17 心の奥にある本能 竜王SIDE
「今日は快晴に恵まれて良かったですね」
「ああ、そうだな」
「本日の競技会には、リコも見に来るらしいですよ」
「知っているが?」
シリルからの朝の報告を聞きながら、朝食を食べるのが俺の日課だ。今日は騎士団主催の競技会があるため、さほど俺の仕事で大事な報告はないらしい。
「リコも楽しんでもらえるといいですね。なにせ彼女は竜が大好きですから」
「ふっ……そうだな」
その言葉に俺の竜姿を見たリコの顔を思い出す。ビクビクとおびえる小動物のようだった彼女が、俺が竜に変わったとたん、目をキラキラと輝かせる姿は印象的だった。
(いや、どちらかというと、リコは小さい竜のほうが好きみたいだな)
リコはこの世界に、たったひとりで飛ばされてきた。若い女の身で、それがどんなにつらいことか。それならば迷い人の能力など関係なく、王宮でゆっくり過ごせばいい。そう思っていたのだ。それなのにリコは俺の心配をよそに、働くと言い出したから、心配になって部屋を訪ねた時だった。
まわりに知られないよう、小さな竜になって部屋を訪ねると、リコは目をうるうるさせ俺を見つめていた。まるで黄金の宝箱でも見つけたように俺にふれ、話している間もずっとニヤニヤしっぱなしだった。
顔には「なんてかわいいの!」と書いてあり、俺が人間の姿に戻ろうとすると、あからさまにガッカリした顔になる始末。
(竜王である俺の前で、あんなに失望する顔を見せるやつはいないぞ)
あの時の残念そうな顔を思い出すと、どうしても笑ってしまう。しょうがないから、リコのためにしぶしぶ小さな竜のままで過ごしたのだった。
それでもあの夜、リコの部屋に行って良かった。彼女は俺が思っている以上につらい状況で育ち、自立しようともがいていたのだ。
リコは自分から「つらい」だとか「悲しい」だとかは言わないのだろう。きっと言っても無駄だからだ。叶わない願いなら口に出すのは、虚しいものだ。
(俺も経験があるからわかる……)
そんなことに思いをはせていると、無意識に子供の頃の景色が頭に浮かんでくる。これ以上考えていると、疲れるだけだな。俺は食事を終えると、用意されたばかりの「リュディカ」をひと口飲んだ。
「竜王様、リコで思い出しましたが、彼女が妾になったという噂の出どころがわかりました」
「ほう、早かったな」
「ええ、以前リディアの報告にあった、リコに嫌がらせをしたギーク・ロイブという騎士と、その妹のライラ・ロイブ嬢です」
「はあ……リコへの嫌がらせか」
「そのようですね。兄のギークは前回のことで、本日の競技会の出場選手から外されたそうですし」
逆恨みもいいとこだ。リコに直接嫌がらせをして処分されたから、今度はリコの悪い噂を流して、まわりに攻撃してもらおうと考えたのだろう。姑息なことを。しかしこれ以上強く罰すると、またリコに何かしてくる可能性もあるな。
(とりあえずは、二人とも王宮から追い出して様子を見るか……)
「兄の処分は騎士団長に任せよう。きっと地方の騎士団に配置換えになるはずだ。妹のほうは、パーティーのリストから外して、領地に帰らせるように」
「かしこまりました」
「それにしても、王宮内でここまで勝手な行動をするとはな……」
するとシリルが二杯目のリュディカを注ぎながら、俺の疑問に答えた。
「以前に現れた迷い人様が治療した流行病は、主に王都で蔓延しましたから。地方の貴族には身近に感じられず、迷い人様への尊敬の念がないのでしょう」
「ふむ。リコに迷い人としての能力が現れないこともあるのだろうな」
「そうですね」
田舎から出てきて一旗揚げようと躍起になっている時に、リコという邪魔者が現れたってとこか。たしかリコの髪の毛をつかんだのも、あの騎士だった気がする。あの光景を思い出すと、なぜかあの時より腹が立ってきてしょうがない。
(そういえば、初めて会った時も、リコが乱暴に扱われているのが不快で止めたのだった。侵入者、しかも王宮に現れた者なのだから、当然な扱いだったはずなのだが……)
どうもリコに危害を加える者がいると、苛立って仕方がない。誰よりも守って、傷があったら癒やしたいと考えてしまう。こんなことは初めてだ。
