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11 竜王の卵との話し合い

 

 ハタハタとカーテンが風になびいている光景を背に、竜王様は穏やかな顔で私を見ていた。その姿は神々しいほど美しく、私は声も出せず立ちつくしている。



「リュディカは俺の名前だ。竜王が生まれると、森に新しく木が生えてくる。その葉で作ったのがそのお茶だ。代々、竜王の名前をつけるんだ」

「竜王様の名前……」



 竜王様が一歩、また一歩と近づいてくる。昨日この世界に飛ばされた時も、同じようにこちらに向かって歩いてきて、その足音は私を追い詰めるものだった。それなのに。



 今の私には、あの時とは違う胸の鼓動が襲っていた。



「リコ」



 私を見つめる竜王様の瞳は、甘いお茶の色と同じだ。艷やかに光る黄金色。もしかしたら今日の私の話は、彼の同情を引いたのかもしれない。この世界で見た誰よりも優しい瞳で、私を見ている。



(ううん。日本にいた時だって、誰かにこんな目で見つめられたことはなかった……)



 竜王様の大きな手が私に向かって伸びてくる。乱れていたのだろう。そのまま髪の毛を一房つまむと、そっと私の耳にかけた。



「二人でいる時は、俺のことはリュディカと呼べ」

「えっ……」

「わかったな。また明日も来るから」

「あっ! それは……」



「できません」という言葉すら言えない早さで、竜王様は姿を変え、窓から飛んでいってしまった。あっという間に彼の姿は闇に溶け込み、もう影も形もない。



 残されたのは、妙に高鳴る心臓の音だけ。私はその耳の奥まで響く音を打ち消すように、ブンブンと頭を振った。



「はあ……落ち着け、落ち着け〜」



 ドキドキはしてるけど、これは断じて恋じゃない。例えばイケメン俳優に一対一で見つめられたら、きっと同じように緊張してしまうはず。それと一緒だから!



 それにあの優しさは、私の生い立ちへの同情心からだ。どこかで見たことがあるあの表情は、捨てられたかわいそうな子犬を見ているのと同じもの。



 私が半ば自分に言い聞かせるようにそう考えていると、このドキドキのきっかけになった「リュディカ」が目に入った。もうほとんど飲み終わっているけど、カップの底にはあの黄金色の液体がゆらゆらと輝いている。



「片付けて、もう寝よう……」



 ぼうっとしていると、また動悸が激しくなりそう。私はさっさとティーセットを片付け、夜着に着替えると、ベッドに横たわった。



(それにしても今日はいろんなことがあったな……)



 竜王様とお話しして、大きな竜の姿も見た。そのあとは食堂で働いて、そうそう、ギークという騎士に嫌がらせも受けたっけ。さっきの竜王様とのやり取りですっかり忘れていたけど、明日からはまた彼に気をつけなきゃ。



「竜王様の運命の花嫁、か……」



 未来の竜王である自分の子供に選ばれる、たった一人の女性。どんな人が選ばれるのか知らないけれど、きっとすべての竜人女性たちが納得する人なんだろうな。



(まあ、私には関係ない話だけど……)



 でも早くお妃様が決まってくれれば、私への非難は少なくなるだろう。国中がお祝いムードになって、きっとその話題で持ちきりだ。



(早くお妃様が決まりますように……)



 そんなことを思いながら、あっという間に眠りについた。そして、今。



 私はパンパンと頬を叩かれている。



「リコ! リコ! しっかりしてください! 誰か! シリル様を呼んでもらえますか?」

「う、ううん……」

「リコ! 目覚めたのですね! いったい、どうしたのですか?」

「え……っと、さっき……」



 そうだ! さっき私のお腹に「竜王の卵」だっていう声が聞こえてきて――



(って、そんなこと言えるわけない! 言ったら最後、絶対に殺される!)



 それにあの声は私の幻聴だったのかも。ううん、実はあれは夢で、寝ぼけてパニックになったんだ! そうに違いないわ!



