28 竜王様の過去
「うわあ! 竜王様、かわいい!」
「……入るぞ」
そう言うと、手のひらサイズの竜王様は、私の横から器用にすべりこみ、部屋に入ってしまった。
「もしかして、昨日いただいた酔い止めの木の実を、持ってきてくれたのですか?」
明日にはまた王宮に帰る。さすがにあの木の実の効果も終わってるだろうし、酔いたくないのでまた飲んでおきたいな。そう思って話題に出したのだけど、どうやら違うみたいだ。竜王様は、何も持っていなかった。
「ん? ……そうだな! 今日も酔わなかったし、大丈夫だろう」
「そうですか? もし明日気持ち悪くなっても、責めないでくださいね」
そう言うと「休憩しながら飛ぶから大丈夫だろう」と言って、部屋を旋回するように飛んでいる。そんなに大きな部屋じゃないので、竜王様を見ていると目が回りそうだ。
「竜王様? じゃあ、今日はどうしたんですか?」
「ん……そうだな」
何か用があって来たと思うのだけど、竜王様はいっこうに話さない。それどころか、「う〜ん」と唸りながら、妙に私から距離を取って飛んでいる。しばらくそうした後、竜王様はようやく私が腰掛けていたベッドのヘッドボードに止まって、顔をあげた。
「……話があるんだ」
「話……、あっ! その前に謝りたいことがあるんですけど、いいですか?」
「いいや、謝らなくていい。昼間の質問のことだろう? 今日はそのことで話をしにきたんだ」
昼間私が竜王様に「赤ちゃんの頃に話せたか?」と聞いてしまい、そのせいであの場が暗くなってしまった件だ。でもそれだけ竜王様にとって、嫌な出来事を思い出す話題だったのだろう。
「あの、つらいことなら、話さなくても――」
「いや、話したいんだ。聞いてくれるか?」
竜王様はつかまっていたヘッドボードから飛び立つと、私の膝に降り立った。小さな竜の姿だから、こんなに近くにいても緊張はしない。竜王様は大きなため息を吐いたあと、ゆっくりと子供の頃のことを話し始めた。
「昼も答えたが、俺が子どもだった時は、言葉が話せなかった。普通は三歳ほどになると、大人とも会話ができるようになるのだが、俺は十年経っても話せなかった」
「十年……」
「ああ、そのうえ竜気の量が多すぎて、俺はいつも竜の姿だった。人間の姿になれないんだ」
大きな雨粒が、窓ガラスを打っている。夕方曇っていた空が、今頃雨に変わったのだろう。そのパラパラという音が、竜王様の言葉をいっそう淋しく感じさせ、かける言葉が見つからなかった。
「竜気をコントロールできない俺は、いつも泣き叫んでいた。疲れると眠り、人の気配がすると、また吠えた。部屋中を暴れまわり、気づいた時には部屋の窓は封鎖され、扉も内側からは開けられなくなった」
(それって幽閉されてたってこと……?)
今の自信にあふれ、皆に大切にされている竜王様の過去とは考えられない話に、ゴクリと喉を鳴らした。
「結局人の姿になり、話すことができるようになったのは、俺が二十歳になった時だ。部屋から出れたのも、その時だったな」
「じゃあ、二十年間も、一人でその部屋に?」
「ああ、シリルが世話をしに来てくれるのが、唯一の楽しみだった」
以前彼は「竜は強いことが大事」だと言っていた。小さな竜の姿すら、他人には見せたがらなかった竜王様。それならばこの話をするのは、かなりの勇気が必要だったはずだ。
「だが、その頃には父親より、俺のほうが強くなっていた。すぐに父は退位し、俺が竜王となったのだが、周囲の感心事は竜王の卵を誰が宿すかになっていく。それが俺にはつらかった」
「それは、結婚が嫌だとかではなく……」
「ああ、俺は二十年、自分の膨大な力をコントロールできず、部屋に一人きりで過ごしていた。あんな生活を自分の子どもにさせたい親などいないだろう?」
今の竜王様は、小さな子どもの竜だ。しかしその姿がよけいに、ひとりぼっちで泣き叫んでいた頃の姿に重なり、気づいた時には私は竜王様をぎゅっと抱きしめていた。
「リコ……」
「次に竜王様のような力のある子が生まれても、私の血でなんとかできます! 話だってできます! だからもう淋しい子は生まれません!」
私の瞳からボロボロとあふれる涙が、竜王様の頭にあたって弾ける。もう、私が竜王様のお妃だって言ってしまおう。私なら安心させられるって、伝えたい。
「あの、竜王様……!」
私が意を決して告白しようと、抱きしめる腕を緩めた時。ポンと竜王様の姿が変わる音がした。そのまま流れるような動作でベッドに押し倒され、私は何が起こったのかわからず、目をパチパチとさせていた。
「リコ、二人の時は、リュディカと呼べと言っただろう?」
「えっ! 竜王様、姿が、に、人間に……」
「ああ、戻したんだ。それが、どうした? ほら、リュディカと呼ぶって約束しただろう?」
「し、してないですよ! あれは竜王様が勝手に!」
いきなりどうしたんだろう? さっきまではあんなに暗かったのに、何かのスイッチが入ったように、一気に竜王様の雰囲気が変わってしまった。
蜂蜜色の瞳はとろけるように艶を帯び、私の耳に甘い吐息を吹きかける。上品な薄い唇からは、少し強引な言葉。それでいて私の髪をさわる手は優しくて、少しずつ私たちの唇が近づいていく。
(こ、これ、からかってるんだよね? もう! このタイプのは苦手なんだってー!)
