第七十七話 エクピス
ウェルクが言った通り、剣のことは伝えていない。
ウェルクはもう気にしていないこと、ウェルクがジルエールだったこと、そして彼らは長く生きられないこと……。
それでもアッシュはベッドから動か無かったが、ウェルクに考えがあるということなので任せよう。
正直これは女の私ではわからないのだ。
男の子同士でしか解決出来ない問題だと思う。
翌日のランニングにも、アッシュは顔を出さなかった。
やはりアッシュがいないとペースを作る人間がいないので、どうしてもスピードが遅くなる。
私が言える立場ではないのだが……。
ただ、悩み事には運動が良いことをこちらにきて初めて感じた。
息を切らすまで必死に走った後は、良いアイディアが浮かんできたりするものなのだ。
ランニングを終えて宿に戻ろうとしたとき、何やら船着き場の方から声が聞こえてくる。
叫び声……?
いや、違う!これは悲鳴だ!!
同じく異変を感じたレナとシモンも私と顔を見合わせ悲鳴がする先へ急ぐ。
船着き場の方からはこちらの方に大勢の人間が逃げて来ていた。それを縫うようにして逆走する私たち。
視界の先に見えてきたのは海上から突き出した大きな足のような何か。
そこに着いた幾つもの吸盤を見て、それがイカとかタコとかの部類だとすぐにわかった。
問題はその大きさだ。足の長さは大型船のデッキを優に超え、今まさに船のマストに絡みつこうとしている。
「エクピスだぁぁぁぁ!!」
エクピス……!?
シモンはロブロットの手記をめくりそれを探す。
「ありました!水棲の魔物で海上の船を襲い水中へ引きずり込みます!人間も捕食する危険な魔物です!」
こんなタイミングで魔物が襲撃してくるなんて……!!
「シモン、宿に戻ってアッシュを呼んできてください!!あと、私の杖と薬品もお願いします!!」
エクピスはその足を四、五本海の上へと突き出して、大型の旅客船へと絡みつけていく。
「助けてくれぇぇぇーーーー!!」
旅客船のデッキから数名の悲鳴が響き、中にはそのまま海へ飛び込む者もいる。
旅客船は徐々に傾き出し、転覆するのは時間の問題だ。
モタモタしてはいられない!!
「レナ!風魔法であの足を切断しましょう!!」
「はい!!やってみます!!」
レナは両方の手のひらを向かい合わせ、胸の前に据える。そこへ風が集約していき圧力が高まっていく。
「まだです……。限界まで圧力を高めてください!!」
マストに絡みつき一番大きく突き出した足、そこを狙う!!
──烈風の双星たるリムよ、ポムよ、我が呼びかけに応えその鋭爪を振るえ──
疾風双斬!!
限界まで圧縮された二つの風の刃が、まるで雄叫びのように風切音を発しながら射出される。
スパァン!!と音を立てて一撃目の刃がマストごと魔物の足を切り飛ばす。
続けて放たれた二撃目は船の側面にへばり着いた足を二本まとめて跳ね飛ばしたのだ。
すごいじゃないかレナ!!
彼女は物凄い才能を秘めているかもしれない……!!
リムとポムのイメージを、双子の妖精からガイオンへと切り替えたのだ。
レナが切断のイメージとして用いたのは刃物ではなく爪。ガイオンの鋭い爪だ。
その爪撃を鮮明にイメージできるからこそ、あれだけの威力になっているのだろう。
しかも相手を挟撃するような軌道で飛んでいくため、一撃目を避けても二撃目が当たるという、魔法としての完成度も高い。
エクピスはすべての足を海中に戻し、傾きかけていた旅客船はその体を起こした。
「今のうちに救助をお願いします!!」
私は近くにいた港の関係者に声を掛け、旅客の救助をお願いした。男たちが数人でロープをかけるが、エクピスの足が再び海中から姿を現す。
ネメシスが効かない以上はレナの風魔法に頼るしかない……。
レナは次々と現れるエクピスの足を風魔法で切り落としていく。
四本、五本、六本……。
「レナ、もう少しです!!」
ヤツがタコなら足が八本しかないはずだ……!!
