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#72 : 当機立断

『ヴヴッ…』


 マナーモードの携帯が静かに自己主張する。誰からかメッセージが来た。音だけで美希は小畠からの返信だと思い、電車内で急いでメッセージを開く。


『お疲れ様です。無事に届いていて安心しました。雪は止みましたが足元が悪いのと、寒さも厳しいので体調管理に気をつけて』


 美希は文面を見てガッカリした。お礼がしたいと伝えたのに、そのことに一文字も触れられていない。理解出来なかったのか?やはりちゃんと口頭で伝えた方が良かったのか?あの時とは違う鼓動が締め付けるようで痛く感じる。


(こういう事はちゃんと対面でご挨拶するべきだわ)

 当機立断、そう思いガッカリを払拭せんとあの夜を思い出す。あんなに優しく抱いてくれたのだ。きっとお礼も受け止めてくれる。美希が出来るお礼は限られているがー。


「お世話になっております!」

「おっす!朝も早よからご苦労さん」

 取引先の売場責任者に挨拶をする。美希はどこに行ってもそのあどけない容姿、ギャップのある水蜜桃、上品な立居振る舞いで男性からの人気が高い。


 そしてどこに行っても『美希ティー』と呼ばれる。社会人になって初めてついたあだ名だ。彼女をそう呼ぶ殆どの男性が、彼女が紅茶が好きと言うことを知らずに呼ぶのは不思議だった。


「販促品、月曜に届いて展開してるよ」

「ありがとうございます!お客様のお買い物に差し支えないように撮影しても宜しいでしょうか」

「こんな日だもの、ご自由に〜」

「ありがとうございます!」

 売場責任者は手をヒラヒラさせてバックヤードへと消えて行く。


 売場の状況を伝えるのもラウンダーの役割だ。自社の製品がどの様に展開されているか、競合他社はどうなのか、イベント時なら什器の拡張もあるので併せて写真に収める。

 販促品を眺めていると雪の城を思い出す。彼と二人で頑張ったあの日を。


『俺達は結果をもっと大事にしなくちゃ』


(あの日の結果はなんだろう?)

 仕事中なのによからぬ事を考えてしまう。美希らしく無かった。


「ちょっと良いかい?一つ聞きたいんだけども」

 不意に声をかけられビックリする。美希はパンツ・スーツにピンクのブラウス、ジャケットを羽織り関係者とわかるIDを下げているので、この売場の人間では無いことは見ればわかる。

 しかし客から見たらそんな事はどうでも良い。本来なら別の者を…とお断りを入れるのだが、生憎と誰も売場に居ない。これは対応せざるを得ない。


「…あっ、そうなんだ。お姉さん的にどっちがオススメなの?」

「私はこの会社の者なので、自社製品をお薦めしたい気持ちがあります。ですがお話を伺ったところ、お客様にはこちらの製品の方が…」

「コレって違う会社のじゃん、良いのかい?」

「お客様にご満足頂きたい気持ちは、弊社もこちらの製品の会社も同じだと思います。できれば弊社の方をご愛顧頂けますと幸いですが…」

 オヤツをもらえなかった子犬のようにシュンとなる美希。


「あはは!お姉さん素直だねぇ!気にいったよ!アンタの方を貰っていこうか」

「あ、ありがとうございます!只今ですとイベント期間中でこちらとこちらの…」

「オマケまで貰えるなら尚更アンタのとこにするよ」

「はい!ありがとうございます!」


 美希は販売応援をしていた事が今日に繋がるとは思っていなかった。製品について勉強し、他社の製品知識も叩き込んだことは無駄にならなかった。日報の良い材料が出来た。この事例を水平展開してみてはどうだろうか。

 アレコレ考えるのはお客様の対応が終わってからにしよう。そう思い直し接客へ意識を戻す。


「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」

 レジの担当者が和かに挨拶をする。

「アンタん会社(トコ)、良いコがいるもんだねぇ」

「あ、ありがとうございます?」

 レジの担当者は店舗の人間、美希は取引先だからこの会社の従業員では無いが、客はそんな事まで関心が無い。なので敢えて訂正もしない。


「美希ティーありがとう!もうずっと売場にいれば良いのに!」

 レジの担当者はそれだけでは無い事も含めて言うが、美希に真意は伝わらない。そこも含めて彼女の魅力なのだが。


(火曜会には参加出来ないけど、コレで…)

 美希は担当者に挨拶をすると次に向かう店舗へと急いだ。彼が帰る前にあの日のお礼を、今日の事に繋がった報告もしたい。

 しかし、ラウンドする店舗数は減らせない。お昼を抜いてでも帰社する、そう決意して足早に移動を始めた。

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