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ベベローシュ!  作者: ミノ
【本編】
11/13

ベベローシュ(最終話)

 考えるよりも先に頭の奥で何かが爆ぜて、俺は飛びかかっていた。懐かしい感覚だった。アーバンのことや、仕事が見つからなかった時のこと、積もり積もったものが一気に吹き出して俺はあの人を殴りつけていた。


 無抵抗なのをいいことに二、三発殴りつけたところで、我に返った社長に止められた。最近じゃ俺が大人しくしてたからびっくりしたんだろうな。俺があの人にやった倍は殴られて、馬鹿野郎って叫びながら引き剥がされた。


 俺ももうとても冷静じゃいられなくてね。死んだはずの奴が目の前にいるもんだからわけがわからなくて、取り憑かれたようにお前のせいだってそればっかり繰り返してた。


 落ち着いて話ができるようになるには一時間くらいかかったかな。社長夫妻になだめられてね。事務室を借りて、二人きりでソファーに腰を下ろして話をした。


 あの人から渡された名刺には、新聞社の名前が書かれていた。あの人は殴られた顔を冷やしながら今は記者として働いているって言ったよ。小綺麗な身なりが、軍服姿よりもしっくりきた。俺と違って、あの人はあたりまえの日常にいるのが一番よく似合っていた。


 俺は社長に殴られた顔をそのままに、あんたはエルヴァで戦死したはずだって言い返したが、すぐにそれは誤りだって教えられた。あの人は部下を退却させた後、戦うでもなく自決を図ったんだ。


 エルヴァでは上層部の連中が真っ先に逃げ出して、何も知らない下士官だけが取り残されていた。時間稼ぎのためにぎりぎりまで残って戦うように命じられた奴もいたみたいだ。生き残るためには、厳しい状況の中で徒歩で移動して、港から船に乗り込むしかなかった。


 降伏も敵前逃亡も、軍人にとってはもっとも恥ずべき行為だった。それをしようものなら、同胞に処刑されてもおかしくない時代だ。取り残された兵士はほとんど死ぬことが決まっていたんだよ。

 そういう連中に、あの人は階級にものを言わせて退却しろと命じたんだ。自分一人が前線に残って命を捧げれば、最低限の体裁は保てると考えたんだろう。下士官連中があとから敵前逃亡の罪に問われた時には、上官の命令に従っただけだと言い切るように指示して、最後を共にしたいという申し出もすべて拒んだそうだ。


 だが結局、自決はできなかったそうだ。直前で躊躇ったんだとさ。それであの人は捕虜になった。ナディア上等兵が語った話は一体何なんだと訊いたら、情けなくて言えなかったのだろうと返ってきた。腰抜けの上官の姿も、それに救われた己の命も恥ずべきものだからとても真実は口にできず、誤った情報が伝わった結果だろうって。


 俺はそういうのじゃないと思うけどね。事実と異なる報告をする奴を俺は見たことがある。例えば敵に一つの反撃もできないまま、銃弾に倒れた味方がいるとする。自分たちが生還したあと、どんな最後だったと聞かれたら自分の手柄の一つくらいはそいつにくれてやろうって思う奴もいるだろうよ。

 国や仲間のために命を懸けたことに対する最低限の礼儀として、最後に花を持たせたがる奴はいるんだ。慕われていたからこそ、誰も真実を語らなかったんだろう。俺はそんなお節介を働いたことはないが、他人がそうしているのを見てわざわざ間違いを正そうとも思わない。


 ヨーザフ兵に捕らえられたあの人は、ラーディスへと身柄を引き渡された。あの人は留学経験もあったから言葉が話せた。


 ラーディスはエルヴァ侵攻の頃には既に終戦に向けて考えを巡らせていたそうだ。俺達の負けは確定していた。ラーディスが敵味方問わずこれ以上の犠牲を出さずに済む方法を模索している時期に、俺達は起死回生を狙っていた。見ているものがまるで違ったんだ。


 あの人は尋問の最中、最新の戦況を聞かされて敗戦を悟ったそうだ。なによりもこのまま降伏しなかった場合、民間人にまで被害が及ぶであろうという脅しに心が折れた。

 あの人は自分が知り得る限りの情報を提供したそうだ。国を裏切ることに対して迷いがなかったと言えば嘘になるが、そうした方が国を救える可能性は高くなると説得されれば話さずにはいられなかったと。


 ラーディス兵の取り調べは、俺達の思想や国民性にも及んだ。戦いの信念はどこから来ているのか。何を重んじていて、何に対して動揺を見せるのか。あの人はいろんな連中の相談を受けてきたんだ。答えは知り尽くしていただろうね。

