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フォーチュン・ライト  作者: おじさま
第一章 叫び猛れ、獅子の咆哮 〜心実の想い〜
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第二十五話 晴れ渡る視界、そして心には暗雲を

『■■■。今回の一件でのお前は、とても酷いものであったな』


 深層。

 自身の心の中、その最奥に位置する真っ白な空間で聴こえた声の主は、鷹の姿を模した真っ黒な存在で。

 

 コレは、ハヤテではない。

  

 では、一体どんな存在なのか。

 それは、兎の少年(サイトと名乗る者)が自身を戒める為に生み出した象徴的なモノ。

 自らを律し、甘やかさない為に。

 その鷹を模した存在は、身体をだらりと浮かせて目を閉じる兎の少年へと言葉をかけ続ける。


『敵の精神に対する攻撃は、確かに強力だった。並大抵の力ではどうしようもない。だが、お前の持つ覚醒石(デザイアギット)は違うだろう? 何だあの無様な立ち振る舞いは。我を忘れてただ闇雲に動くのみ……とても、その覚醒石に相応しい存在だとは言い難いな』

「……あの時は、ただ。サーペンさんを傷つけちゃいけないと思ってたんだ。だから、手を抜いてしまった」


 兎の少年は薄らと目を開けながら、そう返答する。

 その声には、どこか不服そうな色が滲んでおり、多少の怒りさえ含まれている。

 そんな不満気な兎の少年に、鷹を模した存在は大きな溜め息を長く吐き出すと、その鋭く光る赤い瞳で睨みつけた。 


『お前が無様な立ち振る舞いをしていたのは、そんな理由などではない。貴様、この期に及んでまだ心に言い訳を重ねるつもりか? 気付いている癖に、いつまで逃げようとしているんだ?』


 重く、鋭く、身体を貫くように。

 その言葉は兎の少年に突き刺さる。

 胸が焼けそうな程に熱くなりながら、彼は半ば自暴自棄に怒号を返す。 

 

「っ、分かっ……てるさ。あぁ、分かってる! 俺が本当の意味で、この覚醒石の能力を扱えてない事ぐらい! ちゃんと扱えていれば、もっと皆が苦しむ事もなく倒せた筈だって! だけど……!」


 彼はそこで区切り、黙った。

 どれ程怒鳴り喚いたところで、自身の至らなさのせいで出た犠牲が元に戻る事はない。

 それを理解しているからこそ、何も言えずに黙っていく。

 そんな彼の姿を、遠巻きに眺める者が一人。


「…………」


 兎の少年に悟られないように、気配を消して様子を見るその人物は、深く濃い橙色の瞳で彼を見つめる。

 その表情には翳りが見られるが、それでも兎の少年から目を逸らすことなく、しっかりと視続けていた。


 そして――――。



 ――――――――――――――――――――――――――――

 


 ――――鳥のさえずりが、耳へと聴こえてくる。

   

「……っ、ひか、り?」 

 

 窓から射し込む陽光は部屋を照らし、サイトの顔へと降りかかる。

 掠れた小声をあげながら、彼は目を覚ました。

 どこかの個室のベッドに寝かされているのに気がついた彼は、目を動かして辺りを見回す。

 その過程で、自身の上半身には服が纏われておらず、包帯が代わりにグルグルと巻かれ、所々から毛がはみ出ているのを確認する。

 そして横を見ると、見覚えのある蒼の毛並みを持った狼の獣族がそこにいて。

 うつらうつらと首を上下に揺らしている彼は、椅子に座って夢の中を漕いでいる。

 そんな彼は少しすると、薄っすらと瞼を起こして目を開けた。


「……あっ」

 

