第一話 ママは聖女
たとえば
あなたが家族で旅行へ行った帰り、
事故にあったとする。
神か悪魔か分からない生き物が現れて、
あなたに問う。
「今、あなたの前に二つの箱がある。
黒い箱を開けると、今まで通り元の生活へ。
白い箱を開けると、別の世界に生まれ変われる。」
と。
あなたはどちらを選ぶだろうか。
白 と選んだ人に聞きたい。
もし、
生まれ変わった先の世界で、
残された家族があなたのことを探していたら
あなたは家族に自分の正体を明かせるだろうか?
私は織部かおり。今年で34になる。
嫌いな旦那と、子供が2人いた。
6歳の兄ハルト、3歳の妹サキ。
兄の就学記念で行った家族旅行。
私たちはそこで事故にあった。
そのとき、先程と同じ選択を迫られたのだ。
私は白い箱を開けた。
そして今に至るまでずっと、
そのことを後悔している。
………………………………………
「ママーー!ママ――――!!」
サキ…………
サキ………………!!
飛び起きた私の目に映ったのは見慣れた景色…………。
そう。ここは私の部屋……。
生まれ変わった私の部屋だ。
「夢………………か………………」
あのとき…………
確かにサキの声が聞こえた。
それは悪夢となって、今も私の脳裏に焼き付いている。
泣き叫ぶ我が子を前に、私は何もできなかった。
ベッドから足を降ろし、少しだけカーテンから差し込んだ光を、ぼんやり見つめていた。
コンコン…
ノックの音の後、ふくよかな中年のメイドが部屋へと入ってくる。
「失礼します。…………あら、お嬢様。起きていらっしゃったんですか?」
メイドはスタスタと窓際まで進むと、サッと手際よくカーテンを開ける。
「おはようございます。お嬢様。」
メイドはシワの入った優しい顔をニコっとさせた。
「おはようエイラ…………。」
「あら……!すごい汗!また悪い夢をご覧になられたのですか……?」
慣れた手つきでクローゼットからタオルを取り出すと、私の額の汗を拭き取る。
「ええ…………。でも大丈夫…………。」
「いよいよ今日からですねぇ。私も嬉しゅうございます。」
そう……。
今日は私にとって特別な日なのだ……。
エイラの用意した服に着替え、髪を整えてもらう。
鏡台に映る私。
白い肌。透き通るような青い目。
そして太陽のよう輝く金色の髪…………。
誰が見ても美しいと言える姿。
本当に私にはもったいないくらいに。
「朝食の用意ができておりますよ。今日はお嬢様の好きなアトレモのスープにございます。」
髪を整え終わったエイラは、私の両肩をポンっと叩き、
得意げに私にそういった。
「そう…………。」
エイラに軽く微笑んでみる………………。
私の好きな…………か…………。
本当は好きでも嫌いでもない。
好きということにしているだけ。
生まれ変わってからというもの、
まるで人形のように、意思なく日々を生きている。
適当に良い子を演じ、適当に笑顔を作り、
そしてまた、適当に選ぶ。
私は恐らく最も愚かな部類の人間だ。
自ら望んでやったことに後悔しているのだから……。
大きな食卓には、三人分の食事が並んでいる。
「おはようシルヴィア」
シルヴィア。そう。これがこの世界での私の名前。
「おはようございます。お父様。」
食卓の中央に腰掛け、整えられたヒゲが特徴の男性。
この人は私の父。名はラモンド。
「ああぁん♪なんて愛らしいのかしら!私の可愛いシルヴィア!!」
その隣でキンキンと尖った声で話しかけてくるのが、
母親のマチルダ。
過保護。
過干渉。
保護者だったら絶対に関わりたく無いタイプ……。
「おはようございます。お母様」
私は母親にも挨拶を済ませると、同じ食卓の席につく。
「いよいよ今日から巡礼の儀だね。立派に務めるんだよ。シルヴィア。」
「ねえぇアナタ!護衛が2人って少なすぎじゃありませんかぁ?」
なんとも大袈裟にラモンドに尋ねるマチルダ。
