31 暴かれる嘘と策略
「ア、アビゲイル様?」
竜王様の妃に選ばれた彼女が、なぜここにいるのか? 聞きたいことが山ほどあるのに、驚きすぎて声が出ない。そんな呆けた私を、目の前の彼女は不機嫌そうな顔で見ていた。
「気安くわたくしの名を呼ばないでちょうだい。あなたのような得体のしれない平民に、話しかけられたくないの」
(こ、この人、本当にアビゲイル様? もしかしてずっと本性を隠してたの?)
すると私を無視して、ギークとライラの兄妹がアビゲイル様のほうに走っていく。
「アビゲイル様! お妃様には選ばれたのですか?」
「もちろん選ばれたわ。そんなことより、王宮から連れ出せと言ってあったのに、なぜこんな王宮内の森の奥にいるのかしら?」
アビゲイル様は吐き捨てるようにそう言うと、あからさまに見下した目で二人を見ていた。それなのに、この二人は慣れているのか、文句を言うそぶりもない。
「申し訳ございません! それが今日は特に警備が厳しくて、入った時はお父上のリプソン侯爵の護衛騎士として入れましたが、いざこの女を捕まえ王宮を出ようとしたところ、侯爵がいっこうに戻ってこなかったのです。ですからこの女を縛る縄すらもなくて……」
「お父様が? はあ、何をしているのかしら? まあ、いいわ。森の奥で人もめったに来ないから、見つかりはしないわね」
(侯爵もグル? 娘のために、自分の権力のために、ここまでするってこと?)
ギークの報告に、さっきよりも機嫌が悪くなったようだ。しかしそんな苛立ったアビゲイル様に、今度は妹のライラがおずおずと話しかける。
「アビゲイル様。それで、いつ竜王様にお会いできますか? わたくしを竜王様の妾にしてくれると、お約束してくださいましたよね?」
その言葉にアビゲイル様は、目を丸くしている。そしてすぐに、お腹をかかえ笑い始めた。
「あっはははは! これだから、田舎者は。勘違いも甚だしいわ。竜王様があなたのような田舎娘、選ぶわけないでしょう? それどころかあなたは、この女を襲ったお尋ね者よ? 竜王様にお会いしたら、すぐに牢屋行きでしょうね」
「え……? ど、どういう意味ですか? だって、わたくしは、あなたが言ったとおりにしただけですのに!」
ギークとライラは顔を見合わせ、真っ青になっている。それでも目の前で何が起こっているのかわからず、二人は必死にアビゲイル様に詰め寄り始めた。
「この女を襲ったって、あれはアビゲイル様がしたことではないですか! わたくしはあなたの指示どおり、お兄様の石で動かしてるフリをしろって……。たとえ疑われても、お兄様の竜石ではあそこまでのことはできないと、あなたが証明してくださると言うからやったのです!」
「そうだったかしら? でも今日であなたは本当にこの女を誘拐してしまったわね。十分犯罪者だわ」
「そ、そんな……」
ガクリと体の力が抜け膝をついて、ライラは泣き始める。すると今度はギークがアビゲイル様を指差し、叫び始めた。
「約束が違うじゃないか! 妹を犯罪者にするなんて、どういうつもりだよ!」
「はあ……気づいていないようですけど、あなたも犯罪者よ。妹さんより重罪なこと、わかっておりませんの?」
「はっ? なんのことだよ!」
「これよ」
うんざりした顔のアビゲイル様の手には、緑色のボール状のものが乗っていた。
「これはあんたが、競技会で騒ぎを起こしたいから竜に食べさせろって言って、俺にくれた葉っぱだろう。それがどうしたんだよ」
「……ああ、あなた競技会で起こったこと、まだ知らなかったのですね。あなたが食べさせたこの危険な葉で、大変なことになったのですよ」
「き、危険な葉? なんのことだ?」
ギークの顔には脂汗がたらりと流れ始めている。声も震え、アビゲイル様に騙されていたことの恐ろしさが、じわじわと彼を襲っているのだろう。