 ラーディスの特殊部隊への協力を持ちかけられたあの人は、それに応じた。ラーディスで仮の名前を与えられ、二世だと偽って暮らしていたらしい。


 抵抗を続ける兵士に降伏を促すためのビラの作成にも関わったと言っていた。ビラは一般的な自国の兵士達の弱みにつけ込み、戦いを放棄したくなるように仕向ける文面を考えて作成していたそうだ。

 故郷で帰りを待つ家族に対する情を奮い立たせる内容を書いたかと聞けば、そうするように進言したと答えが返ってきた。どうりでアーバンが反応を示したわけだよ。


 戦時中なら俺はあの人を見損なっただろう。どんな大義名分を掲げようとも、あの人がしたのは裏切りだ。だが戦後の世論はすっかり変わっていた。共に戦いに熱狂していたはずの国民は、軍人を国を混乱に陥れた犯罪者扱いした。それに、俺があの人を許せないのはもっと別の理由だった。


 終戦後、帰国したあの人は記者として働きながら、エルヴァで一緒だった連中の足取りをずっと追っていたらしい。特に俺のことが気がかりで、ようやく会うことができたと告げられたよ。


 聞かなくても理由はわかった。ベベローシュだ。俺の下手くそな発音を懇切丁寧に矯正してまで教え込んだ降伏の言葉。それがどう効力を発揮したのか、結末を見届けたくなったんだろう。


 でもあの人から返ってきた答えは予想と違った。あの人は自分が作成したビラでは、俺が降伏をしないのはわかっていたと言い出した。


 別に俺みたいな兵士は俺だけじゃない。疑り深い奴、闘争心が強い奴、そういう奴らにはあのビラの内容は響かない。あの人もそれを知ってはいた。だがより多くの命を救える可能性を模索した時、辿り着いたのはあの内容だったそうだ。

 切り捨てる者達のことを考えた時、真っ先に俺の顔が思い浮かんだと言われた。ちっとも嬉しくなかったね。俺に降伏の言葉を教えたことよりも、ビラのことばかり気にしているのが無神経に思えてならなかった。


 俺は切り捨てられたことにふてくされているんじゃない。あの人が最初に間違ったことに対して腹を立てているんだ。

 あんたは最初から、俺を見限るべきだったって言い返したよ。他の奴にはいくらでも都合のいい言葉を聞かせてやったくせに、俺の時だけよくもやってくれたなって。

 くだらない自己満足に俺を巻き込むなって言った。どうせあとで切り捨てるなら最初から殺しておけばよかったんだ。


 あんなビラごときで救われた命があると本気で信じているのかって訊いたが、あの人は怒らなかった。俺はアーバンの最後を教えてやったよ。他にも収容所で命を落とした奴は何人もいた。全員、あんたの書いたビラのせいで死んだと責めたてた。

 アーバンが死んだのはあんたのせいだ、俺のせいじゃないって怒鳴ってもあの人が何も言い返さないのを見たら清々したよ。

 一度勢いづいたら止められなかった。あの人を責めている間、不思議と頭の中が心地よくて、その感覚にずっと縋っていたかった。


 俺みたいな奴を生かすからアーバンは死んだんだ。もっと別の人間を生かしておけば、アーバンは死ななかっただろうって鼻で笑った時、ずっと黙っていたあの人がそういう言い方はよそうとだけ口にした。


 俺みたいなって、そういう言い方はよそう。私のせいだろうって、妙に落ち着いた喋り方だった。まるで相談のために部屋を訪ねてきた兵士に話すみたいな口ぶりに、俺は自分が冷静じゃないことを自覚した。だってそうだろう。今までの俺なら、こんな風に自分を卑下した物言いはしない。いちいち言葉にしなくたって、アーバンが死んだのが自分のせいじゃないことくらい知っているはずだ。


 する必要のない言い訳をしていたのだと自覚した時には、体が冷え切っていた。

 あの人は自分の言葉じゃ俺を救えないとわかっていたから嘘を教えたと言ったよ。あの人はただ、自分の手の届く範囲にあるものを救おうとがむしゃらにやってるだけなんだ。


 俺があの人を責めている瞬間でさえそうだった。放っておいたら俺がまともじゃいられなくなるってわかっていたから、自分のせいだなんて口にしたんだろう。本当にそう思っているのかは知る由もないけどね。


 一つだけわかるのは、そういう生き方しかできないって感覚だ。信念なんて大層なものがあるのかは知らないよ。執着っていう方が近いのかもしれない。生まれながらにして持っていて、誰にも理解できないもんだ。


