文芸部
朝、いつもの目覚まし時計の音で目を覚ます。音は1番好きなアーティストの曲で、毎日でも聴きたいと思い目覚まし時計の音に設定した。しかしいくら聞いても飽きなかった曲が目覚ましの曲になった途端、あっという間に嫌いになった。イントロが外で流れてるのを聞くだけで不快感が漂うほどだ。好きと嫌いは案外簡単に裏返ってしまうものなんだと実感した体験である。
もう一度微睡みの中へダイブしたい欲望を抑え、ベッドから起き上がる。寝起きと憂鬱感で体に重くずしっと体重を感じる。とても気だるく、閉じた瞼は細かく糸で縫われたかのようになかなか開かない。
携帯から鳴り響く今では苛立つだけのかつて好きだった音楽を止める。いつも通りの毎日が始まる。
階段を降り洗面台に立つと良くも悪くもない自分の容姿が写し出される。
寝癖だらけの長い髪から不機嫌そうな目が覗く。
表情筋が乏しい口元からは活力を感じさせずそこからはなんの魅力も得られない。
それらを補うようににょきにょきと伸びた身長も本人においては邪魔くさいだけというのが現実だ。
顔を洗い朝食もそこそこに家を出た。
高校に入り一度目の夏が終わり、また新しい季節が巡ろうとしている。それでもまだまだ田舎の坂道を自転車で漕ぐには高すぎる気温だ。
汗が滲み出す。
「あつ…」
誰に訊かれるでもない言葉をこぼす。
前に楽しそうに話しながら自転車を並走させている2人の女子生徒がいた。後ろから追う形の自分は必然的にスピードが落ちる。とても邪魔だ。
漕ぐことに集中して学校に着いてから話すのではダメなのだろうか。漕ぎながらでも話さなければならない急を要する話題なのだろうか。だとしても話しずらさから考えて彼女たちの行動はとても効率が悪く思える。まだすこし残る眠気に気が短くなり、目の前の迷惑に苛つきを感じる。
学校につくと廊下から、教室から、後ろから前から
あちらこちらから愉快な笑い声と話し声が聞こえてくる。それらはどこまでも自分のテンションとは噛み合わない。騒音でしかないいくつもの他人の声がぶつけどころのない苛つきを加速させた。
俺は耳にイヤホンを刺し、ライブラリから気まぐれに曲を選んだ。すでに消え去った眠気に逆らい塞ぎ込むように目を閉じる。音量を大きくし、周りからの情報を完全にシャットアウトする。
いつも通り学校に行き、いつも通りの時間割で授業が終わり、運動部のやかましい掛け声を横目にいつも通り帰宅して、いつも通り家でゲームをする。
ルーティン化した秩序的な日常に少しの発見を見つけるような生活。他の者から見ると退屈そうな日々も自分では意外と気に入っている。
後ろから声をかけられた。
「黒井、ちょっといいか」
生徒指導の教師だ。贔屓目が目にあまる教師で目をつけられるとなかなかしつこい。
何かしただろうか。思い当たる節はないが自覚がないだけかもしれない。
「はい、なんでしょうか。」
「お前部活は入ってるか?」
お前呼びが気になった。
「いえ、入部はしていません。このまま帰って読書をする予定です。」
なんとなく嘘をついた。
「実は急用が入ってな、この資料を文芸部に届けてくれるか?あと未提出の資料の催促もお願いしたい」
「文芸部ですか…」
「あぁ、部活練に部室があるはずだ 頼めるか?」
いや、頼めない。部活動はしていないと今言ったはずだ。文芸部なんて聞いたこともない部室へ足を運びに、遠い部活練へ移動するのはなかなか面倒臭い。
だが長い教師人生で逆らわない生徒の特徴でも覚えたのだろう。彼は有無を言わせない目で自分を見てくる。
そして彼の感は正しく、自分は逆らわなかった。
「…わかりました」
彼は満足そうに笑い白々しくお礼を口にした。そしてとても急いでるようには見えないノロノロとした速度で廊下の向こうへと去っていった。
部活練のに訪れるのは二度目で、入学して間もない頃一度好奇心と共に来たことがあった。
本練と向かい合わせにあるひとまわり小さい木製の建物だ。
ここでは10代の有り余った活力と気力が視線、音、空気、全てを通して大げさなほど主張してくる。輝かしくも鬱陶しい雰囲気に満ちている。
生徒からは純粋な夢と希望が満ち溢れ、元気な笑顔に自分はつい目を細める。
賑やかだった廊下を抜け、人気が少なくなるほど奥へと進み突き当たりを曲がる。
薄暗い廊下が続いていて、一番端の部屋の電気がポツンとついていた。吹奏楽部の不協和音が遠くから聞こえてくる。
扉の前まで行くと文芸部と書かれた看板が見えた。よく見ると誰かのイタズラなのか文字には二本線が引かれていて、その下に動き出しそうな柔軟な文字で【探偵部!!】と書かれたコピー用紙がバラバラの長さのセロハンテープで貼られている。
合ってるよな?
2回ノックをしたが返事はない。早く用を済ませたかったので勝手に扉を開けた。
教室からはインクと紙の匂い、少しの埃臭さが漂ってきた。古い図書館のにおいにとてもよく似ている。
本棚が壁面にびっしりと並んでいて本がぎゅうぎゅうに詰まっている。広さこそないものの学校と図書室よりも充実しているかもしれない。
床にゴチャとゴチャとものが置いてある。部屋にそぐわぬ派手な赤い2人がけのソファーと長机が異質感を漂わせている。
「あの…」
ソファーの上に猫のように丸まって静かに寝ている女子生徒がいた。部員だろうか。
日本人形のように真っ黒な黒髪。限りなく白に近い肌にちりばめられた反転した星のようなそばかすが特徴的だ。
もう一度、次はすこし大きめに声をかけた。
「あの!!」
パチリという音が聞こえそうなほど勢いよく彼女の目が開いた。自分の方を見てすこし驚いた仕草を見せる。
「はじめまして、あの、生徒指導の教師から資料預かって」
全部喋る前に遮られた。
「探偵部へようこそ!!」
よく通る声が教室に響き渡った。自分は驚いてすこし身をすくめた。
「文芸部なんじゃないんですか?」
「うん、探偵部、書いてあったでしょ?」
確かに書いてあった。だが探偵部なんて聞いたこともない。この教室はどう考えても文芸部のものだ。
「文芸部ですよね?」
「探偵部だよ」
彼女は食い気味に言い切った。断言した。どうしても譲れないようだ。
「仮にあなたが探偵部だとしても、この部室は確かに文芸部のものです。ここの部長に伝えてください。この資料と、あと、まだ未提出の資料をなるべく早く出してくれと伝言を頼まれたんです」
「わかったわかった、出す出す、その代わりにさ」
彼女はパッチリした真っ黒で大きな瞳で自分の目を覗き込むように見てきた。
「探偵部に入部してよ」