番外 : 二人の初詣
都心は記録的な大雪が降った。
月に一度の日曜日に降った雪を恨めしく思う。
「Je déteste la neige…」
「?」
「…なんでもない」
ふわふわのニットを着こみ、テーブルに顔を乗せて雪に文句を言うはるは、溶けたマシュマロみたいにも見える。浮かべたら美味しそうだな、そう思いながらホットココアを一口飲んで乙葉が話しかける。
「予報は珍しく当たったわね」
「あの天気予報の人もキライ」
恋人は雪のせいでお出かけできなくて不貞腐れている、そう思った乙葉にフラッシュ・アイディアが閃いた。
「…去年買ったブーツ、まだ履いてないや」
「ボアが付いてるヤツ?」
「買ったは良いけど履いて行く場所が無くて」
「私も似たようなブーツ持ってるから、てっきり乙葉も欲しくなったのかと思ってた」
「はるが履いてて可愛いと思ったから買っちゃった」
悪びれた様子もなく積雪の美女が珍しく微笑む。
「今日の天気に良く似合うだろうなぁ…」
ガバッ!とはるがテーブルから飛び起きる。
「私のブーツも似合うと思うの!」
「でしょ?バスも本数減らしているし、歩いて行ける神社で初詣しない?」
「やったー!行く行くー!」
溶けたマシュマロが両手を挙げて喜ぶ姿を見て、根拠の無いアイディアも時には必要なのだな、と乙葉は感じた。
あれ程までに不貞腐れていたのにお出かけとなると行動が早い。わかりやすいのも恋人の可愛いところだ。
「ナニ着てくのー?」
「ブーツに合うロングのワンピ」
「私はねー、私はやっぱニットが良い!」
ニットを掲げクルクルと回りだす。
「ちょっと、危ないから…」
「えへへー!あっ」
『ドッ!』
躓いたはるがうつ伏せにベットに倒れ込む。
「大丈夫!?」
「はう〜、大丈夫〜」
無事を確かめてそそくさと着替える乙葉。恋人が雪にはしゃぐ子犬を彷彿とさせたことは黙っておく。
「さ、寒〜い!」
「確かに寒いわね…」
玄関を出ただけでこんなにも冷えるとは思わなかったのか、あんなにはしゃいでいたのに急に大人しくなる。
「…やっぱり雪はキライ」
「もう出ちゃったんだし、歩いていれば暖かくなるわよ」
リードを引くようにはるの手を引く。マンションのエントランスを抜けると、都会では珍しい積雪量に二人とも驚いた。
「帰る時にも積もってたけどこんなにも降るなんて」
「はるが帰れなかったらどうしようかと心配したわ」
「早番だったから遅刻の方が心配だった〜」
「いつもより大分早く出たものね?」
「残業もウルサイけど遅刻はもっとウルサイ」
「どんな仕事をしてても遅刻はダメよ」
自分のせいで無くても怒られる、そんな不条理はごめんだと思う。勢い余って右足を強く踏み込む。
「はわっ!」
「あっ!」
はるの右足は滑り、サッカーボールを蹴るように空を切る。慌てて乙葉が倒れないように後ろから抱え込む。
「大丈夫!?」
「ス、スカートだったら丸見えだった…」
「雪道は危ないんだから!」
「…ごめんなさぁい」
子犬だったら耳も尻尾も垂れているだろう。そんな表情をされたら恋人をそれ以上叱れなくなった。
「…ちゃんとつかまって」
乙葉が左手を差し出す。はるが手を繋ぎながら抱きつくように抱え込む。
「あ、歩きにくいってば…」
「だってあったかいんだもん!」
暖かいのは建前で、くっつく為の理由だとわかっていながら許してしまう。
普段なら何ともない距離にある神社までゆっくりと歩いて行く。
「はるの手はいつも暖かいわね」
「私は自分の手もキライ」
「はるの手は私の宝物よ」
「どうして?」
「はるの手はたくさんの人を笑顔にしている。まるで魔法みたく身も心もキレイにする手。その手を私が独占するのはルール違反みたく思うの。でも、誰にも渡さない」
キュ、っと乙葉の手に力がこもる。それに応えるようにはるも握り返す。
「こんな荒れた手がスキなんて、乙葉ヘンなの!」
照れ隠しなのは乙葉もわかっている。ヘンなところで素直になれない恋人も”ヘン”だと思い、堪えていた笑みがこぼれる。
「あぁ〜!今はるのことバカにした〜!」
恋人のカンの良さは健在のようだ。
鳥居までの階段はまだ誰も歩いていないようで、一段ごとに高く積もった雪が二人の行手を阻む。
「気をつけて。ゆっくりね」
右手で積もった雪をどかしながら手すりに掴まる乙葉。恋人の手は私が守る。その固い決心が悴んで痛くなる手を奮い立たせる。
まるで雪山を登山するように、ゆっくりと、確実に一歩ずつ踏み出す二人。そんなに高くないのに本殿までがやけに遠く感じた。
「すごーい!キレーイ!」
境内も踏み荒らされた跡が無く、一面が白かった。
あんなに渋っていたのに、と心の中で恋人を可笑しく思う。
「ちゃんとお参りできるかしら…」
「ねぇねぇ、見ててー!」
心配をよそに雪へとダイブする。膝から起き上がると、前半分は真っ白になっている。
「一度やってみたかったんだー!」
「ふふっ!オシャレが台無しよ!」
堪えきれず笑い出す乙葉。やることなすことまるで子犬だ。そんな恋人が誰よりも大切で、誰よりも大好きだ。
「なにをお願いしたのー?」
「…秘密」
「あー!二人の間にヒミツは無しって約束じゃん!」
「それとこれとは別なの!」
「じゃ、じゃあはるもヒミツにするー!」
むくれている恋人に”これからもずっと一緒”と心の中で秘密を打ち明ける。
「帰ったらVin chaud飲もー!」
まだ階段も降りきっていないのにはるは気が早い。
整理・整頓・清掃・清潔・躾。小畠から学んだルールを頭で浮かべ、キッチンのストッカーに記憶を巡らす。
「シナモンにクローブ…あったわね」
「はるちゃんのフラッシュ・アイディア採択ぅ!」
後一段、と言うところではるが繋いだ手を大きく掲げた。釣られて乙葉がよろめき、二人とも新雪に突っ伏した。
「ぷっ、あははー!乙葉コケたー!」
「もうっ!はるのせいでしょ!」
雪のクッションのおかげで怪我はしていないが、二人ともコントのように頭から白くなっている。
「…乙葉の手は、私があたためる」
「?」
「ほら、早く帰ろ!」
急いでホットワインを飲まないと風邪をひきそうだ。
飲み終える頃にはきっと、二人とも溶けたマシュマロみたくなっているだろう。
「…クローブの賞味期限切れてる」
「火を通せば大丈夫じゃない?」