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ベベローシュ!  作者: ミノ
【本編】
5/13

降伏勧告

 密林をさまよう兵士が増えたせいで、食い物を見つけるのは難しくなっていた。果実は根こそぎ持って行かれているし、植物の蔦を切って中の水を飲もうとしても、既に誰かがおんなじことをしている。味方同士で食糧の奪い合いもあったみたいだ。


 それに加えてアーバンの話では、更に援軍が来るって言うじゃないか。そいつらが形勢を逆転してくれると信じられるほど、俺はもう楽観的じゃなかった。作戦に失敗すれば、そいつらもまた密林に潜伏することになるんだから。


 食えるものはどんどん減っていた。俺は何て言うか……勘が良かったんだろうな。子どもの頃から食い物を求めて、そこらへんに生えてる草でもなんでもとりあえず口にしてたから、これはいけそうだなってもんがなんとなくわかった。

 もちろん土地が違えば、自生する植物も違う。勘が外れてひどい目に遭うことも少なくはなかったが、それでも致命的な間違いは犯さずに済んでいた。


 アーバンは都合のいいところまで俺の後をついてきて、その後はクレイン伍長のように姿を消すつもりだったんじゃないか。

 あいつからはとにかく生きて帰りたいって考えが透けて見えてた。結婚して、子どもが三人もいたからなんだろうな。細君が四人目を身ごもっている中での出征だったそうだ。


 あいつの家族の存在ってのが、俺には煩わしかった。

 家族に抱いているのと同じくらいの感情を国に向けていたら、組織にとっても俺にとっても都合のいい軍人だっただろう。もったいないね。そういうあいつとなら、うまくやれていたかもしれない。そうじゃないあいつはとにかく面倒だった。戦場で人の心なんて持たれると厄介だよ。


 二人で崖の近くまで来た時、一人の兵士が座り込んでいるのを見つけた。俺は近くに敵が潜んでいるんじゃないか警戒したが、あの馬鹿は大丈夫かと声をかけにいった。

 別にアーバンがどうなろうと構わなかったが、巻き添えを食らうのはごめんだったから一応は止めたよ。聞きはしなかったけどね。


 鉄帽を深く被ったまま項垂れていた兵士が、ちらっと俺を見てまだ無事だったかって言ったんだ。最初は誰だかわからなかったが、近付いてみれば中隊長だった。

 もう面影なんてなかったね。最初の襲撃を受けた後も俺達を殴って従わせていた人が、立ち上がる気力もないくらい痩せ細っているんだから。まだ生きてるのに蝿がたかってて、アーバンが代わりに払ってやっていた。


 そんな状況でも無駄口を叩く元気だけはあるみたいだった。唐突に敵前逃亡は処罰の対象だと言われたくらいだからね。戦いを忘れて逃げていたことを見透かされたんだろう。


 声は掠れていて、ほとんど音になっていなかった。中隊長といえど死人を相手にしているようなもんだ。うるせえ黙れって言い返しても、何もできなかっただろうよ。でも言えなかった。本職はこれからアーバン・フラッド・イルマー・ジャック伍長と共に崖を登り、国のために使命を果たしますって、それだけしか。


 中隊長には、もし俺達のどちらかが内地に帰れたら家族に死んだと伝えてほしいと頼まれた。報酬代わりに水をくれるって言うんで、俺はもちろんですって食い付いたよ。

 なんせ数週間は雨が降っていなくて、水を探すのにも苦労していたからな。水場になりそうな所には敵が待ち構えているから、果物で喉の渇きを潤すしかなかったんだ。


 俺の反応にアーバンの奴は白けた顔をしていたが、なりふり構っていられないだろ。むしろ奇襲作戦には難色を示すほど生きたがっている奴が、水をやると言われて遠慮する意味がわからなかったね。