『ママ? 大丈夫? 転んだの? 痛い?』

「うわ!」



 私が大声で叫んで起き上がったせいで、リディアさんが心配そうに私を見ている。しかしその間もお腹からは『ねえ、ママ、どうしたの?』と不安そうな声が耳に届いてきた。



「あ、あの、と、鳥です! 窓を開けたら鳥が入ってきて! しかもその鳥が私を襲ってきたので、すべって転んだみたいです!」


「そうなんですか?」

『そうなの?』



 私の言葉にリディアさんと、子供の声が同時に返ってきた。



(あなたは返事しなくていいんだけど……)



「とにかく気を失っていたのですから、お医者様を呼んできます。その前にベッドで横になりましょう」

「は、はい……」

『ママ〜! 僕の声にもお返事して〜!』



 返事をしない私に抗議するように、ぽこっとお腹が盛り上がる。とっさにお腹を隠したので、リディアさんには気付かれないですんだけど、これは本当にヤバいのでは? リディアさんに支えられ、ベッドに横になってからも、お腹からのクレームは続いて止むことがない。



『むう……、早くパパに会いに行けばいいのに』

『結婚はいつするの?』

『早くお空を飛びた〜い!』

『ねえ、ママ聞いてる?』



 うう、頭が痛い。これは本当に幻聴じゃないのだろうか? それにこのお腹にいる子供が本当に「竜王の卵」だとしたら、私はもしかして――!



 重要なことを考えたくないあまり、頭を抱えてしまう。するとリディアさんが急いで冷たいタオルを私の額に当ててくれた。私の顔をのぞき込み、心配そうに立ち上がる。



「それでは、私はすぐにお医者様を呼んできますから」



 そう言ってリディアさんは、急ぎ足で部屋を出て行った。しんと静まり返った部屋で、私は一人大きく息を吸い、心を落ち着ける。そして自分のお腹に手を当て、そっと「竜王の卵」に話しかけた。



「りゅ、竜王の卵さん……?」

『はい! ママ!』



 元気な声とともに、ポコッとお腹が膨らんだ。お腹にそえていた手にも、下から押し上げてくる感覚が伝わってきて、胸がドキッと跳ね上がる。



(声だけなら幻聴だけど、この手の感覚は現実よね……)



 信じたくないけれど、これってやっぱり私が「運命の花嫁」に選ばれたってこと? 竜王様と結婚して子供を産む、ただ一人の女性。この国で女性の頂点にあたるお妃様。それが私だなんて到底思えない。



(思えないどころか、反感を買うだけだから、なっちゃダメでしょ!)



 いや、その前に絶対殺されるはず。よくて拉致監禁だろう。私がパーティーを邪魔しただけで、あのギークという騎士は私のことを「卑しい平民」と罵っていたもの。徹底した身分社会のこの国で、貴族の女性たちが平民の私に頭を下げないといけないなんて、かなりの屈辱なはず。



 そこまで考えると、一つの可能性が頭に浮かんだ。



(もしかしてこの子、人違いしてない?)



 きっとそうだ! 私をお妃様にしたところで、誰も得しない。まだこの子は世間を知らないから、間違えたんだわ! すぐに教えて、別のちゃんとした竜人女性のお腹に入るよう教えてあげなきゃ! そう思った時だった。



『ねえ、ママ……もしかして、ママって僕のこと、嫌い?』

「えっ!」



 私がずっと黙っていたからか、お腹の子はものすごく不安そうな声で聞いてきた。正直言って好きも嫌いもない。そこまで感情がついてきていないし、それに「好きだよ」なんて言ったら、この子は期待するんじゃないだろうか? そう思うと、また何も答えられなかった。



「あ……えっと……」

『やっぱり産みたくない? 僕、いらない子?』

「…………っ!」



(そ、そんな直球な質問は無しだよ〜)



 もともと子供が大好きな私だ。その涙声に胸の奥がきゅうっと切なくなって、私まで泣きそうになってくる。早く間違ってるって伝えてあげよう。そうすれば本当に大切にしてくれるママの元に行けるだろう。私はそっとお腹をなで、なるべく優しい声を出して話しかけた。



「そういうわけじゃなくてね、あなたがお腹の中に入る人を間違えたんじゃないかなって思ってるの。だからあなたの本当のママは別の所に――」

『間違えてないよ? だって神様と決めたから』

「か、神様?」

『そう、神様がママを指差して、あの子はどう? って聞いてきたの』

「そ、そうなの?」



 日本でも不思議な話として、「空からママを見てた」と言う子をテレビで見たことはあった。しかしこの子はそのうえ、神様と一緒だったとは。でもなんで神様は異世界の私に目をつけて、しかも竜王様のお妃にしようと思ったのだろう。それにこの子もどうして……。



(もしかして、断れなかった……?)



