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32 愛する人を助ける者

 


「そ、そんな、こんな大きさ……」



 アビゲイル様のおびえた声とともに、私の髪をつかんでいた手が離れる。ザリザリと地面を擦る音がして、彼女が後ずさりしているのがわかった。



 真っ暗だから何も見えないけど、さっきまで自信にあふれていた彼女が、恐怖におののいていることだけはわかった。



「私じゃない、私じゃないわ! これはすべてお父様が……!」



 痺れた体をなんとか起こすと、少しずつ周囲が明るくなってきた。それと同時に地面を震わせるような声が響き渡る。



『リコに何をした! もしやリコを殺そうとしたのではないだろうな!』

「竜王様……!?」



 最初に竜化した姿を見た時と同じだ。ううん。その時とは比べ物にならないくらいの大きさの黒竜が、私たちを見下ろし叫んでいる。その声は空気を震わせ、遠くまで届いたようだ。王宮の方からたくさんの竜たちが返事をするように、いっせいに鳴き始めた。



「わたくしは関係ありませんわ! それにあなたの花嫁はこのわたくしです! 竜の言葉が聞けるなど、この女の虚言でございます! こんな嘘を付く平民なんかのことより、わたくしのことを信じてくださいませ!」



 しかし、彼女の願いは届かなかったようだ。グオオオという怒りに満ちた雄たけびが空に響いたあと、黒竜の口から白く透き通った光りの柱が、一直線にアビゲイル様に向かって落ちていく。



「ぎゃああああ!」



 アビゲイル様の体はまるで感電したかのように震え、そのまま彼女はバタリと倒れてしまった。今はピクリとも動かない。



(もしかして、あれが竜気……?)



 普段の私には竜気は見えない。それが今回は見えたのだから、そうとう強いものだったのではないだろうか。



「リコ! 無事か!」

「竜王様!」



 気づくと私は人間の姿に戻った竜王様に抱きしめられていた。背中にまわった大きな手のひらが震えているのがわかる。私も抱きしめ返したいと思うのに、彼の体に包まれていて身動きができない。



「……良かった。今度は助けることができた」

「竜王様……ありがとうございます。助けてくれて……うれしい」



(本当に、本当に良かった……)



 トクトクと耳に届く彼の胸の鼓動を聞いていると、ホッと力が抜けてくる。今回は本当に死んでしまうと思ったけど、竜王様が助けに来てくれた。



「とりあえず、怪我がないか調べよう」



 今になってカタカタと震えだす私の体を、竜王様が横抱きに運び、柔らかい芝生の上に降ろしてくれた。すると私たちの頭上を小さな竜が、クルクルと円を描くように回っている。クルルくんだ。



『ヒュー! ヒュー!』

「クルルくん!」

『ヒュー!』



 クルルくんは呼びかける私を無視し、一目散に森の奥に飛んでいく。



(そうだ! ヒューゴくん!)



 きっとクルルくんはヒューゴくんを探しているのだろう。私はあわてて竜王様の胸を叩き、話しかけた。



「竜王様、先にヒューゴくんの治療をしてもらえませんか? 私の血では正気に戻すことしかできなくて」

「ああ、わかった。ヒューゴは、この事件の功労者だからな」



 幸いなことに、ヒューゴくんに大きな怪我はなかった。「竜狂い」による体の麻痺が残っていたけれど、それも竜王様の治療ですぐに立つことができた。クルルくんも安心したように、ヒューゴくんの背中に乗って甘える仕草をしている。



