#211:OOH
「暑っ……」
滲む汗で下着が身体にまとわりつく。気温はそこまで高くないのに湿度が高いせいだ。
6月1日、梅雨入りもしていないのにしっかりとジメジメしてやがる。こんな時は仕事の数字もジメジメして芳しくない。大抵が新年度が始まり浮かれていた財布の紐を締め直す時期だ。G.Wもあったし、待ち構えている夏休みのためにもシブくなる。
売上低下に苦しめられながらも仕事量は減りヒマとなる。キンキンに冷えたビールを煽りたいが、場所が限られるな……。
酒を飲む場所を考える俺の気持ちもジメジメしている。瑠海との間に出来てしまった境界線。同じ空間にいる時に感じる透明の線は、目には見えないのに近づくと胸が苦しくて、切なくて。
自分がとった行動に納得ができないワケじゃあないのだが、腹落ちがしないままだ。
莉ったんには悟られていない、とは思う。毎日メッセしてても電話してても瑠海のことについて言及されたことがないからだ。
『今日も一日頑張ってな!終わったらモシモシしような♡』
会社のある駅に着く直前まで莉ったんとメッセする。こんな気持ちが知られたら彼女はなんて言うんだろうか。会社に着くまでに気持ちを切り替えろ。
これまた蒸し暑いエレベーターで額の汗を拭き、死んだ魚の目をしたまま執務室のドアをピっと解錠する。
「おざまーす」
『おはようございまーす』
合唱団の皆様もなんだかジメっとしたご様子。
こんな時はグダグダ文句を言っても始まらないし変わらない。今できることに集中して次月に繋げる。夏に向けての拡販だ。
販促も春の商戦期の残りを使えば追加費用はかからない。こんな時に役に立つのがラウンダー達だ。彼らは販売もできて現場でミニイベントや展示拡大などの交渉も行える。営業はもっと腰を据えた話しだが、ラウンダーはワンショットの案件を取りやすいってのが特徴だ。
『♫♩〜♫♩〜』
昼飯を食べるか思案しながらパソコンをバチバチ叩いていたら、業端が気怠そうに鳴った。はて?知らない番号だぞ?こういう時は相手が誰であろうと不快にさせないように出る。
「お世話になっております。小畠です」
『お疲れ様です。二課の元泉です。ただいまお時間宜しいでしょうか?』
おおう。アンタかい。どこで番号仕入れたんだ?いや、俺に何用だってんだ?
「お疲れ様です。大丈夫ですよ」
『ありがとうございます。突然のご連絡、申し訳ございません。番号は和田君から聞きました』
ああん、そのルートか。まぁ会社の携帯だから別に良いんだけどさ。それよりも内容だな。一課に何用かしら?
『古い話になるのですが、昨年、麻生さんがお話ししていた販路の件です』
「昨年……?」
突然の莉ったんが出てきて心臓が高鳴る。悪い意味でなのでとても痛い。リンにもバレていないから、元泉にもバレてはいないだろう。落ち着いて話を聞こう。大丈夫、大丈夫だから。
『麻生さんがまだ森さんにOJTしてもらってる時に、週次会議で発言されていた販路なのですが……。小畠課長と四ツ谷さんも同席されていて』
ああっ!莉ったんのやる気だかなんだかを森に言われてチェックしに行った時のか!これまた古いネタをよく覚えていたもんだ。色々ありすぎて忘れてた。そろそろ改装するってヤツな。ってかそれで自分めっちゃ刺されてたやん。
「ああ、はい。店舗の改装が入る、でしたっけ?」
森と長野の反応の方が印象深くて内容はうろ覚えなんだよな。まぁ、莉ったんのツッコミのおかげ?でトップセールスになれたんだ、感謝しなさい。
『そうです。それが店内改装だけでなく外装にも手が入っておりまして、自社のOOHより大きく競合他社が出しています』
OOH(Out Of Home)、店舗や駅などの看板に出す広告のことだ。月額いくら、ソレかける契約年数分のお支払いになるので、適当に広告を出して終わり、とはいかずちゃんとラウンダーや営業達に確認、報告をさせている。ウチより大きく目立つ広告がある時も同じく報告させている。なのに二課の元泉からの連絡に戸惑いを感じる。
「ご連絡ありがとう。OOHについては報告物だから、一課は毎月終わりに確認・報告をしてもらっているのだけど……」
君に言われなくてもちゃんと取り組んでいますよ、と遠回しに言ってみる。
『二課も同様です。林原にも連絡したのですが返信が無くて』
あんにゃろ、またサボってやがるな。
「その、OOHに何か問題でもあったの?」
『他社が全てDOOHに変わっています』
DOOH、デジタル・アウト・オブ・ホーム。デジタル・サイネージとも。画像が変わらない看板より動画形式で流れるから訴求力も高く、天気予報や占いなんかも流して人目を引くように計算されている。ウチより訴求力が高くなる=売上低下の危機だ。
「貴重な情報をありがとう。今回、改装が入るその販路、店舗だけではない、と言うことなんだね?」
『その通りです。確認したのはまだ自分の販路だけですが、デジサイに変更されている店舗では実装されている可能性が高いと思いご連絡しました』
手短に礼を伝え電話を切った後、湿度のせいだけではないイヤな汗が背筋をゆっくりと伝う。
一課の営業グループ・メッセに元泉の話を送る。リンはサボってるだろうから既読になったら即・電話したほうがいいな。
昼飯は後にしようと決めた後、四ツ谷からすぐに返事が返ってきた。




