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10 夜の訪問者

 

 ――コンコン


 再びノックする音が部屋に響き、私は意を決して、音がしたほうに近づいていく。窓には分厚いカーテンがかかっていて、ほんの少しだけ隙間があった。しかしそこからは外の暗闇しか見えず、風の音すら聞こえてこない。



(もしかして、私の聞き間違い? それか小枝がぶつかったとか?)



 窓の外の景色をはっきり覚えていないけど、この部屋は三階だ。そこまで大きな木が近くに生えていたような記憶はなく、私は恐る恐るカーテンに手をかけた。その時だった。



『リコ、俺だ』



 突然自分の名前を呼ばれ、ビクリと肩が震えた。それに聞き覚えのあるこの声は――



「竜王様?」



 勢いよくカーテンを開けると、そこにあったのは満天の星空だった。竜王様はどこにも見当たらない。この部屋に窓はひとつだけなのに、ここじゃなかったのだろうか?



「あれ……竜王様?」



 私がキョロキョロと辺りを見回すと、また竜王様の声が聞こえてきた。



『ここだと言ってるだろ。とにかく窓を開けろ』

「は、はい!」



 言われたとおり窓を開けると、勢いよく風が部屋に吹き込んできた。さっきまで風なんて吹いていなかったはずなのに。いきなり入ってきたその突風に、私は思わず目を閉じた。



『なにをやってるんだ? 目を開けろ。俺だ』



 やっぱりこの声は竜王様だ。私はパチパチと瞬きをしたあと、ゆっくりと瞼を開けた。



『今日は疲れたか?』



 そこにいたのは、両手で抱えられるくらいの大きさの「黒竜」だった。



「へっ? 子供の竜……?」

『だから、俺だって言ってるだろ』

「えっ! 竜王様?」

「ああ。見ればわかるだろ。黒竜は俺だけだ」



 そんな! 知らなかったのだから、わかるわけがない。それに昼間に見た竜の姿は、空いっぱいに広がる大きさで威圧感もすごかった。それなのに今目の前にいる竜王様は、小さくてふよふよと浮いていて、ものすごくかわいい!



「こ、こんな小さくもなれるんですか?」

「ああ、大きさはけっこう自由自在だ」



 そう言うと竜王様は、手のひらサイズの黒竜に姿を変えた。ポンと私の手のひらに乗ると、大きな目で私を見つめている。



(う、うわあああ! かわいいい!!)



 あまりのキュートさに思わず、宝物のように目の前にかかげてしまう。すると持ち上げられた竜王様はフンと鼻を鳴らして、飛び立ってしまった。



「本当におまえは俺の竜姿が好きなんだな。目がキラキラしてるぞ」

「え! あ! すみません!」



 でも、でも、この姿、かわいすぎるよ! 小さい竜が人間の言葉を話してる! しかも偉そうな口調なのが、ものすごーくかわいい!!(実際に竜王様だから偉いんだけど)



『人の姿でリコと会っているところを見られると、いろいろ面倒なことになるみたいだからな。この姿なら闇に隠れられる。それに小さくなると威圧もでないから、竜たちが騒ぐこともない』



 たしかにカーテンを開けても竜王様の姿は夜の闇に溶け込んでいて、まったく見えなかった。近くで見てもそうなのだから、遠目ならなおさらだろう。



『この姿を竜人たちに見せるわけにはいかないから、夜に会いに来たんだが。驚かせたか?』

「ちょっと驚きましたが……それより、その姿を他の人に見せちゃダメなんですか?」



(こんなにかわいいのに。私だったら見せびらかしたい。それに竜王様じゃなかったら抱っこさせてほしいくらいだ)



 そんな私の考えは竜王様にだだ漏れなのだろう。「おい、そんな目で俺を見るな」と言うと、最初の大きさに戻ってしまった。残念。



『竜はなにより強いことが大事なんだ。圧倒的な強さで上に立っていないといけないからな。だからこの部屋に入ったら人間の姿に戻ろうと思っていたのだが……』



(えっそんな! さっきの手のひらサイズとまでは言いませんから、竜の姿でいてほしい!)