(思い出すとまたイライラしそうだな……)
俺がそんな気持ちを抑え込むようにお茶を飲み干すと、シリルがまたあの二人の情報を話し始めた。
「彼らは東部の端の出身で、兄のギークはかなりの竜気の量を扱えるらしく、一族の期待を背負って王都に来たみたいですね。妹のライラも女性ながら騎士の訓練を受けているとか」
王都の竜騎士団に女性は入団しないが、地方では騎士の訓練を受ける女性も珍しくない。地方に行くほど竜騎士は少なくなるし、竜を育てるのにも金がかかる。動ける人数は多いほうがいいので、そうなるのだろう。
「問題は、俺への恐れがないことだな」
「……そうですね」
王都に住む者は、竜王である俺の命令に絶対服従している。それは竜の姿に変わるたびに、俺の膨大な力を感じるからだ。しかし田舎に住む者はそれを知ることがない。だから俺のことも、甘く見ているのだろう。
「圧倒的な強さを見せて、躾けなくてはならないな」
竜人に必要なのは強さだ。俺のように自分自身が強い竜であることは特別だが、一般の竜人であっても強い竜気を持った者が上に立つ。
それだけ強い竜を使役できるからだ。
たいていは一人に一頭、相棒である竜を持つ。俺のようにすべての竜をひざまずかせる者は、この世界にいない。
(もしすべての竜を意のままに操れる者がいるなら、俺一人では敵わないかもしれないな。まあ、そんなヤツがいるのなら、ぜひ会ってみたいものだが)
「竜王様、そろそろお支度をお願いいたします」
「ああ、わかった」
さっさと着替えてリコの顔でも見に行くか。俺はいつの間にか用意されていた三杯目のお茶をぐいっと飲み干し、部屋を出た。
◇
競技場に行く前にリコのドレス姿を近くで見ようと思ったが、すでに出たあとだった。
(なんだ。つまらないな)
必要に迫られないと、リコはこちらの服を着たがらない。しかしドレスを着るのは好きらしく、頬を赤らめ嬉しそうにしている。それが可愛くて今日も見たかったのだが、少し遅かったな。リディアにもロイブ兄妹について話しておきたかったのだがしょうがない。
競技場で開始の挨拶を終え、用意された椅子に座ると、目の前に「リュディカ」が出てきた。
「竜王様、お茶です」
「……最近多くないか?」
「当たり前ですよ。リコが来てからというもの、興奮しっぱなしじゃないですか」
俺の名前がついた「リュディカ」というお茶は、鎮静作用があるものだ。特に俺にはてきめんに効果があるもので、欲望を抑えることができる。それにしても多すぎる。今日で四杯目じゃないか!
「そんなに興奮はしてないだろう」
「……夜にこっそり、リコの部屋に行ったのは存じております!」
「なっ! 何もやましいことはしていないぞ!」
「わかっております。リコはそんな人ではありませんから」
「俺を信用をするのが、補佐であるおまえの務めだと思うのだが?」
主人は俺だと言わんばかりに抗議をするが、当のシリルはフンと鼻を鳴らして気にもとめていない。
「おおかた小さな竜姿を見て、リコが喜んで終わりだったのでしょう?」
「うっ……」
俺が子供の頃から乳母のような役割をしていたシリルだ。気を抜くとすぐに母親みたいな態度を取ってくる。しかも見てきたように当てるから、何も言えない。
「おや、リコは貴族女性ともうまくやっているようですね」
「ああ、本当だな」
かなり遠くにいるが、竜人である俺たちは目が良い。隣りにいるのはアビゲイル嬢か。まわりにいる女性たちの名前は知らないが、パーティーにいた気がする。なぜか手を握り合って笑っているが、仲が良くなったのはいいことだな。
「アビゲイル様が取り持ってくださって、本当に良かったですね」
「ああ、これで少しは居心地が良くなるだろう」
するとリコと目が合った。今日は薄いブルーのドレスを着ている。シンプルなものだが、リコの可憐さが際立っていて、とてもかわいい。あんなにかわいいなら、もっと早くリコの部屋に行くべきだったな。
「なにをニヤけているんですか」
「うるさいぞ」
