宰相閣下のお気に入りらしいですが、王城の苦情受付係を任されました
イケメン宰相のお気に入りらしいですが、王城の苦情受付嬢、始めました。2
私ことリリアーナ・レイシー、18才。
今、私は自分の部署として充てがわれた王城の片隅にある一室にいた。
いつもの愛想の欠片もない無表情で室内を見回す。
中央に置かれた丸テーブルには椅子が4脚。
壁際にはタンスに本棚。
四方の壁は白と青を基調とした落ち着いた色に塗り直されていた。
今まではほとんど誰も近寄らなかった物置を改装した、こじんまりとしているが清潔感のある一室の入口には匠の域にある職人の手によって作成された『苦情受付』と書かれた看板が、堂々と掲げられている。
さすがに看板ほどではないが置かれた調度品たちも、ただの苦情受付嬢の為に用意したものとしては質が高過ぎる気がする。
「いやいや、いくらなんでも私なんかの仕事部屋に金をかけすぎだろ。私って、宰相様のお気に入りなんですかって確認しただけの照れ隠しで、今の状況はあり得ないって、そう思わないか? 腕輪君」
私は自分の左手首にある腕輪に話しかけていた。
2つの輪を組み合わせたシンプルなデザインの腕輪は、イケメン宰相から貰った物だし腕輪に愚痴れば奴に、このあり得ないだろという私の想いが届くんじゃないかと思えるので、わりと重宝している。
王からの許可取りや改装費とか、どれだけの費用や労力がかかったか考えるだけで、スンッと遠い目になってしまう。
何より目立つことが嫌いな私にとって、この部屋も役職もストレスでしかない。
せめて部屋だけでも、もう少し地味にしてほしいとイケメン宰相に伝えてはみたが、「仮にも王城内にそんなみすぼらしい部屋は用意できん。突然の任命とはいえ、仕事はきちんとしているのだ。堂々としてればいい」といい笑顔で却下されてしまった。
あの笑顔、今思い出しても腹が立つ。
この国のイケメン宰相ノルドリード・フォン・シュテイレンに照れ隠しで王城の苦情受付嬢を命じられてから数日が経ったが、私は下級文官の補助時代より疲れることになっていた。
いつもの無表情に加えて,目がいつも以上に死んでいるのを自分でも自覚している。
今日の仕事時間もあと少しというところで、テーブルに顎を乗せて休んでいた私に声をかける馬鹿が登場する。
「よっ! リナ、今日も目が元気に死んでんな」
「何、その元気に死んでるって、アホ丸出しの矛盾した発言は……って、まあ、マルスだったら、しょうがないか」
「ひっでぇ、言い草だな。これでもリナを元気づけようとしてるってのに。じゃあ、目が死んでるって言い直しとくとするか」
「マルス、一応、注意しとくけど目が死んでるって言われて喜ぶような女の子には絶対に関わらないほうがいいと思うよ」
「えっ、じゃあ、俺はリナにも関われないってことか?」
「おい、こらっ! 私がいつ目が死んでるって言われて喜んだっていうんだ。お前の顔に2つもついているのは、ガラス玉か何かか」
「でも、ほら、リナも少し声に元気が出たみたいだし間違ってはいなかっただろ」
と、無邪気な笑顔丸出しで私と軽口を叩き合っているのは、下級武官のマルスだ。
たしか年齢は19歳で、私よりは年上だが、茶髪の癖っ毛や表情から実際の年齢よりは幼く見える。
身長は私より頭1つと半くらい高く、武官らしく細身の身体に見えても筋肉がみっちりついているのが服の上からでもわかる。
本名は、もっとちゃんとした名前なのかもしれないが知らないし、知ったところでとくに覚える気もない。
向こうが先に私のことを愛称呼びしてきたんだし、マルスと名乗られた以上はこちらもマルス呼びしていても問題はないはずだ。
私がやる気のない目でマルスを見る。
「まあ、少し疲れた気もするけど、確かに元気は出たかな。私の目は確かに相変わらず死んでるかもだけど、マルスは相変わらず馬鹿そうだね」
「えっ、ちょっと待って、リナ。そこは普通、元気そうだねとか楽しそうだねとかでいいんじゃないのか?」
「チッ、マルスのくせに普通を語るなんて生意気な」
「そんなんで生意気って言われたうえに舌打ちって、さすがにひどいって!」
マルスが何か言ってるが流しておく。
マルスは幼くして実家の稼業が破綻してから一家離散したのち、山中で独り放浪していたところを遠征中の将軍に拾われたという、わりと重めな事情を抱えている。
