#61 : 雪の城 6
美希が意を決して飛び込んだ胸は、激しい鼓動を響かせている。少しずつ、少しずつだが体温が戻っている気がする。
自らの水蜜桃を押しつぶし彼の胸に耳を当てると、不思議な安心感があった。彼のシャツからほのかに立ち上る柔軟剤の香りに、男性ものの制汗剤、そこに自分の香りが溶け込んでいく。彼はクリーニングに出さず自分でお洗濯をするのだな、と美希はこんな状況でも冷静に思った。
初めての経験にさらに胸が早鐘を打つ。このままこうして彼と融合できたらもっと幸せだろう。
経験は無いが美希は確信していたことが二つあった。彼のことが上司としてではなく男性として好きと言うことと、もう一つ。
「ほ、ほら、もう大丈夫だから、ありがとう」
夢見心地から引き離そうとする彼に、イヤイヤをして抵抗する。
「四ツ谷さん?俺は平気だから、ね?」
大人の余裕ぶって子供をあやす様に語りかける。
「…私は、私はそんなに子供なのでしょうか?」
「えっ?」
「小畠さんから見たら子供かもしれません。でも、私ももう大人です。一人でできることは少ないけれど、自分で選んだことに後悔はしません。だから、子供扱いしないで下さい。悲しくて、涙が溢れてしまいそう…」
美希が涙を堪えているのは寒さからの震えとは違う振動で彼にも伝わった。
本人は大人と言っているが彼からしたら美希はいたいけな少女として映っている。
「…いつも心配してくれるのは、子供を躾るように私を見ているから。私の気持ちも嗜めようとしている」
そう言われて彼は今までを思い返す。娘の様に思い何をするにも過保護なくらい気にかけていた。規則違反を戒めなければならないのに保留にした。確かに甘やかしている。
「子供扱いされている。それなのに、そんな小畠さんが…好き、なんです。一人の男性として、とても好きなんです」
さらに体温が上がったのは、人生で初めて好意を伝えた感動と緊張のせいだ。
「だからもう、子供扱いされるのはイヤ、です」
ピタ、と美希の震えが収まり彼に張り付いていた胸から顔を上げると、桜の花びらのような可愛らしい唇で直に気持ちを伝えた。
大人の方法を知っている小畠からすると挨拶の様だったが、自分から初めて口付けをした彼女には未知の感触だった。顔も耳も普段の桜色から寒緋桜のように更に赤くなる。
「私をちゃんと見てください。もう、子供みたく見ないで下さい。気持ちに応えてくれなくても良いですからー」
くっついたまま美希が壁際まで押し寄せる。彼は倒れないようにすり足をしながら壁との距離、美希が怪我をしないかを考えながら後ろに下がる。
トン…
と彼の背中が壁にぶつかりもう一度、早咲きの桜の花びらが彼に舞い降る。
「…私は傷ついたりしません。後悔も悲しんだりもしません。自分で選んだこと、望んだことです」
彼は壁にもたれたまま左手で震える美希を抱き寄せ、右手でストロベリー・ショコラの髪を撫でる。諦めたのか、それともー
「また、子供扱いするのですか?」
涙声で美希が問いただす。彼は何も言わず胸に埋もれた美希を優しく撫でる。意を決して伝えたのに、ダメなのか。我慢していた涙が溢れてくる。
すると突然、彼の右手が美希の顎を上げた。美希は受け入れるために目を瞑った。が、緊張もあって震えが止まらない。
「…怖かった?ごめん」
揶揄われた気がして涙で潤む目を開けたが、それは美希の思い違いだった。そのタイミングを待っていたかの様に彼が桜の花びらを蹂躙した。




