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#65 : 狩人の嗅覚

 溶け残った雪が道路に凍りつき足元を滑らせ、転ばぬ様にそろそろと歩みを進める。『とことこ』と言いたいが実際には『よちよち』に近い。防滑仕様のレインブーツとは言え気を抜くと足元を掬われる。美希は駅から会社迄の道のりがいつもより遠く感じた。


 それは昨日のせいもあるのかもしれない。まだ彼がいるような感覚と、足の付け根に甘い切なさが残っている。歩き方が若干おかしいが、雪のおかげもあって詮索はされないだろう。


 いつもと変わらない出社のはずなのに緊張する。こんな気持ちは入社以来だ。どんな顔をしてドアを開ければ良いのだろう?どんな言葉で小畠に挨拶をするべきなのか?別れ際に彼の頬にキスをした後からずっと考えていた。初めて大人になったのだから事後処理も勿論、初めてだ。


(あの人ならどんな顔をするのだろう)

 恋敵(ライバル)でもある瑠海の事を想像してみる。何事も無かった様に振る舞うだろう。自分のためにも、小畠のためにも。

(私にそれができるのかしら…)

 悶々としながらも会社の前に着いてしまった。雪の影響を考えて早めに出たが、同じ考えをする人が多いことに遅まきながら気がついた。


 自社のフロアにたどり着く。執務室へ向かう前に呼吸を整え、バッグからIDを取り出し首から下げる。後はセンサーに翳してドアを開けるだけなのに、足が動かない。そんな時ー


『ピッ!』


「おはようございます。入らないのですか?」

「お、おはようございます。ありがとうございます」

 瑠海が後ろからやって来て、派遣社員用のカードで解錠した。いつもの挑発的な眼差しで問いかける。

「雪、大変でしたね。販促品の出荷は大丈夫でした?」

 瑠海は美希を危険視している。子供だからこそ暴走しかねない。今のうちに押さえておかねばと直感が働く。

 逆に美希はさっきの問いかけを

『どうせ間に合わなかったのだろう?』

 と脳内変換し、対抗心に駆られてしまう。言うならばまだお子様なのだ。だがしかしー


「お陰様で。影響を鑑み、手を打ってましたので」

 普段なら萎縮してしまうが、ちゃんと仕事を終えたのだから堂々と返事をする。どんな手を打ったのかは説明できないが。

「…そうですか。私の販路も受け持って頂いたとの事で感謝いたします。では」

「いえ、当然の事をしたまでです。失礼します」

 思っていたより簡単だった。自分から何も言わなければ()()()()のことなど誰も知り得ない。この調子で普通にしていれば良い。変に意識すれば和田あたりが嗅ぎつけてちょっかいを出してくるかもしれない。いつも通りで良いと自分に言い聞かせた。


 一方、瑠海は美希に()()()()()とスグに察知した。しかもここ2・3日、恐らく週末にかけてで。

 以前にお仕置きをしたせいで美希からは目の敵にされている。社内で顔を合わせると、瑠海への畏怖と敵対心にお上品なシルクのカバーをかけて強がるのに、今朝はさも『対等だ』と言わんばかりの態度だった。


 瑠海が美希に絡む理由は簡単で、憧れなんてレベルでは無いほど小畠に惚れているのがお見通しだったからだ。面接の時に衝動に駆られた小畠(エモノ)を横から奪おうとする小娘に力の差を見せつけてきたが、今日の彼女は瑠海相手に不安ながらも初めて余裕を見せた。

 荷物の仕分けを終わらせただけで瑠海(狩人)にあんなに自信を持って返答(挑発)しないはず。何か引っかかる。


 瑠海は夜の世界(クラブ)でNo.1を張っていた人間だ。キャストの細かい心境やゲストの環境の変化を読み取るのはお手のものだ。キャストとゲストが(ねんご)ろ、いわゆる男女の仲になるのは店として業界として御法度だったが、内緒で関係を持つ者はいる。用意周到にアリバイ工作や口裏を合わても、瑠海は店に来た時の顔つきや話し方などでスグにわかった。


 …同じだ。男女の仲になった事後と。今までの美希の言動は()()()()の応対だったが、今日は()()()が取る態度だった。相手は誰かと思案しながらデスクへと向かう。


 まず浮かんだのは和田。お互い経験が無い者同士、無きにしも非ず。押しに負けた?長野、田口はあり得ない。向こうから手を出そうとすればそれこそ小畠に泣きつき、流石の彼も黙ってはいないだろう。

 確か私立の女子校出身(エスカレーター式)だから学校関係者は『教師』意外は無い。新年会・同窓会は…仕事を終えた後には可能性がある。でもあんな日にわざわざ?この線は薄い。

 仕事上での関係も社内と取引先くらいだし、職責は販売応援かラウンダーだ、そこまで頻繁に相手先に行かないし、商談をするわけでないから挨拶程度しかしない。もしかしたら酒宴の席の勢いで、はあるかもしれない。


 美希から放たれたオーラには溢れんばかりに自信と幸せが漂っていた。と言うことは相手から無理やりにとか、酔った勢いで得たのではない。自らが望んだ相手に抱かれたから幸せに満ち満ちているオーラなのだ。ここで和田も消える。彼は彼女にご執心だが、彼女は彼を相手にしていない。


 先程のやりとりを思い返す。

『販促品は無事に出荷した』

 この大雪で?待機命令が出ていたのに?日曜に対応したのなら集荷は午前中までだから間に合わない。

 確か荷物の量が多いから二人で対応することになっていたはず。一課からは彼女が、もう一人は総務に配属となった同期だ。いくら『手を打っていた』とは言え新卒の二人にはそれこそ()()()()。予想外の悪天候、着荷すら困難なのに。

 デスクに座り冷めかけたシアトル・コーヒーを一口飲む。


 あのオーラ、似ている。()()()と同じ匂いがする。


 ーまさか。

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