だけど、それらの過去を一切感じさせないほど底抜けに明るい。
本人が言うには『俺の頭じゃ難しい事を考えるだけ無駄だし、元々忘れやすいから体を動かして鍛えることだけに集中してたら、そんな過去も忘れちまってた』だそうだ。
いやいやいや、そのくらいで忘れられる程度の過去じゃないだろと、ツッコミを入れたいところだ。
噂によると、将軍は平和な時代だから恩返しとかで士官する必要はないと、マルスに士官試験としてかなり無茶な内容を課して諦めさせようとしたみたいだけど、マルスはその試練を見事に突破して武官として煌めくほどの才能を見せつけたらしい。
人によっては未来の英雄だとか、次世代の勇者だとか言ってるみたいだが、そんな英雄マルスや勇者マルスなんて呼び方は呼ぶのも恥ずかしいので、私は心の中では畏怖と尊敬の念を込めて、脳筋マルスと呼んでいる。
馬鹿だけど案外可愛い顔をしているし、馬鹿だけど将来性もある。馬鹿だけど性格も悪くないから老若男女からの人気も結構高い。
そんな脳筋マルスだが、何が気に入ったのかわからないのだが、私が苦情受付を命じられてからは暇を見つけてはここに顔を出している。
過酷な訓練も多い分、休憩も多いらしいが他にすることはないんだろうか。
ここに来てもとくにもてなすわけでもないのに、テーブルの向かいに立つマルスは不満もなく満足そうだ。
「リナの目の死の具合を見ると、今日も忙しかったみたいだな」
「まあね。今日もいろんな苦情を聞かされたからね」
やれ、城の賄いが不味いだの、補修が足りてないだの、私にいってもどうしようもないと思うのだけれど、直接担当部署に言って欲しい。
「正直,どれも投書箱とかで十分な気がするんだけど、私が苦情を聞く意味ってあるんだろうか?」
「もちろん、あるさ! なんせ、この国の宰相に匿名で苦情を直接届けられるなんて、最高だろ! 投書箱だと本当に受け取ってもらえてるか信用ないけど、リナだったら絶対に大丈夫って思えるしな。おかげでいろいろな苦情が解決に向けて動き出してるみたいだし、みんな助かってるって言ってるぞ。もちろん、俺もな」
マルスは人好きのする笑顔で、ニカッと白い歯を覗かせる。
裏表もない脳筋マルスだから、賞賛されると素直に嬉しいと思える。おそらく表情は動いていないだろうが、爽やかな風が流れたように疲れた心が穏やかになる気がするから不思議だ。
というか、私の無表情を普通にぶち壊してくるイケメン宰相が異常なんだけど。
「あれ? そういえば確かに他の人のは匿名で報告を上げているけど、マルスだけは個人的な要求ばかりだから名前書いてたんだけど、不味かった?」
「えっ、てことは、ひょっとして俺って、ノルド宰相に名前を覚えられてるってことか?」
「まあ、ほぼ毎日書かれてる名前だし、記憶力もいい宰相なら覚えていてもおかしくはないかもね」
「おー、俺って,宰相の中で有名人じゃん!」
「おい、こら。マルス、そこは喜ぶところじゃないって気付いとけ」
この国の権力者であるイケメン宰相に苦情で名前を覚えられても仕方ないだろう。
やっぱりマルスは脳筋で間違いない。
「マルス、それで今日はどんな苦情を言いに来たの?」
「ああ、それだけど、なんか俺ってそれなりに人気者みたいで茶会に呼ばれる機会がそれなりに多いんだよな」
「シッ、シッ、モテ自慢なら他所でやってくれ」
「違うって! 聞いてくれよ。なんか茶会って、菓子やら軽食を食うだろ。あれってどうにか出来ないんかなって思って」
「どういうこと?」
「俺はどうせ茶会に参加するなら、血の滴るような塊肉が食いたい! 1回でいいから、そんな茶会に参加してみたいんだ!」
あー、うん、目をキラキラさせて豪語してるけど、まさに脳筋の発言だったわ。
それに、やっぱりマルスのは苦情というより要望だな。
だけど御婦人や御令嬢の集まる茶会で、塊肉は費用的にはともかく絵面的にも胃袋の許容量的にも絶対にないだろ。
わざわざ確認までしてしまって損した気分だ。
「まあ、伝えるだけは、伝えとくけど期待はしないでね」
「ありがとな。よーし、宰相に名前を覚えてもらうために、もっと苦情を考えとくか。あっ、それとは別件になるんだけど、今度リナに相談したいことがあるんだ。いいか?」
珍しく脳筋マルスが真剣な顔をしているけど、それだけ大事なことなんだろうか?
