22 夜の作戦会議
「卵くん、ねえ、寝てるの? 起きて」
ポンポンと軽く叩いたり、反対に今度は強めにしてみたりと、竜王の卵に向かって呼びかける。しかしやっぱり返事はなかった。それでも私は諦めることができず、何度も何度もお腹に向かって話しかける。
そんなことをしていると、あっという間に夜だ。今夜はやたら風が強くて、窓がカタカタと揺れている。その寂しげな音がよけいに私を不安にさせ、ため息を吐いた。
その後も、体だけでも休めようとベッドに入り横たわったけど、心はまったく休まらない。それどころか、ピクリとも動かないお腹をさすっていると、どうしても嫌な考えが浮かんできて、私はとうとうその言葉を口に出してしまった。
「もしかして、卵くん、私から出て行っちゃった……?」
以前、彼に「私の中から出ていくことはできないの?」と聞いたことがあった。あの時卵くんは『しらない! ぼく、わかんない!』と言っていたけど、あの様子は事情を知っているみたいだった。
そしてその答えはきっと、「出ていける」のだろう。
もしかしたら母体である私は、試されていたのかもしれない。母親として覚悟があるのか、竜王の卵を大切にできるのか。それならばきっと、私は不合格だ。卵くんに私を勧めた神様だって、認めてはくれないだろう。
覚悟もない。敵を作って殺されそうになる。卵くんの存在を否定するように、違う母体を勧める私なんて、見限られてもしょうがないのだ。
それでもあの時。空中から落とされそうになったあの瞬間。
私はお腹の卵くんと離れたくないって、心の奥で思っていた。
「今さら遅いよね……」
両手で顔を覆っても、勝手に涙がこぼれ落ちていく。つうっと目尻から首すじに向かって、生ぬるい滴がつたっていき、シーツを濡らしていった。その時だった。
『わああああ! ママ! ママ! どうしたの?』
「えっ! た、卵くん?』
いきなりの卵くんの大声に、ベッドから勢いよく起き上がる。
『ママ! 無事だったの? さっき何があったの?』
「さっき? もしかして、最後に叫んだ時から記憶がないの?」
『……うん。あんまりにもビックリして、眠っちゃったみたい。今おきたの』
「そ、そっかぁ……。良かったぁ〜」
『よくな〜い! なにがおこったの?』
てっきり卵くんや神様にあきれられ、出ていかれたと考えていたので、彼がずっとお腹にいたことに喜びが隠しきれない。それでも卵くんにしてみれば、パニックになったところで記憶が途切れているので、私が何を喜んでいるのかわからず、プリプリ怒っている。
「ごめんごめん! とりあえず私は無事だよ。怪我もない」
切り傷はあったけど、キールくんたちが舐めてくれたおかげか、もうすっかり治っていた。なので心配させないように、黙っておこう。それでも何があったか知りたがっている卵くんに、どこまで言うか迷うところだ。
(私が狙われたとか言ったら、きっとパニックになっちゃうよね。犯人がいることは、ぼかして伝えよう!)
私はギーク兄妹の名前は出さずに、ざっくりと今日あったことを卵くんに話した。
「それで誰かの興奮した竜気で吹き飛ばされちゃって、地面に落ちそうになったの。でもね、下にいた竜に助けてもらったのよ。だからもう心配しなくて大丈夫!」
すると卵くんは意外にもすんなり納得したようだ。まだ子供なので犯人がいるとかは、思いつかなかったらしい。良かった良かった。よけいな心配を増やしたくないもんね。
『はあ〜それなら、よかったぁ!』
「そうでしょ? それにね、今日はとっても嬉しいことがあったの! あと、卵くんに報告したいこともあるのよ!」
『えっ! なになに? ママおしえて〜』
私にとって今日嬉しかったことは、もちろん竜の言葉がわかると知ったことだ。騎士さんたちも喜んでたし、もしかしたら何かの役に立てるかもしれない。そしてなにより、この世界でやっていく希望と自信がもてた。
(だから、思い切って卵くんに報告しよう!)
