12 ドタバタの健康診断
「リコ! そんなに痛いのか?」
竜王様のあせった声が部屋に響く。すぐにでも顔を出して返事をしたいけど、その前にこの子に言い聞かせなくては! 私はお腹をポンと軽く叩いて、小声で注意した。
「さっき言ったばかりでしょう? 絶対に動いちゃダメだし、話しかけても返事できないからね。わかった?」
『……へへ。ごめんなさ〜い』
叱ったつもりだけど、全然響いてない気がする。これは将来、いたずらっ子になる可能性大だわ。
「リコ、眠っているのか?」
良かった。やっぱり竜王の卵の声は私以外には聞こえないみたい。竜王様にさっきの声を不信に思っている様子はない。それでも返事もせず毛布に潜りっぱなしでは、変に思われるだろう。
それに元気にしていないと、お医者様から念入りに調べられちゃう! 私は勢いよく顔を出すと、わざと明るい声で返事をした。
「起きてますし、元気です! ちょっと頭を打っただけですから!」
竜王様はニコニコと笑う私を見て、安心してくれたみたいだ。ほうっと息を吐くと、私の頭にそっと手を置いた。
「心配させるな。驚いただろう」
「……すみません」
そう言うと、竜王様の大きな手が、私の頭から頬に移動する。スリスリと優しくなでられ、一気に顔が熱くなってきた。な、なんで頬をなでるんだろう?
「あ、あの……」
「熱はなさそうだな」
「は、はいっ!」
(なんだ。熱があるのか調べてたのか。びっくりした……)
そういう時はおでこにしてほしいけど、竜人は頬で調べるのかもしれない。きっとそうだ。それなのに、なぜか竜王様は頬に当てている手を、なかなか離さない。それどころか、そのまま耳のあたりの髪をゆっくり手でかきあげ始める。
竜王様の少し冷たい手が、私の首筋に届いた。そのまま、するりと指先がうなじをさわり、私は息を止める。
「……っ!」
(熱はないのに、むしろこれで上がりそう!)
「竜王様、リコをお医者様に診せたいのですが」
「ああ、そうだな」
リディアさんのナイスアシストのおかげで、なんとか変な声を出さずにすんだ。竜王様はからかってるわけでもなく、真剣に私を心配してるだけ。一人でジタバタしてるほうが恥ずかしい。
『ママ、なんでドキドキしてるの? 体がぬくぬくしてきた〜』
もう私の返事がなくても勝手に喋ることにしたのだろう。お腹にいる卵くんは、楽しそうに話している。私が注意するように、そっとお腹を叩くと、『ふふふ。動かないから、だいじょうぶ!』と笑っていた。
(本当に大丈夫かな? わざとバラすように動いたらどうしよう!)
しかしその心配は現実にならず、意外にも卵くんはお医者様の診察が始まったとたん、何も反応しなくなった。声も出さずにじっとしている。
「頭にコブもできてませんし、脈も正常ですな。一時的に気を失っただけだと思いますが、念の為、今日一日は安静にしてください」
「はい、わかりました」
アレルギーなどもない、本当に健康だけが取り柄みたいな私だ。安心してホッと息を吐くと、竜王様が「心配だから、基本的な健康診断もやってくれないか」と言い始めた。
「私、あっちの世界でも病気ひとつしたことないほど、健康でしたが……」
「こちら特有の病気にかかるかもしれない。一度しっかり診てもらえ」
たしかに。そう言われると、異世界にどんな病気があるのか知らない。リディアさんも「ぜひ診てもらってください」と勧めるので、私はまたお医者様に向き合った。
「そうですな、健康診断もしておいたほうが良いでしょう。ではまず――」
カリカリと手元の紙に今までの症状を書いたあと、お医者様は顔をあげ、真剣な表情で私を見た。
「迷い人様は現在、身ごもっていませんか?」
「えっ? はっ? な、な、なにがですか?」
「妊娠」というワードに飛び上がりそうになるほど驚いてしまい、まともな返事ができない。もしかして「竜王の卵」のことがバレた? やっぱりこの国のお医者様なら、黙っていてもわかってしまうの?