「これはどの国でも禁止されている、竜狂いの葉よ。種を持つことすら重罪なのに、葉を竜に食べさせたとなったら、大変なことになるでしょうね」
「あ、ああ、あれは、あんたが眠らせる葉っぱだって! 俺は最終競技でヒューゴに勝ってもらいたくて、ライバルのキールに食べさせただけなのに! うああああ……!」
ギークとライラは自分たちがアビゲイル様に騙され利用されたことを知り、頭をかかえ嘆いている。そんな二人を虫けらでも見るようにアビゲイル様は、鼻で笑っていた。
「……もしかして、この迷い人が竜王様の妾にするよう、あなたに頼んだというのも嘘なの?」
ゆらりと亡霊のように立ち上がったライラの目には、怒りの炎が燃え上がっていた。涙の痕も痛々しく、頬がぴくぴくと動く様はとても恐ろしい。なのにそんなライラを見ても、アビゲイル様の顔はぴくりとも動かない。
「そんなこと、わたくし言った覚えはないわ。あなたも思い込みの激しい方ね」
「じゃあ、この女は何もしてないの……?」
「さあ? わたくしは、何も知らないわ。あなたが勝手に嫉妬して、乱暴なことをしただけよ」
「そ、そんな……」
アビゲイル様は自分に集る虫でも払うように、ライラに向かって手を振った。それを見たギークは立ち上がり、ずんずんと彼女に向かって近づいていく。
「待ってくれ! じゃあ、俺が最初に捕まえたことを逆恨みして、竜王様に騎士団を辞めさせるようにこの女が言っているいうのも嘘か! それに俺を騎士団長にするというのも!」
「兄妹そろって世間知らずね。あなたくらいの竜気で団長になれるとでも?」
「クソ! 俺らを騙しやがって!」
シャキンと音がして、ギークがナイフを手に取ったのが見えた。しかし次の瞬間、ドンという音とともに、ギークとライラはアビゲイル様の出した竜気で、数メートル先まで吹き飛ばされてしまう。一瞬の出来事で声も出ず、私は呆然とその光景を見ているしかなかった。
残ったのは二人のうめき声と、アビゲイル様の飽き飽きした、ため息だけ。
「あら、ごめんなさいね。わたくしは、あなたたちより、竜気の扱いがうまいの」
二人を甘い言葉で騙し、使い捨てたことにも、目の前の彼女はなんの罪悪感もないらしい。上品にハンカチで手を拭くと、初めて会った時のような美しいほほ笑みを私に向けた。
「さあ、次はあなたの番よ」
「ヒューゴくん……」
いつの間にかアビゲイル様は、ヒューゴくんをつなぐ鎖を手にしている。目の前の怒り狂った竜が、今にも自分に飛びかかろうとしているのに、彼女はひどく冷静だ。
「暴れると痛い目にあいますわよ」
すると抵抗して暴れるヒューゴくんの体が、一瞬電流が走ったように震えた。口枷がついているので、叫び声すらあげられず、苦しそうにうずくまっている。
「ヒューゴくん!」
(もしかしたらあの鎖に、なにか仕掛けがあるのかも。私もまだ走れないのに、どうしたらいいの?)
「赤のリボン……。そうだったわ。あなたはこの国に現れた時から、高貴な色である赤の衣を身に着けていたわよね」
アビゲイル様は私があげた赤いリボンを、ヒューゴくんの首から乱暴に引っ張ると、地面に落とし足で踏みつける。そして口枷の隙間から、例の「竜狂い」と呼ばれている葉っぱの塊を、強引に押し込んだ。
そのままぎゅっと口枷を締め上げると、ヒューゴくんの喉がゴクンと上下に動いた。
「ふふ。専属竜に噛み殺される。いい気味だわ」
「なんで、私を……?」
この人は運命の花嫁に選ばれた。竜王の卵を宿し、幸せになれるのだ。それなのになぜ、私をまだ殺そうとするの?
するとアビゲイル様はキョトンとした顔で私を見つめ、当然のことのように話し始めた。
「だって、本当はあなたが、運命の花嫁なんでしょう?」
「え……?」
(な、なに? なにを言っているの?)
