#216:抱薪救火のサーフェイス
「な、ななな……」
楓とゲームをクリアしようと来たカフェには先客がいた。
和田は沙埜に楓とのコトを知られたくなく、電源が確保できて無料のWi-Fiがあるこの店にしようと決めていた。
店の奥には三席しかない小さなカウンターがあり、コンセントも使えるのでピッタリだと思った。
いつかの大雪が降った後、美希を励ますつもりで誘った焼き鳥よりかは安く済む、そう思いアイスコーヒーを楓に奢り、得意気で席に向かうと莉加が小畠に半分抱きつき、恋人のように手を握り合っていた。
コンプラにうるさい彼が元とは言え社内の人間と逢瀬を、しかも会社の近くで行っていることに驚いたが、その相手にも驚いた。
暖簾に腕押し、豆腐に鎹だった莉加をどうやって落としたのか。ゲームで重いメンヘラを攻略したことはあるが、莉加は難攻不落だった。瑠海とは違う固さ、男を寄せ付けないための抑止力とも言えるシンママと言う立場。
楓も呆気にとられたが、莉加が退職した後に似たような光景に遭遇し、慌てて店を出た時の記憶が蘇る。
ああ、あの頃からこの二人はこんな関係を築いていたんだな。あの時は"ラグナロク"かと思ったが、取るに足らない八つ当たりのような気がして写メも消してしまった。
薄々、二人の関係に感づいてはいたが他人の恋愛に興味が無かった。今日までは。
いつも不機嫌な様子の楓に変わらずに明るく接してくれる小畠に心が揺れた。
やっと理解者ができた、そう思った矢先に莉加だ。
恋心と呼ぶにはまだ早いが、感情的には似たようなものだった。
「おおお、お疲れ!」
コイツは強烈にヤベー!
努めて冷静に・明るく・自然に和田と神谷に返事をする。そっと、ゆっくりと莉ったんが左腕から離れていく。体温も同じように離れていき俺を冷や汗地獄へと誘う。
「お、小畠さんは上がりでスか?」
言葉を繋ぐことが上手くできないように和田が話題を振る。我が弟子ながらヘタクソだな。そもそも弟子ならこの場に遭遇しても見つからないように退散するだろう!
「O、OOHの件でちょっと、ね」
「あ、ああ、今日、緊急で上がってた?」
「そうそう。本部長も関わって、来週の議題でさ」
取り繕う、とはこう言うことを指すのだろう。お互いに上ずった声で無意味な会話を続けている。
「で、り、莉加っちは……?」
オメーそこ突っ込むんじゃねーよ!ったくこのバカ弟子が!
「あ、ああ。以前に、今回の、発端になった販路の情報をお持ちでね」
莉ったんはこの場の空気を完全に読んでいる。沈黙は金を実行する腹らしい。俺が代弁者となる。
「そういえば、馨さんの販路で、ああ、会議の時の」
目が泳いでいるぞ。お前も俺もどうしたら良いのかわからないんだろうな。よし、決めた。
「そう、そうなんだよ。そこの販路の情報を教えてもらっていたのさ」
言うなりバッグを引き寄せカップを手に持ち、軽く莉ったんに目配せをする。逃げるが勝ちってヤツだ。
「今日はこの辺で。あ、スタゲ?」
昨夜に新しい章が追加されていたけど、眠くて昼にちょろっとしかやっていないんだよな。この二人が並んでやって来ると言うことは、それ以外に考えられない。
「そ、そうです!"抱薪救火のサーフェイス"!」
……抱薪救火、害を除こうとして、かえってその害を大きくすることの例え。薪を抱いて火を救いに行くんだ、そりゃ燃えるだろうよ。取り繕うってのも正しく今の状況にピッタリな言葉だな。チクショー。
「無線トリガーのお残しがあって……」
神谷はバツが悪そうに下を向いたまま無言を貫く。こちらも空気を読んで和田に任せたんだな。
「そっか。今度、また皆で集まってやろうか」
「そ、そうでスな!楽しみにしております!」
じゃ、お先に。とスッ……と莉ったんと席を後にする。顔は至極冷静を保ったが心臓はバクバク言いっぱなしだ。
「ありがとうございました!」
コーヒーちゃんに軽く会釈をしていつものように店を出る。湿気をふくんだビル風がまとわりつくように俺を包む。外に出てもイヤな空気だぜ。
「……マズかったかのう?」
莉ったんが心配そうに上目遣いで聞いてくる。
「ま、見られてしまったことはしょうがないし、過去に戻って阻止することもできないから、事実を受け止めるだけだよ」
「せやな。起こってしまったモンはしゃあなしやな!」
莉ったんを心配させないように肝が据わっている風を装った。
「あ、OOH……」
「そうやったのう!すっ飛んでしもうたな」
来週の会議までには"武器"が欲しいからな。
「……軽く飲んでいこうか?」
「賛成じゃ♡」
遅くならないように気をつけなければ。それにしてもマズかったよな。相手が和田だけならまだしも、神谷にも見られてしまった。威厳とか、立ち位置とか、色んなモンがグチャグチャになりそうだ。
気持ちを入れ替えなければいけないのは理解してる。頭と心が別物みたいに離れ離れになる。
ふと空を見上げたら、ストロベリームーンが俺達を怪しく照らしていた。
「……座らないの?」
「あ、ああ。そうでござるな」
あっけにとられ過ぎて目的を忘れていた和田に着席を促す楓。楓も小畠と似たような感情を持ち合わせている。
どれだけ取り繕っても事実だけがあるのみ。そこに人間の感情を混ぜても良いことなんてない。
莉加に対して少し沸いた嫉妬に似た感情を和田に八つ当たりする。
「まだ、そこなの?」
「かえっぺは廃人クラスなんでござるよ!」
気づくと敬語を止めていた楓は、汗をかいているコーヒーを飲みながら自分の気持ちに目を向けてみる。
(期待させといてなんなの?)
小畠が知ったら"勝手に想ったこと"と言いそうだが、まだ彼も気づいていない。何気ない言動が勘違いを起こさせることに。
「……だから、ポチョムキンはレーニンが解体するように指示出すから」
「ああ!それでレニングラードに行くのでござるか!」
スグにゲームに熱中できる特技が二人にはあった。小畠と莉加のことはもう過去のことのようだ。