「マルスが私に相談って珍しい。まあ、苦情を聞かされるよりはいいけどね。たまには苦情を毎日聞かされては報告しなければいけない身にもなってほしい」
イケメン宰相直属の部下ということで給金も多少上がったみたいだが、私の心への負担を考えると収支は確実にマイナスだろう。
そう思わずにはいられないが、この国の宰相に直接命じられたからにはやるしかないだろう。
「それで、マルス、どうする? 今、その相談ってのを聞いとこうか?」
「うーん、今日はやめとくかな。こういうのって雰囲気も大事だって、爺ちゃんも言ってたしな」
「そう? それなら、また今度ってことで」
雰囲気も大事な相談事ね……何だろ?
因みに、脳筋マルスのいう爺ちゃんというのは、この国の将軍のことだ。
いくら育ての親とはいえ将軍を爺ちゃん呼びとはマルスの脳筋っぷりも、大概だよなと感心する。
「あーあ、皆も俺みたいに毎日通って愚痴れば、城の中もどんどん良くなっていいのにな」
「やめて、その愚痴っていうか苦情を聞かされるのは私なんだから。それにこんなとこに毎日顔を出すのなんて、マルスくらいの――」
と、そこへ颯爽と豪奢なドレスを身に纏った私と同い年くらいの美少女が登場する。
「――そういえば、この人もいたか……」
金色の柔らかい髪に深い青の瞳。
見ただけで、どこかのご令嬢とわかる出で立ちはさすがだ。
彼女は公爵令嬢のセレスティア・ファル・ルルイン様だったな。
私が苦情受付嬢になってから10日ほど経ったが、休日以外は毎日顔を出してるな。
「リリアーナ、今日もこの手紙をあの方にお渡しするのをお願い出来るかしら」
「セレスティア様、今日もお渡しになるんですか?」
「もちろんよ。この溢れ出るお慕いする気持ち、いくら伝えたって伝えきれるものじゃありませんもの」
そう言って渡されたのはイケメン宰相への手紙だ。このセレスティア様は宰相様をお慕いする会の会長だったりする。
そんなにイケメン宰相のことを想っているなら、さっさと家の権力でも使って、結婚でもしてくれたら私へのちょっかいが減るのになと愚痴りたくなる。
毎回、しっかりとイケメン宰相に手紙を持っていって渡してはいるのだが、イケメン宰相の方は「ご苦労」の一言で、特に嬉しそうな様子もない。
正直、イケメン宰相の方は興味なさそうだ。
セレスティア様は、これだけ綺麗な人だというのに興味がないだなんて、どれだけ贅沢なやつなんだ。
「はあ、一度でいいからあの方からお手紙のお返事をいただきたいものですわ」
「それも苦情として受け付けたほうがよろしいでしょうか?」
「そうしていただいても結構です。でも,あの方のことですから、私のことなど露ほども知りもしないのでしょうけどね」
「そのようなことはないと思われます。この国において、セレスティア様ほどの方をご存知ない男性はいらっしゃらないかと」
「そう? リリアーナだったかしら、あなた見かけによらず優しいのね」
セレスティア様に私はどう見えているのやら。
セレスティア様はどこから見ても綺羅びやかな公爵令嬢なうえに美人で有名だ。
それに自分の国の公爵令嬢くらい、どんだけボンクラでも宰相なら普通は抑えているものだろう。
認めるのは悔しいが、イケメン宰相は優秀な部類だし、セレスティア様のことを知らないはずがない。
「でも,確かにそう思っている方が気持ちだけでも楽になりそうよね」
そう強気な笑顔で応えるセレスティア様って、見た目だけじゃなく性格も弱々しいお嬢様って感じではなさそうなんだよな。
完璧イケメンと強気美少女。
お似合いの2人だ。
私なんかとは美貌も性格も生きる世界も違うしな……って、ここで私が出てくる必要はないか。
どうにかセレスティア様とイケメン宰相をくっつけたいところだが……今はいい案が浮かばない。
