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#49 : 夢見がちな女王

「…父が、イタリア。母は日本よ」

 彼女の逸脱した妖艶さはルーツにあった。

「母が旅行に行った時に”モンテロッソ・アル・マーレ”で見た海が私の名前。瑠璃色の海」

 グラスを通し遠いイタリアを見つめる彼女の眼差しは、一段と憂いを帯びている。

 グラスに映る自分のRadici(ルーツ)はどんな景色なのだろうか。


「面接の時に名前はちゃんと伝えたわ」

 そう言うと残りの酒を流し込む。些かペースが早い気もする。彼はまだビールを飲んでいた…ではなく”彼女に飲まれていた”が正解かも知れない。


「お疲れかしら?」

 まだ余裕だと言わんばかりに、空になったグラスを振りながら挑発的な瞳が彼に向けられる。

「…俺は大丈夫だけど、()()()()はー」

()()

「へ?」

「ちゃんと名前があるのだから、名前で呼んで」

「そ、そんな間柄では無いしその…」

 言葉を遮るようにテーブルに置かれた彼の左手に、彼女の右手がそっと添えられる。ビクッとして手を引こうとしたが、グラスを倒してしまいそうなのと、彼女に対して失礼ではないかと思い受け入れた。


 彼はこれまで社内の女性を名前で呼んだ事が無い。彼なりの配慮と自己防衛のため徹底して守っている。今のところ名前で呼んでいるのは社外の沙埜ぐらいだろう。


「相変わらずカタイわね。()()()が逃げ出すのもわかるわ」

「え?」

「二人の時は名前で呼んで。他人行儀は嫌よ」

 添えられた右手の人差し指が、彼の手の甲をススっとなぞった。そのまま中指の先端まで進み、来た道を戻り彼の手を包みこむ。


 彼は何かを悟った…いや、この期に及んでと観念したのだろうか。


「…る、瑠海、ちゃん」

「ふふっ。誕生日プレゼントとして受け取るわ」

 一回りも下の女性にからかわれている。年齢だけなら下だが、精神年齢と立ち居振る舞いは彼の歳でも出せない『威厳』を感じる事も少なくない。彼女から溢れ出る自信がそうさせるのだろう。そっと左手が解放される。


「次はどうするの?」

 メニューを開きながら彼女は聞いた。

「ウイスキーのストレートを。アイラがあればシングルモルトで」

「ここには『アイラの女王』があらせられるわ」

「女王陛下のご尊顔を拝し奉りたく」

 もう一人の女王の手前、二人に最大限の敬意を払って注文をする。


 彼が酒に詳しいのも強くなったのも、アルバイトのバーテン歴が長かった事が起因する。

 高校時代からバーテンをしていた。過去にバイトを辞めた話をしていたが、今思うと取るに足らない理由で退職した。その後もバーに関する仕事と昼に肉体労働をしてきた。その頃から彼のポリシーは変わっていない。『綺麗な薔薇には棘がある』と言う事も身をもって体験し敬遠してきた。


「お待たせ致しました」

 マスターが二人の酒を運んでくる。時間は一時になろうとしていた。

「偉大なる女王陛下に」

「少佐の功績に」

 瑠海の掲げた陸軍少佐と小畠が護衛する女王陛下が謁見する。小気味良いグラスの音が二人を包んだ。


「御目通りが叶ったわね」

「至極恐悦にございます」

 吹っ切れたのか彼が彼女の軽口に乗る。彼は酔っているようにも思えた。酒にも、瑠海にも。

 その後も少佐とグラスを合わせ、アイラの女王への忠誠を守り同じウイスキーを頼んだ。もう、酔いが回り始めている。

 酔った勢いで先程プレゼントを選んでくれた部下(スマホ)にもう一度、調べものをしてもらう。

「っと、ぶ、ぶおん・こんぷれあの・あ・て?」

「grazie, grazie mille. でも発音は及第点ね。Buon(ハッピー) compleanno(バースデイ) a te(トゥー・ユー),よ」

 彼らしく無い行動だった。彼女に喜んでもらおうとしている。ただ単純に彼女の誕生日を彼女と共通の言葉で祝いたかっただけだ。

 少し気を許したとは言え、やはりこのままではマズいと判断した彼は彼女が席を立った隙に会計を済まし、チェイサーを一気に飲み、最寄りで朝まで過ごせる場所を部下(スマホ)と共に探していた。


「あら、もう謁見は終わりかしら」

「クイーンが二人もおいで戴かれては民からの羨望が多いことこの上なし」

 もう一人の女王『クイーン・オブ・ハート』にグラスを捧げる。

「…もう一人の Regina(女王)は夢見がちなの」

 そう呟くと彼女は陸軍少佐に祝福のキスを下賜し飲み干した。

 時刻は二時、店は朝までやっているようだが、さすがの彼も瑠海に付き合っていては身が持たぬ、と先程調べたマップを頭の中で再現する。店を出て右に向かえば駅方面、左に進んで橋を渡れば海沿いに広がる街並みのマップを酔った頭にインプットした。


「じゃあ、コレで。帰り大丈夫?近いの?」

 店を出て右に進もうとする彼が振り返った時、瑠海の両手が彼の首に回され、柔らかく熱のこもった情熱的な唇が重なった。


 夢見がちな女王陛下は彼に祝福のキスを下賜された。

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