06 何も能力がない!
ゲホゲホとせき込みながら「おまえは何ができるんだ?」という、ど直球の質問に頭の中ですら何も答えられない。だって私は平凡な女性で何もない。私はリディアさんに背中をさすられながら、何か気づいてない特技がなかったか必死に捻り出そうとしていた。
(そうだわ! 私が読んだ漫画では、日本での料理や文化を持ち込んで重宝されてた! 私もそういうことかもしれない!)
なんとか落ち着いた私は、最後にコホンと咳払いをすると、神妙な面持ちで話し始めた。
「料理とかはどうでしょうか? こちらの世界には無いものを作れるかもしれません」
「ふむ。料理か。しかしこの国の料理は、先の迷い人がかなり改善したそうだぞ?」
「えっ! そうなのですか?」
「とりあえずこの菓子を食べてみろ。リコのいた世界と違うなら、改善の余地はあるな」
目の前にあるのはクッキーとパウンドケーキだ。試しに一口食べてみると、かなり美味しかった。お菓子ですらここまで洗練された味なのだから、料理も同じレベルだろう。
(……無理だ。すでにお店レベルの味だったわ。料理はボツね)
よくよく考えてみれば私がレシピを見ないでもできる料理は、醤油や味噌などがないと無理だった。なら洋食やお菓子で! と思っても、両方レシピがないと作れない。それにしても疫病を治す医者という能力だけじゃなく、料理もできる人だったとは。
「どうだ?」
「……すごく美味しいです。改善の余地はありません」
「ふむ、そうか。で、他には?」
「ぐっ……!」
竜王は私の落ち込みなど気にせず、さっさと次のアイデアを出せと促し始めた。まあ、国に恩恵を与える存在と思われているから当たり前なのだろう。責めてる雰囲気はなく、どことなく面白がっている様子なのは助かるけど、どうしたらいいの?
(何か、何か私にできることは?)
日本での私は保育の勉強をしていたけれど、学校に入るためのお金を貯めている最中で、知識もまだまだだ。やっていたバイトは、ファミレスのアルバイト。それと小学生向けの学童クラブの手伝いをしていたけど、それが役に立つとは到底思えなかった。
「ううう……他には……」
都会育ちで農業の知識もない。聖女の力のような特別な力も無さそうだ。それに竜王の体液で傷を癒やせるなら、能力がかぶってるから必要ないだろうし。他には、何か他にはないの? お裁縫は……こんな素敵なドレスがある世界で、雑巾しか縫えない私がなんの役に立つっていうのよ……!
「おい、大丈夫か?」
私が下を向きうめき声を上げ始めたので、竜王は心配になったようだ。気づけば両手で頭を抱えていて、傍から見たら危ない人に見えただろう。ドレス姿ならなおさらだ。そんな醜態をさらしながら必死に考えたけど、これ以上私に特別な能力が出てくる気配はなかった。
(よし! あきらめよう! そしてあきらめてもらおう!)
意を決した私が顔を上げると、竜王は面白い生き物を見る目で私を見ていた。
「やはり、この国を良くする能力はなさそうか?」
「……はい。本当に申し訳ございません!」
私が涙目で勢いよく頭を下げると、竜王はククッと喉を鳴らすように笑った。
「俺は別にかまわん。今は平和で問題も起こってないからな。作物も豊かで食事も美味い。はやり病もないし、周辺国とも関係は良好だ。おまえの話を聞くだけでも楽しそうだし、気楽に過ごせばいいんじゃないか?」
「そ、そうは言いましても……」
なんだか竜王は最初から私の能力に期待していなかったようだ。もちろんそれは助かるけど、他の人が許してくれるわけがない。何も国に貢献していないのに、王宮でドレスを着て優雅に過ごしてたら、明日にでも私はあの女性達に処分されそうだ。
(やっぱり働かなくちゃね! ……いや、待って! その前に聞くことがあったじゃない!)
