#5 : サイドターンは恋の味
「配属につきましては営業二課で決定いたします」
「承りました。改めまして、宜しくお願い致します」
俺を魅了し続ける大きな瞳は、俺のいる一課では無く、二課になった事が少し寂しげに映っていた。…ように見えただけだ。
それは俺の願望なのか、本当にそうだったのかはわからない。
内心、ホッとしている面もある。あの瞳と仕事をして行く自信が無かった。いつ自制心がこと切れてもおかしくない。だから、これで良かったんだ。また部下には文句を言われそうだがな。
そして知らなかった事も今日の面談で確認でき、今後も交じあってはイケナイ事も確信した。
彼女はバツイチ子持ちだったのだ。そりゃ派遣とは言え正社員と同等額稼げる方が良い。子供もすでに大きく手がかからない為、フルタイムで探していたそうだ。養育費は貰っているが、将来のため、子供の為に貯蓄していきたいとの事だ。
…嘘だろ?あの容姿でお子さんいらっしゃるんですか?困惑した表情から彼女は何かを察したのか、清らかな小川のようでもあり、行手を阻ませない強い流れを感じさせる口調で話し始めた。
「麻生は元夫の名前です。途中で名前が変わると子供に影響があるので、戸籍を旧姓に戻しませんでした」
成程、昨今ではシンママという言葉も世間に浸透し、以前と比べて容認されているが、子供の間ではイジメの対象となっている事は、言葉のイメージの認知とは裏腹に追いついていないらしい。
「元主人は鉄鋼財閥系の曾孫です。なので養育費も十分なのですが、将来の事を考えると…。あ、政治関係では無いのでなんのチカラもありませんけど!」
そう言って両方の手のひらを一生懸命に振ってみせる。
あれか、玉の輿ってヤツか。つーかなんだよその動き。可愛い過ぎんだろ。俺を殺す気か?
「販売職でも良いのですが、シフト制で遅番となると、子供と食事ができなくなってしまうので、定時で上がりやすいと伺っていた御社に希望を出したんです。あ、楽そうだとかそういう意味では無いので!残業もちゃんとします!」
またさっきのように手を振る。ダメだ。死ぬ。
「ご事情は大変良くわかりました。一課ですと突発的な対応を求められる事案が発生しやすいので、比較的安定している二課の方が宜しいかと存じます」
心のブレーキは摩耗しきり、サイドブレーキは滑り始めているが、何とか平常心を保つ。
「面接から本日まで、大変良くして下さった小畠様には大変心苦しいのですが…」
俺だって心苦しいよ。違う意味で。
「…部署は違えどゴールは同じです。例えるなら登山でしょう。どのルートから登るのか、登る事が正解なのか、登る楽しみを伝えるのか、登る事をサポートするのか。それぞれ役割が違った登山となるでしょう。しかし、目指す山である事には変わりありません」
「はいっ!ありがとうございます!」
朝にスマホで見た偉い人のエッセイの丸パクりだが、効果はあったようだ。でなければ俺が持たない。
「…では、こちらが麻生さんの業務に関わる貸与品一式です。紛失・破損・汚損等に関する内容にご同意頂けましたら、貸与品受領証に本日の日付とご署名、ご捺印をお願い致します」
「は、はい」
じっくり読んでくれてはいるが、それもどっかからパクってきたヤツだ。ぶっちゃけ法的効力は無いので適当で良いのだけれどな。
「し、質問しても宜しいでしょうか?」
「どうぞ、なんなりと」
「ありがとうございます。あの、ですね」
なんか歯切れが悪いな。そんなに俺と離れたく無いのか。ってブレーキ燃えてるぞ。
「じ、実はパソコンは、ネットサーフィンする位で、オ、オフィスにワードにエクセルとかパワポに自信が無くて…」
やられた。いや、俺のせいだ。面接の時にちゃんと確認しなかったのだから。受領証にパソコン本体、オフィスのインストールの件まで明示してるからか。聞かれなかったって事は必要無いと思われてもしょうがない。
どうやら二課には行くがパソコンは俺が面倒見なくちゃならなさそうだ。
前にも言ったが、二課の頭もパソコンを使いこなせていない。毎回誰かがケツを拭いているのだ。
今回は自業自得だが。ブレーキ強化しないと本当に手を出しそうだ。しっかりしろ。