#39 : 誕生日会
十一月二十七日、乙葉は誕生日を迎えた。
誕生日と言っても特別な事は何も無く、しかも平日のためいつもと変わらぬ時間に目を覚まし、支度をして会社へ向かう。
彼女は新しい職場でもがむしゃらに働いているが、前職の様に孤高の存在では無くなり、周りから慕われる人間らしさを取り戻していた。
親しみを込めてだが現実主義美女と呼ばれているのは健在のようだ。
彼女を讃えるあだ名は乙葉本人の耳にも届いているが、以前のような嫌な気持ちにはならなかった。
「塚越さん、そろそろ上がってー?」
「はぁい!バックヤード片付けてから帰りますね!」
アッシュ・ピンクのセミロングをサイドで三つ編みにし、耳にかかるほど伸ばした前髪をかきあげながらはるは応える。
美容院は大抵週末が混む。薬剤やら染料やらシャンプーやらは週明けに使用した分だけまとめて届く。今夜のはるは自分の予約が無いので整理を手伝っていた。残業代が欲しいのでは無く、自分がいざ使いたい時にどこに何があるが把握しておきたいだけであった。探し物をしている時間は無駄、整理整頓が効率を上げる。そう教わってきた生活習慣は今も根底にある。
タイムレコーダーが17:05を示す直前にカードをねじ込む。これで残業はつかない。お小言を言われる筋合いもない。
ふとカードを持つ手を見る。美容師の職業病、手荒れだ。頭皮の汚れを落とすシャンプーを幾度となく、髪にダメージを当てるパーマ液、脱色させるブリーチ、何一つ手荒れに効きそうなものはない。指先に茶色や緑色が染み付き、爪も内出血しているかのようだ。お陰でネイルも楽しめない。色々試してみたものの、仕事をすればすぐに元通りになってしまう。おしゃれはヘアスタイルとファッションくらいしか出来ないのが悩みだ。
明日は休みだから洗濯のためにエプロンを持って帰る。左胸の手書きで書いた名札を外す。
『はる 副店長』名札に目をやりもう二年になるのかと思い返す。乙葉だけが辛い思いをしている訳じゃ無い。私も一生懸命やっている。だから自分だけを責めないで欲しい。一人で抱え込まないで私にも悩みを分けて欲しい。そのために私が出来る事はなんだろうか。考えてみたものの答えは出ない。乙葉とちゃんと話し合った方が二人にとって良い結果を生むだろう。
名札をロッカーの内扉、小さな鏡の下の物入れにそっとおく。ヘアピンのケースがカタンと音を立てて場所を開けた。
ライラック色のタイトなタートル・ネックに袖を通す。縦糸にシルバーラメがランダムに入っているのがアクセントとなり、はるの気分をあげさせる。ライラックに合う様にコーラル・ピンクのリップも買った。濃いインディゴ・ブルーのスキニーパンツにコーラル・レッドのピンヒールを履く。ベージュのトレンチコートを肩掛けにし、ゴールドのチェーンバッグを小脇に抱える。
普段はマナーモードで鳴らない設定にしている携帯に、彼女からメッセージが来ていた。
“外回りのまま直帰だからご飯行こう”
今日は彼女の誕生日。彼女はいつも突然だが、仕事の都合上仕方のない事だ。
二人の間でプレゼント交換はやめる事にしていた。キリがない事、物が増える事、想いを具現化する難しさ考えた結果だ。決して冷たい訳ではない。そのかわり、二人で好きな店に行き肩肘張らずにたくさんおしゃべりをし、お互いの誕生日を祝い、一緒にいてくれる事に感謝をする。それだけで満たされる思いだった。とは言ってもこのまま手ぶらで行くのもなんだし、お揃いのメーカーのリップを買って行くことにする。
駅までの帰り道にコスメストアがあるので、乙葉に合うリップを探してから店へと向かう。念のため、お店に特別席でサプライズ予約しておこう。