『リコ様、ごめんなさい。ギークが来たから大人しくついて行って、逆に捕まえようと思ったんです。それなのに僕がリコ様を襲うなんて……』



 しゅんとするヒューゴくんの言葉を伝えると、竜王様は労るように彼の首を撫で始めた。



「ヒューゴ、おまえの行動があったから、クルルが俺のところまで来て教えてくれたんだ。そうしなかったら、リコを助けに行くのはもっと遅かったはずだ。感謝している」

『竜王様……』



 なんとクルルくんが、森の奥に引っ張られて行くヒューゴくんを目撃し、竜王様に助けを求めたらしい。



「言葉がわかったのですか?」

「いや。しかしクルルが俺に向かって激しく鳴くからな、リコの行方を知ってるんじゃないかと思ったんだ」

「そうだったんですか。クルルくん、ありがとう」

『がんばた』

「そうだね。クルルくんが、頑張ったおかげだよ!」



 褒められたクルルくんは安心したようだ。とたんに眠くなったみたいで、ヒューゴくんと一緒に寝ようとおねだりをし、二頭は苔の上で寝始めた。



「リコ、もうすぐシリルたちもこっちに来るだろう。本当に頑張ったな」



 そう言って竜王様は私の手を取り、少し苦しそうに眉間にシワを寄せた。



「痛かっただろう」



 竜王様の唇が、ナイフで切りつけた私の手のひらに優しくふれる。すると、みるみるうちに痛みがなくなり、傷跡も消えていった。



「ありがとうございます。もう平気です……」

「そうか。傷が深くなくて良かった」



 私たちはまた自然と抱き合っていた。伝えたいことは山ほどある。アビゲイル様やギークがしたこと。侯爵もグルだったこと。選定の水晶が偽物だったこと。でも一番先に伝えないといけないことは――



「あの! 竜王様! 実は、私――」



 その時だった。竜王様がニヤリと笑い、私のあごに手をかけた。



「それで? リコはいつ、自分が『竜王の花嫁』だと俺に教えてくれるんだ?」

「へ?」



(な、なんて言ったの? 今、竜王様、私のこと竜王の花嫁だって言わなかった?)



 予想もしていなかった発言に、何も反応ができない。口を開け、ただ呆然として「あ」だの「うう」だの、変なうめき声しか出てこない。そんな私を見て、竜王様はますます意地悪そうに笑う。



「俺の息子のママになる覚悟が、できたんじゃなかったのか? ()()()に向かって、そう宣言してたじゃないか?」



(た、卵くん? それは私の呼び方なのに!)



「な、なぜ、それを? いつから知っているんですか!」

「竜人競技会のあった夜だが?」

「ええええ! そんな前から?」



 竜人競技会のあった夜なら、たしかに私が卵くんに「あなたのママになる覚悟を決めたわ!」と宣言した日だ。ということは、まさか……!



「もしかして、あの夜、私と卵くんの話を聞いてたんですか!」

「ああ、卵との作戦会議は楽しそうだったな」

「じゃあ、あの時窓がいきなり開いたのは……?」

「俺が二人の会話に驚いて、竜気で開けてしまったんだ」



 竜王様は顔を真っ赤にしてうつむく私を、笑いながらさらに強く抱きしめた。



「リコが自信を持って告白できるようになるのを待ってたんだが、待ちきれなかった。すまないな」



 その言葉に私は顔をあげ、何度も首を振る。



「……私こそ、黙っててごめんなさい。あの時はまだ自信がなくて。その、もし大丈夫なら、私にも選定の儀を受けさせてもらえませんか? 今もですけど、最近卵くんが話さなくなって、自分が本物なのか確かめたいんです」



 今も卵くんは反応がない。アビゲイル様はああ言ってたけど、私の妄想という可能性もゼロじゃない。



(皆と一緒に選定の儀を受けて、認めてもらおう!)



 そう勇気を出して言ったのに、竜王様は「ああ、言い忘れてたな」と軽い調子で笑っている。



「その必要はないぞ。リコが寝ている間に、リディアに水晶で確認してもらったからな」

「ええ? なんですか? それ!」



 もう次から次へと、知らない事実が出てくる。詳しく聞いてみると、こうだ。



 私が運命の花嫁だとわかった竜王様は、すぐにシリルさんとリディアさんに報告したらしい。そして竜の問題を解決しに行く前日の夜に、リディアさんがこっそり私の部屋に入って、選定の水晶で調べたそうだ。



 しかも私が起きないように、睡眠が深くなる木の実を食べさせて。



「あの酔い止めの赤い実は、嘘だったんですか?」

「ああ、でも俺も飲んでるものだから、危険なものじゃないぞ。疲労回復に効果があるのだが、そのぶん眠りが深いんだ」


「そういえば、次の日にコップが片付けられてて、違和感があったんですよね」

「あれはリディアが驚きと嬉しさで、興奮してコップを割っただけだ」

「え? リディアさんが?」



(あのいつも落ち着いているリディアさんが、そんなに喜んでくれてたとは……たしかに次の日、ものすごくテンションが高かったっけ)