 サイトと目が合う。

 ぱちくりと瞬きをして驚いた彼は、耳をピクリと動かすと。

 次いで安堵したように大きく息を吐きだして、サイトへと言葉をかけていく。


「目が覚めたんだな。どうだ、体の調子は?」


 気さくに手を挙げながら、軽い調子で話しかける彼の身体にも、所々に包帯が巻かれている。

 その状態を気にするサイトであったが、一先ずソウジに聞かれた事に対して返答をした。


「何とか、大丈夫そう。無理して動かさなきゃ、なんとかなる」

「そうか! ……お前やレオンが洞窟で倒れてたのを見た時はヒヤヒヤしたが、何とかなって本当に良かったぜ」

「っ、そうだレオン! それに、サーペンさんにランスさん、アゲハさんは!?」


 サイトは身体を起こそうと勢いよく上体を起こすが、それが引き金となり全身に痛みが走る。

 悶えるサイトを嗜めながら、ソウジは順にこの三日間で起こった出来事を説明していった。


 まず、村全体を覆っていた霧は嘘のように晴れ渡り、景観の良い状態となったそうだ。

 村人達も徐々にその体調を整えて、村を活気づけようと頑張っている。

 他の地域からも、人々が来るようになり、以前のように盛んな交流が行われるようになっているそうな。


結界石(ゲニウス)の調整も一通り終わって、魔獣も入ってこなくなったんだと。だからまぁ、一先ずは安心していいってよ」


 次に、レオン達の状態について。

 アゲハは比較的軽症。

 ランスやサーペンは重症ではあるが、意識はあり命に別状もなく現在は安静にしている。

 サーペンに関しては別の特別な場所で、警備の者に監視されながら過ごしているそうだ。

 

 しかし、レオンは今も尚、意識が戻っていない。

 

 この三日間、栄養を点滴で補いながら治療を施しているのだという。

 アンチによりもたらされた呪いは、やはり悍ましくしつこいものであるのだとマナは言っていたそうで。

 回復の目処は何とか立っていて、後は本人の生命力次第であると結論が出ている。


 そこから最後に、ソウジは顎を指で擦りながら、ある事についてを話そうとする。


「んで、後伝えとくことは……アヴァルからある団体が来てる。『聖ドゥケレ騎士団』って、聞いた事あるか?」


 その名を聞いて、サイトの耳がピクリと動く。

 

『聖ドゥケレ騎士団』


 都市国家アヴァルを中心に活動する、災厄を滅し世界に平和を齎さんと奮闘する組織。

 世界中に拠点が存在し、その分情報網も多く存在している為に、犯罪を取り締まる件数も多い。

 世界にとっての代表的な公的機関、とも言えるその存在がボーデンに赴いているその目的。

 それに心当たりがあるサイトは、ソウジへと尋ねた。


「聞いたことあるけど……あのさ、ソウジ。聖ドゥケレ騎士団が来てる理由って、サーペンさんを『タルタロス』に送るためなんじゃないか?」


 罪を犯した大罪人を送る場所、それが『タルタロス』。

 そう認識するサイトは、サーペンが罪に問われて捕縛されるのではないかと危惧していた。

 そんな彼にソウジが何かを答えようとした、その時。


 ――――コンコンコン。


「すみません、定期検査の時間です。聖ドゥケレ騎士団『正義の唄ユースティティア・カントゥス』副団長、ホリィ・ベツレヘムなのですが、部屋へ入室しても構わないでしょうか?」


 凛とした、涼やかな女性らしきその声に、獣族である二人は耳をピルピルと左右に動かして反応する。

 少しの間の後、サイト自身が部屋へと入るように声を出して促すと、部屋の扉はノブを回して開かれた。


 入ってきた女性は、人族。

 薄く灰みがかった黄色の短い髪の毛は綺麗に切り揃えられている。

 その時点で真面目さが伺え、整えられた顔立ちの印象は華やかであり、白き柔肌は清らかさを与えていく。

 服装は騎士の鎧、その胸当てと膝当てにブーツが装備された軽装で、上質な生地で編まれた白に橙色の差し色が為された短めのドレスを着用したその姿は、実直な騎士そのものと言って差し支えない。


