#6 : 続・サイドターンは恋の味
「では、パソコンの初期設定までは私がやっておきます。メールアカウント、オフィスについては覚えて頂く必要があるので一緒に研修しましょう」
「お手数をおかけしてしまい、申し訳ございません…」
消え入りそうな声で彼女が謝る。
いくら面接時に聞かなかったとしても、大井さんも超絶美人の事があったから業務にPCスキルが必須なのはわかっていたはず。こりゃ一杯食わされた感が否めないな。
「自分でも本を買ってちゃんと勉強しますので…」
「いや、変な知識がつくより実務に必要なスキルを確実に磨いて頂いた方が良いので」
彼女の申し出をやんわりと断る。
エクセルがわかる本が売られてはいるが、実務に関係の無い関数や使いもしないマクロとかで頭でっかちになられても困る。特に小難しい計算もしないので1、2回の研修と先輩営業のコピーで十分ことが足りる。
「そんなに簡単に行くものでしょうか?」
「麻生さんにはまだ未知の世界ですが、慣れてる人間からすれば何をどうすれば良いかがわかってきます。後は反映させるだけです」
コレばっかりは実戦あるのみだ。口で説明してもやらなきゃわからない。
「一課に比べて二課は報告物も少なく、スピードよりも精度を求められる傾向にあります。時間がかかっても間違いがないようにして欲しい、逆に言えばそれだけ時間を割く事ができるのです」
「では反復学習できるのですね。少し安心しました」
小さな手で、小さな胸元を抑え、小さな安堵を吐く。
自然と目が追いかける。彼女の手を、抑えた胸元を。
強化ブレーキが早くも摩耗し、キーキーと鳴いている。
昔よく聞いていた失恋ソングに似た様な事があったな。顔の割にってどんな顔が小さな胸なんだかわからないが。
無論、俺は大小では決めない。大きいのも大きい良い部分があり、小さいのも小さい良い部分がある。
この手のハナシはあまりしない様にしている。何故って?俺は見た目で判断しないからな。反応はするけど。
「では、オフィスのインストールにも必要なメールアカウントから設定していきましょう」
「宜しくお願い致します」
思考を現実に無理矢理戻し、作業を再開する。
「お名前を英小文字で入力して下さい。綴りはヘボン式です」
「は、はい…」
自分の名前の入力から教えるレベルか。骨が折れそうだが、それより心のブレーキの方が心配だ。
「likaではなくrikaで。苗字の最後にuは不要です」
「は、はい。えーっと、これで合ってますか?」
画面を除いて確かめる。ちゃんとヘボン式で入力出来ている。
覗き込んだため彼女との距離が更に近くなっていた。清らかなシャンプーの香りと、華やかな柔軟剤の香りがふわぁと鼻腔をくすぐり、我に帰り、彼女の香りを堪能していた事を悟られない様に席に帰る。
なんてこった。強化ブレーキが一発で破壊された。もうサイドブレーキしか使えないぞ。
「…画面の指示に従って進めて下さい」
「かしこまりました」
少し上気したような顔つきに見える…気がするだけだ。加齢臭とかまだ無いから大丈夫だろうけど、向こうも俺の香りを感じたのかもしれない。
サイドブレーキしか残ってないクセに暴走したがる。
次の指示を努めて冷静に伝える。喉が鳴ったのを聞かれたかもしれない。
「では次にオフィスのインストールを行います」
「ここからが本番ですね…」
していい本番・イケナイ本番。今は前者だ。またもや喉が鳴る。
目の前の事に集中し、スピード違反にならないように心のサイドブレーキを目一杯引いた。