 水筒に水が入っているから持って行けって言われて、俺は大喜びで飛びついたよ。アーバンの奴が中隊長殿に一口差し上げろと言っているのも無視して、体から水筒を外した。


 俺はもう気道がくっついて離れなくなりそうなほど喉が渇いてた。水筒の蓋を開けて逆さに引っくり返して、渇きに痛む喉が潤う瞬間を待ちわびていた。でもいつまで経っても、待ち望んだ瞬間はやってこなかった。水筒の中は空だった。底の方に銃弾が貫通して穴が空いていたんだ。

 中隊長の体を見たら、水筒に隠れていた場所が赤く染まっていた。よく見たら、水筒にも血がべったりとついていた。これが致命傷だって即座に理解した。


 水を飲めなかったのと、敵兵が近くに潜んでいる可能性を伝えなかったことに激昂したよ。問い詰めても中隊長はうまいかと訊ねてくるだけだった。うまいか、うまいかって、ずっとそればっかり訊いてくる。


 ふざけやがってと言いかけた俺から、アーバンが水筒を奪ってきた。ご馳走になりますって叫んだかと思うと、口元で空っぽの水筒を引っくり返した。それを握り締めながらこれほどうまい水は初めてでありますって、空気が震えるほどのでかい声で言うんだ。敵に見つかる前に俺が殺してやろうかと思った。

 そうかそうかって繰り返している中隊長と、目を潤ませているアーバンが馬鹿らしかった。お前ら初対面で猿芝居してる場合じゃないだろうって。


 どうでもよくなって、俺は中隊長が息を引き取る前に、装備品を拝借する旨を告げて勝手に物を漁った。中隊長はもう怒らなかった。豚皮の装備品があるから持ってけ、茹でてしゃぶったら食えるだろうって。肝心の水がないっていうのにどうやって茹でるんだ。妙に優しいのが気持ち悪かった。手榴弾が残っているのを見て、自決しなかったのには感心したな。


 アーバンはどこか体の一部を切り取って、遺骨を持ち帰ろうって提案してきたが却下した。自分が立っているのさえやっとだっていうのに、指一本だって荷物を増やしたくなかったし、もたもたしていたら敵が戻ってくるかもしれない。


 あなたにも待っている人くらいいるだろうって言われたから、鼻で笑ってやったよ。アーバンはしばらく俺と中隊長の間でうろうろしていたが、俺が奴を置いて崖を登り始めると後に続いてきた。

 偽善者めと心の中で罵ったさ。口だけは達者だが、何もできはしないんだ。そのくせ崖を登っている間、ずっと俺を非難していた。


 どうやら俺が中隊長に怒鳴りかけたことを怒っているらしかった。一度足を滑らせたら地上へ真っ逆さまだっていうのに、どうしてあなたはそうなんですかってそればっかり言う。

 ナディア上等兵から聞いていた話と、実際の俺が全然違うって文句をつけられたりもしたね。笑えることにナディア上等兵によると、俺はエルヴァであの人に一目置かれていたらしい。その理由は俺があの人と同じように下士官を殴らないからだそうだ。


 アーバンはそんな話は嘘っぱちだったと恨み言を吐いていた。そりゃそうだろう。他の奴らからどう見えていたのかは知らないが、あの人は誰も特別扱いなんかしていない。全員に対して平等だった。


 だがアーバンが言いたいのはそういうことじゃないらしい。しつこかったよ、あいつは。あなたは力で相手をねじ伏せることはしないが、言葉で人の心をねじ伏せることに関しては誰よりも秀でているって。もしさっき中隊長が、あなたに水がないと言われたらどんな気持ちになるか思いつきさえしないだろうって。他にも思い出せないくらいに罵られた。


 それが真実だとして、何の問題があるんだって俺は言い返したよ。

 勝手にくだらない幻想を抱いた連中が悪いだろう。俺が下の奴を殴らなかったのはその方が都合がよかったからだ。殴る奴ばっかの中にそれをしない奴が現れると、よく懐いて言うことを聞かせやすくなるんだ。本当は腹の下で何度俺と同じ目に遭わせてやりたいと思ったことか。


 ナディア上等兵は俺を信じていたから最後までついてきたんだって言われても、どうでもよかった。上官の方針に従うのは当然だろう。他にどんな感情が付随していようと、それはそいつの勝手だ。