 そんな女性は、オパールと見紛う程に美しい瞳をサイトへと向けると、ホッと息を撫で下ろして近づいてきた。


「声が聴こえたのでもしやとは思ったのですが……意識が戻っていたんですね。安心しました」

「えぇっと、ホリィさんでいいんですよね? 定期検査って、どういう?」

「定期検査はその名の通り、定期的に患者さんの状態を確認させていただく事を指します。何か異常がないかとか、ですね。……ソウジさん、説明をしなかったんですか?」


 ホリィの疑問に、ソウジは頬をポリポリとかきながら目を逸らし、上擦った声色で返答した。


「いやぁ、なんっつーかなぁ? どうせ後で来るだろうし、今説明しなくてもいいと思っててぇ……うっし、俺、もう行くわ! じゃな、サイ――――」

「そういえばソウジさんも、まだ検査が終わってませんでしたよね? さっき他の方から聞きましたよー? 逃げてばっかりで中々状態を確認できないって。この際です、確認させていただきます」

「ヒッ! いや、俺はいい。いいって、大丈夫だから、もう元気だから! だから、そう近寄るなって、やめろ、やめっ、やめぇ――――」


 ア“ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!


 と、甲高い声をあげたソウジは、端のほうでメソメソと泣き言を呟きながら、座り込んでしまった。

 その後、サイトは滞りなくホリィの検査を受けていく。

 腕や脚、胸に聴診器を当てて心臓の動きを確認し、口の中を見たり瞳孔を確認したり。

 一通りを済ませた彼女は、最後の仕上げとばかりに手を前に突き出し、三角の形を作ってサイトへと向ける。

 そして、奏でるように。


「〜♪ 〜♪ 〜〜〜♪」


 唄いあげると、サイトへと不思議な感覚が与えられた。

 気分が良くなり、体の痛みも少しばかりスッキリする。

 驚いたサイトは、思わずホリィに尋ねた。


「ホリィさん、回復が出来るんだね!?」


 はしゃぐ幼子の様な彼の姿に、ホリィははにかみながらも優しく返答していく。


「そういった覚醒石の力を主体に持つ方と比べれば、まだまだですが。一応、定期検査を任せてもらえるほどの力は備えているつもりです。……その様子だと、良く効いているようですね。本当に、良かった」


 そんな和やかな空気に包まれた二人の間に、ソウジが戻ってくる。

 真剣な眼差しでホリィを見つめる彼は、とある質問をしていく。


「んで、ホリィさんよ。サーペンの処遇は、結局どうするつもりなんだ?」


 ――――静まり返る、空間。


 その話題が出ると、ホリィの纏う空気も一変する。

 一介の騎士としての彼女が、構成されていく。

 纏われるのは威圧感、それが彼らに向けられた状態。

 それに構わず、ソウジは話を投げかける。


「あんたらからしたら、アイツも大罪人になるんだろうが……アイツに与えられる処遇に異議を申し立ててる奴もいる。ソイツらの意見を無視してでも、タルタロスに連れていくつもりか?」


 ソウジも、その纏う空気が少し鋭くなっている。

 そんな圧の中、ホリィは。

 毅然とした態度で、口を開く。


「どれ程の異議があろうとも、罪は罪。軽くなる可能性が出るだけで、例外なく悪人となったものはタルタロスへと収監するのが、我々の使命の一つです」

「っ、ちょっと待ってよ! サーペンさんは操られてただけなんだ! タルタロスに行かなきゃならない人なんかじゃない!」

「……そうであっても、です。一時的にでも厄者に与した、という事実がある以上は仕方のないことですから。では、そういうことで」


 そう区切り、ホリィは椅子から立ち上がると部屋の扉まで歩いていく。

 そして部屋を出る、その直前。

 思い出したかのように、サイトへと一言。


「サイトさん。貴方の身体はもう大丈夫ですよ。あと一日安静にしていれば、出歩いても問題ないです」

 

