#48 : 陸軍少佐に捧げる
瑠海が告げた場所は小畠の利用駅を背中にして走る。逆方向だ。そんなに暖房が効いていない車内で暑くない汗をかきながら彼は困惑している。
「ちょ、あのっ、ごめん。で、どこへ?」
先程の非礼を詫びて、どこへ向かっているのかを問う。
「私が誘ったんですもの、気にしていないわ。行き着く所を貴方が知っていたら貴方の知っている所、とでも言っておくわ」
はぐらかされたと思いながら、大井になんて言おうか考えていた。
こんな事がバレたらタダでは済まない。大井だけではない。田口・大宮・人事、この後の処遇を考えると酔いが覚めていく。
その思いの中でなぜか哀しそうな莉加と美希の顔が横切る。
タクシーは彼の思いを無視し、緑色の看板に誘われる様に高速道路へと進んで行く。帰宅する事を諦めた様子だが、この状況をどうしたから良いか考えあぐねている。
「そんなに心配しないで。私の誕生日会にお誘いしただけ。貴方は何も悪くはないわ」
そっと右手に手を置いて宥めようとするが、その行動は今の彼にとっては逆効果だった。
十五分ほど高速道路を走った後、ソリに備え付けられていたETCが料金を伝えると高速道路を降り、大きな幹線道路から一本入った所で目的地に到着した。彼はずっと握りしめていた湿り気のある紙幣を渡した。お釣りを受け取るとトナカイは眠らない街へと引き返して行った。
そこは小ぢんまりとした商店街の様な通りだった。地元民御用達なのだろう。流石にこの時間では開いている店は少ない。
瑠海にクイと袖を引かれついて行くと、後片付けをしている店の隣、オーセンティックを思わせる店作りのバーに着いた。
「瑠海ちゃん…っと、いらっしゃいませ」
彼女は常連なのだろう。マスターと思われる男性が彼に気づいて声をかけた。
「奥のテーブルしか空いて無いんだけど…」
カウンターは生憎と一人しか座れない。いつもならそこに落ち着く瑠海も勝手知ったる足つきで奥へと進む。
「ど、どうも…」
この真冬に汗をかきながら締まらない挨拶をする彼に、マスターも苦笑いで返す。
「メリー・クリスマス、いらっしゃいませ」
マスターの言葉に腕時計を見ると、あと十分程で日付けが変わろうとしていた。
「私はグラッパを、貴方は?」
「ビ、ビールをお願いします」
シャンパンで腹が膨れたが、条件反射でビールを頼んでしまった。
「いつもビールなのね」
「いや、なんか喉乾いちゃって…」
「真冬にそれだけ汗をかいたらそうなるわ」
また、唇の端にだけ心の中を浮かばせる。彼をからかって楽しんでいるようだ。
「お待たせしました。ごゆっくり」
彼女の前にはリキュール・グラスに注がれたグラッパが置かれる。シャンパンを二人で2本も空けた後にビールを飲む彼も大概だが、デザート代わりにグラッパを飲む彼女も大概だ。
「あと二分」
「た、誕生日おめでとう」
「grazie di cuore」
他の客の会話を邪魔しないように、小さくグラスを合わせる。冷凍庫に入れられていたと思われるグラッパは、グラスに霜をつけてクリスマスを演出する。
「貴方だけは、クリスマスではなく私の誕生日を祝ってくれた」
「な、なおくんも祝っていたじゃないか」
「あのコは例年通りよ。それ以下でも以上でもない」
早くもグラッパは半分しか残っていない。ペースの速さに驚いたが、ビールだと分が悪い気がして少し早めに飲む。彼は酔いを感じていたが、まだ理性の方が勝っていた。このペースに付き合ったら終わりだと。
「マスター。 いつものをお願い」
そんな事を考えている内に、ささっとおかわりを頼んでいる瑠海に驚愕したが、巻き込まれない様に自制心を保とうとする。
瑠海が頼んだ酒からハーブの香りがした。バニラの甘さにアニスのスパイシーな香りはイタリア産のリキュールであると思い彼女に尋ねる。
「エンダ・ジーザスを護った『陸軍少佐の酒』?」
「…博識なのね。そう、Le mie radici」
聞きなれない言葉を呟くと、グラスを淡く光るライトにかざして口をつける。少し厚めの唇は薄暗い店内の明かりを妖しく反射し、いつもよりも艶やかに見える。平常心を取り戻さんとする様にビールをあおる小畠。
彼の知らない夜はまだまだ始まったばかり。