(なるほど……自分では気づいていなかったが、この危うさをシリルはわかっているのだろう。大量にお茶を飲ませるわけだ)
俺はぬるくなったお茶をぐいっと飲み干すと、盛り上がっている試合に目を向けた。
「最初の力比べは、前年度に負けた竜が勝ちましたね」
「はは! 空をクルクル回って、喜んでるぞ」
「あんな煽り方して。あれじゃあ、最後の総合で荒れますよ……」
竜の試合は面白い。それぞれ体の特徴があって、見どころも違う。乗り手が変わると、竜たちの能力も変わり、それも楽しいところだな。
「ふむ。あっという間に最終試合になったな」
「楽しい時間はあっという間ですね」
ドンドンという太鼓の音とともに、いっせいに竜が飛び立った。総合優勝者が決まる試合だけに、騎士たちの気合いもみなぎっている。
「昨年のような番狂わせは難しそうですね」
「ああ、さっきの力比べで決勝を争った二頭が、強そうだ」
予想通り、総合優勝に有利な大型の竜が強く、中型以下の竜は負けて競技場から出ていっている。選手も半数になり、緊張感が漂うなか、異様な行動をし始めた竜が目についた。
「あいつら二頭は何をしているんだ?」
「騎士が振り落とされていますね」
よくよく見てみると、異様な行動をしているのは一頭だけだ。もう一頭はその竜を必死に止めようとして傷だらけになっている。しかし牙をむき出しにし、よだれをダラダラと垂らしながら次の獲物を探す竜を止めることはできないようで、とうとう騎士の一人が噛まれてしまった。
「行くか!」
「はい、こちらから行きましょう」
競技場全体がこの騒ぎに気づき、混乱してしまっている。あれはもう騎士団長では手に負えないだろう。そう判断した俺が競技場裏の控えの場に降りると、ちょうど報告に来た団長と鉢合わせた。
「竜王様! どうやら一頭の竜に薬が盛られたようです」
「なに! 薬か。厄介だな」
訓練された竜をここまで興奮させる薬ならば、解決方法は俺が竜の姿になって威圧で止めるしかない。しかし観客席には俺の竜気に耐えられない者もいるだろう。
「シリルはこういった症状を引き起こす薬か、植物を知っているか?」
「いえ、他国でもそういった物は禁止されていますし、わが国でも報告はありません」
(誰かが最近発見して、隠し持っていたのか……?)
いや、今は原因よりも、この騒ぎを止めることを優先しなくては。少々手荒い方法だが、やむを得ないだろう。
「団長、俺が竜になって威圧で抑える。しかし観客に被害が出るかもしれないから、なるべく力を――」
「きゃあああ!」
「リコ!?」
この声はリコだ。俺が聞き間違えるはずはない。もしかしたら竜が観客席まで襲い始めたのだろうか。急いで競技場に向かい、扉を開ける。すると俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。
リコは競技場の真上の空に、うつぶせで浮かんでいた。顔は恐怖に支配され、真っ青だ。
「リコ!」
大声で名前を呼ぶと、俺は無意識に竜の姿になっていた。絶対に助けてやる! しかしその瞬間、リコの体は地上めがけて真っ逆さまに落ちていく。そしてリコの落ちていく先には、あの正気を失った竜が口を開けて待ち構えていた。
バクリとリコの体が、竜の口に飲み込まれる。
「きゃあああ!」
「りゅ、竜に人が食べられたぞ!」
「みんな逃げろ!」
その怖ろしい光景に観客は悲鳴をあげているようだが、俺の耳には何も届かなかった。
『うおおおおおお!』
最初は自分から出た叫び声だとは思わなかった。ただただ心の奥底から怒りが湧き出て、それが勝手に口から吐き出されている。飛んだ記憶すらないのに、俺はリコが浮かんでいた場所で叫び、周囲に竜気を撒き散らしていた。
俺を中心に竜巻が起こり、止まらない雄たけびで地面が揺れ、地割れが入り始める。それでも頭の血管が千切れそうなほどの怒りは、止まることはなかった。
『どこだ! どこにリコを連れて行った!』
しかし俺の目に映るのは、バタバタと倒れる観客の姿だけで、リコもリコを食べた竜の姿もいない。
『絶対に許さんぞ!』
俺は国中に響き渡るのではないかと思うくらい大声で叫び続けた。