「小5がノートに手書きでプログラミング 35年後に動かした結果」という記事についたコメントみたいな話
そうだな、俺も昔は・・・という話に反応するのは年寄り特有のあれです。出てくる年代が50歳代以上。そりゃ35年前の話ができるのだから当然だけど。
なんせ未来より過去の方が長いので、過去の話の方がスラスラ出てくるし、整理され都合の悪い話は忘れて美化されているので語りやすい。
かく言う私もYAHOOのコメント欄に書き連ねようかと思ったのだけれども、せっかくエッセイなどという自由にかけるスペースがあるのだから、ここに過去の話を残しておくのもいいかと書くのであった。
あーもうおなか一杯。と自覚はしている。
自分は語りたいが人の話は読んでも「似たような人がいるな」ぐらいで読みとばし、俺は少し違うぞと言いながら似たような話の列に加わる。
でも、まぁいいかと思って書く。
などと書いているからいつまでたっても本題が始まらない。
その記事のコメント欄に頻繁に出てくるPC8000や6000のNECのパソコンは妙に輝いて見えていた時代があった。子供のオモチャではないのだけれども、子供心には高級ゲーム機的な。
PCショップでデモとして動いていたゲームは平安京エイリアンとか、点と線だけで表現された3Dの迷路とか。当時としては革新的なアイデアに満ちたゲームに魅了されていた時代。
私の家にやってきたのはMZー700だった。
電源を入れる、ベーシック言語の記録されているカセットテープをセットしてロード。
雑誌に載っているベーシックプログラムを手で打ち込んで、カセットテープにセーブ。
そのプログラムを走らせて遊ぶ。当然、自分もゲームを作りたいと思う。
一応、私もゲームを作ってベーシックマガジンに投稿はした。
その名も「ナルトアタック!」
・・・
メール文化もまだない時代でアットマークという言葉より@はナルトだった。
カセットテープも今はほとんど見ない。
対コンピュータのリバーシも作った。●と〇がそのまま白と黒のキャラクタとして使えたので、アルゴリズムだけの問題で見た目のデザインという難題を解決する必要がないのが良かった。
一番の力作は今はもう滅多に見ることのないICビンゴ(BingoPinball)っぽいゲーム。ピンボールの複雑なボールの動きが表現できないので、バッティングゲームにして数字の的を狙う方式で作った。これは今でもUNITYで作りたいと思ってるんだけど、頭がついていかない。
そして若い時代は家でパソコンより携帯端末で遊ぶ方がいいに決まっている。が、時代はガラケーすら生まれていない。ゲームウォッチや電卓ゲームは人気があった。
私がそんな時代に手に入れたのがカシオFX601Pという時代に名を遺した関数電卓。電卓だから学校に持っていけたしいつでも触れた。容量が足りずに1年後に602に乗り換えた。当時のお値段15000円。電卓だしそんなの持ってるのは私だけだったので特に禁止とかは言われなかった。
一応、雑誌にのっているプログラムでゲームもできたが、自作のゲームもいくつか作った。もちろんノートにコードを書いて記録するだけで、外部記憶装置は結局使わなかった。コードと言っても512ステップしか使えない。つまり打ち込んでも512個のキーを打ち込めばいいだけ。
雑誌に載っていたゲームは表示された数字を記憶して、順番に入力する記憶力ゲームみたいなものだったと思う。そういえばヒットアンドブローでも遊んだ。でもなんせ電卓である。アルファベット表示もできるけれども、基本的には一時停止または停止で入力を受け付けるしかない。プログラムを一時停止(1秒ぐらい)入力待ちをすることで、入力しないとか要求された数字が入力されないとゲームオーバー、または停止(入力終了ボタンを押すまで停止)で分岐ぐらいしかプレイヤーにできることはない。
アルファベット表示はできても、アルファベットがメモリに入るわけではない。それでも数字を割り振ってアルファベット表示の代用にした「相性占い」は作った。数字の1をAに相当させて、1を入力するとAと表示する。相性占いの人の名前を数字で入力させて、数字をアレコレ操作して最終的に〇〇%と表示するだけの相性占い。固有名詞がそのまま数値化されるので、ランダム性はなく一定値が出る。結果は「YAMADA TARO & SUZUKI HANAKO 56%」のように表示にさせた。これは学校で人気が出た。固定値であるがゆえに一巡したら終わったが、表示にほとんどのソースを割いた作だった。
それでも、数字入力しかない電卓でアルファベット表示させるという発想は自分でも素晴らしいと思う。そういう発想力は評価したい。自分のことだけど。
野球ゲームと称して、テンキーをストライクゾーンに見立てて、789は当たると高確率でヒットやホームランになり、投手側は1~9の数字をすべて使って投球順を決めるというルールでイメージを膨らませた。これは不発であまり面白くなかった。野球はリアルタイムさが欲しいゲーム。微妙な入力タイミングみたいなことは電卓ではできなかった。
競馬ゲームも作った。掛け率を見て予想して入力して発走、ゲーム内の所持金が増えたり減ったりする。馬の並びが変動する演出は入れたもののイマイチ。
この電卓は遊び倒し、最終的には音付きのゲームも作った。電卓にスピーカーはない。しかし接続端子にイヤホンのコードを切って接触させる方法で、画面の表示に連動したノイズ音が聞こえることを発見して音付きとしたのだ。
天才としか思えない。
ゲーム以外でも大きな数字の素数を計算させるとか。計算速度が今のPCみたいに早くはないので、1つの数字を出すのに1時間2時間かかった記憶がある。まぁ、計算のアルゴリズムがアナログだったのも原因だろうけど。
誰かに指示をされるわけでもなく、誰かに教えてもらうわけでもなく、そういう遊びをしていた自分はかなり変人。「これが素数だ」と見せて誰も喜ばないし、それが正しいかどうかも怪しい。でも楽しかった。
という昔話を残しておくことにした。
今は何でもネットで調べられる。
逆に昔は情報がなかったから発想が鍛えられたのかなと思う。
インスタントな正解は飛躍的発想を阻害していると思う。
例えば大きな素数なんてネットで調べたら2000万桁なんて出てくる。当時それを知っていたら自分で12桁の素数を割り出してやろうという発想は生まれなかっただろうし、どうやって素数を割り出すかを考えることもなかったろう。