心の傷
ソウジが外に出ると村人達が魔獣に襲われており、村の警備兵が魔獣に対処していた。
人型の魔獣……オークと呼ばれる豚の顔を持つ怪物が斧を片手に暴れまわっている。
ソウジは目を瞑ると精神を研ぎ澄ませていく。
すると彼の体が青く発光し、体毛が逆立って服が変化していく。
黒を基調とした着物のような上着、そしてたっつき袴に白の筋が走っていく。
牙を尖らせ低く唸り声を上げ、獲物を睨むその顔は捕食者そのもの。
湧き出る闘志は、悪辣なる存在を打ち倒す退魔の力。
腰に携えた一本の短刀を引き抜き先の刃に青白いエネルギーを纏わせ、一つの長き刀剣へと変貌させたソウジは、足を踏み込み素早く一体のオークへと迫る。
首元、人体の急所を的確に狙い定めて斬りかかり、見事な一閃で皮膚を裂いて鮮血を迸らせる。
一瞬の出来事に、他のオーク達は呆けたように動きを止める。
その間に蒼狼は別の獲物へと斬りかかる。
「一匹!」
オークの心臓を突き刺し。
「二匹!」
腹を斬り裂いて血を噴出させ。
「三匹ぃ!」
また首を斬り裂いて絶命させる。
物の数秒の出来事。
剣戟森々、荒々しくも確実に敵を屠るその姿は正に獣そのもの。
しかして思考はクリアであり、冷静。
ただの獣に非ず、人の姿と知性を得ている獣族なれば。
理性なく暴れるのではなく、対象を自身から守る為に確実に殺し尽くす――――――。
他の警備兵と協力しつつ、彼はそのまま村を襲ったオーク達を殲滅した。
辺りから魔獣の気配が消えたのを確認したソウジは、覚醒石の力を解除して元の姿に戻っていく。
鼻息を鳴らし腕をぐるぐると回していると、顔まで甲冑に身を包んだ人間の警備兵がソウジへと声をかける。
「助かりました、ありがとうございます勇者様」
「当然の事をしただけだ、様もつけなくていい。それよりも、なんで魔獣が村に侵入を? 結界石は起動してあるんだろう?」
「……実は、その結界石がこの頃まともに機能しなくなってしまったのです。防護壁が発動せず、簡単に侵入を許してしまっていて」
兜の中の声を震わせながらそう話す警備兵にソウジは訊ね返す。
「それは、ボーデンで起きている異変と関係があるのか?」
「恐らくは。しかし、ボーデンのギルド長やその部下が世界中の結界石を定期的に修繕してうるうえ、ここいら一帯は入念に確認を行っていました。ですので余計に不可解なのですよ、結界石が不備を起こすなんて……」
「……そうか。まぁ、俺が確認に行くからあんたはとりあえずこの村を守るのに集中しといてくれ」
そう伝えてソウジは警備兵と別れた。
そのまま考え込むように顎に手を添えていると、聞き馴染んだ若々しく通りの良い声がソウジの耳に届く。
声のした方を見ると、サイトがフードも被らずに手を振ってソウジへと走り近付いてきていて。
距離が縮まり至近距離、少々困惑するソウジにサイトは少し語気を荒げながら彼へ文句を垂れる。
「何で僕も連れてかなかったんだよソウジ!」
「あぁ? お前、酔っちまって動けそうになかったじゃねぇか。戦えそうにない奴を連れてく変な趣味はねぇよ」
「そ、れはそうだけど……ごめん」
耳をへたり込ませながら顔をしわしわと萎ませるサイト。
そんなサイトにソウジはフッと軽く笑いながら彼のフードを掴むと少々乱暴に頭へと被らせた。
驚いて腕を珍妙に上下へ動かすサイトに、彼はニカッと笑いかけていく。
「いいよ。心配してくれたんだろ? その気持ちは、大事にしておけよな」
「う、うん。それにしても、僕を看てくれてた人……ライアさんにも、お礼言わなきゃ」
「そうだな。と、噂をすれば来てるな。おーいこっちだ!」
ソウジが手を振った先を見ると、ライアがサイト達にゆっくりと優雅に歩きながら近付いてきていた。
薄い金色の長髪を揺らしながら彼女はサイト達と合流し、凛としつつも軽やかに澄んだ声で手を振りながら話しかけていく。
「無事に片付けたようだね。しかしまぁ、実力は申し分ないようで安心したよ」
「……そんなこったろうと思ったよ。んで、あんたのお眼鏡にはかなったのか?」
「うん、合格だ。私達も君達に同行するとしよう」
ライアの言葉に引っかかったソウジが、首を傾げながら疑問を訊ねる。
「私達? そういえばあんた、お友達がどうのって言ってたが……そのお友達はどこにいるんだ?」
