収容所
捕虜になって半年で、俺達は収容所を移された。同じ所に行った奴もいれば、別の場所へ送られた奴もいる。スヴァルム、ヘオ、ロザーナ……あちこちを転々とした。融通の利くラーディス兵がいるかどうかは、場所によって異なった。中には捕虜同士で軽口を言い合うことさえ咎められるような所もあったからね。
アーバンとはヘオにある収容所まで一緒だった。さすがにここまで来ると同じ部屋に入れられることもなく、あいつと顔を合わせるのは強制労働の時間だけになった。
余計な口をきく暇もなかったね。ヘオは捕虜に対する扱いがあんまりよくなかったから。
俺達が来た時から反抗が許されない雰囲気ができあがっていて、構わずに生意気な口をきこうものなら罰と称してぶん殴られたよ。どっちかっていうとシーハルの連中が甘すぎたんだ。むしろ前線にいたにも関わらず、どうしてあんな風に俺達に接していられたのかが不思議なくらいだが……。
俺はヘオではいかに楽をして労働をやり過ごすか常に考えていた。あそこはとにかく体力勝負の重労働ばかりなのに、与えられる食事は島にいた時より少なかった。戦争条約で保障された量を満たしていないんじゃないかって言っても聞きやしないんだから。
俺とは反対にアーバンの奴は真面目に労働をこなしていたよ。あの馬鹿のことだ、ラーディス兵の印象をよくして、そこから会話の糸口を探ろうなんて思っていたんじゃないか。
その考えはあながち間違いじゃなかった。ただ効果を発揮したのは、アーバンが死ぬ間際になってからだった。
毎日率先して働いて、弱音を吐く奴らにも声をかけてやっていたアーバンをある時からぱったりと見かけなくなった。二、三日しても戻って来ないから、監視の目を盗んで同部屋の奴にどうしたのか聞いたら、風邪をこじらせて起き上がれないみたいだって言われた。
ヘオは夜が特に冷えて、夏の昼間でも気温が十度前後しかない。苦渋の選択で夜は野郎どもが身を寄せ合って体を温めよとしても、見張りがちゃんと自分のベッドに戻れって怒鳴りつけてくる始末だ。治るもんも治らないよ。
一週間が過ぎた頃、アーバンの体調が一向に良くならないから、ついに部屋を移されたって話が耳に届いた。よっぽどのことが起きてるなとは思っていたが、更に二週間もした頃、労働の途中に俺だけが呼び出された。
仕事に手を抜いているのがバレたのかと思ったら、連れて行かれたのはアーバンの所だった。移動している最中、ラーディス兵からアーバンはもう長くないだろうって聞かされたよ。
大体そんなことだろうと予想はしていたが、他人事みたいな言い方に腹が立ってね。環境が劣悪なせいだろって言い返したら、いやそうじゃない、風邪をこじらせたとか感染症だとかではなく、アーバンは病気にかかっているって。……医者でも手の尽くしようがないと言ってはいたが、どうなんだろうね。仮に治せる病だったとしても、捕虜を治療するはずがないと俺は思ってるよ。
俺を連れ出したラーディス兵は、アーバンがなんとか懐柔に成功した一人だった。今日は責任者が不在だから特別に会わせてやるって言ってたな。なんで俺なんだって訊いたら、アーバンが会いたいと言っているからだって。
俺は腹の中で覚悟を決めたよ。アーバンは気に食わない奴だが、奪還作戦を生き延びた同胞だ。今まで積もり積もった俺への不満くらい、その日だけは黙って聞いてやるつもりだった。
連れて行かれた先でベッドに座っているあいつを見た時、こんなに小さい男だったかなと思ったよ。たった数週間、顔を合わせなかっただけなのに見た目が様変わりしていた。
死神に魅入られるっていうのはああいうのを言うのかな。半分、別世界に片足を突っ込んでいて、この世ならざるものになりかけているのがすぐにわかった。島で戦っている時に見た兵士達の雰囲気に似てはいるんだが、アーバンの目にはもう生き延びてやろうって意志はなかった。
アーバン以外にも患者がいたが、他も似たような感じだ。部屋には死臭が漂っていた。