 あからさまにガッカリした顔をしていたのだろう。竜王様はククッと喉を鳴らすように笑うと「このままでいてやろう」と言った。



 ありがたい! なんだかこの世界に来てから、初めてウキウキしている気がする。小さい竜王様を見ていると、それだけで顔がゆるんでしまうのが自分でもわかった。



「竜王様、こちらのクッションにお座りください」

『にやけすぎじゃないか? おまえ』



 それでも花柄のクッションにちょこんと座る竜王様を見ていると、勝手に口の端が上がっていく。竜王様はそんな私を見て、あきれたようにため息を吐いたけど、それすらもかわいい。



『まあいい。リコが喜んでくれるのは嬉しいからな。だけど他のやつには絶対に言うなよ』

「はい! もちろんです!」

『じゃあ、お互いの話でもするか』

「はい! えっ? なにか用事があったのでは?」



 てっきりここに来たのは、事務的な話をするためだと思っていた。私がきょとんとした顔をしていると、竜王様は少しふてくされたように鼻を鳴らした。



『別に用事がなくてもいいだろう? リコがいた世界の話を知りたいのだから』



 たしかに私の日本での生活はそこまで話してなかった。私が「異世界ってすごいな〜」と違いを楽しんでいる時があるように、竜王様も私の話を知りたがってもおかしくない。



「そんな面白い話じゃないかもしれませんし、説明しにくいこともあると思いますがいいですか?」

『ああ、リコがどんな生き方をしていたか、知りたいんだ』

「……じゃあ、話しますね」



 その含みをもたせた言い方に、ほんの少し胸の奥がうずいたけど、私は知らないふりをして話し始めた。



「そうですね……何から話せばいいでしょうか?」



 日本のことを話そうにも、どこから伝えればいいのかわからない。少し考え込んでいると、竜王様が意外なことを話し始めた。



『リコがいた世界のことは、先の迷い人の残した文献を読んだから、だいたいわかっている』

「えっ? そうなのですか? 以前の迷い人さんは、私と同時代の方なんでしょうか?」



 てっきり五百年前のこの世界に来たから、その人も古い時代の人だと思っていた。でもよく考えれば五百年も昔の人だと、日本だと武将とかがいる時代よね。海外でもそのくらいだと、まだ病気の知識は現代ほどじゃないと思うし……。



『むむ。たしかに時代が違う場合もあるか。そうだな。たしか今日読んだものでは……遠くにいても話せる小型の道具があって、その中にたくさんの知識が入ってると書いてあったが。どうだ? リコも知ってるか?』

「そ、それって! もしかして、スマホでしょうか?」

『名前は知らん』



 子供の竜の姿をした竜王様は、「そこまでは覚えられん」と言って、小首をかしげている。漫画だったら鼻血を出してしまいそうなほど、かわいい。



(それにしても、今言ったのは絶対スマホよね。じゃあ五百年前の迷い人さんは、私とさほど変わらない時代から飛ばされたってことなのか……)



 すると竜王様が昨日から読み始めた文献の内容について教えてくれた。それによると、車や飛行機のこと、テレビや育ったところの文化など、私が知っていることばかりだった。



 ちなみにその文献は竜王様にとって夢物語のように面白く、仕事をほったらかして読みふけったそうだ。



『おかげでこの時間までシリルに仕事をさせられてしまった』

「そ、それはお疲れ様です……」

『まあ、自業自得だがな』



 その言葉に思わずフッと笑ってしまった。しまったと思った時にはもう遅い。竜王様は「おまえら迷い人のせいだぞ」と言って、威嚇するように翼を広げた。本当にかわいい。



(あれ? じゃあ竜王様は何を知りたいんだろう?)



 私が怪訝な表情をしたからだろうか。竜王様はクッションから飛び立つと、私の顔の前で止まった。小刻みに翼を動かしながら、ふよふよと浮いている。その姿はとてもかわいかったけど、私を見つめる黄金の瞳があまりにも真剣で、にやける気持ちにはなれなかった。




『それで、リコはなんでそんなに、元いた世界に未練がないんだ?』

「え……」



 いきなり核心をついた質問に、頭が真っ白になった。何か話そうにも、言葉が思い浮かばない。



『普通、まったく違う世界に一人で飛ばされたら、毎日泣いて暮らすことだろう。しかもあんな乱暴なことをされて捕まったのに、すぐに働いて頑張って生きていこうなんて切り替えが早すぎないか?』

「そ、それは……」



 その理由は自分でもわかってる。でも話すとなんだか、みじめな気持ちになるから話したくない。すると黙ってうつむく私の頭を、竜王様がパシパシと翼で叩いた。まるで下敷きで叩かれたような感触に、思わず顔を上げてしまう。



『どうせ長い付き合いになる。それにリコが元いた世界と、この国では考え方も違うだろう。今までの価値観で行動すると、失敗することもあるはずだ。言いたくないなら、命令してやる。さっき話すと約束しただろう? 話せ』



 そう言うと竜王様はフンと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。だんだん竜王様の動きで、感情がわかってきた。きっと今は拗ねているんだろうな。クルクルと私のまわりを飛び回りながら『ほら、言うならさっさと言え』と騒いでいる。



「ふふ。わかりました! わかりましたから!」



 今の竜王様は小さな竜姿だからか、子供にせがまれているような気持ちになってくる。気づけばまた笑ってしまった。



(そうよね。話したほうが良いかもしれない)



