捕虜生活
――結論から言うと、ベベローシュは降伏を意味する言葉だった。
意識を失った後、ラーディス兵達は俺を連れて帰り、野戦病院で治療を施した。
目覚めた直後は一体、何が起きているのかわからなかった。体には清潔な包帯が巻かれ、痛み止めの薬が与えられる。一日三回の食事も出た。それも怪我人用に食べやすく調理されたものだ。
ラーディス特有の味付けは合わなかったが、水を与えられた時は傷があるのも忘れて飛びついた。誰かに横取りされてなるものかと、急いで口の中に流し込んだよ。あまりの勢いに看護師が呆気にとられているのを見て、ばつが悪かった。
最初、俺が生かされているのは何かの作戦だろうと見当をつけた。恐らく奴らは俺を懐柔した後、拷問を始める気なんだろうと。随分と見くびられていることに腹が立って、何度か自殺を図ったがその度に人が駆けつけてきて止められた。奴らは俺をベッドに縛り付け、見張りをつけて死なせないように苦心していた。
そいつらに俺は殺せと叫んだよ。相手を怒らせたくてベベローシュとも言った。すると見張りにあたった兵士が、何故殺せと言いながら降伏の言葉を口にするんだと訊ねてきた。君は矛盾していると。
ラーディスの軍服を着た奴が、流暢に俺達の言葉を話すのに驚いて俺は何も言えなくなった。何よりも驚いたのは奴の発言だ。一瞬言葉を失ったが、俺はすぐに惑わされないぞと叫んだ。
情報を遮断された環境で、信じられるものは自分だけだと必死に言い聞かせた。そいつはすっかり呆れていたが、勝手に話を始めた。暇だったんだろうな。
まず俺は殺されずに捕虜になると教えられた。それは決定事項だって。
あの晩、俺が突然現れたせいでラーディス兵達は混乱に陥っていたそうだ。まさかこんなところまで自力でやってくる奴がいるとは思わなかったらしい。
俺を殺してしまおうと興奮して騒ぎたてるラーディス兵を黙らせたのは、アーバンだった。遅れて別の場所で発見されたあいつは軍服を脱ぎ捨て、ビラを持った手を高く上げて投降していた。
俺達がいち早く発見されたのは、密林に設置された集音器のせいだった。敵陣地付近と、俺達が上陸した付近に設置されていたらしい。俺達の居場所は筒抜けだったんだ。
アーバンから近くに俺が潜んでいる可能性を聞いたラーディス兵が駆けつけた時、俺はベベローシュと繰り返していた。そのせいで俺は死に損ねたんだ。
その話が終わるよりも先に、俺は舌を噛みきって死のうとした。俺に事情を説明していたラーディス兵はすぐに気が付いて、椅子を倒す勢いで立ち上がったよ。口の中に指を突っ込まれたから、骨を噛み砕いてやるつもりだった。
そいつは物凄い声で絶叫したが、決して俺の口から手を抜かなかった。ラーディスの言葉で何か叫んでいたが、不思議とそれが俺に対して語りかけられている言葉だというのはわかった。
俺にはすぐに鎮静剤が打たれた。口から指を引き抜いたラーディス兵は、また俺達の言葉を使って、何故そんな馬鹿なことをすると問い掛けてきた。治療を促す周りの奴を振り切ってそればっかり。
答えは決まり切っている。俺が愚かだったからだ。奇襲作戦の大義名分のもと、多くを切り捨てた俺が命乞いの言葉を口にして生き延びたなんてあってはならなかった。
何故、何故ってどいつもこいつも同じことばかり言いやがる。答えたところで誰も俺のことは理解できない。他人を理解できるはずがないんだ。俺だってそうだ。あの人を理解できない。
嘘を教えたあの人が憎かった。教えるなら、あの人の部屋を訪ねた俺以外の人間に教えればよかっただろう。許せなかったよ。なんでよりにもよって俺だったんだ。問い質そうにも、もう一度あの人と言葉を交わす手段はない。
俺に指を噛まれた兵士は懲りずに何度も見張りの役を買って出た。周りに止められても無視してたな。好き勝手に俺の傍で話をしていたよ。アーバンが捕虜になってこの島の収容所に入れられていると聞かされたのもそいつからだった。
俺は拘束具でベッドに縛り付けられ、猿轡を噛まされてぼんやりと天井を見つめながら毎日を過ごしていた。死にたいって思う気力すら削がれていた。あんまりにも俺が大人しいものだから、拘束はすぐに外されたよ。俺に指を噛まれた奴が直々に外してくれるのを見ても、反抗する気は起きなかった。
傷が癒えて立ち上がれるようになった頃、尋問を受けた。野戦病院のベッドの上でもあれこれ訊かれたが、その時はうちの戦力や作戦内容に関する質問が大半だった。
回復した後に訊かれたのは俺が実際にこの島で何をしたかだよ。いつどこで、何人をどうやって殺したか。戦争犯罪にかかわってくる内容だ。味方軍の情報に関しては黙秘するか、でたらめを口にしていたが、これに関しては訊かれたことに素直に答えた。