 私は目をギラギラさせて、赤いドレスを持ってきたリディアさんの姿を思い出す。



「はっ! もしかしてあの日、用意されたあの刺繍が豪華な赤いドレスも、もしかして……」

「ああ、あれは王族だけに許された護符の刺繍だ。竜の悩み相談をした時に、シリルの父はすぐに気づいたな。俺が竜王の妃だと認めていることを」

「だからあんなにリディアさんが興奮して、ドレスを持ってきたんですね!」

「ふん。隠してるのが悪い」



 なんだか思い出せば思い出すほど、違和感があったことの謎が解けてくる。



「だが、リディアが興奮するのも仕方がない。あいつも水晶に選ばれた、運命の花嫁の従者だからだ」

「リディアさんも選ばれた人なんですか?」

「ああ、どうせ暇しているのだからいいだろうと、リコにあてがったのだが、ちょうど良かったな。リコが本当の主人だとわかって、喜んでいたぞ」



(なるほど、以前ギークに意地悪された時、騎士の人がリディア様って呼んでたもんね。リディアさんもまた特別な人だったのか)



「しかし、あの夜リコと卵が話しているのを聞いていなかったら、危なかったな。シリルに確認のため水晶を取りに行ってもらい、そこで初めて侯爵が偽物を用意していることが判明したんだ」


「え? 竜王様たちは侯爵たちの不正を、知っていたんですか?」


「ああ、シリルは水晶の守り人の後継者だったからな。それこそ今の守り人よりも、ずっと本物を見てきている。すぐに偽物だとわかり、あの親子が本当に実行するのか確かめようとしたんだ」



 でもそうなると、なぜ私をあの場に呼んだのだろう? その質問をぶつけると、竜王様は苦笑気味に教えてくれた。



「あの朝、侯爵たちが俺を騙すのを実行するのがわかったからな。その場で本物の水晶を持ち出して、リコに選定の儀を受けさせる予定だったんだ」

「え? じゃあ、もしかしてあの時、手を差し伸べたのは……」


「ああ、皆の前で本物の運命の花嫁はリコだと、バラそうと思ってたんだ。だからリコが逃げ出してしまったから、あせったぞ。とりあえずシリルと俺で侯爵を別室に監禁し、その間にリコを探していたのだが、裏庭の小屋でリコのドレスを見つけた時は危うく城を破壊しそうになった」



 すべてが解決したからか、竜王様はものすごく爽やかに笑っている。ちょうどクルルくんが来たから破壊しなくてすんだらしいけど、本当に危なかった。



 それでもギークたちがリプソン侯爵たちと繋がっていて、騙されていたことまでは知らなかったようだ。「調べることが山積みだな」とうんざりした顔をしている。



 すると突然、ものすごく弱々しい声が、お腹から聞こえてきた。



『ママ〜……』



 待望のその声に、私はすぐに返事をする。



「卵くん!」



(嬉しい! また卵くんと話せた!)



「ん? 竜王の卵が話してるのか?」

「はい! でもすごく声が小さいです。どうしたんだろう」



 静かにして聞いていないと、言葉を聞き取れないかもしれない。私は竜王様に卵くんの状況を伝え、耳をそばだてた。



『ふわぁ……ママ、ぼく、いま、じゅんびちゅう。かみさまが、まえ、いってたの。うまれるまえは、りゅうきがいっぱいいるから、ねむるんだよって。きっと、もうじゅんびしなきゃだから、おしゃべり、おしまいするね……ふわぁ……』

