30 本物のお妃様
「竜王様、アビゲイル様! ご婚約おめでとうございます!」
「本当にお似合いの二人ですわ!」
「選定の水晶は、あんなに綺麗に光るのですね。それだけでも来たかいがありました」
あちらこちらから飛び交うその言葉に、よけいに頭が混乱してくる。
(アビゲイル様が水晶で選ばれた? それじゃあ、私のお腹にいる卵くんは、なんだったの?)
そっとお腹を叩いてみるも、何も反応がない。まるではじめから、何も居なかったかのように思えるほど静かだ。
(もしかして、異世界に来たことがショックで、幻聴を聞いてたの……?)
私に迷い人としての力はある。それは本物だ。竜王様だって認めてくれている。
でも私は、竜王様の「運命の花嫁」ではなかったのだ。
その証拠に、目の前には幸せそうに頬を染める、アビゲイル様の姿があった。隣には竜王様が立っている。こちらに背を向けているので、表情はわからないけど、きっと喜んでいるだろう。
「まあ! 迷い人様。お祝いに来てくださったのですか? 父から子どもの乳母をしたいと聞きましたが、今日はそのことで?」
私に気づいたアビゲイル様が、優雅なほほ笑みを浮かべ、こちらに歩いてこようとしている。ふわりと広がる白いドレスを着た彼女は、まるでウェディングドレスをまとっているようで、目の奥が熱くなってきた。
しかも今日の竜王様の服は、白い軍服だ。まるで二人の結婚式に迷い込んだようで、胸の奥がヒリヒリと痛い。逃げ出したいのに、足の先までひんやりとして、凍ってしまったみたいだ。動けない。
「おお! 迷い人様じゃないですか! どうぞ、こちらへ。迷い人様からもお二人に、お祝いの言葉をいただけますか? アビゲイルと竜王様がご結婚されたら、すぐにでも懐妊いたしますから、迷い人様もお忙しくなりますな」
いつの間にか私の後ろに、リプソン侯爵が立っていた。私の背中を押し「さあ、こちらへ」と、二人のもとへ行かせようとしている。
(これはいったい、なんなの? 竜王様はなんで私を呼んだの?)
私は助けてほしい一心で、すがるように竜王様を見つめた。それなのに。
「リコ、こちらへ」
「えっ?」
竜王様は私に手を差し出している。まさか、そっちに行って「乳母」として挨拶をしろと言っているのだろうか? 背中に当たる侯爵の手が、じわりじわりと私を押し出そうとし、足が一歩前に動いた。
(足が動いた!)
ようやく固まっていた足が動き出し、私はリプソン侯爵を乱暴に突き飛ばす。
「さわらないで!」
「リコ!」
気づけば私はリディアさんの制止も聞かず、部屋を飛び出していた。
「はあ、はあ……!」
もうどこをどう走ったのかわからない。階段をのぼり、自分の部屋とは正反対のところに行こうと、闇雲に走っている。どのくらい走っただろうか。いつの間にか私はどこかの庭の、小さな小屋の前に座り込んでいた。
「最悪……!」
あれでは私が竜王様に恋をしていると、一目瞭然だ。目立たず地味に生きたいだなんて思っていたのに、一番注目されている時に、あんな目立つことをしてしまった。
(でも私には二人の子どもの乳母は、できそうにないよ。妄想でもいいから、卵くんにまた会いたい……)
卵くんとの楽しかった日々を思い出して、ポロポロと涙があふれてくる。ママと言って慕って、いつでも私のことを好きでいてくれた。かわいい相槌をうって、笑いをこらえるのが大変だった。
私があの夜、ママになる覚悟ができたと伝えたら、すごく喜んでくれた。それに。
「名前、つけてあげれば良かった……」
パパと二人でつけてほしいって言ってたけど、こんなことになるなら、卵くんじゃなくて名前で呼びたかったな。あなたを産めればよかったのに。どんな姿だったんだろう。
「小さくて黒い竜だったのかな。きっとかわいい竜だろうな……」
その自分の言葉で思い出してしまうのは、あの夜の竜王様だ。小さい竜の姿になって、私に「生まれてくる子に淋しい思いをさせたくない」と伝えてくれた。あの日打ち明けてくれた勇気に、私はちゃんと報いたいな。
「そうだよね……、私、約束したんだもんね」
私はあの日、竜王様に宣言した。もう彼のように淋しい子ども時代を、あなたの子どもに過ごさせないって。私の血でなんとかさせる。話だってするからって。
それならちゃんと守らなきゃ。苦しいけど、きっと時間が解決してくれる。さっきのだって恥ずかしくて逃げたとか、バレバレの嘘でもつけばいい。誰かに笑われても、私には竜王様との約束のほうが大事だ。