 しばらく滞在するこの王宮は、竜人貴族がいる場所だ。きっと考え方の違いで、誤解を招くこともあるだろう。知ってもらったほうが、失敗を未然に防げるかもしれない。



 私は竜王様が再びクッションに座ったのを見届けると、「きっとつまらない話ですよ?」と前置きをして話し始めた。



「私、元いた世界では、孤児だったんです」



 竜王様の体がピクリと動いた。



「幼い頃に両親が亡くなって、施設に入ってました。母の親戚に引き取られたのですが、うまくいかなくて。その後も住む場所が何回も変わったんです」



 竜王様は前を真っすぐ見て黙って聞いていたが、急に私のほうを振り返り、ぼそりと呟いた。



『その家族に暴力をふるわれたのか?』


「いいえ! そんなことはなかったのですが、ただ、私のことを邪魔だと思っているのはわかりました。だからせめて役に立たなきゃと思って、家事を全部やってたんです」



 結局は(こび)を売っていたようなものだ。感謝の気持ちからというより、気に入ってもらいたくて料理や掃除を引き受けていた。今と同じ。私は善良な人間ですとアピールするために、雑用をこなしていた。



「だから私、自分が邪魔な存在っていうのに慣れてるんです」



 一緒にいるのにどこにも属していない寂しさは、一人でいるよりも孤独だった。どんなに同じ場所で楽しそうに笑う人たちがいても、私のまわりに透明な壁があるみたいで、決してそこに混ざることはできない。



「だから成長するにつれ、家族が欲しいなって思ったんです。私だけの家族が……」



 安易な考えかもしれないけど、自分の居場所がほしかった。でも今から考えると、子供のことばかりで、夫になる人のイメージがまったく無かったけど。



「それで、まず子供たちの世話ができれば、良いお母さんになれるんじゃないかな? と保育の勉強を始めたんですけど。両親が残した遺産を、伯父に使い込まれてしまって。それで学校に入るために働いていたのですが……」


『そのまま、仕事中に、この世界に飛ばされたってわけか』

「はい……」



 働いて少しはお金が貯まっていたところだったけど、あれはどうなっちゃうのかな? せっかく一生懸命働いたのにもったいない。そんなことを考えていると、竜王様が顎に小さな手を当てて「ふむ」と呟いた。



『この王宮には、保育が必要な子供や赤子がいないからな……。それに、いたとしても竜人以外に自分の子供を預けないだろう。残るは学校の教師だが……』

「うっ……せめて、字が読めれば良かったのですが」

『それが問題だろうな』



 そうだよね。この階級意識がはっきりしている貴族社会で、私が竜人の子供に関われることはないだろう。子供好きだから、保育の仕事ができないのは悲しいけど、しょうがない。



(はあ、でも落ち込むな〜……)



 頭では理解できても、心がついていかない。自然と気持ちが落ち込み、うつむいてしまった。するとそんな様子を見た竜王様が、私の肩にぴょんと飛び乗ってきた。



『それでも、この国でリコがしたいことができるよう、考えていくから安心しろ』

「……いいんですか?」

『ああ、おまえはもう、この国の国民だからな。俺がやらないといけないことだ』



 この国の国民……。そっか。日本に帰れないなら、私はもうこの国の一人なんだよね。そうはっきり言われると、自分の居場所が決まったようで、心の奥がじんと温かくなった。



『大丈夫だ。きっとリコのやりたい事は見つかる』



 根拠はまったくなさそうだけど、竜王様が言うと、本当にそうなりそうな気になってくるから不思議だ。そんな私の気持ちが伝わったのか、満足そうに私のまわりをクルクル飛んでいる。



(ふふ。やっぱり竜の姿はかわいくて癒やされる!)



 ようやく張り詰めていた気持ちがラクになって、私はぬるくなってしまったお茶を一口飲んだ。



『ああ、そのお茶、気に入ったんだな』

「はい、このリュディカというお茶、大好きです!」

『ふっ……そうか。それなら良かった。今日はいろいろあって、もう眠いだろう。ゆっくりするといい』



 そう言うと、竜王様は窓に向かって飛び始めた。



「はい! じゃあ竜王様、おやすみなさい!」

『…………だ』

「え? うわっ」



 窓を開けたのだろう。突風が入ってきて、自分の髪の毛が顔にかかった。それに竜王様が何か言ったみたいだけど、風の音で聞き取れない。



「リュディカだ」

「え? お茶がどうかしましたか?」



 ボサボサになった髪をかきあげ、顔をあげる。しかしそこに、さっきまで見ていた小さな竜はいない。



 目の前に立っていたのは、人間の姿に戻った竜王様だった。

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