「えっ! もう話せないの?」



 勝手に出産ギリギリまで話せるかと思ってた。でもずっと寝ていたからか、私に何が起こったのか知らないみたい。怖い思いをさせなくて、本当に良かった。



『……うん。すっごく、ねむいの。ママは、もうパパに、うんめいのはなよめって、おしえた?』

「それがね、竜王様ったら、私たちの話を聞いて知ってたの!」

『あ……やっぱりそうだったんだ〜。パパがぼくたちのはなしに、ビックリして、まどバーンてしてたよ』

「え? 卵くんも知ってたの?」



 なんと! あの作戦会議の時、卵くんは『パパは来てない』と言ったけど、竜王様が一瞬で遠くに行ってしまったので、ごまかしたらしい。



『でも、よかった〜。ふわぁ……じゃあ、ママとパパにもうすぐ、あえるね……』

「うん。すぐ会えるよ!」

『んん……ママ、だいすき。パパも、だいすきだよ…………』



 それっきり、お腹からは反応がなくなった。気づけば私の瞳からは、ボロボロと大粒の涙があふれてきて、止めることができない。また会えるってわかってるのに。



 すると竜王様が私の肩をそっと抱き寄せ、呟いた。



「リコ、竜王の卵とは、少しだけお別れなだけだ」

「……はい」



 竜王様の指先が、私の涙を優しく拭ってくれる。そのまま私たちは自然と向き合い、見つめ合った。



「リコ、もしリコが運命の花嫁じゃなくても、きっと同じことを言っていたと思う。だからこれから言うことは、一人のただの男の告白だ。聞いてくれるか?」

「はい」



 竜王様の両手が私の顔を包む。壊れないように、優しくふれる、温かな手だ。




「初めてリコを見た時から、守りたいと思っていた。それはこれからも同じだ。ずっとリコと一緒に過ごしていきたい。だから、リコ」



 コツンとお互いのおでこが、くっついた。



「俺を選んでくれ。俺はおまえを愛している」



 私は昔から、自分で「一番欲しいもの」を選べなかった。いつも遠慮して、最後の余り物をもらって、それでいいと思っていた。でも今は違う。竜王様も卵くんも、他の誰にも渡したくない。



「私もあなたのことが、好きです。あなたの子どもを産みたいし、家族になりたい」



 そう言って私は、そっと竜王様の首に腕をまわす。彼は少し驚いた顔をしたあと、ニッといつもの意地悪な顔をした。この顔も大好きだ。だから恥ずかしがらずに言おう!



「リュ、リュディカ! 私もあなたを愛しています!」



 悲しい別れの涙は、あっという間に嬉しい涙に変わっていく。竜王様はそれを、唇で拭ってくれ、全身が痺れるような甘さで包まれていった。



 そしてそのまま私たちは、ゆっくりと唇を重ねた。優しく穏やかなそのキスに、また一滴、涙がこぼれる。そしてその口づけは少しずつ深くなっていった。



「…………んんん!」



(な、長い! 竜王様、長いです!)



 パンパンと腕を叩いて離すように伝えても、ガッチリ体を抱きしめられてて逃れられない。それでも恥ずかしさが限界突破した私は、かなりの力で竜王様の胸を突き飛ばした。



「…………もう無理です! また今度! 今度しましょう!」



 それでも竜王様は怒るでもなく、「こうなると思った」とあきれたような顔をしている。こっちは耳まで真っ赤にしているというのに、ものすごく余裕だ。



「わ、私は恋愛初心者なんですよ。そんな私にあれはちょっと、激しいというか……」

「俺もそうだが?」



 なぜか自慢気にそう言うと、またジリジリと私のほうに寄ってくる。するとどこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。



(これはシリルさんか、リディアさんだ!)



「ちょっと待ってください。ほら! 誰かこっちに向かって叫んでる声が聞こえます! きっとシリルさんたちですよ!」



 しかし竜王様は怪訝そうな顔をして、私を見ている。まるで私がごまかすために嘘を言っているみたいだけど、本当に聞こえるんだってば!



 私はキョロキョロと声のする方を探し、そして、とんでもないものを見つけてしまった。



「きゃあ! 竜王様! ものすごい数の鳥が、こっちに飛んできてますよ!」

「ん? どれだ?」



 私が指差す方向には、五十、いや、百羽はいそうな鳥の群れが飛んでいた。しかしそれを見て、目のいい竜王様はぽつりと呟いた。



「あれは鳥じゃないぞ。竜だ!」

「ええ? あれ全部?」



 その竜の群れは、どんどん私たちのほうに向かってくる。そしてようやく私の目にも竜だとわかった頃、先頭で飛ぶ竜の声に聞き覚えがあることに気づいた。


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