「うん? 彼ならずっといるよ、私の隣にね」
そう彼女が言った時、既にその人物は現れていた。
音もなく、気配も晒さず、サイト達に気付かれることなく立っていたのは黒い体毛を持つ兎の獣族。
気だるげに背を丸めていてもなおデカく威圧感のある巨体。
その威圧感を後押しするように、痛々しく片方が欠けた耳に顔の頬と左目辺りに斬られた後のような傷が目立つ。
それに加えて、羽織っている外套からズボンにブーツ全ての服が黒に染まっているために、不気味さも感じられる。
極めつけは、血のように深く赤黒い色を備えたその瞳。
それらの要素が加われば、感想としては恐怖が真っ先に出るであろう見た目をしている。
しかしそんな恐ろしい容姿の中で一つだけ、華やかで目につく要素がある。
それは腰辺りに見え巻き付けられている、柔らかな緑色に染められた上質そうな布。
他のあまり整えられていない衣服と比べて、その布は翡翠色の宝石のような輝きを放っているのかと見間違うほどに鮮やかに見えた。
そんな黒兎は鋭い目つきでサイトを睨んだかと思うと、重い溜息を吐いてライアに小さく言葉を零した。
「……心配だな」
「心配? 何が心配なんだいゼーエン」
「平和ボケしたような奴らと同行することが、だ」
その一言に、空気が一変する。
あからさまに不愉快な態度を崩さないゼーエンと呼ばれた黒兎に、サイトがフードの中の顔をしかめながら震えた声で異議を唱える。
「何が、平和ボケなんだよ?」
「乗り物酔い如きで戦闘不可能な状況に陥った弱虫を見て、平和ボケと思わない方が可笑しいだろう? お前はあの時に、一体何を学んだんだ?」
「……っうるさい! あんたに言われなくても、ちゃんと俺は戦える!」
静かに、大地を震わすのではないかと錯覚しそうな程に響くドスの効いた声でサイトの言葉に反応するゼーエン。
そんなゼーエンに分かりやすいほどに動揺した声色で反論しようとするサイト。
一触即発の空気を、ソウジとライアは窘めていく。
「待つんだゼーエン。イライラしていては、話し合いが正常に進まない。落ち着いてくれないかい?」
「サイトも落ち着けって! 俺は気にしてねぇから!」
しかし、尚も彼らは睨み続ける。
そんな中で、ソウジが場を取り持つようにして声を出していった。
「あー、長い話になりそうだし外も暗くなってきたしよ。家ん中に戻って話そうぜ? なっ?」
そうしたソウジの一言で一行はその場から離れて、宿屋代わりの家屋へと戻っていった。
不穏な空気を、纏いながら。
―――――――――――――――――――――――――
空気が冷え、黒々とした一面に点々と白い星が見える夜空の下に、ちらちらと輝く家の屋根に飾られるランタンの光。
そんな家の中に戻った四人はひとまずの夕食を軽く携帯食で済ませて寝間着に着替えた後、話の続きをしようとしていた。
それぞれベッドに腰かけているが、リラックスとは程遠い険悪な空気が流れている。
原因は二人の兎達で、互いに腕を組んで睨み合い威嚇しているようで……ソウジとライアはため息を零しつつ様子を眺めていた。
とにもかくにもそんな状況をどうにかしようとソウジが何かを話し出そうとしたその時に、ゼーエンが急に腕を組むのをやめた。
突然の行動に警戒するサイトとソウジだが、ライアだけは薄く笑みを浮かべたまま状況を見守る。
ゼーエンはその赤く染まった瞳で三人を見回した後、サイトに向かって頭を下げた。
驚く彼にゼーエンは続けて話していく。
「……不必要な発言をしてしまったことを、謝罪する。すまなかった」
先ほどサイト達に向けた発言からは想像もつかないちゃんとした謝罪の言葉に、ソウジも目を丸くさせながら驚いた。
少しの間が空いても頭を下げ続けているゼーエンに、サイトはフードの中の顔で葛藤するように目を細めていく。
口を真一文字に結び、かなりの長考の末に彼はゆっくりと口を開いた。
「……僕も、ごめんなさい。ついカッとなっちゃって」
視線を逸らしつつも謝るサイト。
そんな二人の様子を見届けたライアは手をパンと叩き、自身に注目を集めた。
「よし! とりあえず落ち着いたね? それじゃあ話を纏めてくれるかな、ソウジ君?」
「んぇ!? おー、そ、そうだな。……あー俺達はライア達に同行してもらうことになって、ボーデンまで向かう。で、いいのか?」