きっと私の顔は真っ赤だ。耳まで熱くなって、頭も真っ白で何も考えられない。でもこのままじゃエスカレートしていくばかりなので、私は勇気を出して彼の名を叫んだ。
「リュ、リュディカ! からかうのは、止めてください!」
「…………」
あれ? せっかく頑張って言ったのに、反応なし? 私は恥ずかしくてギュッと閉じていた目を開けた。するとそこに見えたのは。
真っ赤な顔をした竜王様だ。口に手を当て、うつむいている。耳まで真っ赤になって、私と一緒じゃない!
「竜王様、顔が真っ赤ですけど?」
「……驚いただけだ」
「絶対ウソです! もう早くどいてください! からかってばかりなんだから!」
「からかってるわけじゃ――」
このままじゃ不毛なやり取りになりそうだと思った瞬間、コンコンコンと怒ったようなノック音が聞こえてきた。
「竜王様、お茶を飲む時間です!」
扉の外からリディアさんの不思議な声掛けが聞こえてきた。
(薬を飲む時間みたいな言い方してる……)
竜王様も彼女の言葉を聞き、私の上から体をどけると、何事もなかったかのように出ていこうとしている。
「じゃあ、リコ。また明日だな。ゆっくり休めよ」
「は、はあ……、おやすみなさい」
来た時とは違ってかなりご機嫌な竜王様は、睨むリディアさんのことも軽くあしらいながら、自分の部屋に帰って行った。
「ゆっくり休めって、あんなからかい方して、よく言うよ……」
ベッドに寝転がりながら、竜王様に悪態をついていると、大事なことを思い出した。
「あっ! 結局言えなかった!」
自分が運命の花嫁だって告白しようとした瞬間にアレだもん。一気に頭が真っ白になって、すっかり忘れてしまった。卵くんも寝ちゃったし、今日はもういい、ふて寝しよう。
私はそのまま、毛布を頭までかぶると、目を閉じた。しかし、さっきの竜王様とのことを思い出してしまって、なかなか寝付けなかったのだった。
◇
『おはよう! ママ!』
「おはよう〜! 今日は早いんだね!」
『うん! きのう、いっぱいねむった!」
「ふふ。たしかに昨日はよく寝たね。もう出発の時間だから、しばらく返事はできないの。ごめんね」
『は〜い』
起きたばっかりの卵くんが元気いっぱいに返事をすると、ちょうどリディアさんが迎えにきた。そのまま外に出ると、竜車の前でなにやら竜王様とルシアンさんが、昨日の幼竜を抱っこしながら、何か話している。
「おはようございます! クルルくんもおはよう!」
「おや、迷い人様。おはようございます」
『はよ』
「クルルくんも外に出て、一緒にお見送りしてくれてるんですか?」
するとルシアンさんは、クルルくんの顎を撫でながら、少し残念そうな顔をしている。
「それがちょうど今、竜王様にお願いしようと思っていたのですが、クルルの貰い手を探してもらえませんか? この子は中型ですから、竜舎がないここではとても飼えません」
(そうか、今は小さいけど、大人の竜になったら中型くらいに育っちゃうのか。それならここでは、飼えないよね)
すると竜王様が、私の肩をポンと叩き、ニッコリ笑った。
「リコ、嬉しい報告があるぞ」
「え? なんですか?」
最近はよく私をからかってくるので、本当に私にとって嬉しい報告なのか疑わしい。私がジロリと睨んでいると、竜王様は全然こりていないようでクククと笑っている。
「本当に嬉しい報告だ。リコが幼竜と話せるなら、王宮に幼竜を預かる竜舎を建てようと思うのだが、どう思う?」
「幼竜だけを集めるのですか?」
「ああ、リコだけが会話できるからな。幼竜の扱いはけっこう大変だ。よく鳴くから飼い竜であっても、育児放棄する時も多い」
「わ、私がお世話をしていいんですか?」
「全部ではないが、竜の保育の先生になれば良いじゃないか?」
竜王様の最後の言葉に、雷に打たれたような衝撃が体に走った。
「りゅ、竜の保育園! きゃあああ! 素敵すぎるぅ」
私が突然叫び声をあげたので、隣で聞いていたルシアンさんは目を丸くして驚いている。しかしそんなことに、かまっている暇はない! だって、だって! 諦めていた保育の夢が叶うんだ!