そしてとうとうレナの魔法が七本目と八本目の足を切り裂く。
辺りは一瞬静寂を迎える……。
やったのか……?
その時、水面が盛り上がったと思ったら、先程の倍はあろうかと思われる大きな二つの足が海中に顔を出した。
くそっ!!タコじゃなくてイカだったのか!!
「レナ、まだいけますか……?」
レナは大きく息を切らして両腕を前に突き出す。
もう殆ど魔力が残っていないだろう……。
あれだけの魔法を連発したのだから無理もない。
しかし今はレナの魔法しか攻撃手段が無いのだ。
レナは最後の力を振り絞るようにして魔法を放つ。
風の刃がエクピスの二本足に直撃し、パァン!!と何かが弾ける様な音を立てる。
それは風の魔法が掻き消された音だった。
先程までとは違い、太い二本の足にはまるで効果が無いのだ。
そんな……!!直撃を受けて無傷なんて!!
まだ救助が終わってない……。
その場に崩れ落ちそうになるレナを私は必死に支える。
レナはもう魔法が使えない……!!
どうする!?私がデッキに立って囮になれば、残る人を救助する時間くらいは稼げるだろうか……?
いや、きっとアッシュたちも来てくれる。
迷っている暇はない!!
私は旅客船が停まっている桟橋まで走り、救助中の男性達に協力してもらいながら、縄梯子を伝いなんとか船のデッキへとよじ登る。
その間にも魔物の足は船へと巻き付き、メキメキと音を立てて締め付けていく……。
船の中にはまだ数名の旅行客が取り残されていた。
「皆さん!!私が時間を稼ぎます!!そのうちに船から避難を!!」
私は船を包み込む様にして、球状にプロテクションを展開する。
通常よりかなり展開範囲が広い。その分魔力壁がどうしても薄くなってしまう。
加えて消費する魔力も尋常ではない。本当に時間稼ぎにしかならないんだ。
船を締め付ける魔物の足を、内側からプロテクションで押し返す。ジュゥゥゥゥゥッと魔力壁に接触している部分が蒸発し、湯気の様な気体が上がっていく。
が、しかし魔物はその吸盤のせいで痛みを感じないのか、締め付ける力が弱まることはない。
「さあっ!!早く逃げてください!!」
私を心配そうに見守る旅客に避難を促す。
一人ずつ縄梯子を伝って下に降りていく時間が、果てしなく長く感じる……。
少しでも気を緩めたら、船ごとグシャっと潰れてしまいそうだ。
そして最後の一人が船から降りるのを見て、限界を迎えた私はプロテクションを解除する。
メキメキ!!ベキィィィ!!
エクピスの足は一気に船体を締め上げ破壊していく。
大きく傾く船体。
いや、これは引きずり込んでるんじゃない。
持ち上げられているんだ……!!
太く長い足に縛り上げられた船は、大きく海面から引き離され徐々に傾けられていく。
私は近くにあったロープにしがみついて、必死に滑り落ちるのを防いだ。
傾いた船首の先にある海面から、エクピスの本体が姿を現す。
足の根元にあるブラックホールの様に丸く巨大な口を広げ、船を丸ごと飲み込もうとしている。
ロープを持つ手が徐々に力を無くし、ズリ、ズリ、と少しずつずり落ちていく……。
だめだ!!このままじゃエクピスの口の中に真っ逆さまだ……!!
そう思った瞬間だった。
解錠……碧燕!!
どこからともなく聞こえたその声の主は、船に巻き付いた足をめがけて巨大な槌を振り下ろした。
ドォォォーーーン!!
と爆発にも近い様な音のあと、船体を激しく揺らす衝撃に、ロープを持つ手が離れてしまう。
「きゃあぁぁぁぁ!!」
悲鳴と共に落下する体をバッと誰かに受け止められた。
「ウェルクさん……!!」