 だからって俺は、あの人に共感したわけじゃない。むしろ受け入れられなかった。自分が好き勝手するのはいいが、される側は嫌いでね。誰にでもいい顔をしたいだけだろうとか、散々言ったよ。ビラもただの紙切れだのゴミだの、これでもかというほどこき下ろした。何度もだ。それであの人は、その日は一旦は帰りはしたものの、また職場に現れたんだよ。


 そのうち社長が迷惑だから会社で会うなって言って、勝手に俺の住所を伝えやがった。こうも身勝手に振る舞われたら、いい加減我慢ができないだろ。脅迫まがいのことを言ってやったりもしたが、それでもあの人は懲りなかった。


 ついには行きつけの飲み屋に現れて、隣を陣取って俺の分まで金を出すようになっていた。俺の酒代を勝手にあの人のツケにしても、黙って支払いを済ませているみたいだった。しまいには周りの連中がなんであんな親切な人に冷たくするんだって言い出して、俺が悪者扱いだよ。あの人の親切に牙を剥かれたことがないからそう言えるんだ。


 誰も身近に真の悪人がいることを知らないって文句を付けた時、あの人は投げやりに笑ったよ。

 あの人は、自分を悪人だと言ってくれる人間が俺だけしかいないから傍にいたいと言っていた。言ってくれるも何も、俺は親切でやってるんじゃないって言い返してもお構いなしだ。


 多分、ラーディスに協力したことを明かしたのは俺だけなんじゃないかな。あの人は祖国を裏切ったことが後ろめたいんだよ。同時に誇ってもいる。そうじゃなければ記者なんて仕事には就かないだろう。

 記者としては大成しなかったけどね。非情になりきれないからいい情報がとれないんだ。俺からしたらつまらない記事ばかりを書いていた。めずらしい花が咲いたとかいう地元の話題や、購読者からの悩み相談に返事を書く企画なんかだね。


 あの人はそういう生活に満足してるんじゃないかな。記事を読んだ奴からもらった手紙なんかを、後生大事にとってるんだ。自分の書いたもので変えられるものがあるって信じたいんだろうね。

 もう仕事は辞めたが、毎日のように新聞だの雑誌だのいろんなものに目を通しては一喜一憂しているよ。紙に刻まれた情報を読み解いて、それに揺さぶられるのが生き甲斐なんだ。


 だからあんたの取材も受けるって決めたんだろう。自分で書いた記事ではだめかもしれないが、あんたみたいな若くてやる気のある人が書く記事なら或いはって期待しているんだ。



























 ……ああ、帰ってきたな。車の音がしただろう。


 おい、ディー! 自分がした約束を忘れるのもいい加減にしろ、毎回俺に尻拭いをさせるな。なんだその格好。取材だろう。もっとましな格好してこい。


 まったく、へらへらしやがって。悪いね、最近こうなんだ。もう年だな。戦時中の話になるとしゃきっとするから、大丈夫だとは思うけどね。


 ……それにしても、よくラーディスにあの人の尋問記録が残っていたもんだな。四十年だろう。あんたもよく居場所を見つけ出したね。随分変わったよ。俺はそうでもないと思うが、ディーは特にそうだ。軍人だった頃と今では、別人に思える。


 私生活は割とだらしないし、前より悠長になった。軍で叩き込まれた規律なんてそう簡単に抜けないと思うんだが、俺のやり方が厳しすぎるってよく文句をつけてくる。


 合わなかったね、色々と。出会った時からそうだったからもう諦めている。一緒にいる理由なんて自分でもよくわからない。考えるより慣れる方が早かったくらいだ。あえて理由を挙げるなら、アーバンが死んだのは俺のせいじゃないって言える相手がディーだけだったからかもしれないな。……まあ色々とよくしてもらったよ。


 正直、今更こんな話を掘り返すことに意味があるのかは疑問だがね。五百人近くの命があのビラで救われたって言っても、死んだ奴の方がよっぽど多かった。


 一度取材を受けると決めたんだ。ディーは訊かれればいくらでも答えるだろう。

 俺の話もあの人の悪いようにしないのなら、どう使ってもらっても構わない。ただ俺が話をするのはこれきりだ。俺はディーと違って、本当は昔のことは思い出したくもない。ディーといると嫌でも思い出すんだけどね。


 銃声も砲弾の音も、断末魔も今でも頭の中にこびりついている。一番ひどいのは自分が誰かに怒鳴っている時の声だ。それでよく夜中に飛び起きる。


 俺の人生には、エルヴァであの人の部屋で眠った日にしか静かな時がなかった。だからもうずっと待ってるんだ。ディーと同じ土の中に、静かに埋もれる日を待ち続けてる。

















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