(人間の子どもじゃないけど、竜の保育だってやりがいありそう!)
片言の言葉を話す幼竜がいっぱいいるところを想像するだけでも、勝手に笑いがこみ上げてくる。
(それに、竜王様が私の夢を覚えていてくれたのが、すごく嬉しい!)
「その保育園の生徒第一号が、クルルでいいんじゃないかと思ったのだが、これでも嬉しい報告じゃないか?」
「嬉しすぎます! 竜王様、最高です! ありがとうございます!」
『ママがせんせ〜! ぼくも、せいとになる!』
もう人目などどうでもいいから、竜王様に抱きついて感謝の気持ちを表したいくらいだ。すると私が大騒ぎしているので、とうとう団長さんやヒューゴくんまで集まってきてしまった。
しかしこの喜びを一人で抱えることは、とうていできない! 興奮しきった私は、集まったみんなにベラベラと話し始めた。
「みなさん! 聞いてください! 実は私――」
「それは凄い! 国境の辺りは落竜も多いですし、みんな喜びますよ!」
「リコ様、素敵です! 私もお手伝いさせてくださいね!」
「俺だって手伝いますからね!」
『ぼくも、手伝います!』
団長さんたちの話によると、幼竜を育てるのは竜に慣れている騎士団でも大変で、出産シーズンになると各地の騎士たちが愚痴をこぼすほどだそう。なので保育園の話を聞いたら、問い合わせが殺到するとまで言われてしまった。
「ヒューゴも手伝うと言ってくれてますし、さっそく帰りは彼の背中にクルルを乗せましょう」
竜王様の気がすごいので、クルルは私たちと一緒にはいられない。なので穏やかな気質のヒューゴくんと鎖でつないで、背中に乗せてもらうことになった。
『リコ様、この子はしばらく僕が面倒を見ますね』
「いいの? 無理してない?」
『誰かの世話をするのは、嫌いじゃないです。それにこの子も、僕に懐いたみたいで』
最初はおびえていたが、どうやら二頭は波長が合うようだ。クルルはヒューゴくんの背中に顔を擦り付け、甘えている。
「親だと思ったのかな?」
『もしかしたら、本当の家族にも、似た性格の兄竜がいたのかもしれません』
その様子を隣で見ていたルシアンさんも、ホッとした様子だ。「これなら大丈夫そうですね」と言ってほほ笑んでいる。
「迷い人リコ様、また会える日を楽しみにしていますよ」
「ルシアンさん、お世話になりました! クルルは大事に育てますね!」
『ばいば〜い』
クルルという思わぬお土産をもらい、私たちは順調に王宮まで戻っていった。トラブルといえば、途中クルルが眠ってしまって、ヒューゴくんの背中から落ちてしまい、鎖で宙ぶらりんになってしまったことくらいだろう。
「この世界で初めての旅は楽しかったか?」
「はい! 竜も性格がさまざまで、面白かったです」
「フッ、そうだな。お、そろそろ王宮だ。どうやら出発と同じで、騎士たちが出迎えてくれてるようだぞ」
「わっ! 本当だ! キールくんもいる」
『りゅうのけはい、いっぱい』
窓からのぞくと、たくさんの騎士や王宮のスタッフが出迎えてくれていた。手を振ってくれたり、キールくんなんてこっちに飛び出しこようとするのを、三人がかりで止められていた。
「竜王様、お戻りお待ちしておりました。おや? ヒューゴの背中に知らない幼竜が乗っていますね。どうしたのです?」
「実は面白いことがあってな――」
竜王様が私が幼竜と話せること、王宮に竜の保育園を作ることを皆に伝えると、わあ!と大きな歓声があがった。
「それは凄い! 騎士の仕事がだいぶラクになりますよ!」
「もうすぐ出産シーズンですから、すぐに取り掛かりましょう!」
「リコ様がこの国に来てくださって、本当に良かった!」
(嬉しい……、みんな喜んでくれてる! これならタイミングを見て、竜王様に告白できそう!)
そう思うと、すぐに胸がバクバクと緊張してくる。いつ言おうか? 今日はまだちょっと心の準備ができてないから、明日にしようかな。そんなことを思っていると、遠くから竜王様を呼ぶ声が聞こえてきた。
「きゃっ! 誰?」
「どけてくれ! 私を誰だと思ってるんだ!」
すると一人の知らない男性が、騒ぐ群衆を強引にかき分け、竜王様の前にひざまずいた。
「竜王様、お帰り大変お待ちしておりました!」
「リプソン侯爵ではないか。そんなにあわてて、どうしたのだ」
(リプソン侯爵……ということは、この人がアビゲイル様のお父さん?)
「お妃様選定の水晶が完全に灯りました! よって明日の朝、水晶の部屋にて、お妃様選定の儀を執り行います!」
そう言って、リプソン侯爵は顔を上げ、私に向かってニヤリと笑った。