08 騎士からの嫌がらせ
「おい! 聞いてるのか!」
「きゃっ!」
無視されたと思ったのか、男は苛立ちをぶつけるように私の手を乱暴に引っ張った。力いっぱい掴まれたせいか、ビリビリとした痛みが腕に走る。
「い、痛……っ! ちょ、ちょっと待ってください!」
(どうして? 私、騎士の方からも命を狙われてるの?)
たしかこの人には竜王様が直接、手荒な真似をするなと注意していたはず。それともまだ私のことを不審者だと思っているのだろうか。そういえばさっきも私がここに無断で入ってきたと言ってたような……。それならちゃんと説明すれば、わかってくれるかもしれない!
「ここには正式に竜王様の許可を取って、働かせてもらっています! 無許可ではないので安心してください!」
心臓の音が耳の奥でドクドクと響いている。それでもなんとか説明することができた。リディアさんはまだ戻ってきそうにない。さっき大量のお皿を持って行ったから、手間取っているのだろう。私はゴクリと喉を鳴らし、また男に話しかけた。
「で、ですから、手を離してもらえませんか?」
(私は仕事をしていただけで、悪いことしてないもの。ちゃんと説明もしたし、これでわかってくれるはず……!)
それなのに男は私の手をいっこうに離そうとしなかった。それどころか、さらに力を強め、すごい形相で私を見ている。
「……おい。おまえ、これはどういうつもりだ」
「え? い、痛い!」
握りつぶされるのではないかと思うくらい強く手を握られ、持っていたネックレスが床に落ちた。カシャンという落下音で、私たちの視線が下に向く。さっきテーブルで見つけた白い石のネックレスが、二人の間に落ちているのが見えた。
「これは俺のだ! おまえ、盗んだのか!」
「えっ! ち、違います……っ! 私は忘れ物だと思って、届けようとしていただけです!」
「嘘言え! おまえみたいな卑しい平民の言うことなど、信じられるか!」
「そんな!」
(無理だ。この人、私の言うことなんて聞いちゃいない!)
きっとこれ以上何を言っても無駄なんだろう。最初から私に敵意むき出しで、むしろ八つ当たりされているみたいだ。どうすることもできないなら、逃げてリディアさんに助けてもらったほうがいい。私は手をブンブンと振り回し、男から必死に逃げようとし始めた。
「手をはなしてください!」
「駄目だ! おまえは盗人だ!」
(こんなのただの嫌がらせじゃない!)
実際にどこかに連れて行こうとするわけでもない。ただ私が痛がっているのを見て、ニヤニヤ笑っているだけ。きっとこの人だって私が盗んだとは思っていないのよ。言いがかりをつけてウサを晴らすのが目的なんだ。
「はなし……て!」
自分の腕をつかみありったけの力をこめて、引っ張った時だった。
「おい、ギーク! 何をしてるんだ! その人は昨日現れた、迷い人様じゃないのか?」
男の後ろから突然現れた別の騎士が、私たちの間に割って入ってきてくれた。そのおかげで握られていた手から逃れることができ、私はあわてて男たちから離れた。
「おまえ、竜王様に手荒な真似をするなと言われただろう! 怪我でもさせたらどうするんだ!」
しかしギークと呼ばれたその男は、自分の行動を注意されたことに納得してないらしい。不満顔で同僚の騎士に詰め寄り始めた。
「はあ? じゃあそのお偉い迷い人様は、なんでこんなところで働いてるんだよ? おおかた竜王様に見限られて、罰としてここで下働きすることになったんだろ? そんなヤツをかばってどうする?」
そう責められた人も、私たちの事情を知っているわけじゃない。オロオロと私とギークを見ては、黙ってしまった。ギークはそれを見て得意げな顔で、私の前に立ちはだかる。
「おい、迷い人さんよ。おまえが本物なら、俺達の国に何か良いことしてくれるんだろ? ほら、やってみろよ」
「えっ……そ、それは……」
「できないんだろうが! やっぱりこいつは偽物だ。妹たちのチャンスをつぶしやがって、この女。絶対に許さねえからな」
(妹たちのチャンス? いったいなんのこと?)
じりじり追い詰められ、私の背中が壁にドンとぶつかった。その様子にあわててもう一人の騎士が、ギークの体を引っ張り始める。
「ギーク! いい加減にしろ! すぐに練習場に戻らないと、団長が呼んでたぞ!」
「チッ……」
「迷い人様、すみません。じゃあ、俺たちはこれで! ほら、行くぞ!」
(良かった! これで帰ってくれる!)
そそくさとギークを連れ帰ろうとする姿に、ほっと息を吐いた時だった。
「あなたたち! 迷い人様に何をしているのですか!」
静まり返ったホールに、怒りのこもったリディアさんの声が響いた。
「リ、リディア様!? なぜここに?」
ギークを連れて行こうとしていた足を止め、騎士がリディアさんのほうを振り返った。
(リディア様?)
