#28 : 香りは記憶を呼び覚ます
席を立った小畠の背中にそっと視線を送る。
いつもより饒舌な小畠の言葉が水蜜桃にチクりと刺さる。
(歳上、か。歳下はいらしたのかしら…)
歳の差を憂いてみても何も変わらない事はわかってはいるが、彼の許容範囲が知りたかった。
ちびり、と酒を飲む。経験豊富な彼のお勧めは美希の口にぴったりだった。進まないのは酒に対して距離を測っているからで、口に合わなかった訳ではない。
何よりも彼のお勧めが無くなってしまわない様に、少しずつ味わいながら飲んでいたかった。
少しばかり戻りが遅い気がするが、こう言う事を考えるのは端ない事だと思い、頭から払拭する。
時計は二十時に近くなっていた。
(お母さんに遅くなるって連絡するの忘れてた!)
慌てて携帯からメッセージを送る。
“遅くなってごめんなさい。上司の方とお食事を済ませてくるので、夕飯は要りません。”
メッセージを受け取った母は帰りが遅い事を心配していた反面、過保護に育て過ぎてしまった時期から比べると、随分と早く大人へと成長していく娘に微笑ましくも思った。
---ライト・ブルーのブラウスに、ストレートのタイトパンツを履いた江口に否が応でも目を奪われる。
全体的に引き締まっていて、絞られたウエストの細さも目を引くが、ツンと上向いた胸がスタイルの良さを殊更に強調する。大きさは四ツ谷には敵わないが所謂『美しいカタチ』に分類される。
その胸にかかる長さの烏羽色の髪も美しい。天井から彼女に向けられた光は、全て計算され尽くして反射しているかの様に、一粒の光も無駄にしないツヤがある。いかんいかん。
「会社から離れてるのに珍しいね?」
なんでここに居るの?と、当たり障りの無い様に探ってみる。
「ここの店長と古い仲で。小畠さんこそ?」
「知り合いに紹介してもらってね。一年位前かな?」
やり返された。会社から離れた所でわざわざ飲むと言うのは、ウラが有りそうな感じするよな。普通。
「私達はテーブル席でしたけど、個室でしたか?」
足元のサンダルを一瞥して返してくる。
「急遽だったんだけど、店長が気を回してくれてね。初めて入ったけど良い雰囲気だね」
「そうでしたか。あのコも喜ぶ事と思います。あ、お引き止めして申し訳ありません。どうぞ」
「ああ、ありがとう…」
では。とすれ違い様に江口の香水が鼻腔を通り抜ける。見た目と似たようなエキゾチックで濃厚かつ妖艶な香りだ。麻生のフローラル・ブーケや四ツ谷のフルーティのイメージには合わないな。森のオゾンのイメージとも違う。この香り、面接の時以来だな。
…そんな余裕など無いのに香りが記憶を呼び覚ます。
『はじめまして。江口 瑠海です』
『さんずいにエロで江口、瑠璃色の海で瑠海です』
超絶美人が初対面の自己紹介でパワーワード。
誰もが振り返るだろう美貌とスタイルなのに、イタズラっぽく飾らない所が更に魅力を引き立たせていた。
…引っ込んでしまったものも記憶と共に無理矢理呼び出す。
トイレの中も江口の残り香がするな。メイク直してたのかな。色んな意味でクラクラしそうだ。そういや”あのコ”ってどのコ?
「お待たせ。遅くなってごめんね。二課の江口さんとバッタリあってね」
「江口、さん…?」
「四ツ谷さんは面識無かったか。帰る時にまだ居たら紹介するよ」
「はい。ありがとうございます!」
ティフィンは残り少なくなっていた。
「八時過ぎ、か。時間は大丈夫?」
「はい!母にも連絡してありますので大丈夫です!」
実家暮らしか。お嬢様をお預かりさせて頂いております。小畠と申します。くらい言った方が良いのか?
俺の心配をよそに四ツ谷はティフィン・ミルクにするらしい。dessert代わりか。
と、思ったらゆずシャーベットも頼んだ。甘いものは別腹とは良く言うが、四ツ谷の場合は別胸…やめなさい。