「でもさっき、選定の儀で……」
「水晶の守り人はうちの親族よ? 私の竜気だけに反応する水晶玉を作ってしまえば、何も難しいことはないわ」
緊迫した場に、グルルルという低い唸り声が聞こえ始める。首を振り、口からよだれを垂らしながら、一歩一歩、私のほうにヒューゴくんが近づいてきていた。
「あなたがこの世界にやってきてすぐに、水晶の守り人から報告が来たの。選定の儀で使う水晶が光ってる、私が竜王の卵を体に宿したはずだ、とね。もちろん私のお腹には入っていなかったわ。だからあなたのところに確認しに行ったの」
(あの最初の面会のことだ! その頃にはギークとライラに、嫌がらせをするように仕向けてたのよね……)
「あなた、必死にお腹を押さえて、アレ隠してたつもりだったのかしら?」
しゅうしゅうと興奮した荒い息が、ヒューゴくんの口から出始めた。体の鱗が浮き立ち、早く暴れさせろと言っているようだ。その様子を見たアビゲイル様は、にっこりと笑い「準備ができたわね」とつぶやいた。
「運命の花嫁から竜王の卵が出ていく、唯一の方法をあなたは知っているかしら?」
知らない。知りたくもない。それよりも逃げなくちゃ。
私はなんとか起き上がるけど、足が痺れでガクガクと震えている。
「運命の花嫁が死ねばいいのよ」
カチャリとヒューゴくんの口枷が外された。後ろ足を何回も蹴り上げ、一気に私に噛みつこうとしている。
「きゃあああ!」
体に痺れが残る人間の私と、竜狂いの葉でおかしくなったヒューゴくんでは、勝ち目がない。私は逃げる暇さえも与えられず、その場に倒された。
「ヒューゴくん、正気に戻って……!」
『ガウウウウ! グウウウウ!』
私の言葉はヒューゴくんに、ひとつも届かない。それでも逃げなくちゃ。私はなんとかヒューゴくんの牙から逃れようと、身をよじった。すると、カチャリと固い音が鳴り、私の手に冷たいものがふれた。
(ナイフだ! さっきギークが持ってたやつだわ!)
私のことを殺したら、正気に戻ったヒューゴくんは絶対に傷つく。それに私が死んだら、卵くんにも会えなくなってしまう。
(それに、私まだ、竜王様に好きだって言ってない!)
私はナイフを拾うと、すぐさま自分の手のひらを切りつけ、ヒューゴくんの牙と牙の間に自分の腕を勢いよく突っ込んだ。
(日本にはね、母は強しって言葉があるんだから! 絶対にヒューゴくんを正気に戻してみせる! そして竜王様に告白して、卵くんを産む! 絶対にあなたには渡さない!)
手のひらからドクドクと血が出ているのがわかる。それが生温かいヒューゴくんの舌に、吸い込まれていっている。手の傷がズクンズクンと脈を打つように痛み出してつらいけど、私はもっと奥に手を差し込んだ。
「そうよ! そのまま噛みちぎりなさい!」
ヒューゴくんが私の腕に噛みついたと思ったのだろう。アビゲイル様は私たちの様子を、高笑いしながら見ている。すると私の耳元で小さなつぶやきが聞こえてきた。
『……リコ様。このまま聞いてください。ぼく、正気に戻りましたが、飛べないと思います。だからあの女は僕が食い止めるので、一人で逃げてもらえますか?』
「そ、そんなのできないよ……」
『行ってください!』
ヒューゴくんはそう言うと、ドンと私を突き飛ばした。そしてくるりと私に背を向け、アビゲイル様に向かって突進していく。
「きゃあ! なんですの! この竜は!」
『早く行ってください!』
もう行くしかない。私は転びそうになりながらも、走り始めた。しかしすぐに後ろからギャウウウと鳴き叫ぶヒューゴくんの声が聞こえる。
「待ちなさい!」
あっという間にアビゲイル様に追いつかれ、私は前のめりに倒れ込む。そのまま髪の毛を引っ張られ、私の顔が上を向いた。その時だった。
『ヒュー! ヒュー!』
小さな鳥が私たちの上を旋回している。あれは……あの鳥は。
その瞬間、私の視界が真っ暗になった。