第8話 変わらない
「さてさて、面倒な顔合わせと堅苦しいあいさつはおしまい。実人、お茶ちょうだい!」
「おいお前な、話はまだ終わってないぞ。弟子を連れてくるなら前もって連絡を……」
「あれあれ? そんなこと言っていいのかなぁ。誠実。例の物を出してくれる?」
畳におでこを付けたままの僕に指示が降ってくる。
ゆっくり体を起こして持ってきた風呂敷包みを解いて中身を取り出す。
机の上に置いたものを見て、実人さんの目がまた鋭くなった。
「この街の人なら誰もが知っている。秋葉市の名産、三色だんごさ!」
例の物なんて意味深な言い方をしているが、その正体はただの和菓子である。小さな折箱に敷き詰められた一口大のサイコロ型の餅の上にこしあん、白あん、ごまが載せられている。
「ふふふ。君もこれが好きなのは知ってるよ。仕事の話は食べた後でもいいんじゃない?」
「……お茶くらいは出してやる」
実人さんが部屋の外に声をかけると、すぐに若い女性がお茶と皿を持ってきてくれた。
師匠は、だんごの包みを開けながらうれしそうに話す。
「休日も稽古なんて大変だなぁ。ま、秋功学園は文武両道だから仕方ないか」
「秋葉一族が文武両道だから秋功学園も同じ理念を掲げているんだ。間違えるな」
「はいはい。そういう細かいところ気にするの昔からだよね。人間って変わらないなぁ」
「昔からアホみたいな嘘や冗談ばかり言っているような奴に言われたくないな。お前、学校でなんと言われてるか知ってるのか? 『お願いだから黙っていてほしい美人』だぞ」
「ねぇねぇ誠実。今の聞いた? 美人だって美人。照れちゃうなぁ、もう」
師匠の耳は嘘と真実を聞き分ける力があるけれど、都合の悪いことは聞こえない欠陥もある。
ただ、師匠が美人なのは事実だし、学校でそういう風に言われているのもまた事実である。
「はっ。いつかその減らず口を黙らせてやるからな。覚悟しておけよ」
「ふふふ。やれるものならやってみなよ。私は舌を抜かれたって騙り続けるからね」
実人さんは眉間にしわを寄せて険しい表情を見せ、師匠は赤い舌をペロッと出して笑う。
言い争っているけれど、本当は仲がいいんじゃないかな。
「さあさあ、話すのはこれくらいにして食べようか。いただきます!」
気づけば師匠が団子を三人分に取り分けてくれていた。本来なら弟子がやるべき仕事なのに。
僕はすぐにお茶と団子、爪楊枝をそれぞれの前に配る。団子の甘い匂いが鼻に入り、その後を追うようにして緑茶のさわやかな香りが飛び込んでくる。
「んー。やっぱりおいしい。あんこの程良い甘さと弾力のある団子の相性が最高だね」
師匠がとびきりの笑顔でうれしそうな声をあげている。
向かいに座っている実人さんは黙々と食べている。なんとなく目つきが和らいで頬もゆるんでいる気がした。好物というのは本当らしい。
二人が食べ始めたのを見てから僕も……。
そこで気づいた。
三色だんごの箱には最初から爪楊枝が二本入っている。
しかし、この場にいるのは三人。
実人さんと師匠の分はあっても僕の分はない。
手で食べるのは行儀が悪いし、お手伝いさんに頼んで持ってきてもらうのは申し訳ない。
仕方ない。ここは我慢しよう。
「あれあれ? 誠実はどうして……あ、そっか。気づかなくてごめんね」
いいんです。
師匠の喜ぶ顔とおいしそうな匂いだけでお腹いっぱいですから。
弟子の心の嘘を知ってか知らずか、師匠は爪楊枝にこしあんの団子を刺した。
「あーん」
「あの……師匠……?」
「あーん」
「すみません……さすがにこのような場所では……」
師匠はニヤニヤと笑みを浮かべて首を傾げている。
あ、わかった。
この人この状況を楽しんでるんだ。
僕は覚悟を決めた。
口を開けてすぐに団子を迎え入れると、よく噛んで飲み込む。
「次は白あんね。はい、あーん」
師匠のいたずらっ子のような笑みとおいしそうな団子が目の前にあった。
僕は諦めてまた口を開けて迎え入れる。
「おいしい?」
「はい……おいしいです……」
正直味わう余裕がない。
そんな僕をよそに師匠は爪楊枝でごま団子を刺していた。
「ずいぶんと弟子を可愛がっているようだな」
実人さんの鋭い視線と言葉が飛び込んできた。
「ふふふ。師匠は弟子を愛でるものだからね。たっぷり可愛がってるよ」