「あ、え、えっと、妊娠は……」
私がなんと言っていいかわからず、パクパクと口を動かしていると、リディアさんがコホンと咳払いをした。
「リコ、これは健康診断でよく聞かれることですから。お医者様、リコはここに来て日が浅く、緊張しています。それに男性のいる場所ではちょっと……」
そう言うと、リディアさんはチラリと竜王様を見た。
(そういう意味か! バレてしまったのかと思ったけど、日本でも問診票に妊娠の有無を答える項目があるもんね)
バクバクと鳴る心臓を抑えるように大きく息を吐くと、頭をかきながら気まずそうにしているお医者様の顔が目に入ってきた。反対に指摘された男性である竜王様は「別に隠すことはないだろう」と言っている。デリカシーという言葉を知らないのだろうか。
「いやいや、申し訳ない。しかしあなた様はここに突然現れたでしょう? あちらの世界で恋人か夫がいらっしゃって、妊娠している可能性があったら、数カ月は体調を気にしておいたほうが良いと思いまして」
「おい、そんな可能性、あるわけないだろう」
「竜王様、これは問診です」
リディアさんがピシャリと言い返すと、なぜか竜王様は不愉快そうな顔で天井を睨んでいる。腕を組み、指をトントンと動かしては、苛立ちを抑えているようだ。
(私だって彼氏くらいいましたよ! と言いたいところだけど、あんな環境でできるわけがない。むしろ私にとっての愛しい男は渋沢栄一だ。学校に入るため、夜な夜な彼の顔ばかり見ていたのだから)
しかしそんな馬鹿なことを考えているうちに、竜王様の機嫌はどんどん悪くなっていく。
「リコに恋人がいたのか? そいつはどこの――」
「竜王様、威嚇しないでくださいませ。お医者様の体にさわります」
「チッ」
その言葉にハッとしてお医者様を見ると、たしかに苦しそうに冷や汗をかいている。たぶん竜王様から竜気というものが出ていて、それで苦しんでいるのかもしれない。その様子にぼうっと見ている場合じゃないと思い直し、私は勢いよく手を上げ、話し始めた。
「はい! 私は今まで男性とお付き合いしてませんし、妊娠の可能性はこれっぽっちもありません!」
きっぱり宣言するように言うと、なぜか竜王様は「ふっ、当たり前だろう」と言ってニヤリと笑った。なぜあなたがそんなに満足気に笑っているのか……? 不思議に思って竜王様を見上げていると、お腹のほうから悲しそうな声が聞こえてきた。
『ぼくがお腹にいるのに……』
「ぐう……!」
(板挟み! 板挟みで苦しい……!)
子供の声は私にしか聞こえてないみたいだから、誰も気づいてない。しかしそのボソリと呟いた泣き出しそうな声は、私の心を確実にえぐってくる。
お腹にいる竜王の卵は、それっきりまた黙ってしまった。私の言うことを聞いて大人しくしていると思うと、さらに胸が苦しい。
(はあ、どうしたらいいんだろう?)
そのあともお医者様の健康診断は続き、何か不思議な道具でいろいろ調べられたが、すこぶる健康体ということがわかった。それでも気がかりなのは、さっきから何も話さない卵のこと。私がなぐさめるようにお腹をなでても、何も反応がない。
「リコ、どうした? お腹を押さえてるが、痛いのか?」
「い、いえ、その、何も食べてないので、お腹が鳴りそうで」
ごまかすようにそう言うと、竜王様は「そうだったな。元気なら朝食を食べたほうがいいだろう」と笑った。リディアさんも「急いで用意しますね」と言って、健康診断が終わったのをきっかけに、三人はそのまま部屋を出て行った。
パタンと扉が閉まった音が鳴ると同時に、私はお腹に向かって話しかける。
「……竜王の卵くん?」
静かな部屋に私の声だけが響き、他には何も聞こえない。竜王の卵も何も反応せず、まるでさっきまでの声が幻聴だったように思えてくる。
「竜王の卵くん」
もう一度お腹に向かって声をかけた。するとお腹がビクリと動いたかと思うと、聞こえてきたのはムニャムニャと寝ぼけた声だった。
『……ふわぁ〜、あれ? もうおわったの?』
「もしかして寝てたの?」
『えへへ』
魂も寝るのか。私はガクッと肩を落とすと、そのままベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめる。まあ、でも、落ち込んでいないのは良いことよね。だって自分は生まれる気満々なのに、母親(仮)の私が「妊娠の可能性はこれっぽっちもありません」と存在を否定したのだ。傷ついて当然だと思う。
(ごめんね……)
私が心の中で謝りながらお腹をなでると、「ぐるぐる」と猫が喉を鳴らすような音が聞こえてきた。どうやら気持ちが良いらしい。『また眠くなるぅ』と呟くと、静かになってしまった。寝たのかな?
また人の出入りがあるから、静かにしてくれるのはちょうどいい。そう思っていると、ちょうど私の朝ごはんを手にしたリディアさんが帰ってきた。しかしいつもと様子がおかしい。眉間にしわを寄せ、何か考え込んでいる顔でこちらに歩いてくる。
「どうかしたのですか?」
その様子にあわてて起き上がると、リディアさんは心配そうな顔で私を見ながら、口を開いた。
「先ほど、竜人貴族の女性から、リコに面会の申請が入りました」
「えっ! 面会? 私に、貴族の女性からですか?」
「はい」
それはもしかして、本格的なクレームを私に言いに来たということだろうか。するとリディアさんが「もう一つお知らせしないといけないことが」と話を続けた。どうやらこちらのほうが重要な情報らしく、ものすごく言いづらそうにしている。
嫌な予感しかない。
「その、驚かないでくださいね。実は竜人女性たちの中で、リコがすでに竜王様の妾になったという噂が立っているのです」
「えええ! 私が竜王様の妾に?」
もう最悪だ。私はリディアさんの「リコ、しっかりして」という声を聞きながら、またベッドに倒れ込んだ。