「はっはっは。大丈夫だよ」
ラモンドはカップ入ったコーヒーを嗅いだあと、
飲みながらに続ける。
「2人と言ってもロイヤルガードだ。それにここは貴族街だからね。心配はいらないよ。」
そう言うと、心配するマチルダをなだめるように、そっと肩を撫でた。
ロイヤルガードというのは王様直属の近衛兵集団のことを言う。
まぁ、俗に言うエリート集団というやつだ。
セキュリティとしてはこれ以上のものは無い……。
何故そのような護衛が私につくのか…………。
それは私が 『聖女』 だからだ。
私が生まれ変わった世界。
この世界には大きい大陸が2つと、
小さな島が幾つかある。
私がいるのはフランディア王国という国。
ここ王都エルビオンは、2つある大陸の東側、ベルガンド大陸のちょうど中央に位置している。
四方に広大な平地が続き、大陸では一、二を競う大都市だ。
ベルガンド大陸には、フランディア以外にも2つの国が存在し、今はそのどちらとも友好な関係らしく、国同士での争いはない。
聖女というのは、大陸全土含めた共通の信仰であると同時に、絶対的な象徴でもある。
言わば生ける神様なのだ。
聖女の素質を持って産まれてくる子供は、数十万、数百万人に一人と言われ、この大陸には、私を含めても
たった10人しかいないらしい。
その聖女の素質というものが、私が今日から行う
『巡礼の儀』に関係する最も重要な要素である。
聖女の素質。
それは加護を与えることができるというもの。
「あなたに聖女の加護を…………。」
私はそっと目を閉じ、目の前に立った男の手に、自分の手を重ねた。
私の手がぽうっと光り輝く…………。
「おおおおおお…………!!コレが…………………………!!」
男は興奮しながら、鏡を見る。
「は、生えとる…………!生えておるっ…………!!
まさに聖女の奇跡じゃぁ……!」
男性はうっすらと目に涙を浮かべ、自身の荒野に芽吹いた新芽を見ながら、嬉しさに打ち震えている。
そう…………。加護の正体は魔法だ。
この世界では素質があれば一般人でも魔法が使える。
ただ、私が使ったのは魔法の中でも聖女だけが使える特別な魔法。
回復魔法だ。
この魔法は傷や病気を治す事が出来る。
先程の髪の毛のように、なくなってしまった毛根の組織なんかでも、元に戻すことができるのだ。
聖女は修行を重ねることで、より上位の魔法を使うことができるようになるらしい…………。
上位の加護を与えられる聖女は、より信仰を集め、
多くの人の象徴となる。
そして最終的には聖女の頂点である大聖女を目指すのだとか。
……………………くだらない。
早い話、アイドルの総選挙のようなものだろう。
私はそんなものどうだって良い。
私は今日で5歳になる。
聖女にとって5歳の誕生日というのは、とても特別な日なのだ。
聖女は5歳の誕生日を迎えると、巡礼の儀という儀式を行わなければならない。
巡礼といえば普通、信仰者が信仰対象のところに出向くものなのだが、この世界では違う。
逆なのだ。
聖女が信者のもとを回り、加護を与えていくのだ。
私はこれから約半年をかけて、この街の信者に
対して加護を与えなければいけない。
五年……。
五年待ったのだ……。
あの日確かに聞こえたサキの声…………。
サキはもうこの街には居ないのかもしれない…………。
いや、そうじゃないと信じるしかない……!
私にはもう、それしか生きる目的が見つからないのだ……!!
不満だった人生から目を背け、
知らない誰かになろうとした……。
でもどれだけ姿形が変わろうとも、
私が『織部かおり』である以上、絶対に捨てられないものがあることを知った。
そしてそれに決着をつけない限り、シルヴィアとしての人生も、始まることが無いことに気づいた。
私の目的はこの巡礼でサキを見つけることだ。
あの時掴んであげられなかったサキの手を、
絶対に掴むんだ………。