私はあわてて竜王に向かって質問を投げかけた。
「あの! 私は元の世界に帰れないのでしょうか? こんな能力もない私がいてもご迷惑だと思います。五百年前に現れた迷い人さんは、どうしたのですか?」
すると私の質問を聞いた竜王は、ピクリと眉を動かした。小さくため息をつき、言いにくそうな顔をしている。
「……残された文献によると、その迷い人はこの国を最後の地としたようだ。墓も彼の功績を考慮し、王墓の敷地内に作ってある」
私と同じ迷い人はこの世界に残って天寿を全うした。その答えに思わず背中に寒気がして、何も言えなくなってしまう。それでも私が前に進むには、確認しないと。私は最後通告を聞かされるような気持ちで、また竜王に向き合った。
「……彼は、元の世界に帰れなかったのですか?」
竜王が悪いわけじゃないのに、まるで責めるような口調になってしまった。私は小さく「すみません」とつぶやくと、耐えられなくなってそっと下を向いた。竜王も私がしょんぼりしたからか、黙ってしまい場がしんと静まり返る。すると竜王の代わりに、隣にいたシリルさんが「私からも説明させてください」と取り持ってくれた。
「そもそも迷い人様がどうやってこの国に現れるのかがわからないので、帰り方を探る方法すらないのです。その当時も研究はされたようですが、迷い人様はいきなり空中から現れるものですから、手がかりすらなくて……」
「そう、ですよね……」
(本当に私はなんのために、この世界に飛ばされたんだろう……)
別に日本でだって大きなことを成し遂げていたわけじゃないけど、今みたいにたった一日で憎まれるような状況じゃなかった。前の迷い人さんのようにこの国を良くする能力があるわけでもなく、平凡な私がここに居てなんの意味があるの?
(はあ……でも帰れないのなら、せめて平穏に暮らせるようにしなくちゃね……)
だいたいこの国の人は悪くないもの。何か術で呼び寄せたわけでもないし(むしろ不審者扱いだった)、勝手に私が飛び込んできただけ。あの場で斬り殺されずに、こうして丁重に扱われているだけ幸運だわ。
(そうよ! 日本に帰れないってわかったのなら、もう働くしかないじゃない!)
リディアさんに話したように、一般人として働く道を模索しよう! 何ができるかわからないけど、雑用くらいは今の私でもできるだろう。なるべく存在を隠して地味に生きる! そう決意して顔を上げると、竜王が真剣な眼差しで私を見つめていた。
「元いた世界に帰りたいのか?」
「え? そ、それは……その……」
突然の質問に、思わず口籠ってしまった。竜王やシリルさん達に遠慮しているわけじゃない。ただ私の性格的に「帰れないなら考えたって意味がない。じゃあ気持ちを切り替えよう」となっていたからだ。もともとの性格ではないけれど、私の育った環境がそうさせていた。
「帰りたいに決まってるじゃないですか」
私が質問に答えられずに黙っていると、シリルさんがあきれ顔で竜王を見ていた。
「突然全く知らない世界に飛ばされたんです。それも女性の身で。帰れるなら帰りたいに決まっています」
「それはそうだが、ここに居て楽しく暮せばいいじゃないか……」
竜王の表情は、まるで家に遊びに来た友人が帰ってしまうのを引き止めるような顔だ。すねているようなその表情に、落ち込んでいた心がほんの少し和らいだ。
(でも竜王の考えている、楽しく暮らすを受け入れたら駄目よね)
それにこのまま自分の意見を言わなかったら、知らない間に竜王の言う通りにされてしまいそうだ。私は二人が「また子供みたいなこと言って」「うるさいぞ」と言い争うなか、勇気を出して話しかけた。
「あの、私きっとこれからもこの国に恩恵を与えられる能力は、見つからないと思うんです。それなら私、ちゃんと働いて暮らしたいと思います。王宮でお客様としてではなく、普通に仕事をして暮らしていくことはできますか?」
するとその言葉に竜王は、あからさまに不満げな顔をし始めた。
「リコに能力がないかは、まだわからないだろう? 早急に決めつける必要はないし、迷い人だった場合は大切にしないといけない。……それともリコは王宮が気に入らないのか? リディアが粗相でもしたか?」
いきなり話がリディアさんの仕事ぶりに飛び火して、私は驚いて立ち上がった。リディアさんはこの国で初めて私に優しくしてくれた女性だ。誤解されて罰でも与えられたら困る!