とりあえず、今日の苦情をまとめた紙をもってイケメン宰相に会いに行く。
イケメン宰相は執務室で机に向かい書類作業をしていた。
「失礼します。今日の苦情をまとめた分を持ってきました」
「ご苦労」
執務室のテーブルに資料を置くと、イケメン宰相が内容に目を通していく。
さてと、これで今日の任務は終了だと思っていると、イケメン宰相がセレスティア様の手紙を手にとって何やら考えている。
「また,セレスティア嬢からの手紙も入っているのか。毎回同じ内容なのに、よく懲りもせず送ってくるものだ」
イケメン宰相が辟易した様子で呟いている。
ふーん、内容はよく知らんがセレスティア様の手紙は毎回同じ内容なのか。
「たまにはセレスティア様にお返事でも書かれてみてはいかがでしょう?」
「この手紙への返事か。…………リリアーナは、なんと書けばセレスティア嬢からの手紙が止まると思う?」
おっと、手紙の内容も知らんのに返事の内容を考えろとか、いつものこととはいえイケメン宰相の奴、どんだけ無茶振りするんだ。
まあ、これも仕事のうちと割り切るか。
おそらくセレスティア様からの手紙の内容は恋焦がれる気持ちが綴られていると考えるのが妥当だろう。
うーん、となると。
「セレスティア嬢、貴女を妻に迎えたい、とかはいかがでしょう」
「よし減給だな」
おっと、意見を求められたから手紙を止めさせる確実な方法を答えただけなのに、給料が減らされそうだ。
そこは却下とかで十分だろ。
イケメン宰相め、なんて横暴な奴なんだ。
と、そこでふと気になることに気づいた。
そもそもこんな地味な私なんかで遊ぶことをお気に入りにしているイケメン宰相は、完全美少女であるセレスティア様のことをどう思っているのだろう?
そう思ったら口が自然と開いていた。
「宰相はセレスティア様のことがお嫌いなのですか?」
やばっ、越権行為ってことで怒ったりはしないだろうかと心配になったが、イケメン宰相は意外そうではあったが普通の顔をしている。
「そうだな、家柄を抜きにしてもセレスティア嬢個人の集団をまとめ上げる手腕は見事だと聞いているし、容姿も問題ない。好きか嫌いかで言うと、好ましい人物だとは思っている」
「…………そうなんですね」
イケメン宰相のことだから煌びやかな令嬢には興味ないとでも言うのかと思っていたのだが、なんか拍子抜けだ。
あれ? なんか胸の辺りが痛いような、変な感じがする……最近働きすぎていたし、動悸だろうか?
危ない危ない、いくら若いとはいえ気を付けねば。
「そんなことより、リリアーナ。この報告書に毎日のように出てくる、マルスっていうのは、いったい誰なんだ?」
「マルスですか」
良かったな、マルス。しっかりイケメン宰相に存在を認識されてるみたいだぞ。
よし、イケメン宰相にマルスのことを端的に紹介しといてやるとするか。
「マルスというのは、将軍が山中で拾ってきた、3年前の史上最難関といわれた採用試験を突破した下級武官です」
「……そうか、毎日苦情を言いにお前の元に来れるくらい、下級武官の訓練ってのはお粗末で簡単なものなのだな。訓練官に通達して訓練をもっと厳しくさせるほうがいいか」
あれ? 気になるのそこ? いや、他にもツッコむところはあったでしょ。
イケメン宰相はムスッとした表情で、どこかご機嫌斜めだ。
ひょっとしてマルスが私のところでサボってると思われたのかもしれない。
ここは貸し1つとして擁護しといてやるか。
「宰相、マルスは気のいい奴で職務にも真面目に取り組んでいますし、武官としての才能にも溢れた、将来有望な者ですよ」
「ほう、そうなのか」
あれ? イケメン宰相の顔が、さらに険しくなったような気がするんだけど、どうしたというんだ?
