#84 : 人生はゲーム
掛け算の3の段で躓いた俺をヨソに、人間背もたれで無邪気に酒を飲む沙埜ちゃん。
「一つだけ、甘えてもいい…?」
事と次第によってはごめんなさいしかねない。
「いつも私から、だけど、今日は」
酔いもあるのか歯切れが悪い。大丈夫かな。
「ぎゅ。ってして欲しい…」
そ、そんなこと、お願いでも何でも無いよ!でも、オジさんには色々と勇気が必要な案件だ。
「もうわがままも、すねたりしないから」
こんなトコまで来てしまったし、いつも沙埜ちゃんからくっつかれてるしな。いつもエクセルに任せている計算を頭の中で繰り広げれば大丈夫だ。きっと。
ゆっくり、沙埜ちゃんの大切な部分に触れないように抱きしめる。左手が俺の手にそっと重なる。
「…ずっと寂しかった」
この歳で色々と経験して、たまに危なっかしい面もあるけど、世間ではもう大人のレッテルを貼られている。本人の気持ちなど無視して。
この年頃って複雑だよな。四ツ谷みたいに早く大人になりたいと思うのもいれば、優みたくずっとガキのままで居たいと思うヤツもいる。アイツは俺と同い年だが。
沙埜ちゃんはその狭間で苦しんでいる。この若さで責任ある役職に就いて、歳上の社員やバイトを使い、店を運営していくプレッシャーは同世代の比ではないだろう。
ポタ、と俺の手に暖かいものが流れてくる。泣いているのかー。
「くー…」
沙埜ちゃんは泣きながら寝落ちしてしまった。
尊敬する瑠海と、一緒に研鑽してきたなお君が離れていってしまう恐怖があったのだろう。その犯人はきっと、俺だ。申し訳なさで死にたくなる。
事の発端でもある四ツ谷の想いに応えてあげたかった。情に流された、もあるがそれだけでは無い。初めてのことをあそこまで勇気を出して行動したんだ。それを”俺のルールから逸脱している”と言う保身だけで踏み躙ることが出来なかった。
それよりも先に瑠海に流されていたから、タガが外れて調子に乗ってしまった。俺が取った行動を瑠海はワガママか嫉妬かわからない気持ちで責めた。
”矢印が自分にしか向いていない”と言われた時、驚きを隠せなかったが、それは真実なのだろうか。皆んな自分を愛しているだけではないのか。その矢印がたまに他人へと向けられる。それだけなんじゃないのか?
こんなことを考えるのは、もう止そう。
起こさないようにそーっと抱える。軽い。あれだけ飲んだ酒はドコに行ったんだ?
沙埜ちゃん一人では大きすぎるベッドの真ん中にちょこんと寝かせる。
仲間はずれにされたのがよっぽど堪えたんだろうな。こんなにも寂しそうな沙埜ちゃんは初めてだ。天真爛漫に翳りが見えても何もしてあげられない。原因は俺だと言うのに。
なぁ沙埜ちゃん、俺のドコが良いんだ?
瑠海も、四ツ谷もそうだ。こんなやさぐれたオッさんのドコが良いんだよ?俺には理解が出来ない。こんな俺のどこに惹かれる要素があるってんだよ。俺が女だったらごめん被りたいね。優柔不断で上部だけ取り繕った中身の無いオッさんなんか。
買ってきたビールはもう無くなってしまった。備え付けの冷蔵庫からビールを取り出す。
ナニをするワケでも無く、寝るワケでも無く、ただ時間が過ぎるのを耳を傾けて聴いているだけ。そんな空間が今は癒される。俺を独りにさせてくれ。仲間はずれで構わない。
まるでブルースだ。独りぼっちのブルース。浸りたい時だってあるんだよ。
退室までまだ時間はある。俺も仮眠取るか。現実から目を背けたい。
誰がナニをしたかわからないソファーで横になる。こういう時、肉体労働を経験していて良かったと思う。どこでも寝れるようになったから。
目を瞑ると自然と浮かび上がる。
瑠海の想い。四ツ谷の憧れ。なお君の配慮。沙埜ちゃんの甘え。森の信念。そして、掴みどころの無い麻生ー。
皆んな、不器用でごめん。こんな俺につき合わせてごめん。
俺は自分がどんな気持ちなのかわからなくなり、いつのまにか夢の世界へと足を踏み入れていた。
…酒が残る頭で目を開けると、俺はいつの間にか沙埜ちゃんの膝に頭を乗せ、撫でられていた。
「もう、大丈夫」
そう言いながら頭をイイコイイコされる。いつもなら飛び起きて離れるが、不思議と心地良く、このままでいたかった。
「元気が無くなったら照らすから。だから、自分ばかり責めないで」
俺は寝ながら泣いていたらしい。今も涙が両目から零れ落ちている。沙埜ちゃんは泣いてるのが心配になったのか、安心させるように慰めてくれている。
俺は17の時に自分の気持ちに鍵をかけた。誰も傷つけないように、自分も傷つかないように、自分の感情から目を背け続けてきた。
ずっと捜していたんだ。鍵をかける前の自分の気持ちを。あの気持ちがあったら、皆んなの気持ちもわかるような気がして。それなのにずっと意地を張って、自分で鎖を縛り付けて、素直になれなくなっていた。
俺は自分の心を無くしてしまっていたんだ。
空いた穴にあるのは薄っぺらな”人間もどき”。俺のフリをしてソイツがゲームをするが如く俺を操作する。
泣いている顔を見られたくなくて右腕で隠すが、涙は止まらず沙埜ちゃんの太腿を濡らしていた。