「ち、違います! 王宮は素晴らしいですし、リディアさんは完璧です! そうではなくてですね、その、王宮でお世話になっていると、命が危な、えっと良く思われないといいますか……」
「危ない? 何を言ってる。王宮ほど安全な場所はないぞ」
「うう……それは、そうなのですが……えっと……」
(駄目だ。通じない。でも昨日この国に突然現れた私が、あなたの国民に殺されそうですなんて言えないよ! 俺の国民はそんなことをしない! と機嫌を損ねかねない……)
私が働きたい理由を正直に話すこともできずオロオロしていると、シリルさんが「なるほど」とつぶやき、竜王の肩をポンと叩いた。
「竜王様、あなたのせいですよ。昨日リコさんに治療としてキスをしたでしょう? あれで何人のご令嬢がショックで倒れたとお思いですか? あれでリコさんはかなり敵を作りましたからね。これ以上竜王様に贔屓されていると思われたら、命がないと考えるのは当然のことです」
う、嬉しい! 私が言いにくいと思っていたことを、シリルさんが全部説明してくれた! 私を迷い子だという根拠を詳しく説明してくれたのもシリルさんだし、なんて頼もしいの!
私が尊敬の眼差しで見つめているのがわかったのだろう。シリルさんは苦笑しながら、私にこれからのことを提案してくれた。
「それなら、騎士団の食事のお手伝いをするのはどうでしょうか? あそこはいつも人手が足りませんし、王宮の敷地内ですから一般の人は入れません。それに以前も似たようなお仕事をされていたのでしょう?」
そう言うと最後にニコリと笑い「リコさんならできると思います」と付け加えた。
なんだか最後のひと言だけ意味深だったけど、仕事内容は完璧だ! 私も雑用くらいならできるとは思っていたけど、同じ職業ならすごく助かる。いきなり王宮を出て見知らぬ土地で働くのは怖いと思っていたから、私はホッと胸をなで下ろしソファーに座り直した。
「すごく助かります! それに私のことはリコと呼び捨てで結構です! お部屋もここは贅沢なので、質素なところに変えてもらえませんか?」
「お部屋もですか? しかしそれは防犯の面で無理かもしれませんね……いえ、やはりリコの言う通りにしましょう。実際に迷い人としての能力がわからないまま優遇していると、風当たりが強くなり危険ですから」
そう言うとシリルさんはなるべく私の願いを叶えようと、何か紙を見ながら「ここは遠すぎるし、こっちは生活するには不便だな」とブツブツ言っている。なんだか申し訳ない。遠慮しすぎるのもかえって仕事を増やして迷惑かもと思い、シリルさんに話しかけようとした時だった。
「私の部屋の隣はどうでしょうか? 侍女部屋ですが今より奥にあって防犯面でも安心ですし、キッチンも付いています。それにリコの侍女じゃなくなったとしても、同僚として教えてあげられる距離にいたいです」
「リ、リディアさん!」
なんて優しいんだろう。ここに来て悪意どころか殺意めいた感情しか向けられてこなかったから、余計に彼女の優しさが心に染み渡る。私が「こちらこそよろしくお願いします!」と言ってリディアさんの手をぎゅっと握ると、彼女は頬を染め嬉しそうにほほ笑んだ。
「おい、俺抜きで話を進めるな」
仲間はずれみたいな気持ちになったのだろう。竜王はふてくされた顔で、私たちの間に割って入ってきた。本当に外見とは違い、子供みたいな人だ。それでもこの態度はいつものことらしく、シリルさん達は微笑ましいものを見る目で笑っている。するとシリルさんが何か思い出したかのように小さく声をあげ、私のほうを振り返った。
「そういえば、リコは何かこっちの世界のことで質問はありますか? もちろんわからない時はその都度聞いて大丈夫ですが」
「そうですね……あっ! みなさんの種族は、竜なのですか? 空を飛んだり、炎を出せるのでしょうか?」
「竜王」というくらいだから、竜に関する種族だと思うのだけど。それとも竜を使役している人間ってことだろうか? 私が疑問に思っていたことをたずねると、三人は同時に目を合わせクスリと笑った。
「ちょうどいい。見せてやる」
「うわっ!」
そう言うやいなや、竜王は私の手を引っ張りバルコニーのほうに歩いていく。そしてそのまま外に出ると、助走もせずに私の胸元まである手すりに飛び乗った。すごい運動神経だ。しかも彼はそのまま踵だけでくるりと回転して、私のほうを振り返りニヤリと笑った。突き抜けるように澄んだ青空を背に立つ姿は、やはり王者そのものだった。
「リコ、よく見ていろ」
そう言うと、竜王はそのまま背中から倒れるように落下していった。