私はドキドキする胸を落ち着かせるように、すうっと深呼吸をすると、一気に言葉を吐き出した。
「私、あなたのママになる覚悟を決めたわ!」
『えええ! ほ、ほんとうに?』
「本当よ! 私今日ね、きゃあっ!」
卵くんのママになる宣言をした直後、バンと大きな音を立てて窓が開いた。バサバサと分厚いカーテンがなびいていて、どうやら強風で開いたようだ。
「もしかして……!」
窓が開いたのは、さっきから風が強かったし、鍵を締め忘れていたからだとわかっている。それでも私はあることが気になって、開いた窓に急いで駆け寄った。
「竜王様?」
『パパ? 来てないよ? パパが来てたら竜気でわかる』
「そ、そっか……パパ来てなかったの……」
たしかに窓から外をのぞいてみても、どこにも竜は飛んでいない。もちろん人の姿の竜王様もいない。
(恥ずかしい。ちょっとだけ今夜、竜王様が会いに来てくれるかなって期待してたからよね……)
私は顔を赤くしながら窓をしっかり施錠すると、カーテンを閉めた。すると二人っきりになる瞬間を待ってましたとばかりに、お腹がポコポコと動き出す。
「そんなことより、ぼく、うれしい! ママになってくれるんでしょ? じゃあ、さっそくパパのところに――」
「待って! あのね、それについてはちょっと考えがあるの」
そのまま窓辺の一人用ソファーに座ると、深呼吸をする。そして気合いを入れるように、ポンとお腹を叩いた。
「まずは、二人で作戦会議を開きましょう!」
「さくせんかいぎ! うん! やろうやろう! で? なんのかいぎ? かいぎってなに?」
「私がすんなり竜王様のお妃だって、この国の人に認めてもらうための話し合いよ」
「え〜? ママはぼくが、みとめてるのに〜」
私は卵くんのかわいい発言にクスクス笑いながら、今日起こったことと、自分の考えたこれからの展望を話し始めた。
「実はね、私、竜の言葉がわかるのよ!」
『えっ? ぼくだけじゃないの? ほかの竜のことばも?』
「そうなの! それで竜たちが騎士さんたちの秘密をバラしちゃったの!」
『ぼくも、ききたかったぁ〜』
卵くんはまるで私に抗議するみたいに、お腹をポコポコ叩いている。
「だからね、なんとかこの特技を活かして、国民の信頼を勝ち取りたいの! そうすれば竜王様に『私が運命の花嫁です』って自信をもって言えるから……」
今の私ではまだ竜王様に告白できない。もう少しだけ、お妃様にふさわしいものを身につけてから、伝えたい。
『竜人のしんらい? みんなに、すごいって思われたいってこと?』
「そ、そう。何ができれば、そう思われるかな?」
身も蓋もない言い方だけど、卵くんの言うとおり、すごい人だって思われたい。だって私はこの国に貢献してきた家柄でもないし、美人でもない。頭にはどうしてもあの日の、竜王様とアビゲイル様の完璧な姿がよぎってしまう。
(生まれ育った環境はもちろん、顔やスタイルは変えられない。それなら私にできることは、能力を活かすことしかない!)
『ん〜? まず竜人は、つよい人が好きだよ』
「強い人か……」
前にも竜王様が言ってた気がするけど、私が身につけられる強さってなんだろう?
『強い竜にめいれいできる人が、すごいと思われるから……』
「だから?」
『パパに、めいれいすればいいよ!』
「無理だよ! そんなことしたら、みんなビックリするし。竜王様はたぶん睨んでくると思う!」
『だから、パパにママがうんめいの花よめだって、言えばいいのにぃ〜』
「んもう! ママの話、聞いてた?」
卵くんはケラケラと笑うようにお腹を叩くと、今度は『ママ、ねむい……』とぐずりはじめた。たしかにもう夜が深まってきている。私も卵くんの安否がわかりホッとしたので、眠くなってきた。
「じゃあ寝ようか。また明日ね。あっ! ひとつ卵くんに聞き忘れてた!」
『ふわあ……なあに? ママ?』
卵くんの声は、もう今にも寝てしまいそうだ。それでも二人で話せる時間は、意外と少ない。私は彼が寝てしまう前に、急いで質問をした。
「卵くんじゃなくて、ちゃんとした名前をつけてもらいたい?」
すると、ポコンと驚いたようにお腹が動いた。しかしその後は、しばらくなんの反応もなくなってしまう。もう寝てしまったのだろうかと思ったその時、小さな呟きが私の耳に届いた。
『パパとママがいっしょに、なまえをきめてほしい……』
この子ほど、私と竜王様の結婚を待ち望んでいる者はいないだろう。淋しい私を見つけ家族になってあげたいと、ママに決めてくれた。私は喉の奥がきゅうっと痛くなるのを我慢し、卵くんに返事をした。
「わかった。結婚したらパパと一緒に、卵くんのかっこいい名前を決めるね! じゃあ、おやすみ……」
『おやすみ、ママ……』
気づくとあんなに強かった風も止んでいた。いろいろあった今日だけど、不思議とぐっすり眠れそうな気がする。私はそっとお腹に手を当てると、ゆっくり瞼を閉じた。
「寝すぎた……」
ぐっすり眠れそうな気がするどころじゃなかった。空の雰囲気から察するに、もう昼だ。私があわてて侍女服に着替えていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「リディアです。リコ、起きましたか?」
「おおお、起きました起きました! すみません! 私ったら、寮の食堂の仕事に遅刻ですよね!」
「ふふ。起きてるなら、開けますね」
「はい! どうぞ!」
すると入ってきたのはリディアさんだけじゃなかった。シリルさんと竜王様も一緒で、私の服を見て険しい顔をしている。
「リコ、もう迷い人の能力が判明したのだから、食堂の仕事はしなくていいだろう」
「えっ? でも人手不足だって……」
「食堂はなんとかなる。それよりも、リコにしかできない仕事をしてほしい」
「私にしか、できない仕事?」
突然の展開に、ポカンと口を開けてしまう。すると竜王様は私のそんな姿を見て、ニヤリと笑った。
「リコは竜が好きだろう? リコの竜と話せるという能力を知った各地の領主から、おまえ宛てに依頼が来ている」
「依頼?」
「ああ、竜がらみで問題が起きていて、それを解決してほしいという依頼だ。やってみるか?」
それを聞いて間抜けな顔で開けていた口を、きゅっと閉じた。
(これは願ってもないチャンスなのでは? 私が役に立つってことを、国民に広げる良い機会よ!)
私はサッと手を挙げ、すぐさま宣言した。
「やります! ぜひとも、やらしてください!」
『ぼくもいく〜』
私が行くのだから、自動的に卵くんも行くのに。私はお腹を見てクスッと笑うと、みんなも私の張り切りぶりに笑っていた。