 俺はどこから敵が現れるか考えるので頭がいっぱいだった。中隊長を撃った奴はどこに潜んでいるのか。地上から撃たれるのか、それとも突然頭上から撃たれるのか。どちらにしろ崖を登っている最中は身動きはとれない。襲撃されたら避ける術はなかった。


 警戒も虚しく、敵機の低いエンジン音が聞こえてきた。岩壁にへばりついたまま後ろを振り返れば、青空の中にこちらに向かって飛行してくる機体が見えた。何かをばらまいているように見えたが、辺りが燃えている様子はなかった。


 べらべらと喋り続けるアーバンの声を遮ってさっさと登れって促したよ。近付かれて機銃掃射にあったらそこで終わりだ。もう少し行ったところに、体を休められそうな岩陰があるのはわかっていた。身を隠すならそこしかない。


 相手に声が聞こえるわけでもないのに、さすがのアーバンも黙って後をついてきた。十数メートル登っただけで、手足の筋肉はぱんぱんになっていた。狭い岩陰に二人で身を寄せ合って座り込んだよ。あいつは図体がでかいから、あれで見つかったら間違いなくアーバンのせいだったな。


 機体は近くを飛んでいったが、俺達の存在には気付かなかった。奴らがばらまいていたものの正体もすぐにわかった。風に乗って流れてきたそれは降伏勧告のビラだった。


 最初に降伏の手段について書かれた文字が目に入った。装備と軍服を捨て、下着姿で両手を上げ、可能ならばこのビラを掲げて投降するように書かれていた。食糧や医薬品が与えられるのはもちろんのこと、適切な治療も受けられると書かれていた。

 アーバンも自分で掴み取ったビラを食い入るように見つめていたよ。奴は裏面に書かれた文章を読んでいた。俺も自分の持っているビラの裏面に目を通した。


 そこには子どもと手を繋いで立つ女の後ろ姿が描かれていた。次にエルヴァ侵攻を含めて、現在の戦況が記されているのが目に入った。近隣の占領地も次々とラーディスの手に落ち、絶対防衛圏は崩れていた。ここで抵抗をやめなければいよいよ国土が蹂躙される。それを防ぐには俺達の降伏が鍵となる。三日以内に勇気ある決断を求める。期限を過ぎれば掃討作戦に入る。大体そんな内容だった。


 その後は、故郷にいる肉親を想起させるための文章だ。俺は途中までしか読まなかった。これは敵の戦略だろうと決めつけたんだ。エルヴァ陥落に間違いはないのだろうが、他に敗退を迎えた地があまりにも多すぎて信じられなかった。


 家族の元に生きて帰ることを訴えるくだりなんて、最も胡散臭いじゃないか。案の定、アーバンはビラを凝視したまま動かない。憐れな奴だよ。俺以外の皆そうだ。味方からも敵からも、大事なものを人質にとられて操られているんだから。


 あいつが何か言う前に、俺はビラを破り捨てた。敵はだまし討ちをするつもりだ、卑怯な奴らめと言い捨てて崖を登り始めても、アーバンはついてこなかった。しばらく一人で登り続けたら、人が一人通れるくらいの道に出た。


 なんだ道があったのかと呆気にとられたよ。無駄に体力を使っちまったんだから。よくよく考えれば、島から追い出された現地民がいたはずだからあってもおかしくはなかったんだが……。

 道があるから来いって叫んだら、アーバンはやっと動き出した。あいつが懐にビラをしまうのを俺は見逃さなかった。あれだけ文句を唱えていたのに何にも言わなくなっていたし、クレイン伍長と同じ結末になるのは目に見えていた。


 俺は何にも気付いていないふりをして、散々馬鹿にしたよ。まさか我が軍にこんな間抜けな罠に引っかかる奴はいないだろう、随分と見くびられたものだって。アーバンは同意も否定もしなかった。アーバンが喋らなくなったから俺達の間に会話はなくなった。



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