 そう優しく言い残して、彼女は部屋から出ていった。

 扉の閉まる音と共に、部屋には重苦しい空気が漂う。

 整理しきれない気持ちの中、ソウジは頭の後ろをかきながらサイトへと謝罪する。


「わりぃ、変な空気にしちまった。起き抜けなのに、悪いな」

「いや、大丈夫だよ。そもそも僕の方から気にしてソウジに聞いたんだし。それに……ホリィさんは、悪い人じゃないと思うから」

「……んまぁ、それはそうだが。とにもかくにも、サイトはもう一日安静に、だな」


 その言葉にサイトは頷き返していくが、彼の心の内には多大なモヤモヤが渦巻いており、表情はあからさまに固い。

 そんなサイトを見かねて、ソウジはニカッと笑顔を作り出すと彼の背中をバシバシとわざとらしく叩いていく。

 突然の衝撃に、サイトの身体には当然ながら痛みが走る。


「痛い、痛いって!? 何するんだよソウジ!」

「せっかく解決はしてんだから、そうウジウジ悩むなって! 明るく明るく、な?」

「……何かわざとらしいな。でも、分かったよ。ちゃんと明るくなれるように、努力する」


 微笑んでそう返すサイトに、ソウジは満足気に頷くと、今度こそ部屋を後にした。

 廊下へと出て、歩いていく道すがら。

 彼はとある心配事を思い出していた。


『アンチを封じていた氷が、アンチごと何処かへと消えていた。けれどアンチの気配は影も形もない』


 マナから報告された、その件。

 ランスが簡易的な封印を施していたが、そんな封印を巻き込んでの消失。

 誰かが(おこな)ったとすれば、それは恐らく。


「……こんな事、抱えすぎるサイトにはまだ話せねぇよ」


 そう独りごちる彼の表情は、顰め面を作り険しくなる――――。


 ――――――――――――――――――――――――――――

  

 村人のメンタルケア。

 アンチによる攻撃に対してマナの行っていた対処、霧の効力を低下させる結界石(ゲニウス)によって幻覚は多少マシにはなっていた。

 とはいえ、平和な生活を営んでいた一般の人々にとって、マシになったというぐらいで心が安らぐ筈もない。

 自身の大切な人との関係……家族、恋人、恩師に値する人物と軋轢が生じてしまったのだから、それは仕方のない事であると、誰しもが思っている。


 だが、しかし。


「今回の一件は、サーペンが引き起こした様なもんだろう!? 何ですぐに殺さない! またいつこんな悍ましい事を起こされるかどうか、分からないんだぞ!」

「落ち着いてください。……先ほども申し上げた通り、サーペンは厄者に操られていただけです。彼自身は寧ろ、厄者の力を必要最小限に抑え込んでいました。ですので、責め立てるのは筋違いであると――――」

「結果として! 奴が厄者に力を貸していた形ではあるじゃないか! 勇者である君が何故、あんな奴を庇うんだ!」


 村人の男の怒号が、夕焼けの空の下で張られている簡易的なギルド相談所のテント内を響かせていく。

 そんな男の叫びを一身に浴びるライアは、心の中で大きな溜め息を溢しつつこめかみに手を添えて悩み抜いていた。


 罪を犯した者に対する認識は、確かに厳しくあるべきだ。

 それはライア自身も思うことである……が、時にその判断は人の感情を昂らせ誤らせていくものであるとも彼女は思う。


 だからこそ、間違わないようにすべきなのだ。


「ともかく、今の所は危険もありません。ですので、そう気持ちを昂らせないでください。せっかく平和になったのですから、気持ちは明るく楽しい方向に持っていったほうが良いでしょう?」

「……だが、やはり怖いものは怖いのだよ! 妻が豹変して襲ってきたあの恐怖は、今も尚こびりついている! あぁ、あぁぁあぁ!」

「仮にまたそうなってしまえば、その時は」


 彼女は狼狽する男性の手を力強く握りしめると、その鮮やかなブラウンの瞳で真っ直ぐに見つめて。


「私が、この命を懸けて貴方がたを守り抜き、事態をより良い方向へと解決する事を誓いましょう。ですからどうか、落ち着いて。……深呼吸をして、ゆっくりとリラックス、ですよ」