俺の態度の豹変っぷりに奴らは困惑していた。俺はもうどうでもよかったんだ。裁判にかけられて死刑判決を食らえるならそれが一番だと思っていた。結局、俺の行いは罪に問われなかったがね。
取り調べが終わった後は晴れて捕虜の身だ。野戦病院から、テントに移された。捕虜は全部で三十五人。そのうち俺を含めた八人が戦闘中に負傷して捕らえられ、残りはビラが撒かれた後に投降した奴だった。
奪還作戦の生存者はこれだけだ。この時、俺が捕虜になってから二か月半が経っていた。投降の期限の三日はとうに過ぎ、こいつら以外は全員猛烈な攻撃を受けるか、密林の中で餓死していた。作戦は失敗し、シーハルはラーディスの手に落ちたんだ。
俺は降伏した腰抜けどもを前に内心息巻いていた。自分がろくな抵抗もできずに捕虜になったんじゃなければ、殴っていたかもしれない。奴らもテントに入ってきた俺を見て気まずそうにしてた。誰から聞いたのかは知らないが、捕虜になってまで生きることを拒んでいるとすっかり知れ渡っていたんだ。
平然としていたのはアーバンだけだよ。あいつは自分から俺の前に歩み寄ってきて、ご無事で何よりですって言いやがった。元はと言えば、俺はあの人が原因で屈辱的な状況に置かれることになったわけだが、こいつが俺のことをぺらぺらしゃべったのもそうなった原因の一つだった。
憎悪が膨れ上がって、奴に掴みかかったところをラーディス兵に止められた。面白くないことに、アーバンは他の捕虜をとりまとめる立場についていた。
はっきりとそういう役割が決まっていたわけじゃない。だが捕虜同士で揉め事があった時に仲裁に入ったり、ラーディス兵に待遇改善の交渉をしたりするのが自然とアーバンの役割になっていたんだ。
しばらく見ないうちに随分とえらくなったもんだよ。ラーディス兵さえそれをおかしいと思っちゃいない。あいつは無事に故郷に帰るために、面倒を言いつけられても進んでやる忠犬だった。おまけにラーディスの言葉を話すまでになっていた。おかげでラーディスの連中の覚えもよかった。
言葉は兵士達が会話しているのを聞いて覚えたみたいだ。命令をされた時に了承を意味するディーアって短い言葉を使うところから始めたらしい。
ディーアはラーディス軍内部で、下士官が上官に対して使う独自の言葉だ。それを言うとラーディス兵はにやっとするんだよ。馬鹿にしているとかじゃなく、こいつは面白い奴だなって意味で。
アーバンは自分に興味を持ってくれた兵士に積極的に話しかけて、味方を増やしていた。アーバンと仲良くなったラーディス兵は、嗜好品なんかを融通してくれたよ。それを独占せず、仲間内で分け与えるものだから、アーバンの地位はますます固まっていった。
内心では降伏したことを見下している奴らも、物につられてすぐアーバンを慕うようになった。俺はアーバンに向かって、石頭にこんな芸当ができるとは驚いたなって言ったよ。少し離れた場所に仲間達の死体が転がっているっていうのに、その変わり身の早さには恐れ入るって。
その場にいた奴は全員黙り込んじまった。後から聞いたんだが、あの頃の捕虜連中は昼間に労働と称して、奪還作戦に敗れた兵士の遺体回収をさせられていた。どこで何人が死んだかを記録に残し、身元のわかるものがあれば回収せよとの命令だったが、腐敗が進んでいてほとんど特定はできなかったそうだ。
終戦は間近とされ、ラーディスの勝利は決まっていたから、時間はいくらでもあった。あいつらはたっぷり一か月半、遺体回収に追われていたらしい。
俺達の間に決定的な溝が生まれたのはこの時だった。俺は療養のためと称して一日中収容所にいるだけなんだから腹が立っただろうね。知らなかったなんて言い訳をするつもりはない。仮に俺があいつらと同じ作業をさせられていたとしても、俺は言うのをやめなかっただろう。
今まで俺に怯えて下手に出ていた奴も、あからさまに生意気な態度を取り始めた。戦闘中に捕虜になった奴らは俺とアーバンのどちらにつくか決めかねていたが、そいつらにさえ見限られて小競り合いが多くなった。
俺がどれだけ邪険にしても、アーバンだけは何も変わらなかったな。ラーディス兵からもらったものを分け与えようとするから突っぱねても、捕虜になる前と変わらずに、何故あなたはそうなんですかとだけ訊いてきやがる。
結局、他の奴が俺とは一緒に生活できないって騒ぎ立てたせいで、俺は別のテントに移されたんだ。その先でもまたそりが合わない奴がいて、ちょっとした殴り合いになった。突っかかってきたのは向こうだったのに、ラーディス兵は反省って名目で俺を隔離した挙げ句、労働を取り上げた。