座ったままじーっとして動かないあいつに、こんなところで休暇中とはいい身分じゃないかって声をかけても、微笑みはするんだが何も言い返してこない。話そうとして唇を開きかけても、途中で気力が尽きるのか黙り込んじまう。
散々待たされてやっと話し始めたと思ったら、自分が死んだら細君にそのことを伝えに行ってほしいと頼みやがった。俺が思いっきり顔を顰めると、やっと調子が出てきたのか、あなたは嫌がるでしょうがって知ったような口をきく。
嫌に決まってるだろうよ。あいつの細君に会うってことは、俺が復員するってことだろう。何にもないあの国に帰ってどうなるっていうんだ。
アーバンには、子ども達にも会ってほしいと頼まれたよ。末の子はあいつが出征した後に生まれたそうだから、名前を確認してきてほしいそうだ。俺はガキが嫌いだって断った。でもあいつは聞く耳を持たなかった。もし末の子にアーバンの名前が付けられていたら、改名させてくれって言うんだ。
何の話だかまったく意味がわからなかったが、相手は病人だ。支離滅裂な話をしていてもしょうがない。ガキにお前の長ったらしい名前が付けられそうなのか、それは悲惨だなって俺は鼻で笑ったよ。
そしたらあいつは深刻な顔で、アーバン・フラッド・イルマー・ジャックは兄の名前なので、自分が戻らなかったら末の子には自分の本当の名前が付けられてしまうかもしれないって言い出した。
アーバンの名前は死んだ四人の兄貴からとられてる。病弱だったり、事故にあったりで全員アーバンが生まれる前に死んだそうだ。四人目の兄貴はアーバンがまだ母親の腹の中にいる時に死んじまったもんだから、母親はずいぶんと取り乱したらしい。何を思ったか、早産で生まれたアーバンに四人全員の名前をつけたそうだ。本来、あいつに与えるはずだった名前を捨ててまで。
馬鹿みたいな話だよ。でもアーバンはもっと馬鹿だった。両親に言われるがまま、顔も知りもしない兄達を誇りに思って、与えられた名前に恥じぬように生きてきたんだとさ。
アーバンは本当の名前を俺に明かしたよ。それであいつの両親が末の子どもにその名前をつけていないか、確認してきてほしいって頼みやがった。
捕虜になっている兵士の家族は戦死公報を受け取って、俺達が死んだものだとばかり思っている頃合いだった。細君はおとなしく控えめな人だから、両親が自分の名前をつけると言い張れば強く言い返せないだろうから心配なんだとさ。
俺は面倒だと言い返さなければならなかったのに、首を吊った母親の姿が頭をよぎって機会を逃した。言いたいことを何も言えないまま死んでいった姿が、顔も知らないアーバンの細君に重なったんだよ。その隙にアーバンは、自分の本当の名前を知っているのは、両親をのぞいて細君と俺だけだと言いやがった。
細君はアーバンの幼なじみだから奴の境遇を知っていて、結婚する時にアーバンの兄達と結婚するわけではないからと、本当の名前で呼ぶことを提案してきたそうだ。
アーバンは、仮に細君が誰か新しい男と家庭を築いたとしても咎めるつもりはないが、誰かの代わりではなく、己の人生を生き抜いた証がなくなるのは寂しいので、万が一の時はあなたの心の中で生き続けようと思いますってとんでもないことを抜かしやがった。気色悪い。寒気がしたよ。
病魔に頭までやられたかと吐き捨てたら、嫌でしょうとこともなげに言われた。あなたはそんな重荷を背負うのを厭うだろうから、こう言えば俺の故郷に行って、細君の無事を確認したくなるでしょう。そのついで、ついででいいから子どもの名前を変えてくださいって。
その狡猾さはラーディス兵との交渉の時に発揮しろって言えば、あいつらには気を遣うから無理だとさ。上官の俺には気を遣えないのかって睨みつけても、嫌いですからと言い切りやがった。
話し疲れてきたのか声に力はなかったが、本心だったろうね。俺とさえ出会わなければ、兄の名前を背負って死ぬことのおかしさも、末の子どもにどんな名前がつけられているかも気にせずに死ねたって恨みがましく呟くんだから。
