奇襲
断崖の道を歩いている最中、敵のテントが建ち並んでいる場所を見つけた。現地民のものと思われる集落もあった。疎開して住人がいなくなった家をそのまま使っているんだろう。意識が朦朧とするほどきつく照りつける太陽のせいで幻覚を見たのかと思ったが、アーバンも同じ方向を眺めていた。
そこに行くのなら、馬鹿正直に断崖の道を歩くよりも、崖を下っていった方が早く着きそうだった。奇襲をしかけるのなら思いもよらないところから出ていくのが効果的だろうと思って、俺はまた岩に手をかけて崖を下り始めた。
命綱もなしでよくやったよ。思考なんてまともに働いちゃいなかった。アーバンが崖の上からこっちを覗き込んで、降伏しましょうって言ってきたから、何のために武器を集めてきたと思ってんだって怒鳴り返したよ。
そんな装備で何になるんですかって叫ばれたが、言われなくたってわかってる。テントの数からして兵の数はこっちの倍以上はいるだろうと予想できた。奇襲作戦なんて言えば聞こえはいいが、今思えばただの自殺だ。
崖の上からは巨大な滑走路も見えた。あそこから内地に爆弾を落とすための戦闘機が飛び立つんだろう。できるなら滑走路を破壊して、国に攻め込まれるまでの時間を稼ぎたかったが手持ちの装備じゃ望みは薄かった。となればテントを襲撃するしかない。
敵は俺達が島の反対側で死にかけていて、こんなところに辿り着けるとは思っていないはずだ。油断している奴らが相手ならば、司令部の発見はできなくとも敵兵の一人や二人道連れにできるかもしれない。仮に見つかったとしても、降伏勧告のビラをばら撒いた直後とあれば、いきなり撃ってくる可能性も低いはずだ。
俺は崖の途中に草木が生い茂った場所を見つけて、日が沈むのを待った。夜になったらテントを突っ切って、なるべく奥まで進んで手榴弾を投げるか、小銃を乱射して敵を道連れにするつもりだった。アーバンは崖の上にとどまって来なかった。
日が沈み始めると、あちこちから車に乗って兵士達が戻り始め、敵陣地に明かりが灯された。辺りが完全に闇に包まれると、島に一つの都市が出現したのかと思うほどの眩さだった。俺達が戦いだと信じていたものは、一方的にそう思わされていただけのものにすぎなかった。
月明かりを頼りに崖を下る最中、色んなことを考えた。生まれた国さえ違えば、今頃俺もあちら側にいられたかもしれないとか、そういうことだ。恐らく俺が軍に入ることで得たかった生活はあそこにあった。
考えているうちに段々と腹が立ってきた。奴らが飢餓に苦しむ俺達にこの光景を見せつけているとしか思えなくなってきて、それが俺を奮い立たせた。
崖を下りきった後は勢いのままに密林を前進した。テントが近付いてきて、さあそろそろ手榴弾の安全装置を解除するかって思って立ち止まったところで、急に前方に二人組の男が現れて叫び声を浴びせられた。
何て言われたのかはわからない。でもここで遭遇するのは敵兵以外ありえないだろう。俺は咄嗟に身につけていた手榴弾のピンを引き抜いて、信管を叩いて思い切りぶん投げた。
ところが肝心な時だっていうのに体にはろくに力が入らなくて、手榴弾はろくに飛ばなかった。ひょろひょろと情けない放物線を描いて近くに落ちるのを見て「あっ」なんて間抜けな声をあげたよ。
何にもないところで爆発した挙げ句、俺だけが爆風をまともに食らって吹っ飛ばされた。小銃は手放したせいでどこかにいっちまったよ。ばらばらと降ってきた土が口の中に入っても吐き出す暇なんてなくて、手持ちの手榴弾の安全装置を全部抜いた。
耳鳴りがひどくて、音が何も聞こえなかった。ナディア上等兵か中隊長から拝借した拳銃を構えた瞬間、右肩と腹部を撃たれた。よりにもよって利き手だ。拳銃から手を離して落とした時、己のふがいなさにナディア上等兵と中隊長に初めて申し訳ないと思った。
わざとらしく呻きながら、俺は地面に倒れ込んだ。これしきの痛みで戦いを放棄するつもりはなかったが、騒ぎを聞きつけて他の兵も駆けつけてくるはずだ。敵陣地まで辿り着くのは不可能だった。ここまでだとやっと見切りをつけられた。あとはせめて俺の死亡確認のために近付いてきた奴を巻き添えに、自爆をしてやろうと決めていた。
耳鳴りはまだ治らなかった。左手に手榴弾を握り締め、地面にぴったりと耳を付けて振動で奴らが近付いてきたのがわからないか探ろうとしたよ。もうなりふり構っていられなかった。馬鹿みたいに思えるだろうが、真剣にやっていたよ。今だと思った瞬間、手榴弾を叩きつけて腹の下に隠した。
そんなことをしたって無駄だった。相手は俺が武器を所持しているのを警戒して、遠巻きにしたままじりじりとしか近付いてこない。都合よく相手を巻き添えにするなんてことは不可能だった。おまけに手榴弾は不発だった。
悔しくて死ねって言ったよ。俺はエルヴァで言葉を覚えずとも、現地民とやりとりをしていたんだからきっと通じているって言い聞かせた。途中から自分に言っているのか、敵兵に言っているのかわからなくなった。
罵倒を繰り返してるうちに、中隊長が手榴弾を保持していながら自決していなかったことを思い出した。ああこれでは示しがつかないと思って立ち上がりかけたところをまた撃たれた。もうどこを撃たれたのかわからないくらい怒りで全身が熱かったが、衝撃で体がぐっと押される感覚で撃たれたのは理解できた。
何発か撃たれたら、機械から重要な部品を抜いたみたいに俺の体は動かなくなった。立ち上がろうと地面の上でもがいては突っ伏しているうちに、やっと敵兵が近付いてきた。
頭を上げられなくて顔は見えなかった。草むらに顔を突っ込みながら急激に体が冷たくなっていくのがわかった。その瞬間に答えが見つかった。
アーバンの質問の答えだよ。どうして俺がこうなのか。
言葉は武器になるって、あの人が俺に教えたからさ。相手を味方につけるのも、期待させないのも、傷付けるのも、怒らせるのも、どれだけ容易いかってことをあの人が教えた。ただ声さえ出ればそれができる。
意識が遠のいていく中、ベベローシュって呟いた。実際に音になっていたのかはわからない。
それでも何度も繰り返した。
敵陣地を目前に一人も仕留められず、なんとも惨めな最後だった。あの人に託された武器がなければ、わずかな抵抗さえかなわないところだった。あの人に教えを請うた自分を褒め称えたくなったよ。
周りに人が集まってくるのがわかっても、俺は言うのをやめなかった。たとえ激昂した相手にどんな目に遭わされようともやめるつもりはなかった。一人でも多くの奴に俺が抵抗する意志を失っていないと知らしめなければならなかった。
俺はあの人から授かった武器と共に戦死すると決めていた。




