その顔は幼子を見つめるかのように、慈悲が込められていた。
そして、そんな神父が気にかけているのはもう一人。
もう一冊、様々な種類の花が閲覧できる本を読んでいた少年に対して。
「あの子からは、何やら不思議な縁を感じましたねぇ。温かな感覚が心を包む……どうしてでしょうか?」
本当に不思議だと、彼は一人呟いた。