アーバンは俺に背中を向けて寝転ぶと、頼みますとだけぶっきらぼうに付け加えた。それが人にものを頼む態度かと訊いたが、何も言いやしない。一方的に押しつけて二日後にあっさり死んじまった。皮肉なもんだよ、一番国に帰りたがっていた奴が帰れないなんて。
遺体はラーディス兵達がどこかに持って行って処理されることになった。誰かが遺骨の一部でももらえないか訊いていたが許されなかったね。その代わりと言っちゃなんだが、アーバンと親しくしていたラーディス兵が俺に聖典を渡してきた。何のつもりだと思ったら仲間を見送るのに必要だろうって。
こんなもんどうしろっていうんだって言い返したよ。俺も他の奴もラーディスで信仰されている教えについてはさっぱりだ。そしたらそのラーディス兵が、簡易的にだが葬儀に使うものを集めてきて手順を教え始めるんだ。
ラーディス流のやり方だからとかそういう理由じゃなく、俺は葬式をやる理由っていうのを見出せなかった。あれは残された側が自己満足のためにやるものだろう。故人からしたら死んだ後につらかったな、よくやったなって言われたって今更じゃないか。報われるべき奴はどこにもいない。
だがアーバンを慕っていた奴らが集まってきたせいで、結果的には葬儀の真似事をすることになった。最初はラーディス式のやり方を真似ようとしていたが、途中から母国ではああしてた、あれを最後に供えてやりたいだの好き勝手言い始めやがった。しまいにはどうにかならないかと俺に泣きついてきて、いつもと同じように交渉役をやらされていた。
断らなかったのには色々と理由がある。まとめ役のアーバンがいなくなって、捕虜連中の間には動揺が広がっていた。俺はどっちかっていうと嫌われていて、都合のいい時だけ頼りにしてくる奴が多かった。そいつらの上に立つためには、心が弱っている時につけ込むのが一番なんだよ。捕虜連中をうまくまとめてさえいれば、ラーディス兵の心証もよくなるからね。今までアーバンと二人で分担していたことを一人でやらなきゃいけなくなることが俺にはわかっていた。
割と無茶な頼みもしたが、ラーディス兵は色々とよくしてくれた。よかれと思って、上官の目を盗んでアーバンの遺品を押しつけてくるほどにね。私も妻と娘を家で待たせているから気持ちはわかる、連れ帰ってやれって。
さすがに嫌だとは言えないだろう。断ったらそれこそ俺の心証は最悪だ。どいつもこいつも能天気な奴ばかりだった。シーハルでもそうだったが、何故こいつらは殺し合っていた相手にそんなふるまいができるんだろうって思ったね。矛盾している。
葬儀はラーディスと母国でのやり方が混ざったちぐはぐしたものになった。そんな中で大泣きしている連中も、問題が起きないように厳しい表情で監視しているラーディス兵も滑稽だった。
俺は完全にしらけてた。何をしているのかわからないなってよそごとばかり考えていたよ。ぴくりとも動かないアーバンの姿に、自分が殺したラーディス兵の姿が重なった。
シーハルでは敵味方問わず、誰にも知られず戦死した奴が多かった。大勢に見送られ、悼まれるアーバンは幸運だよ。間違いなくそのはずなのに、俺ははっきりそうだと言い切れなかった。
今まであたりまえに抱いていた考えを、強く思い込まなければ受け入れられなくなってきたのはその頃からだ。
アーバンの死後、予想通りに俺は捕虜たちをとりまとめる立場になった。なんとなく、今まで通りのやり方が通用しないのはわかっていた。だからラーディスの言葉を口にする躊躇いは捨てた。
最初は命令された時にディーアって返事をするところから始めた。それしか知らなかったからね。俺がラーディスの言葉で返事をしたら、相手は驚いたみたいに一瞬動きを止めた後、ふっと口元だけで笑ったよ。
ただ交渉手段の一つとしてやり始めただけだった。でも回数を重ねて、話せる単語を増やすごとに、返ってくる反応に確かな手応えがあるのがわかった。一発の銃弾を放ったら倍の反撃を受ける戦場でのやりとりとはちがって、地味で生ぬるいものだった。
でも俺はその感覚をもうずっと前から知っていた。エルヴァで現地民が俺をグンソーと呼んだ時のそれに似ていた。あの時の俺は、奴らに何も返さなかったが。