「はっ。文字通りの愛弟子というわけか。だがなぁ、いくらかわいいと言っても少し甘やかしすぎじゃないか? 犬や猫のように扱ったら彼も怒るだろう」
「やだなぁ。ペットじゃないんだから。私は足りてない愛をたっぷり注いでるだけだよ」
師匠はお得意の屁理屈をこねて言い返す。
それからごま団子を僕に食べさせた。
実人さんもまたすぐに反論すると思った。だが神妙な面持ちで考え込んでから言う。
「そうか。いや、そうだな。愛が足りていないのはよくないな」
「もう、なんでそういう顔するかなぁ。やめてよ」
師匠も調子を狂わされたように口を閉ざしてしまう。
「ところで、【騙り名】は与えたのか?」
「それは……まだだけど……」
騙り名とは騙り部一門に伝わる風習の一つで、師匠から一人前と認められた弟子に贈られる通り名のようなものだ。騙り名を持てば一人で仕事ができるし、弟子を取ることもできる。
師匠、古津詠の騙り名は【歌詠みの騙り部】。
歌を詠むように澄んだ声と美しい旋律で騙る姿から付けられたのだという。その騙り名は師匠にとても合っていると思う。
いつか僕も騙り名をもらえるくらい立派な嘘つき、騙り部になろうと心に決めている。
しかし、立派な嘘つきとはなんだろう。まだ僕は答えを出せていない。
「はっ。騙り部一門きっての天才と言われるお前も指導者としての才能はないんだな」
「そうかもね。でも誠実は入門してまだ一ヵ月。気にしなくていいんだよ」
師匠は僕の頭を撫でてくる。彼女は時と場所を選ばずにこういうことをする。
怖い顔の実人さんにキッと睨みつけられた。すべてを射抜くような鋭い視線だ。
僕は怯えるように縮こまってしまうが、師匠は見せつけるように頭を撫で続ける。
「弟子を愛でるのと甘やかすのは違うぞ。なんなら、うちの道場で鍛えてやろうか?」
「私の弟子をどう育てるかは私の勝手でしょ? 秋葉一族にも口出しはさせないよ」
場の空気も二人の口もどんどん悪くなっていく。
実人さんが正論を言うと師匠は反論を返す。
まさに一触即発。このままでは仕事の話をするどころではない。
「あの! すみません!」
二人の視線が一斉にこちらに向いた。
それだけで背筋に寒気が走って身が引き締まる。
僕は深呼吸してから重い口を開いた。
「実人さん……師匠を責めないでください。師匠はなにも悪くありません。責められるべきは僕の方です。人としても、騙り部としても、未熟だからいけないんです」
師匠は優しくていい人だ。それはわかっている。
けれど、たまにその優しさが辛い時がある。
師匠は僕を甘やかしすぎているし、僕は師匠に甘やかされすぎていると思う。
このままではいけないとわかっていた。
わかっていたのに動かなかった。
しかしそれも今日で終わりにしよう。
今ここでハッキリと宣言しよう。
「これからたくさん勉強して知識を身につけます。騙り部の仕事をこなして洞察力を養います。一日でも早く騙り名を持てるようになります。詠師匠のように立派な騙り部になります。僕は秋葉市にとって、秋葉一族にとって、利益をもたらす人間になります!」
立派な騙り部とはなんなのか。
明確な答えはまだ見つかっていない。
だが見つける。
考えすぎることも動かないこともやめる。
これだという答えを見つけるまで考えながら動く。
バカの考え休むに似たりと言うけれど、なにもしないよりはずっとマシだろう。
頭を上げて正面を向くと、実人さんが真剣な表情で僕を見ていた。恐怖さえ感じるその視線から決して目をそらさない。こちらの想いもまた真剣だと伝えるために。
「……励めよ」
実人さんはそれだけ言うと黙ってしまった。
「はい!」
だが僕にはそれだけで十分だった。
この言葉と気持ちを嘘にしてはいけない。
「誠実。実人と話すことがあるから席を外してくれるかな?」
「え、でも……」
「中庭を見てきたらいいよ。あそこは季節を問わず美しい景色を見せてくれるから。ね?」
なおも師匠は、僕の背中に手を置いて部屋の外へ出るように促してくる。
実人さんの方を向くと、難しい顔をしながら小さくうなずいたように見えた。
僕は頭を下げて外へ出る。襖を閉めた時、落胆したような師匠の声が聞こえてきた。
「……本当に変わらないなぁ」