復員除隊
その後は、ロザーナでの収容所生活を経て復員除隊になった。捕虜生活は五年に及び、帰国した時には二十九歳だ。俺は二十代のほとんどをあの戦争で失った。
帰国して最初に、アーバンの家を訪ねた。アーバンの言う通りさ。奴がいつまでも俺の心に巣くっているのが気色悪くて、こんなものはさっさと捨てたかった。
細君は再婚もせず、女手一つで四人の子どもを育てていた。元々住んでいた家は空襲で焼けたらしく、探すのに苦労した。まだ復興が追いついていない地区にある小屋みたいな家に暮らしていて、とても裕福には見えなかった。茶を淹れてもてなしてくれようとしたが、さすがに断ったよ。
俺がアーバン・フラッド・イルマー・ジャックと収容所で一緒だったと告げると、少し驚いていた。一応、戦死公報は届いていたらしい。だが遺骨も遺品もないままに死んだと告げられる奴は少なくなかったから、もう何も期待はしていなかったそうだ。
細君は俺を家に招き入れた後も穏やかに話していた。末の子どもは家にいたんだが、まだ幼かった。父親の顔も知らないし、一人で能天気に部屋の隅で遊んでた。
遺品を渡したら、細君はアーバンの本当の名前を呟いてそれを抱き締めていた。俺の前で見せた動揺らしい動揺はそれだけだ。すぐに我に返って謝罪をして、奴の名前の話については一切触れさせなかった。
アーバンから聞いていた印象とは違ったね。とても気弱には見えなかった。俺が帰国したばかりだと聞けば、すぐに労いの言葉を口にしてきたし、生活のあてはあるのかとも気にしていた。自分こそ痩せ細った体でよく言うものだと呆れたよ。末の子どもの名前も、アーバンの本当の名前とは似ても似つかないものだった。
適当に相づちを打ちながら、だんだんと俺は意地の悪いことを考え始めていた。たとえばここを訪ねた直後、俺がアーバンの本当の名前を口にしていたら、細君はどんな反応をしただろうとか、そういうことだよ。
なんとなく面白くなかったんだ。細君の手元にあるアーバンの遺品は、俺が苦労して数年間隠し持ってきてやったのに、ずっと昔からそこにあったみたいに馴染んでいるから。
俺はといえば服はぼろぼろで、髭も生えているし、片耳は少し欠けている。仕事も決まっていないし、なんにもなかった。同じ船で帰ってきた捕虜連中は家族に会えるだなんだと浮かれていたが、アーバンの遺品さえ届けたら俺にはやることがなかった。夫を亡くしてその日暮らしの細君の方が、よっぽど持っているものが多く見えたね。ずっと前から感じていた、自分には何にもないっていう漠然とした事実だけがそこに残っちまったんだ。
面倒な頼み事をしていったアーバンとの決別の日を待ち望んでいたのに、まったく予想外だった。今からでもさりげなく本当の名前を口にしてやろうかってぎりぎりまで迷ったが、結局しなかった。それでよかったんだろうな。
細君に見送られて家を出た直後、家の中からものすごい叫び声が聞こえてきてね。金切り声っていうか、尋常な様子じゃなかった。一体何事かと家の中に飛び込みかけたが、泣き声だって気が付いて思いとどまった。
あの華奢な体のどこからあんな声が出ていたのか今でも不思議だ。あとから獣みたいな低い声の嗚咽が聞こえてきて、さすがに後味が悪かった。
――少し、ほんの少しだが、お前のせいだって言われている気がしてね。
ヘオの収容所で大真面目に働いてるあいつを知らんぷりして、適当にやり過ごせって声をかけてやらなかったこととか、シーハルであいつの名前をお前らしさのない名前だって言ったせいで最後に心残りを作っちまったこととか。俺がアーバンを殺したんだって言われている気がした。……アーバンだけじゃなく、ナディア上等兵もクレイン伍長も、中隊長も。
らしくないことを考える自分が心底嫌だったが、いつまでもその考えが付き纏って離れなかった。俺のせいじゃないって言い返す相手がいないんだから、終わるわけがないんだ。相手を言い負かして勝たないと、俺は終われない。
その後の生活はあんまりうまくいかなかった。毎日苛つく元気はあったんだけどね。
終戦から五年、国はまだ混乱の中にあった。内地にもいたる所に戦争の傷跡が残っていて、これほどの被害をもたらしたのは引き際を見誤った軍の責任が大きいって見方が強かった。
当然、元軍人への風当たりも強かったよ。なかなか仕事にありつけなくて国内各地を転々としたが、きつい体力勝負の仕事しかなかった。そのうち縁があって、小さな木工所に雇ってもらった。社長がお人好しでね。ただでさえ少ない金を屋台の酒に費やしている時に知り合った。戦死した息子と俺の年が近いから他人事には思えないって理由で、雇ってもらったんだ。
仕事には厳しい人だったが、クビにされたら困るから何を言われても黙って飲み込んだよ。住み込みで雇ってもらっていたから、物にあたることもできなかった。飯は出るし、屋根のある場所で生活できる。ずっと俺が望んだ生活が手に入ったんだからって言い聞かせて大人しくやっていた。まあどれだけ取り繕っても、酔っている時に出会った相手だから、俺のどうしようもなさっていうのは気付かれていただろうがね。
必死に自分を押さえつけてきた甲斐もあって、三十三になっても俺はその木工所で働いていた。もうその時は近くに自分の部屋を借りられるくらいには、生活はうまくいっていた。そんな時に、会社に俺を訪ねてきた人がいてね。
最初に対応したのは社長だった。呼び出されて、俺とエルヴァで一緒だった奴らしいと聞かされている最中に、作業場を見学しているあの人を見つけた。紫だよ。