「うん、それでいいよ。では、このまま今日は休んでしまおうか! ほら、しゅんとしてないでさっさと寝る準備をしたまえ君達ぃ」
そう言ってライアはそそくさとブーツを脱いで自身のベッドへと潜り込む。
一連の流れるような動きに三人はぽかんと口を開けたまましばらく黙っていたが、やがてゼーエンが手をすっと控えめに上げながらライアに訊ねる。
「ライア、いいのか? お前の事だから、あれこれ質問をしてくると思っていたのだが」
その遠慮がちな問いに対し、ライアは後ろで纏めてある髪を解きつつ答えていく。
「その件は明日、馬車の中で聞かせてもらうとも。でも今は、なんだか心の整理がついていなさそうだったからさ。寝て思考を纏まらせた方が良いと判断したんだよ」
「そうか。なら、俺も休むとしよう。おやすみ」
そう会話を終え、ライアとゼーエンは綺麗な姿勢で就寝を開始した。
ライアに至ってはわざとらしいぐらいの寝息を立てている。
やがて、諦めたソウジも布団を掴んで被り寝る態勢に入った。
残されたサイトは悶々とした表情でしばらくベッドに座っていたが、はぁと息を吐くと立ち上がる。
部屋を照らすランタンの灯りを消すと、そのまま外へと出ていった。
――――――――――――――――――――――
夜のひんやりとした空気を体毛で味わうサイト。
少しの散歩で戻ると決めてはいたが、中々足が家へと向いてくれない。
歩き続けていると、ベンチが見えたため腰掛けていく。
そのまま、サイトは家に戻ろうとはせずにベンチへ座り続ける。
今この瞬間は、静かで誰もいない穏やかな時間。
そう思っている筈なのに、心は忙しなくざわついていて。
何かを焦っている、けど何に?
分からない、けど。
考えなければならない事だと、本能が告げている気がする。
そう思考に耽っているも、埒が明かないと思った彼は勢いよく立ち上がる。
そのまま家へと歩き出し、少しすると。
広い空間に仄かな灯りがあるのを目にし、確認しようと近づく。
正体はすぐに分かった。
その人物は先ほど真っ先に寝ようとした、今は髪を纏めておらず灯りに少し照らされた薄い金色の長髪が美しく見える。
そんな女性は手に持ったランタンのフックを腕にかけながらサイトへにこやかな笑みを向ける。
「やぁサイト。夜の散歩は心地よかったかい?」
「……ライアさん、寝たんじゃなかったの?」
「ふふっ、寝る前にいつもしている事を忘れていてね。それをしたら、ちゃんと寝るとも」
そう言うライアの両手を目を凝らしてよく見ると、上の先が羽根型なペンと真っ白な手帳を持っていた。
何かを書き記している様子のライアに、サイトは気になって質問をする。
「何を書いてるんですか?」
「そうだねぇ……いつもなら星に関する記録をしているんだけど、今日は心についてを記録しているよ」
「心、ですか? なんでまたそんなことを」
不思議そうに首を傾げながら訊ねるサイトに、ライアは笑みを絶やさずに答えていく。
「単純に興味があるのと、私個人が任されている研究内容だからだね。君は気にならないかい? 心の不思議について」
彼女はまるで試すような視線をサイトに向けて、そう聞き返す。
それに対しサイトは耳を少し動かしつつも顎に手を添えて思案し、やがて思ったことを口に出していった。
「言われれば気になる、かな。何が気になってるかはうまく言葉に出来ないけど」
「ははっ、興味があるのは良い事だよ。ゼーエンなんかは一切興味がないって話題を切ってしまったんだから。酷いもんだね」
「あっはは……あの人らしいや」
そう零したサイトに、ライアは何も言わずジッと焦茶色の瞳で見つめる。
なんだか気まずい感覚に襲われたサイトは、適当に話を切り上げようと声を出そうとした。
しかしそれより先に、ライアがサイトに言葉をかける。
「サイト君、一つ忠告をしておこう。心の傷を誤魔化してばかりでは、根本的な解決には至らないよ」
「……えっ?」
「要するに、ゼーエンが怖かったら私に言えばいい。注意しておくからさ」
そう言い残して、彼女は家の中へと戻っていった。
ポツンとその場に立ち尽くし、夜風に吹かれる兎の少年。
拳を握りしめ、体を震わせながら彼はポツリと呟いた。
「分かってるんだよ、そんな事は」
夜闇の中、もやもやとした感覚を胸に抱えながら。
――――彼は、葛藤を繰り返していく。