「そうか。リリアーナが、そんなに素晴らしい者と知り合いだったとは知らなかった。一応確認なのだが、お前は何か苦情の他に言われたりとかはしてないのか?」
苦情の他に言われたこと……ね。
くだらない軽口は結構言い合っているが、それ以外はとくに……って、そういえばマルスの奴今日は何か相談があるって言っていたな。
「そういえば何か私に深刻な話があるみたいですね。雰囲気も大事な相談事だと言っていましたよ」
ガタっと椅子から立ち上がるイケメン宰相。
おいおい、いきなり立ったりしたら驚くだろ。
「ほぉ、深刻な相談事か。リリアーナの直属の上司としては、そのマルスとやらと直接会ってみたいものだな」
「いいですが、会ってどうするんですか?」
「どうもしない。その大事な相談事というものを私も一緒に聞いてやるだけだ」
マルスも宰相に悪感情を持っていないようだったし、会わせる事自体は問題ないだろう。
なるほど、イケメン宰相はマルスに会いたいし、セレスティア様の手紙も止めたい。
セレスティア様の手紙の内容は謎のままだ。
イケメン宰相に直接会えたら解決する内容なのだろうか?
一気に全部を片付けられるなら、それが一番なんだがな。
そういえば、マルスは茶会で塊肉が食いたいとか馬鹿なことを言ってたな……って、ん、なるほど茶会かぁ。
わりと良い手じゃないだろうか。
「宰相はセレスティア様の手紙を止めたいし、マルスにも会いたいのですね。せっかくだし、皆でお茶会をするっていうのはいかがでしょう?」
「茶会? いいだろう。マルスとやらに会えるのなら構わない」
「では、手配をさせていただきますね」
よし、イケメン宰相からの言質は取ったし、楽しい茶会を開催してやろうじゃないか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
3日後。
私とイケメン宰相、マルス、セレスティア様の4人は王城近くにある公爵家の別邸の庭園に集まっていた。
さすが公爵家の別邸だ。
庭園も綺麗に管理されているし、防音の魔法も完璧で会話の音漏れの心配もない。
ここでなら思う存分に語らえるだろう。
さて舞台は整えてやった。
私はいつもの無表情で席を見回す。
私の正面にはマルス、右と左にはそれぞれイケメン宰相とセレスティア様が着席されている。
イケメン宰相は難しい顔をしながらマルスを見つめているし、セレスティア様は目を輝かせながら一瞬の瞬きも勿体ないとばかりにイケメン宰相に釘付けだ。
マルスはテーブルの中央に設置された皿の上のローストビーフの塊を前に待て状態で見えない尻尾がパタパタしているのがわかる。
自分で提案しておきながら、うわぁ~、混沌としてんな〜っていうのが私の感想だ。
「君がマルスか?」
「そうです。宰相閣下に名前を覚えて貰えてるなんて光栄です」
「名前だけならば未来の英雄を知らぬものはいないだろう」
「あはは、その呼び名は恥ずかしいですね」
「それだけ、期待されているのだ。誇るといい。それで、そちらはセレスティア嬢ですね。いつも手紙をありがとう」
うん、さすがイケメン宰相、微塵も迷惑だという空気を出さず、微笑む様は偉いと思う。
「ノルドリード様、お会いできて光栄です。嬉しいです。感動です。今日死んでも悔いはありません」
いや、セレスティア様、私主催の茶会で死ぬのだけは絶対にやめてください。
「ところで、リリアーナ、この茶会は何を主眼としたものだ?」
「とくにはないのですが、あえて言えば『顔合わせ』ですかね」
「顔合わせ?」
「ここのいるのは国の宰相、公爵令嬢、未来の英雄とも称される将軍の養子。国の未来を紡ぐかもしれない方々です。いくらでも顔を合わせておいて問題はないはずです」
私だけド庶民だが、気にしてもしょうがない。
これで私の苦情受付の仕事が減るのが1番有り難いんだけどな。
「うわっ。リナ、この肉、めっちゃ美味い!」
「朝から仕込んだから味はそれなりのはずだよ……って、マルスはもう食べてんの!? まだ、それぞれ挨拶の途中なんだけどって、あっ、普通にマルスと2人の感じでしゃべってしまってるし」
「大丈夫だ。リリアーナ、この場は非公式だし、そういう事は気にしないでいい」
