04 私の人生終了のお知らせ
「舌の傷が治っただろう? 私の体液には傷を治す力があるからな。感謝しろ」
「は、はひ……」
終わった。私の人生終わったわ。絶対に殺される。私は全身の力が抜け、ずるずると床に座り込んだ。背後からは女性達の阿鼻叫喚な悲鳴が飛び交い、私の背中にまでビリビリと振動が伝わってくる。バタバタと人が倒れた音もして、後ろは絶対に振り返れないし、振り返りたくもない。
しかしそんな自分が起こした修羅場は全く気にならない様子で、竜王は私に背を向け歩き始めた。なにやら上機嫌のようで、鼻歌まで漏れ聞こえてくる。
「シリル、今日はもういいだろう。こんな状況では交流もなにもない。私は疲れたから帰るぞ」
「はあ……まだ顔合わせは始まったばかりだったのですが。また日を改めるしかないようですね」
先程私が迷い子である根拠を話してくれたシリルさんは、すごく面倒そうな顔でため息をついている。そんな彼を見て竜王はニヤリと笑い、また私のほうを振り返った。
「ああ、それと、そこの放心状態のリコに部屋を与えてやれ。あとリディアを付けろ」
「リディアですか。……かしこまりました」
そこからのことは、あまり覚えていない。私は女性達から身を隠すように騎士に囲まれ部屋を出た。そして気づけばどこかの部屋に入れられ、ベッドの上にぽいっと乗せられた。
「今日は疲れたでしょう。とにかく眠るといいですよ。詳しいことはまた明日から話しましょう」
シリルさんの言葉をきっかけに、私はあっという間に眠りについた。いつ眠ったのかすらわからない。きっと気絶だ。気づけば次の日のお昼になっていて、私は起きるとまた混乱して叫び声をあげた。
「こ、ここ、どこ?」
「キリル王国の王宮ですよ、迷い人様」
「えっ! ど、どなたですか?」
勢いよく起き上がりキョロキョロと辺りを見回すと、ドアの近くで立っている女性がいた。私より少し年齢は上くらいだろうか。落ち着いた雰囲気の人で、ブラウンの髪を綺麗に結い上げ、ワンピースにエプロンを着けている。私を見てもニコニコと優しくほほ笑んでいて、一向に睨む気配はない。ここに来てから初めて好意的な態度の人だ。嬉しすぎる。
「リディアと申します。わたくしはリコ様付きの侍女ですので、なんなりと仰せ付けください」
「わ、私に侍女……!」
なんだかお姫様になったみたいで一瞬ときめいたが、すぐに自分の立場を思い出し、頭を振ってその緩んだ思考を追い出した。
(調子に乗って上げ膳据え膳なんてしてたら、迷い子じゃなかった時が怖い!)
私は急いでベッドから降りると、お茶の準備を始めたリディアさんのもとに駆け寄った。この人なら私の話を聞いてくれるかもしれない。とにかく生きて日本に帰るためにも、しっかりと「私はワガママなんて言いません!」ということをアピールしておかないと!
「リディアさん! 私迷い子じゃないかもしれないんです。それにたとえ迷い子だとしても、何もこの国に貢献できる能力はないと思います!」
リディアさんは突然話し始めた私を見て、目をパチパチさせて戸惑っている。しかしひるんではいられない。私は彼女の手をぎゅっと握ると、再び話し始めた。
「私に侍女を付けるのは贅沢すぎます。むしろ私がこの王宮で働くことはできませんか?」
「ま、迷い子様が働く……ですか?」
リディアさんにとってこの提案は予想もしてなかったのだろう。目を大きく見開き、どう答えていいか迷っているようだ。
「はい! 王宮で無理なら、どこか別の場所でも良いのですが。でもこの世界の常識などを知らないので、できれば平穏に働けるよう指導してもらえると助かります!」
これが絶対に無難だ。まずは元の世界に帰る手段があるかどうかを確かめる。もし帰るのに時間がかかるにしても、その間に竜王の世話になっていたら絶対に反感を買ってしまう。科学捜査とかもなさそうだから、私が人知れず殺されても事故死扱いになりそうだわ。むしろバレないだろうから殺してやるという人が出てきてもおかしくない!
私が鬼気迫る表情で話したからか、リディアさんは先程までの戸惑いの表情から、何か決心したような顔でうなずいた。
「……そうなのですか。いろいろとお考えだったのですね。わかりました! ではリコ様の身支度が終わる頃に、シリル様をここにお呼びしますね。これからのことはその時にお話しませんか?」
「いいんですか! ありがとうございます!」
(良かった! リディアさんはわかってくれた! シリルさんも話がわかるタイプだし、なんとかなりそう!)
「ではシリル様をお呼びする前に、湯浴みをして着替えましょう」
「はい! ありがとうございます!」
ようやく好意的に理解してくれる人に出会ったことで、私は浮かれ気分で身支度を始めた。もちろんお風呂の手伝いはなんとか断って、一人で入らせてもらう。さすがに体を洗ってもらうのは、抵抗があるもの。それでも豪華なドレスからは逃れることができず、私は刺繍と宝石がたっぷり施された衣装に身を包むことになった。
「リディアさん、私、ここまで豪華なドレスは……」
光沢のあるオフホワイトのドレスに、ダイヤモンドの様な輝きを放つ宝石が胸元にいくつも縫い付けられている。キラキラと陽の光で輝いているけど、小粒の石だからとても上品な仕上がりのドレスだ。裾には複雑な刺繍がぐるりと施してあり、もしかしたらこれがシリルさんの言っていた「護符の刺繍」なのかもしれない。
(こんな高級なドレスを着てたら、また恨みを買いそうだわ……)
私が戸惑いながらドレスに袖を通していると、リディアさんは苦笑しながら首を横に振っている。
「まだリコ様の処遇は決まっていませんし、迷い子様なら丁重に扱わないといけません。それに高位貴族のシリル様との面会ですから失礼のないようにしましょう」
「……そうなんですね」
たしかにそうだ。日本でも嫌だからと言って、重要な仕事の場にスウェットでは行かない。同じように身分の高いシリルさんとの面会なら、この世界の基準に合わせなくちゃ。批判する女性達と会うわけでもないから、今回はちゃんとしておこう。そんなふうに反省していると、鏡越しに見えたリディアさんは私の髪を器用に結い上げながら、少し困ったような顔で笑っていた。どうしたのだろう?
「……それに」
「それに?」
「お呼びしたのはシリル様だけですが、きっとあの方もご一緒だと思いますから」
「あの方……?」
(シリルさんと一緒に来そうな人……それってやっぱり)
リディアさんのその言葉で、ある人の顔が思い浮かんだ瞬間。バンと大きな音を立てて、部屋のドアが開いた。着替えのための衝立で姿は見えないが、こんな登場をするのは彼しかいないだろう。私はひょいと顔を出し、声の主を確かめた。
「リコ! 準備はできたか!」
「竜王様、ドアが壊れます」
そこに立っていたのは予想通り、うんざりした顔のシリルさんと、楽しそうに笑う竜王だった。