 偉い神様に勧められて、きっと嫌だとは言えなかったのかもしれない。今からでも戻れるなら、母親が自分を拒絶する良くない人だと伝えて、ママを変えてもらえないだろうか? だってこの国で私が母親だなんて、茨の道だよ。きっと平民から生まれた子だと差別されるだろう。



 私はスリスリと慰めるようにお腹をなで、また竜王の卵に話しかけた。



「なんで私をママにしようと思ったの? 神様に言われて断れなかったのなら、もう一度……」

『だってママ、家族が欲しかったんでしょ?』

「えっ……」

『僕、ずっと見てたよ。さみしいって泣いてたでしょ? だから僕がママの家族になってあげようって決めたの!』



 その思いもよらない言葉は、私の心に直接入ってきた。一気になんとも言えない感情があふれ出し、目の奥が熱くなってくる。



(どうしよう……泣きそう……)



 竜王の卵である彼からは、私のことが大好きだという感情がいっぱい伝わってくる。そのあともお腹から、嬉しそうに話す声が聞こえてきて、私は止めることができない。



『ママ、子供たちと一緒に遊んでたでしょ? 僕も一緒にママと遊びたかったのに!』

『あとね、ママよく疲れて、机で寝てた! ちゃんとベッドで寝なきゃだめ〜』



 子供なんだか、お母さんなんだか、わからないようなことを言っていて、思わず笑ってしまう。しかし続けて聞こえてきた言葉に、私はお腹をなでていた手がピタリと止まった。



『だから神様と相談して、こっちにママを呼び寄せたの』

「えっ! そうなの? か、神様が? 私を?」

『うん!』



 驚く情報がずっと続くと、逆に頭が冷静になってくるみたいだ。神様が私を呼び寄せたということを聞いても、「それなら時と場所を選んでほしかった……」という愚痴しか、頭に浮かんでこない。



(はあ……認めたくないけど、もうこの子に情が湧いてきちゃった)



 だってこの子は私を選んでくれている。あの淋しかった日々を見て、私の家族になりたいって望んでくれているんだ。それを「いらない」なんて突っぱねることは、私にはできそうにない。でも竜王様のお妃になれるとも思えないし……。



「あっ! そうだ! あなたをこっそり産んで、一人で育てるってのはどうだろう?」

『その前にパパと結婚しなきゃ、僕を産めないよ?』

「そ、そうだったわね!」



 私ったらもう妊娠してるような気になってた。そうよね。この子を本当に産むなら、竜王様と結婚して、その……初夜を迎えないといけないんだった。



『それにパパがかわいそうだよ。僕もパパと一緒に暮らしたいし……』

「ご、ごめんなさい! 私ったらつい自分のことばっかり……!」



 まだ生まれてもいない子にたしなめられてしまって、恥ずかしい。この時点で親の資格無しって感じだ。それでも竜王の卵は、私の情けない姿を見ても機嫌が良いらしく、鼻歌を歌っている。



『ママ〜ぼくのママ〜早く産んで〜』

「…………」



 やっぱり正直に私の気持ちと状況を話して、一度神様のもとに帰ってもらうのが、この子にとって一番良いんじゃないかな? そう思って口を開きかけた時だった。



 廊下のほうから、ドタドタと急いでこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。それも一人じゃない。きっとリディアさんがお医者さんを連れて来てくれたのだろう。



「ヤバい! お医者さんが来ちゃう!」

『おいしゃさん?』



 とにかくこの子との話し合いはまた今度だ。私はお腹をポンポンと優しく叩くと、竜王の卵に呼びかけた。



「今から人が来るけど、絶対に声を出したり、お腹をポコポコしちゃダメよ! わかった?」

『……は〜い』



 ちょっと不服そうな声だったけど、言うことを聞いてくれるみたいで一安心だ。お医者さんの前でお腹が波打ったら、絶対に問い詰められて、竜王の卵だとバレてしまう。この子には悪いけど、まだ心の準備もこれからの対策も無いのだから、隠しておかなくては!



(とりあえず、元気なところを見せて、お医者さんにはすぐ帰ってもらおう!)



 もう目の前まで足音が迫ってきた。私は急いで背中にクッションを置くと、起き上がった体勢でドアが開くのを待った。



「リコ! 大丈夫か!」



 バンと勢いよくドアが開く。一番最初に部屋に入ってきたのは、なんと竜王様だった。そしてその声が聞こえたと同時に、お腹がポコンと大きく跳ね上がる。



『あっ! パパだ〜!』



(や、約束がちがーう!)



 私はあわててお腹を押さえ、勢いよく毛布をかぶった。

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