 気持ちを、宥めていく。

 そうして徐々に、徐々に気分を落ち着かせていった男性は、次第に冷静さを取り戻していき。

 最後に大きな深呼吸を一つ挟んだ後、ライアへとお礼を口にする。


「ありがとう、落ち着いたよ……すまないね、大きく取り乱してしまった」


 そんな男性に、ライアは人の良さそうな笑みを浮かべる。


「いえ、勇者として当たり前の事をしたまでですよ。貴方の気が紛れたのであれば、幸いです」


 そうして、男性の相談は終わった。

 テントから外出し、いなくなったことを確認すると、ライアはそこで小さく溜め息を吐いた。

 彼で、今日の相談を訪ねてきた人は最後。

 村人の手前、自身の疲れている姿を見せるわけにはいかないと気を張っていた反動か、ようやく緩むことが出来る。

 何しろ、この三日間で20人は相手にしているのだ。

 その内の何名かは、続けざまにこの相談所に足を運んできている。

 そんな状態の中で、疲労感を感じるなという方が無理な話だ。


 そうしてグダりと机の上に上半身を寝そべらせる彼女を、机の上に置いたランタンが仄かに照らす。

 そんな彼女の影の中から、一つの人物が姿を現した。

 黒い体毛と服装、強面の傷が付いた顔に片耳の先が欠損した黒兎であるゼーエンだ。

 彼は疲れ果てたライアへと声をかける。


「物好きな奴だな、ライア。幾ら勇者としての立場があるとは言え、あれだけの人数を一人だけで捌くなど無茶だろう。何故他の者を頼らない?」


 至極真っ当、当然の疑問。

 表情こそ変わっていないが、彼の顔にははっきりと疑念が浮かんでいる。

 そんな彼に、ライアは顔を起こして向き合うと、静かに微笑みながら疑問へと答えていく。


「他の人はまだやらないといけないことが沢山あるからね。そのやる事が終わっていない間だけは、手の空いている私がこの手の仕事を担当するのは当然じゃないかい?」

「……確かにそうだが、な。ソウジ等には頼っても良かったのではないかと思うんだが」

「まぁ、彼ならこの手のカウンセリングに向いてはいそうだけど……彼自身の心の容量は、そう多くはなさそうだからさ。っていうか別に、私は嫌ってわけじゃないんだよ? 人の心の動きや考え方を知るのは、私の学びになるからね」


 そう話す彼女であるが、目の下には隈ができている。

 本人は大丈夫であると言ってはいるが、あれ程の人数の負の感情を一身に浴びれば、何かを思わないわけがない。

 そう判断したゼーエンは、ゆっくりと後ろを向いた。

 ライアからは、彼の背面が見えている状態だ。

 何事かと目を丸くして瞬きをする彼女に、ゼーエンは変わらぬ声のトーンのまま、一言。


「尻尾、触ってもいいぞ」


 真面目そうな声色で、そう言った。

 静かになる空間、黒く艶のある短めな尻尾がフリフリと動いている。

 何拍かの間を置いた後、ライアは大きく吹き出して笑ってしまった。

 ゼーエンの赤い瞳は丸くなり、パチパチと瞬きをして不思議がると、彼女へと顔を振り向いて言葉を重ねていく。


「何かおかしなことを言ったか? 獣族の毛並みは手入れされていればいるほど、モフモフで触り心地が良く、リラックス効果が期待される。今のお前の状態には最適だろう?」


 当然の事として話す彼の瞳は、曇りなき眼そのもので。

 ライアは震える程に笑いこけ、やがて目から滴る涙を拭って落ち着いていく。

 彼女は微笑んだままに、ゼーエンへと言葉をかける。


「ははっ、そうだね。じゃあお言葉に甘えて、触らせてもらうとするよ」


 そう言って、彼女はその黒兎の短く愛らしい尻尾を触り始めた。

 もふり、もふりと毛の感触を楽しんでいく。

 摘んでみれば、弾力が跳ね返り毛と相まって心地良く感じられる。


 ――――あぁ、いいな。こういうなんてことの無いひと時は、すこぶる気持ちを落ち着かせてくれる。

 

 暫く触った後、彼女は尻尾から手を放して一息を()いた。

 触られていたゼーエンも、気が済んだのを感じ取ったのか翻ってライアに向き直ると、その仏頂面のままに話しかける。


「気分、だいぶ落ち着いたか?」


 その声色はどこか緩やかであり、優しげで。

 そんな彼の言葉に、ライアはにこやかに微笑むと。 

 

「あぁ、随分と」


 そのように、言い返した。


 そうして、日は過ぎていく――――。

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