「戻ろう……!」
そう決意すると、少しだけスッキリしてきた。とりあえず涙も止まったから、服を整えたら部屋に戻ろう。王宮内の庭だから安全とはいえ、一人でいるのは良くないよね。
(みんな心配してるはず。いきなり走って逃げるなんて、出ていくのが恥ずかしいな)
そんなことを考えていると、ふいに物陰から侍女服を着た人が、こちらに向かって走ってきた。きっと私を探してくれたのだろう。私を見つけると、ハッとした様子で駆け寄ってきた。
「あの、もしかして、迷い人様ですか? お加減でも悪いのでしょうか?」
「え……、あ、大丈夫です」
「顔色が真っ青ですわ。さあ、これを吸って」
「え? うっ……!」
突然目の前の侍女が私の頭をわしづかみし、もう片方の手で口にハンカチを押し付けた。急なことで思わず息を吸うと、そのハンカチには何か薬品が染み込ませてあったようだ。たちまち目の前の景色が歪み、体の力が抜け始める。
「最初に見つけられて、良かったわ」
どこかで聞いた覚えのある声なのに、思い出せない。
(もうだめ。目の前が揺れて……立って……られない)
足がふらつき体のバランスが崩れ、そのまま前に倒れ込む。薄れゆく記憶の中で聞こえてきたのは、「兄さん、こっちよ」と呼びかける声だった。
次に目を覚ました時、私は見知らぬ場所に寝かされていた。見える場所は全部木ばかりで、どうやら森の中らしい。私は苔が生えている場所に寝かされていて、縛られてはいなかった。そのうえまわりには誰もおらず、ひとりポツンとその場に転がっている。
(でも、動けなーい!)
もしかしたらさっき嗅がされた薬のせい? 全身がしびれて、まったく起き上がれそうにない。それならばと、辺りを観察するけど見えるのは「木」と「苔」だけ。
(あれ? 私、侍女服着てる)
唯一わかったのは、私の服がドレスから侍女服に変わったことだ。きっと私を王宮から連れ去るために、目立たないよう着替えさせたんだろうな。それに思い出したわ!
(あの侍女、ぜったいにライラよ! もう呼び捨てなんだからね! だって兄さんって最後言ってたし、絶対にあれはギークだ!)
それにしてもあの二人、どこに行ったんだろう? そもそもどうやって王宮に入れたの?
しばらく二人の行動を考えていると、遠くから竜の鳴く声と、男の人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「クソ! さっきまで大人しかったのに。さっさとこっちに来い!」
『嫌だ! おまえなんて大嫌いだ! リコ様を連れ去ったのは、おまえだろう!』
「ねえ、その竜じゃないとダメなの? 全然兄さんの言うこと聞かないじゃない」
「俺だって知らねえよ! あの方がこの竜にしろって言ったんだ。それにこいつは裏切り者だ。俺の竜だったのに、あの女の専属竜になりやがって!」
(ヒューゴくん! この声ヒューゴくんだ!)
ライラとギークの言い争いのなかに、ヒューゴくんの声が混じっている。理由はわからないけど、ヒューゴくんもあの二人に連れ去られたみたいだ。
「もうそろそろか?」
「早く結果が知りたいわね」
(結果? なんのことだろう? それにしてもあれから、どのくらい経ったのかな? まだ日は高くないから、そんなに時間が過ぎてはいないと思うんだけど……)
二人の姿は見えるけど、まだ少し遠くにいる。ヒューゴくんは鎖で木につながれていて逃げられそうにない。そのうえ口枷もつけられてしまっていた。
(あの二人、誰かを待ってるみたいだけど、その間に逃げられないかな?)
ありがたいことに、二人は私を放置している。こっそり足を動かしてみると、さっきよりは痺れが取れてきていた。指もなめらかとはいかないが、だいぶ動く。
(よし! このままこっそり森の中に隠れて、相手が油断したすきに、ヒューゴくんと一緒に逃げよう!)
そう考えた時だった。私の目の前に、女性用の靴が飛び込んできた。誰かが私の顔の前に、立ちふさがっている。
「あら? 起きてるじゃない」
その聞き覚えのある声に、ドキリと胸が跳ねた。おかしい。そんなはずはない。だってこの人は。
「ふふ。もうわかったんでしょう? 顔をあげたらいかが?」
挑発的なその声に従い上を見上げると、そこにはアビゲイル様がいた。その顔は恐ろしいほどに美しく、そして醜悪な笑みを浮かべていた。