「そうですの。この場を用意してくださったあなたには感謝しかありませんもの」
よし、どうやらクビはないらしい。
危ない危ない、発言には一応気をつけよう。
「それより、先ほどの言葉が本当であるなら、この料理はリリアーナの手製なのか?」
「はい、材料は公爵家で用意して頂いたものなので質はたしかだと思いますが、味がお気に召さなければ責任は私にあります」
「そうか、リリアーナが」
イケメン宰相が呟きながらローストビーフをマジマジと凝視している。
私が作ったと聞いて不安になったのかもしれないが、これには深くはないが、ちゃんと理由はある。
というか、茶会で大きい塊肉を出して欲しいと言った時の料理人の顔が可哀想すぎて、結局私が料理することになったというのが真相だ。
まあ、こんな茶会のルールを無視した要望で料理人のクビが社会的にも物理的にも飛んだらえらいことだし、私が出しゃばるほうが丸く収まるだろう。
材料と調理場は提供してもらえたし、まあ味も食べれないことはないだろ。
ローストビーフが宰相とセレスティア様にも取り分けられる。
「これは……美味いな」
イケメン宰相が一口食べてそういった。
へぇ、相手がイケメン宰相とはいえ、褒められたらうれしいものだな。
まあ、材料の勝利ってことで、私は焼いただけなんだけど。
「美味い! 美味い!」
「って、マルスでしたわね。確かに味も悪くないですが、あなたは口に入れすぎではないですの!」
頬袋の膨らんだ、げっ歯類のようになっているマルスを見て、セレスティア様が驚きつつも笑っている。
マルスの頬を両方から突いたらどうなるんだろと、ちょっとしたイタズラ心が刺激されるが実際にやったら大惨事になる事はわかっているので、ここは我慢だ。
「だって、ほんとにリナの料理が美味くて手がとまんねんだもん」
「まったくだ。リリアーナにこんな才能があったとは驚きだな」
失礼な。
そりゃ最低限の料理の心得くらいはあるって。
「念の為多めには作って、おかわりも準備してあるので、心ゆくまで味わってください」
「「もちろんだ」」
イケメン宰相が優雅かつ最速で肉を平らげていくと、それに負けじとマルスもガツガツとさらに勢いよく肉を食らっていく。
その様子は今回の集まりって茶会じゃなくて大食い競争だったかと疑問を持ってしまいそうなほどだ。
そのアホらしい光景に思わず笑ってしまった。
私たちが馬鹿やっている間、セレスティア様は薄くスライスしたローストビーフをパンに挟んで普通に召し上がっている。
最早、そこだけが別空間だ。
料理に夢中な男性陣を他所にセレスティア様に目を向ける。
「えーと、なんかこんな茶会を開催してしまい申し訳ありません、セレスティア様」
「謝ることなどありません。むしろ、ノルドリード様のありのままの御心と御姿を見ることが出来てとても満足しています。これでどのような縁談を持ってこられようとも心残りはありません」
「あれ? セレスティア様は宰相のことをお慕いしているのですよね?」
やばっ、また普通に高貴な方の恋愛事情に突っ込んでしまったと思ったが、セレスティア様は気にもとめた様子もなく微笑んでいる。
「ふふ、お慕いしていても決して自分の気持ち1つで結ばれることなどありませんもの。これでも公爵家の者として家や国の事も考えねばいけない立場ですからね」
うわぁ~、この人、貴族として立派な考えを持ってる人だ。
イケメン宰相め、もったいないことしたな。
「でも、時折自分の心に正直に生きられる立場であればと、他の方々を羨ましくなることもありますけどね」
「自分の心に正直に……ですか」
「まあ、あなたもそれは難しい立場なのでしょうけれどね」
ん? 私はド庶民だし、心を偽る必要なんてないんだけど、どういうことだろう?
「手紙でノルドリード様の心からの笑顔をこの胸に刻み込みたいとずっとお伝えしていましたが、私では手料理1つで、ノルドリード様をあのようなお顔にすることはできませんもの。さすがはノルドリード様のお気に入りですわね」
セレスティア様は私に聞こえないように何かを呟くと、大輪の花のような笑顔を浮かべていた。