カツカツと足音を立てこちらに駆け寄ってくるリディアさんの姿は、遠目からでも怒っているのがわかった。出会ってからというもの、リディアさんはいつも物静かでほほ笑みを絶やさない人だったのに。今は眼光鋭くにらみつけるように、二人の前に立っていた。
「わたくしは、迷い人であるリコ様のお世話をさせてもらっています。あなたたち、まさか失礼なことをしていないでしょうね」
「い、いいえ、俺はそんなこと……!」
ギークの行動を止めていた騎士は、あわてて否定し始めた。反対に私に嫌がらせをしていたギークは、呆然とした顔でリディアさんを見ている。小さな声で「なんでこんな女にリディア様が」とつぶやいたのが聞こえた。
リディアさんにも聞こえたのだろう。ピクリと眉を動かすと、一歩前に出た。彼女の表情はさっきよりも一段と険しくなり、私はあわてて二人の間に割って入った。
「リディアさん! 私は大丈夫です! こちらの騎士様が忘れ物を探しに来ただけですから、何もされていません」
すごくわざとらしいタイミングなのはわかってる。それにギークの言葉で何か言われたことも、リディアさんは感づいているだろう。それでもこれ以上、この世界の人とトラブりたくない私は、この会話を遮った。
「……そうですか」
リディアさんは私の言葉に納得している様子はなかったけど、それ以上何も言わなかった。ギークは私の言葉を苦々しい顔で聞き、もうひとりの騎士はあからさまにホッとした顔で胸をなでおろしている。
(別に良い子ぶりたいわけじゃないけど。あのギークって人、絶対に逆恨みするタイプだもん。これ以上、事を荒立てないほうが身のためだよ……)
「なら良いですが……。二人とも、迷い人様がここで働いていらっしゃるのは、この世界を知るためです。竜王様はその気持ちを尊重して許可しているだけで、虐げているわけではありません。そこのところ勘違いしないように」
「はい、リディア様」
「では行きなさい」
その言葉に二人は一礼し、足早に食堂から去って行った。二人が扉から出て行ったのを確認すると、自然と大きなため息が出る。疲れた……。それでもふと辺りを見回すと、テーブルのあちこちにお皿が残っていて仕事が山積みだった。
(自分から働かせてくれって言ったんだから、最後まで頑張らなくちゃ……)
気合を入れ直すように腕まくりすると、隣でリディアさんがじっと私の顔を見ていた。頬に手をあて、目には不満そうな色が見える。
「もっと厳しく言っても良かったのですが……」
「えっ……」
きっとこの国は身分社会なんだろうな。リディアさんにとって私は、この国を良くする迷い人。先の迷い人の文字も読めて、竜王様も認めたのだから、国賓扱いしてくれているのだと思う。
でもあのギークにしてみれば、私なんて突然娼婦のような格好で現れた危険人物。何ができるわけでもない、この国の貴族でもない変な女にしか思えないのだろう。昨日の今日だから、情報も混乱して正確に伝わってなさそうだし。しかも私が妹さんの邪魔をしたっていう誤解もあるみたいだから、なおさらだ。
(とにかくまだこの世界に来て二日目! いずれ平民としてこの国で生きるなら、権力を振りかざさないのが一番よ!)
私はリディアさんを安心させるようにニッコリ笑うと、わざと明るく返事をした。
「私は大丈夫です! ご迷惑をおかけしてすみませんでした。それよりまだ洗い物が残ってますから、お仕事再開しましょう!」
「……そうですね。掃除もありますし、頑張りましょうね」
リディアさんがほほ笑む姿は、出会った時と同じものに戻っていた。優しく笑いかけてくれることに、私のほうが安心してしまう。
(それにしても、リディアさんは何者なんだろう? あの二人があんな態度を取るってことは、ただの侍女じゃなさそう)
そんなことを考えながらお皿を洗い場に持っていくと、食堂のご主人がニコニコと笑いながら近づいてきた。恰幅の良い、いかにも美味しそうな料理を出しそうな彼は、なんだかすごく嬉しそうだ。
「やあ、リコ! 最初はどうなるかと思ったけど、予想以上に働いてくれて助かったよ!」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「明日からまた昼に手伝ってくれるかい? 片付けだけで大丈夫だから」
「わかりました! 明日からも頑張りますね!」
「あはは! リコは明るくていいね。俺のこともリドルと呼んでくれ」
「はい! リドルさんですね! よろしくお願いします!」
私が元気に返事すると、リドルさんはまたハハハと笑った。最初に会った時とは大違いで、どうやら私を認めてくれたみたいだ。
(良かった! 私の働きぶりを見て、受け入れてくれる人はちゃんといるんだ!)
こうやって一人ずつでも、私が無害な人だと知ってもらえるよう頑張ろう。それにあのギークという人は怒ってたけど、一緒にいた人は普通の態度だった。ということは、あの人だけ特別、私に怒ってるってことじゃないかな。
(妹たちのチャンスを私がつぶしたって、言ってたけど……。どういう意味なのか、あとでリディアさんに聞いてみよう)
すると思わぬところから、その疑問が解消された。リドルさんだ。彼は少し苦笑いしながら、私が知りたがっていた答を話し始めた。
「いやあ、最初は竜王様のお妃候補パーティーをぶち壊した人が働くって聞いて、ものすごく心配したんだけど。けっこう君、普通の子だよね?」
その言葉に耳を疑った。私は目を大きく開き、リドルさんを呆然と見つめる。
「は? え? お妃候補……? ぶち壊し……? も、もしかして昨日のパーティは、そのような大事な場だったのですか!」
「そうだよ。知らなかったのかい?」
知らなかった! だって気づいたらあの場に移動してただけで、私が選んだわけじゃない。たしかに何かのパーティーだとは思ったけど、そんな重要な時だったなんて……。
初めて聞く事実に、みるみる血の気が引いていく。しかし嫌な話はここで終わらなかった。